私の働くCafeには沢山の常連さんがいる。
最初はかなり戸惑った常連さんの「いつもの」メニュー。新人の頃にこれを言われるとテンパって頭が真っ白になってよく間違えたものだ。それも、半年、一年と過ごすうちに、顔を見たらあのメニューだ!と分かるようになって、今では挨拶を込めた軽い会話すら弾むようになっていた。
全国各地にあるチェーン店とは違うこじんまりとしたCafeだけれど、私はこの職場が気に入っている。
そして、その人は毎朝同じ時間に必ずやってきていつものブラックコーヒーを頼む。
「おはようございます。いつもので?」
「ええ、それで」
「はい!」
たったこれだけの会話なのに私は気づくと心待ちにしていた。ピシッと整えられた清潔感溢れるオールバック。銀縁の眼鏡の奥にある三白眼のグレーな瞳。スレンダーな長身。どれをとっても完璧という言葉では片付けられないくらいの素敵な人だと思うの。クールなこの人は挨拶以外の不必要な言葉は一切口にしない。でもそれがまた堪らない。
まぁそんな事、誰にも言えないけどね。
「お待たせ致しましたブレンドです」
苦めのコーヒーを好むこの人は、なんて名前なんだろう?どんな仕事をしているのだろう?どんな性格なんだろう?
…ーー恋人は、いるのだろうか?
「ありがとう」
手渡す瞬間にほんのり触れた指先が熱くてそれだけで身体中に熱が湧き上がるようだった。
Cafeの一スタッフの私と、ただの常連さん。それ以上でもそれ以下でもない、関係。
知り合いという訳でもなく、全くの他人という訳でもないけれど、私と彼を結びつけるものなんて今のところは何一つない。
もしかしたら私から話しかけたら普通に答えてくれるかもしれない。でもそのもしかしたらが、もしかしなかった時に、自分が傷つくぐらいなら話しかけなくてもいいや…と思ってしまう。
昔から自分の恋愛になるとどうしても素直に行動できずにいて、26歳になった今も心を通わせる恋人ができずにいる。あの常連さんに拘っている訳ではない。でもやっぱり付き合う人は自分が好きな人でありたい。
それとも…女は想われた方がやっぱり幸せなんだろうか?
◆
「ここあ〜こっち、こっち!」
「ごめーん遅れた!って、ジャン!どうしたの?久しぶりなんだけどー!」
上着を脱いでハンガーにかけると私はここ、立ち飲みBARにある丸テーブルにいた大学時代の友人雪乃と、その隣にいる同じくこちらも大学の同級生であるジャンが軽く手を挙げたので2人の所に歩み寄った。
元々雪乃とは月一で定例会という名のガールズトークがお約束で。今日もそのつもりで仕事終わりにいつものBARに足を運んだら、久しぶりに見る顔があって吃驚。ジャンとはよく一緒に飲みに行ったなぁなんてつい懐かしさが込み上げた。
「よぉ久しぶりだな、ここあ。相変わらずか?」
「うん。ジャンこそ、相変わらず?」
「まぁなー。会社の奴らと飲みで、俺は幹事だから早めにきたってわけ。そしたら雪乃と会って、ここあがくるっつーから待ってたんだよ」
卒業してまだ2年程なのに、スーツを着ているせいか、ジャンが妙に大人に見えた。不意にスッと左手をジャンに掴まれて…「結婚はしてねぇって事でいい?」もしかして、指輪チェックしたの?
目の前で私達のやり取りを見て雪乃がクククッて悪そうに笑っている。
「ジャンってば、しつこいの!ここあはオトコいるのか?って。だからもう来るから直接会って確かめろって言ったんだぁ〜」
視線の先、ジャンの顔が焦った様に雪乃に向く。
「お前それ言うなよ!台無しだろ!あ〜と、その、まぁ、そうだ。ちょっとあの頃思い出して懐かしくなってよ。また飲みに行こうぜ、あの頃みたいに!」
ポンッてジャンの大きな手が私の長い髪を優しく撫でる。こんな事、あの頃された事なんて一度もないけど。ジャンってば、ちょっとチャラくなってる。
そう思ったけど口にはしないで「うん!」軽く頷いた。
その後すぐジャンの会社の人が揃って入って来たからジャンはそっちに移動していった。
「で、最近どう?」
雪乃の一声で、定例会の始まりだ。
「うん、まぁ、変わらず」
そう言うものの、頭の中に浮かんでいるあの常連さん。煮え切らない顔だったのか、雪乃がズンと顔を寄せてくる。ジーッと見られて冷や汗物。
「分かった、言う!言いますよ!」
隠し事とか苦手な訳じゃない。もう大人だしある程度の事は経験済みでそれなりに社会を学んではきた。世渡り上手って程でもないけれど、他人に早々心は読ませていない。ーーと思う。
でも雪乃にはいつも隠せなくて。私のほんの少しの変化も見落とさないでいてくれる。だから雪乃前にして嘘はつけないってことも分かっている。
素直にそう言うと、よろしい!って大きく頷く雪乃が、なんだか楽しそうにカクテルに口をつけた。
「実は、気になってる常連さんがいて。毎朝同じ時間に来て、同じものを頼んでてね。別に会話してる訳じゃない。勿論名前も知らないし、何してるのかとかも知らない。ただちょっとカッコイイなぁ〜って気になってるだけ。以上」
「え、終わり?」
キョトンと面食らった顔をしてこっちを見る雪乃に苦笑い。だって本当だもの。
ただ私が気になってるってだけで、それ以上の事なんて何もない。
ただ、雪乃は想像と違っていた!って顔でこう言ったんだ。
「なぁんだ。わたしはてっきりバイトの我妻くんとどうにかなったのかと思ったのに!!」
イシシって白い歯を見せて笑う雪乃に、トクンと胸が脈打った。