いち
起きたくない気持ちを抑えもせず、もそもそと布団から這い出る。だらんと腰あたりに垂れ下がったツナギの袖を片手でどうにかお腹の前で結んで、欠伸をしながら部屋を出た。ぶら下がる左腕を睨むように見つめてしまうが己の弱さが招いた結果なのだ。何も言えない。
「おう、名前!怪我の調子はどうよ」
「おはようシャチ…キャプテンが手当てしてくれたんだもん、悪くなるわけないよ」
「…その割には浮かない顔してんな」
「戦闘に支障が出るほど怪我したのが悔しいの!」
朝っぱらからこんなこと言わせないでよ!と目の前にいるシャチに八つ当たりをしてしまう。昨日この船に敵襲があり、久しぶりに派手な戦いになった。もちろんハートの海賊団が負けるわけはなく、多少の怪我人は出たものの私たちの勝利。その怪我人のうちの一人が私で、しかも左腕を骨折。怪我人の中では一番の重傷だった。
あれはしょうがねぇって、とシャチがフォローを入れてくれるが頬っぺたは膨らんでいくばかり。すると横からツン、と頬を突かれてぶはっと空気が漏れた。
「朝から元気だな、名前」
「ペンギン聞いてよ!シャチが攻撃してくる!心を!」
「心配して声かけただけだろ!お前も俺が悪いみたいな眼差し向けてんじゃねぇよペンギン!」
言い合いのような会話を繰り広げながら三人で船内を歩く。辺りはまだ薄暗いが、私たちと同じように他のクルーたちも動き出していた。それぞれ挨拶を交わして、怪我の心配をされながらシャチたちと一旦別れ顔を洗いに向かう。蛇口を捻ったところで、ピタリと動きが止まった。
「髪、邪魔だ…」
片方に髪を寄せて顔を傾けてみるが、どうやっても髪が垂れ下がってきて顔が洗えない。いつもは結んでいる髪も、片手が使えず結べなくてこのままにしていたんだった。ぐちゃぐちゃでもいいから顔を洗える程度に結べないものかと右手に嵌めたヘアゴムをどうにか指に引っ掛けてみるが、髪は全く掴めずするりするりと逃げていく。ああもう。段々とイライラが募りもう諦めようとした時、背後から声をかけられた。
「何してる」
「キャプテン!?おはようございます!」
ギュイン!と勢いよく振り返り、頭を下げる。帽子を被っていないキャプテンの隈は、船内の薄暗さも相まっていつもより濃く見えた。それにしてもこんな朝早くに起きているなんて珍しい。寝ぼけているようにも見えないしと顔を上げるとそのままじっと見つめられ、戸惑ってしまう。
「キャプテン…?どうしました?」
「……髪」
「はい?」
キャプテンの言葉に、思わず髪に手を当てる。いつもと違うから珍しいなと、そう言いたいのだろうか。首を傾げているとキャプテンはツカツカとこちらへ歩み寄ってくる。身長差に見上げれば、右肩に手を置かれてぐいっと押された。
「え、え!?」
押されるがまま、訳も分からずに背を向ける。一体どうしたというのか。尊敬してやまないキャプテンだが、何せキャプテンは口数が少なく行動もなかなか読めないところがある。この船で過ごした時間は決して短いわけではない。無言の時も目を見れば表情はなんとなく分かるようになったし、たとえ短い言葉でも言いたいことが分かるようになった。普段のクールで無表情な顔の微妙な変化でさえ多少は分かるようにもなった。なったのだが…まだまだのようだ。
「それ、貸せ」
「は、はい!」
キャプテンの視線が右手に行って、反射的にそのまま右手を差し出す。ヘアゴムをとったキャプテンは何と私の髪を触りだした。
「あ、あの、何を、」
「あ?結べねぇんだろ」
「大丈夫です!なんなら切ります!」
「くだらないこと言ってんじゃねぇよ。じっとしてろ」
ひええ…!キャプテンが、キャプテンが私の髪を…!
手櫛で髪をすくキャプテンの手つきが優しくて、ぶわりと顔が熱くなる。ぎゅっと目を瞑って数秒後、頭にポンと手を置かれた。振り返ればキャプテンはもうこちらに背を向けて歩き出している。
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げると、キャプテンが結んでくれた髪がさらりと揺れた。
「名前ー、なにやってんだよ」
「遅いぞ…って、何ニヤついてるんだ?」
「シャチ、ペンギン。私、もう一生この髪解かない」
「…頭でも打ったか?」
残念なものでも見るかのような二人の視線も、今は全く気にならない。ルンルンとステップを踏む私に首を傾げた二人はまあいっかと甲板へ向かった。
すると程なくして前方に島が見えてくる。島だ!と盛り上がるみんなに便乗してベポと手を繋ぎ、早速毎回恒例の島散策プランを考えてわくわくした。
「今度の島は栄えてるみたいだし楽しみだね!」
「そうだね!おいしいケーキあるかな?」
「コーヒー豆が有名らしいからコーヒーも飲みたいな!」
「あ、でも行く前にキャプテンに許可もらわないとダメだぞ!」
「そっか、私怪我してるんだった…死ぬ気でお願いしてくる!」
「相変わらず食うことしか頭にねぇなお前ら」
「そういうシャチはどうせ女の子のことしか頭にないんでしょ」
「なっ、それの何が悪いんだよ!男なら考えることは皆同じだ…っつーか、朝から俺に当たり強くね?」
船を寄せ、上陸の準備が整ったところでクルー全員が集まる。探索組が戻ってくると前にいるキャプテンから指示が飛び、上陸の許可が出た瞬間に散らばった。私はとりあえずベポと買い出しだ。わいわいと賑わう街を歩き、メモを見ながら必要な物を買っていく。結構な量だがベポが力持ちでとても助かった。おいしそうなお店もいくつか見つけて、船に荷物を置いたら行こうねと話をしているととてもいい匂いが鼻を掠めて思わず立ち止まる。これはコーヒーの匂いだ。
「わあ、いい匂い…」
「ねえベポ、コーヒー豆買ってきてもいい?」
「キャプテンにあげるの?」
「うん!後でこっそり私たちも味見させてもらおうね」
少し離れたベンチでベポに荷物を見てもらい、コーヒー豆を買う。愛想のいい店員さんからおいしい淹れ方も教わったので飲むのが楽しみだ。キャプテン喜んでくれるかな。紙袋を持ち、ベポの元へ戻っている時だった。
「嬢ちゃん、一人かい?」
「そんないいもん買うくらい金持ってんなら俺たちにも少し分けてくんねぇかな?」
目の前に立ちはだかったのはいかにも柄の悪い男三人。女一人に寄ってたかって、なんて汚い。まだ上陸したばかりで騒ぎは起こしたくないしここは逃げよう。足の速さに自信のある私は一気に三人の男の間をすり抜けた。……いや、すり抜けようとした。
「いっ、…!」
「おいおい逃げんなよ」
前へ進んでいたはずの身体が、ぐいっと後ろへ引っ張られる。男が掴んだのは私の髪の毛だった。さらに力任せに髪を引っ張られて、とうとう髪が解けてしまう。ポトリと落ちたヘアゴムを見やってから私は静かに紙袋を地面に置いた。
そして一分後、置いていた紙袋を大事に抱えてベポの元へと向かう。
「名前、遅かったね!あれ?髪解いちゃったの?」
「やられた」
「やられたって…何かあったの!?」
大丈夫?と心配してくれるベポに事情を話しながら船に戻る。食堂に向かうとそこにはシャチとペンギンがいたが二人に構わずテーブルに突っ伏した。
「おー、おかえり。どうしたんだ?コイツ」
「それがね、襲われたみたいなんだ」
「襲われたァ!?」
「ベポ、説明端折りすぎ…金寄越せって喧嘩売られただけだってば…」
「怪我は…いや、汚れてすらいねぇな」
「なんというか、さすがだな」
「それで何そんなに落ち込んでんだよ?何か盗られたとか?」
「……髪」
「髪?そういやお前、買い出し行く時は結んでたよな」
それがどうしたと続きを促すシャチは、ヘアゴムなら部屋にいっぱい持ってんだろと言う。違う、違うんだよシャチ。突っ伏したままぶんぶんと首を振るが伝わるはずもない。理由を話そうと口を開くと、言葉より先に涙が出てきた。ぐすぐすと鼻を啜る音に気づいたシャチとペンギンが焦り出し、ベポがよしよしと背中をさすってくれる。
「キャプテンが…」
「キャプテンが?」
「キャプテンが…せっかく結んでくれたのに…っ」
私の言葉でああ、と三人は納得がいったように息を吐いた。なんだそんなことかとでも言いたそうな雰囲気だ。
「朝の発言はこのことか」
「一生髪解かないって言ってたもんな」
シャチたちに私の気持ちなんて分かりっこないんだ。今日何度目かの八つ当たりをしたところで、シャチたちはなぜか黙り込む。代わりに髪を触られている感触がして、人が落ち込んでる時にやめてよと振り向いた。
「泣くほどのことか、名前」
「え、キャプテン!?」
いざ振り向いてみれば立っていたのはキャプテンで、後ろではシャチとペンギンがニヤニヤしている。いつの間にキャプテンが?いやそんなことよりもしかして全部聞かれていたのでは?恥ずかしさでこの場から逃げ出したくなる。すると私の髪に触れたままゆるりと口角を上げたキャプテンと、ゆっくり目が合って。
「髪くらいいつでも結んでやるよ」
そう言ってあたふたする私を楽しそうに見つめたキャプテンは食堂を後にする。よかったねとニコニコしているベポに頷くことしかできないまま、キャプテンが去って行った方向を眺めた。
「そういやキャプテン、夜更かししてんのはいつものことだけど今日は特にだったなあ?」
「今朝方姿見かけて珍しいと思ったら、これから寝るって言うんだもんな」
「「名前のこと、よっぽど心配してたんだろうな」」
私で遊んでいると分かっているシャチたちの言葉にさえ、ぼふんと顔が赤くなってしまう。ニヤニヤと腹立たしい顔を浮かべる二人から逃げるように食堂を出れば甲板でキャプテンと遭遇し。結局そこで髪を結んでもらい、ベポも交えてお昼寝に付き合わされることになったのだった。
20220328
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