己の義
大名殿から帰ってからも、芹沢の決断に異を唱える者は誰もいなかった。
芹沢の言う「誰も傷つくことのない平和な世を創る」という馬鹿げた思想についてくる者達だ。壬生浪士組に入った時点で覚悟は出来ている。
反発勢力撲滅の決行は明日に迫っていた。
「明日だな」
「あぁ」
明日、死ぬかもしれない。
えも言われぬ不安感があったのは二人とも同じだった。
「俺には所帯がないから、お前に比べたら死んだ後のことの心配は少ない。が、死ぬつもりもない。俺はお前と一緒にこれからの壬生浪士組を引っ張っていかなきゃならないんだからな。お前、一人だと突っ走るだろ」
「芹沢に言われるのは心外だ」
「なんだよ、お互い様だろ? 俺も、お前がいなきゃダメさ。二人三脚で今までやってきたんだ。ここ乗り越えて、二人二脚で頑張ろうぜ」
「なんだよそれ、両足重なってんじゃねぇか」
周囲に響き渡る笑い声に、土方は心地良さを感じた。そして、きっと明日も大丈夫だと。大名付きの武士にも負けない剣技が、俺たちにはある。
明日はきっと上手く行く。
そう信じて疑わなかった。
黄昏時。
辺りは夜の気配を帯び始め、太陽も西に傾き、月は太陽に変わろうと昇り始めていた。
決行の時だ。
反発勢力のアジトに乗り込まんとする10の赤の着物がはためいていた。
「少なすぎる…」
芹沢が呟いた。大名の反発勢力として組織を構えるならばもっと警備にも人員を割くはずである。しかし、予想より少ないその数に徐々に雲行きが怪しくなる。そんな時だった。中門を警備する防人が話していた声が聞こえた。
「前線に出ないのはいいが、それだと手柄がないんだよなぁ」
「俺らも手柄を取ったりして英雄とかになりてえもんだな」
「まぁ始まっちまったもんはしょうがない。今頃あいつらは城下町まで進んでる頃だろうぜ」
「なにせ追ってが来るかもしれねぇって情報が入っちまったんだし、早く動くに越したことはなかったんだろうな」
盲点だった。
しかし、まさかこちらの決行の日と彼等の決行の日が被るとは夢にも思わない。
「くそっ、戻れ、戻れ! 全力で町に駆けろ! 追うんだ!」
芹沢の号令と共に壬生浪士組は来た時よりもずっと速い駆け足で、来た道をまっすぐ戻った。
「(トキ、歳三…)」
土方は妻と息子が戦いに巻き込まれることを心配していた。城下町は土方の住む家がある。壬生浪士組の足で辿り着く時には恐らく敵勢力は城下町に着いている。運が良ければ傷ひとつなく終わるが、最悪の場合…。考えることはそこでやめた。考えてばかりでは埒があかない。最も、自分が護るのだからそんなことは大丈夫だ。そう自分に言い聞かせた。
町に着く頃には各地で争いが起き始めていた。刀が混ざり合う金属音、人々の悲鳴、町に増え始める赤い血の色。
「散れ! 出来るだけ多くの人を助けるんだ! 民間人は隣町まで避難させろ!」
土方が叫び、壬生浪士組はすぐに敵勢力の殲滅にかかった。土方はすぐにでも妻と子の元へ向かいたかったが、何せ敵が多すぎる。辿り着くまでには時間がかかるだろう。どうか無事でいてくれ。そう願いながら目の前の敵に刃を振るった。
血、血、血。
切っても切っても溢れるばかりの血に土方は辟易していた。俺は一体何をしているのだろう。この道は、彼等を倒すことは、正しいことなのだろうか。誰もが傷つくことのない世を作るために、人を切って。きっとこの人にも大切な人がいるんだろう。一体、正義とは何なのだろうか。
刹那、目の端に見慣れた着物が見えた。
嘘だ。何で。そんな言葉が出る前に側へ駆け寄った。横たわる体を抱き上げても、もう暖かさは残ってはいなかった。
「トキ…歳三…」
幼き子供を守るようにして母親は横たわっていた。きっと最後までこの子を守るために抵抗したのだろう。
ぷちん、と音がした。
何かが切れる音がした。
トキがいないこの世に何の価値がある。息子が、歳三がいない世界に何がある。限界だと思った。
いや、限界などとうに超えていたのかもしれない。
思えばおかしかった。
「誰も傷つくことのない平和な世を創る」そのために動いていた筈なのに、少しの犠牲は仕方ないと言わんばかりの芹沢の決断。
幼少の頃より過ごしていた。それが自身の決断を鈍らせたのだろう。あの時からもう俺と芹沢の道は違えていたのだ。
「そうか…俺は…地獄にいる」
その頃、城下町の東。
またここも酷い戦地となっていた。燃え盛る家の前に、青い着物を着た男の子がいた。
「父さん、母さん!」
「いけ、碧! お前はまだ死ななくていい! 母さんと一緒に走れ!」
「そんな、父さんを置いて行くなんて…」
「早く行け!」
少年の母は少年を抱き駆ける。母に担がれ父を最後まで見ていたかった少年が見たものは、剣士に斬られる父の姿だった。
父を切った男は、赤い羽織を着ていた。
「おい! 芹沢! こいつ一般人だぞ!」
「くそっ、これじゃあ誰が敵かなんてわかりゃしねぇ…!」
後に知る事になるその赤い羽織の集団の名は壬生浪士組。
自身を守ろうとした母も程なくして戦火に巻き込まれ死んでしまった。
少年、碧は孤独になった。
そして、決めた。父を殺した奴等を絶対に許さないと。
俺が、彼奴らを殺してやるのだと。
壬生浪士組、総勢10名。対して敵勢力はその何倍もの人間がいたにも関わらず、軍配は壬生浪士組に上がった。
世間はこの戦いを収めた壬生浪士組を英雄だと崇め立てた。そして程なくして、壬生浪士組は団体戦闘許可を手に入れた。
「俺は組を抜ける」
「なんでだよ土方! ここまでずっと一緒にやってきただろう!」
「俺は間違っていたんだ、最初から。ここに来るべきじゃなかったんだ。そうすれば…」
そうすれば、妻子だって。
続きの言葉は飲み込んだ。言ってもきっとこいつらには、芹沢には分からない。この俺の苦しさが。この道が間違いだと言うことが。
「いや、もう終わったことだ。俺はこれから俺に出来ることをする。それはここに居たら出来ないことだ」
「なんだよ、ここにいたら出来ないことって…」
「…」
土方は驚いた。自分が次に続ける言葉を詰まらせた事に。これを言えば芹沢とは永劫分かりあうことは出来なくなる。話すことさえ。それに臆した自分に驚いたのだ。
長く同じ時を過ごした友への感傷…。しかしそれは自身の受けた痛みに比べればなんてことはない。もう、心は決まっていた。
「壬生浪士組を潰す。じゃあな芹沢、今度会う時は敵同士だ」
正義とは何だろうか。
平和を目指す芹沢の正義、家族を想う土方の正義。どちらかが間違っていると言えるのだろうか。
壬生浪士組が立ち上がらなければ反発勢力に押され、国が滅びていたかもしれない。かと言って土方の想いが間違っているとは言えないだろう。
正義はひとつではない。
人の数だけ、正義があるのだ。
みな、
過去編、完