火拳に振り回される海軍少将

命の危険。そりゃあ海兵なんてしていると、そんなものを感じるのも珍しいことではない。命を張ってこその海兵だとも。そんな事とうの昔に心得ている。
しかし。この状況はあまりにあんまりだ。
つまり何だって言うと、死にそう。

「四皇の船に海兵一人……? 死ぬしかないじゃないか」
「何言ってんだ、死なねェために乗るんだろう」
「…………ああ、ああ! エース、そりゃあお前はクルーなんだ、死ぬ心配なんて微塵も無いよなあ!? けど、私は海兵だぞ!? まさに今の私は飛んで火に入る夏の虫……、ってまさにお前が火そのものじゃないか!! くそっ、上手いこと言ってしまった……」
「おいおい、いくらオヤジの船に乗れるからって、そんなにはしゃぐなよ。照れるじゃねェか」
「はしゃいでない、照れるな、焦ってるんだ、大馬鹿野郎!!」

薄情なまでに楽観的なエースに怒りが募る。こんな時は有無を言わさず殴るのだが、今はそれが出来ない。何故なら、私は今、縄でぐるぐる巻きになってエースの方に担がれているからだ。

「なぁ、……千歩譲って、私が白ひげの船に乗せてもらうとして、だ。どうしても私を縄で縛る必要ってあるのか?」
「なんだよ小百合、大人しく乗る気になったのか?」
「……いや、絶対大人しくは乗らないけど」
「だろォ? だからこうしてんだよ。お前が何歩譲るっつっても、結局何一つ譲る気がないってことはもう嫌ってほどわかってる」
「……(嫌味も言えるようになったのか、こいつ)」
「まあ何とかなるさ。……おっ、船見えた。流石に早えな」
「…………でかいクジラ?」

なぜこんな事になっているのかというと、事の始まりは二日前にさかのぼる。



新世界のとある海域。
少将といえど、若輩者の私には正直まだ荷が重いこの海に、有無を言わさず送り出した我らが愛すべき英雄ガープさん。
曰く、近頃の私はなんとなく元気が無いからちょっと刺激を与えてやろうとのこと。
つまり一言でいうなら、武者修行だ。
センゴク元帥に私の休暇を掛け合ってまで、私の元気を慮ってくれるガープさんはやはり素晴らしいし、新世界を「ちょっとの刺激」で済ませてしまうガープさんは流石だと思う。感動で涙が出てくる。
しかしそれ以上に、滅茶苦茶な海への恐怖で私は泣いた。私に持たされたものは、ガープさんのビブルカードの小さな切れ端と、すぐに大破しそうな小舟一つだった。
ガープさんの無茶振りランキングトップ5に入るレベルの危険度だ。

ここで一つ余談。
あのガープさんに元気が無いと称された最近の私。とある事情により、気落ちしていたのは確かだった。
エースの奴が海賊として旗をあげてから幾ばくか。グランドラインでメキメキと名を上げていったあいつは、生意気なことに王下七武海の誘いを断った。それから、間も無くのことである。
スペードの海賊団、火拳のエースが、四皇の一角、白ひげ海賊団に加わった。

あいつのことを捕らえんと、ずっと追いかけていた私は、いや海軍は、火拳のエースに容易には手を出せなくなった。
あいつを捕まえようとすると、グランドラインでは事あるごとに何らかの邪魔立てが入ってきて、その機会を私は逃していた。
それに、新世界に入った並みの海賊ならば、四皇の傘下になるのは一選択として珍しく無い。どの海賊にもあり得る話だ。
新世界に入る前に、捕らえることが出来なかった私の力不足。
今まで、割と好き勝手してきたのだ。命令を無視したことが数回ある身。四皇への勝手な追撃を許可してくれない上の人達を恨むのは、流石に調子が良すぎる。

だが、あのエースが誰かの下につくなんて思ってもみなかった。私は奴を過大評価していたんだ。
私はどうにもそれが悔しくて悔しくて、仕方なかったのだ。

ガープさんが用意してくれたすぐ大破しそうな小舟は、やはりすぐに大破した。
しかし、焦る事なかれ。私には天下の六式の一つ、月歩があるじゃないか。この荒れ狂う海に落ちなければ、なんかとかなる。
そう平常心で空中に留まった私であるが、新世界はそう甘くはなかった。上にも注意せねばならなかったのだ。
空から何が落ちてきたかは、分からなかった。ただ、頭に突然すこぶる硬くて大きい何かが激突した。気が飛んだ私は、当然のことながら海に落ちた。新世界は恐ろしい。
私は悪魔の実の能力者でも、カナヅチでもないが、意識が無ければ同じこと。
ここからの記憶は曖昧だ。
これが一日目。

気づけば、私はどこかの島の浜辺に打ち上げられていた。痛む頭を我慢して周りを見渡せば、木片も一緒に打ち上げられていた。私はこれに引っかかったらしい。
まあ、要するに助かったのだ。本当に運が良かった。ただ、私はそこで運を使い果たしてしまったようだ。

その島は、無人島だった。
有難いことに、ガープさんのビブルカードの切れ端は無事だった。これで帰る方向はわかる。しかし、肝心の足がなかった。月歩でああなった以上、船なしで迂闊に島から出る気にはなれなかった。もう一度海に流されたとして、またどこかの島に打ち上げらる保証があると、どうして言えるだろう。

こうなった以上は仕方無しと、島に何かないかと森を探索しだした私だが、すぐにそれは危険だということがわかった。
私は幼少の頃から怪我とも病気とも無縁だった。しかし、この島の何らかの植物の出す花粉には、異常に弱かったらしい。
つまるところ、花粉症。
涙と鼻水を拭いながら、花粉が届いていないらしい先程の浜辺まで、必死に戻った。これからはハンカチだけでなく、ポケットティッシュも常備しようと誓った瞬間だった。もっとも、今はハンカチすら持っていないが。
この日は浜辺で、涙と鼻水が治るまで大人しくしていた。だいぶ疲れた。
これが二日目。

そして運命の三日目。つまり今日。

そろそろヤバい感じに腹が減ってきたので、海賊船でも何でも良いから通らないものかと島の浜辺をぐるりと探った。もちろん、花粉が届かない所のみだ。

この探索で、わかったことがある。この島の浜辺は木片だらけだった。いや木片というには大きい、どう見ても大船だったものすらあった。ただ、全て致命的なまでにぶっ壊れていた。生憎、私は不器用で、船の修理スキルは持ち合わせていない。
どうやら、ここらの海で大破してしまった船は、どういう原理か、この島に流れ着くらしい。不思議島だ。

それが分かってからも、私はやる事がなくてじっと海を見ていた。
すると、小さな変化が現れた。
見覚えのあるオレンジ色のテンガロンハットが、目の前の海にプカプカ浮いているではないか。
まさか、と思いながらもそれを拾いに行き、月歩で上からその近くを見渡せば、遠くに何か人間らしきものが流れているのを見つけた。そいつはどうやら、私と同様、木片に引っかかって流れてきたらしい。

一応、人命救助も海兵の仕事。
嫌な予感がしつつも、そいつを助けに行くと、なんともまぁ、案の定だった。
優しい私は、木片に紛れていたそいつの荷物と思わしきリュックも一緒に拾ってやった。
私の役に立つもんがあるかもしれない、という打算は当然ある。

島に引き上げたそいつは、ぐったりとしていたが、心臓は動いていた。
しぶといやつめ、と思いながら、一向に起きないそいつを起こすべく、腹に一発、軽く拳を決めてやった。
飲み込んだ海水まで吐かせてやるなんて、なんて優しいんだろうか私は。

「ぶは……ッ! ……、……、? 」
「…………よぉ、クソ野郎」
「……ああ゛?……って、うおっ!!? 小百合!?」

やっと起きたエースに後ろから声をかけると、なんともガラの悪い返事と間抜け面を拝めた。

「なんでお前がこんな……、何処だここ?」

いまいち混乱しているようなので、私はこの島がどんな島なのか丁寧に説明してやった。
島が気になるのか、エースは話中もそわそわと落ち着かなかったが、一応理解はしたらしい。
おのれらは遭難したのだと。

「成る程な、つまり不思議島か」
「そうだ、不思議島だ」
「……しっかし、お前まだあのジジイに振り回されてんだな。もう少将にまで昇格したんだろ? 命足りてるか?」
「足りてない。だが、お前に言われたくない、余計なお世話だ。……エースはなんで遭難した?」
「あーー、……なんつーか、我ながらバカやっちまったというか……」
「?」

白ひげの船でーーと、エースは語り出した。

白ひげの船での生活にも慣れてきて、仲間とも打ち解けあえた。それで、ある腕のいい船大工のクルーが仲間入りの印にと、小型の火力船を作ってくれた。
それがまた、とんでもないクオリティだったので喜んですぐに乗りこんだ。
そりゃあもう、すごくメラメラした。
それがいけなかった。火力が強過ぎた。白ひげの船大工の匠の技により、火力船はだいぶ低燃費になっていたのだ。
勢い良く進みすぎた船は、あれよあれよと言う間に転覆。
自分も当然海に呑み込まれたが、転覆及び破損した船の木片に引っかかって、どうやら今ここに至る。

ーーらしい。端的に言えば。

「すっごい間抜け。ウケる」
「真顔で言うな、真顔で。つーか、人のこと言えないだろ、小百合だって結局同じ事になってんだから」
「はあ!? 誰が間抜けだ、と、……」
「っ、おい! どうした、大丈夫か?」

エースに何か言い返そうと声を張ろうとしたが、頭が少しくらっとして地面に伏した。
原因はストレスとか疲れとか花粉とか、色々あるだろうが、一番の原因は圧倒的に……。

「腹が減った……。はぁ……。本当ならお前を捕まえなきゃなんだが、体が言うこと聞かないんだ。今は休戦だ」
「……ほォー。で、どんだけ食ってないんだよ?」
「あー、もう2日は何も食べてない」
「お、おいおい……、思ったより大事じゃねェか。10食は食い損なってるぞ、お前。よく生きてんな」
「……一日5食換算はやめろ。そんなに食うか。二日飯抜いた位でくたばるのは、お前かルフィくらいだよ」
「……っし、待ってろ。なんか食いもんないか探してきてやる。森ん中はまだなんも探してないんだったか?」
「や、やめておけ。あの森はやばいぞ、何かの凶悪な花粉が目に見えて浮いてるんだ。花粉というか、毒粉? ガスマスクかなにかが無いと……」
「……いっそ森ごと燃やすか?」
「! お、おお……。確かにお前なら出来るなそれ。いや、待て。それだとあるかどうかわからない食料ごと全部燃えるだろ。絶対ダメだ」
「……そもそも、オレが花粉なんぞに負ける訳ねーな。黙って安静にしとけ、すぐ戻る」
「おいっ、待てと言うに!」

私の忠告も聞かずにエースが走り出そうとした、その時であった。

「プルプルプル、プルプルプル……」
「!?」
「!! ……、これ電伝虫の音か!」
「でも、一体どこから……。、エースの荷物か!」

音の元を探れば、半ばその存在を忘れていた水浸しになっているエースのリュックだった。

「いやーすっかり忘れてたぜ、小百合が拾っておいてくれたのか? ありがとな」
「……早く出ろよ」

ガチャ、と電伝虫の声の後に聞こえたのは、当然聞き慣れない声だった。

「……ったく、無事だったんなら早く連絡しろよい」
「おー、マルコ! いやー、参ったぜ。無人島に流れちまってよ!」
「無人島ォ? ……そんなに明るく言うことでもねェだろい……」

全くである。

「おっと、説教はよしてくれよ。まぁ確かに今、ちょっと良くねぇ状況でな……」

エースの無駄に溌剌とした声に眉をしかめつつも、向こうの声の主を考えた。
あの、不死鳥のマルコだ。高額すぎる賞金首の声をこんなところで聞くなんて。あー、ひっ捕らえたい。仲間同士の気さくなやり取りを私の前で晒さないでほしい。

改めてエースが白ひげの船にいるってことを突きつけられ、思考の渦に引き込まれかけたが、エースのはしゃいだ声によって、それは中断された。
意外とあっさり、通話は終わったらしい。

「なぁ、エース。さっきの、まさか不死鳥のマルコか」
「おう。小百合のことも話しておいた。どうやら今日中には俺たち助かりそうだぜ? 」
「わ、たしのことも?」
「? あー。海兵ってのは流石に伏せといたけどよ。とりあえず、溺れてた俺を助けてくれた無人島で弱ってる恩人だって言っておいた」
「……珍しく気がきくな」
「珍しくは余計だ。素直に礼も言えねェその捻くれた性格、困ったもんだな」
「……、……悪かったな。こんな性格で。けどな、私は海賊に助けなんて、」
「まー、待てよ」
「、?」

エースはニッと笑いながら、私の言葉を遮ると、自分のリュックから割と長めの縄を取り出した。なんでそんな物が入ってるんだろう。いや今は、何でそんな物を取り出したんだろう、と考えるべきか。

「なあ小百合、体起こせるか?」
「……何で?」
「いーから、いーから。悪いようにはしねェって」

悪い奴が言うセリフを平然と使うエースを怪しみながらも、のそりと起き上がった。エースの前で横になったままでいるのも、そろそろ嫌になってきたところだ。

「で、縄で何を縛るんだ? 悪いけど、あまり協力出来ないぞ?」
「小百合」
「何だ?」
「いや、だから、お前を縛るんだって」
「え?」
「ん?」

意味が分からなくて首を傾けてる間にも、エースは私に縄をかけ始めた。

「お、いおいおい! 了承してないぞ、コラ!?」
「まー、気にすんなよ。痛くないようにすっから」
「そういう問題じゃねーよ! というか、作業止めろおい、バカ、クズ! 弱ってる人間に対して卑怯だぞ!」
「…………おっし、出来た!」
「聞けよ、鬼か!!? ……ッ、おいてめー、何だよこれ、ダッサい縛り方しやがって、グルグル巻きじゃねぇか……お前手先は器用な癖に!」
「それは小百合が暴れるからだろうが」

仮にも衰弱してる女に対して、こいつときたら。何一つ罪の意識を抱いていないあたり、生粋の大悪党だ。
ぐるぐる巻き。捕縛に慣れてる海兵としてはみじめというかマヌケというか、辛いものがある。とにかくグルグル巻きにされた私は、立っているにもバランスを維持することが難しいため、ドスンと砂浜に座り込んだ。
座り込んでから気づいたが、弱ってる上に手が塞がれてると立ち上がるのもままならない。
どっと疲れが増して、ため息が出た。

「……昔っからいっつもそうだエースは。私の言葉を何も聞いちゃいないし、何も言わない。自分勝手に行動しやがる。なんかする前に、理由の一つでも言えってんだ、クソ野郎」
「何ブツブツ言ってんだ?」
「お前の悪口だよ、外道!……というかこの縄、ほんとコレどういうつもりだ!? 」
「そんな睨むなって、悪いようにはしないって言ったろ?」
「もう悪いようにされてるんだよ!!」

噛み付く勢いで叫ぶと思いの外キツくて、ぜーぜーと呼吸が乱れた。
エースはそんな私の様を見て、少しは可哀想に思ったのか、いささかバツの悪そうに頬を掻いた。

「 小百合は海賊船には乗りたくないって言いそうだったから、それなら身動き封じるしかないな、と」

エースとも不覚ながら長い付き合いだ。
互いに考えてることは、少しくらい分かる。ガキの頃からこういう奴だった。少なくとも私に対してはこういう奴だった、知ってたさ。けど、許容しかねる。理解するのと受け入れるのとでは、話が別なのだ。

「行動と理由が、全く噛み合ってない……。けどその思考回路が理解できるのが悔しい……。私の心情察せてるけど、何一つとして汲めてない……。ほんと、お前のこういうところ、ほんと……」
「でもよ、ここで意地張ってくたばるよりは、全然マシだろ?」
「どこが……。白ひげだぞ? 私は海兵だぞ? 海賊への嫌悪を差し引いても、それ以上に命の危機を感じる……。指一本も使わずに殺されるんだ、私は……」
「……まぁ、なんとかなるだろ!」

**

ーーこんな感じで、冒頭の状況に至る。
果たして私に明日はあるのか。

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