告げる名




 時は現代に戻り、物語はまた新たな始まりを迎える。
 少年、赤月は憧れの壬生浪士組に入るために城下町へと降りてきていた。

「壬生、壬生…。壬生浪士組入隊試験会場ってどこだ? というか、この地図本当にあってんのか? というか、地図って…どうやって見るんだっけ?」

 赤月、彼は生粋の馬鹿だ。
 野性の勘で今まで生きてきた彼は今まで地図を見る機会が全くと言っていい程無かった。山の中は地図がなくても覚えているし、城下町に買い出しに来たって桃と碧がいたから自分で地図をみる必要などなかったのだ。
 予定の一時間前に出た努力が無に帰す最悪の状況を想像し始めた所で、赤い地に白く誠と書かれた羽織を身に付けている者を見つける。

「あれに着いて行けばきっと試験会場に行ける…!」



 

▽▲▽




 赤月の予想通り、赤い羽織を追って行った先に壬生浪士組試験会場が開かれていた。

「うわ、すっげー、人ばっかじゃん…」

 流石と言ったところだろうか。近年その名を世間に轟かせている壬生浪士組、今波に乗っているそれにはいらんとする者であたりは溢れかえっていた。

「入隊希望の者は提出用の紙に詳細を記入し、時間までに前の受付に出すこと! 時間を過ぎた者は受け付けん!」

 声高らかに辺りに呼びかけをする隊士、赤月は彼に見覚えがあった。確か彼の名は井上源三郎。壬生浪士組結成当時から組に所属している、今では壬生浪士組にとってなくてはならない存在のうちの一人だ。憧れの人たちが目の前にいることに対し、赤月は高揚感を覚えた。

「んで、提出用の紙は……ってどこだよ! 人多過ぎて見つけらんねーよ!!」

 それもそのはず、人でごった返しているこの空間では今自分がいる場所がどのへんに位置しているのかさえ把握しにくい。もっとも、生来の馬鹿である赤月のことである。人がいてもいなくても見つけられる可能性は低いと言わざると得ない。
 そんな時だった。

「ほらよ」
「おう、ありがとう…?」

 目の前に差し出されたのは先刻まで探していた提出用の紙。現れたのは高いとも低いとも言い難い背丈をした男。歳は同じくらいだろうか。
 若干挙動不審な返事をする赤月の顔を見た男はその様子がツボにハマったのか、大声で笑い出した。

「あっはっは! お前背が小さいから提出用の紙配ってるとこ見つけられなかったんだろ?」
「いやお前の方が背ェ小さいじゃねーか」
「そんなことはどーでもいいんだ!」
「いいのかよ」

 なんだこいつ。
 いきなり現れていきなり訳の分からないことを言い出して、こいつもしかして阿保なのだろうか。失礼ながらもそう思う赤月ではあったが、これでは誰が見てもこの男を不審者と言わざるを得ない。それほど男は"ド"が付くほど陽気な男だった。

「俺の名は山南敬助! この世に生を受け早十九年、山あり谷ありの人生を歩んできたこの御方こそ、壬生浪士組にふさわしい男! 人呼んでサンと見知りおけ!」

 その瞬間その場が真冬の如く凍りついたのは言うべきもないだろう。
 しょうがない。せっかく出来た歳の近い知り合いだと自分に言い聞かせ、赤月も自己紹介を始めた。

「俺は赤月。今年で十八になる」
「アカツキィ? 姓はないのか?」
「姓がなきゃダメなのか?」
「まぁ仮にも武士の入隊試験だ。姓名あってこそ、始めて入隊が受理されると言っても過言ではないだろう」

 赤月は先程の無礼を心の中で詫びた。どうやらこのサンと言う男はそれなりに識も名もある人物だったようだ。おまけに出会い頭には提出用の紙までくれた。思っていたよりもいい奴のようだった。
 しかし姓。赤月は孤児だ。武士の生まれどころか、元々住んでいたのは森の奥。養子になったこともないし、どうした者であろうか。

「…あ!」
「どうかしたのか?」

 その時赤月は思い出した。自分の原点となったあの場所での最後の日を。
 これは赤月が刀の道を目指して間もない頃だった。






▽▲▽







 数年前のことだ。
 内戦の絶えないこの時勢、やけに静かな村があった。赤月と桃に碧が加わって馴染んできた頃に移り住んだその村の民はみな穏やかだった。

「俺、剣士になりたいなぁ」
「バァカ、赤月が刀なんて持ったら家がめちゃくちゃになるぞ」
「なんだって!? 俺だってなぁ、練習したら鉄だって切るように…」
「アホか鉄なんて誰も切れやしねーよ!」
「ほらほら二人とも落ち着いて!」

 なんてことない普通の日常だった。ただ一点を除いては。
 その日赤月は偶々散歩で違う道を歩いてみたくなった。迷子になるからやめとけ等と桃と碧には言われるけれど、その日は何故か違う道を歩きたくなったのだ。どうせ山の方に歩けば家に帰れる。そう思っていたのだ。
 少し歩くと見慣れない母家が見えた。結構立派な建物だ。門も立派であった。立てかけられている看板には文字が書いてあるが、赤月に漢字は読めない。しかし、何故かそこに入ってみたくなったのだ。
 人様の家に勝手に立ち入ることが悪いことだとは知っていた。しかし、赤月は感じていた。"ここになにかがある"と。
 入ってみるとやはり立派な建物である。庭も綺麗に手入れされていて、建物の端々に古さを感じるのにとても綺麗なのはきっとちゃんと掃除をしているからだ。
 中程まで進んでみると、見えてくるのは一つの大きな部屋。畳ではなく木張りの床のその部屋の壁には刀が掛かっていた。
 かっこいい。
 漠然とそう思った。

「コラ! 勝手に入ってきてるのは誰じゃ!」
「うわ、す、すいません」
「…なんじゃ、この前越してきた子どもか」

 現れたのは竹刀を肩に担いだ翁だった。顔に刻まれた切り傷と形容のしがたいそのオーラから、武士を引退した身であることが言わずともわかる。そんなお爺さんだった。
 ポツリと立ちながらもあたりをキョロキョロと見回す赤月を見かねたのか、彼は再び口を開いた。

「お前さん、剣道に興味があるのか?」
「…うん」

 興味が出たのはさっきだけど、なんて言えなかったけれど、赤月は感じていた。きっと、この道こそが自分の進むべき道なのだと。

「お前さん、名は?」
「赤月…」
「ワシの名は近藤周助。赤月、ワシがお前に修行をつけてやろう」

 この時は知る由もなかった。


 ………修行で毎日吐くことになるなんて。