いち
多くの人が行き交う街、池袋。
人で埋め尽くされる騒がしい通りから一歩外れた薄暗い路地に、二つの影があった。それが男と女ともなればこんな場所で密会とは一体どういう関係なのかと勘ぐりそうになるが、二人の関係はそんな平和なものではない。男は辺りを警戒して人がいないのを確認し、誰にも見られないようにという焦りからか半ば押し付けるようにしてそれを手渡した。
差し出された茶封筒を受け取って、中身を取り出し慣れた手つきで枚数を数えていく。
「あなたの情報のおかげでうまくいきましたよ…まさかこんな可愛らしいお嬢さんだとは思いもしませんでしたが」
時間にして数秒。たったそれだけの時間さえそわそわして落ち着かない様子の男は気を紛らわせるように言った。それはどうも、とこれまた慣れたように返して最後の一枚をピン!と弾けば男はビクリと肩を震わせる。
「確かに受け取りました。では、今後ともご贔屓に」
笑顔を向けたところで完全に力が抜けたのか、男は走っていった。少し足をもつれさせながら走るその背をチラリと見やって、携帯を取り出す。
「そろそろ潰れるかなあ」
言いながら男に遅れて自分も大通りへと足を進めた。まだ日も明るいというのに、暗く湿っぽい空気が身体に纏わりついて気持ちが悪い。カツカツと響く靴音が小さくなると澄んだ風が髪を揺らし、息を吸い込んだ。お腹が空いたしどこかでご飯を食べて帰ろう。何を食べようかと候補を頭の中で思い浮かべようとした時、ガシャンと耳をつんざくような音がした。
「臨也ぁぁぁあ!」
「あのさあシズちゃん。今更言うことじゃないと思うけど、自販機っていくらするか知ってる?」
これは面倒なことになった。とても聞き覚えのある声に顔を顰め、くるりとUターンしようとしたがもう遅い。
「うるせぇんだよ!とっとと消えろノミ蟲野郎が!」
ヒュン、と空を切る音がしたかと思うと道路標識が一直線に迫ってくる。ああ、どうして私が巻き込まれなきゃいけないんだろう。
「あれ、名前?危ないよー!」
私に気づいた臨也の、のんびりとした声に腹が立った。静雄が避けろ!なんて焦って叫んでいるが投げたのは静雄だ。冷静に心の中で突っ込んで難なく避けると、臨也はわざとらしく肩をすくめる。
「つまんないなあ。避けなければ名前が怪我してシズちゃんを精神的に追い詰められるっていう最高の展開が待ってたのに」
本当に人を煽るのが得意な男だ。懐から取り出したそれを投げるが、そう簡単に当たるはずもない。
「おっと、危ない危ない…女の子が刃物なんて投げるもんじゃないよ?」
「臨也がつまらないなんて言うから、スリルを味わわせてあげようかと思ってね」
「俺に女の子を傷つける趣味がないからって、ひどいな」
黒のファーコートを靡かせて両手をポケットに入れた臨也はニヤニヤと笑う。そうやって余裕をかましているが、一つ忘れないでほしい。
「中断しちゃってごめんね。静雄、続けて」
「……困ったな。このままさりげなく見逃してもらおうと思ったのに作戦が台無しだ」
私は大丈夫だからと無傷なことをアピールすると、再び始まった喧嘩という名の殺し合い。いい歳した大人がやることではない。今度こそ巻き込まれないようにと小走りでその場を走り去りながら、骨折くらいしてくれないかなと臨也の無様な姿を想像した。
「つーかまえた」
「相変わらず逃げ足はやいね」
もちろん、そんな私の願いがそうやすやすと叶うわけもなく。声が聞こえたのと同時に背後から抱きしめられるような形で動きを封じられ、首筋にひやりと冷たいものが当てられた。
「女の子を傷つける趣味はないんじゃなかったの?」
「ああ、そういえばそうだったね?」
他人事のように言いながらも、ナイフが退けられる気配はない。かといって敵意も感じられず、ただ私の反応を楽しんでいるようだった。そろそろ離してもらおうと口を開きかけた時、臨也は耳元で呟く。
「君って本当に俺をイラつかせるの得意だよね」
「…その言葉、そっくりそのまま返すよ」
ナイフを弾き、するりと臨也の腕から抜け出す。そのまま切先を向けるとそこには無表情の臨也がいた。しかしそれも一瞬。すぐにいつもの笑みを浮かべてナイフを仕舞う。
「俺は人間が好きだ、愛してる。だから全ての人間を愛さなきゃいけないんだよ。邪魔しないでくれる?」
「私も人間が好きで、愛してる。臨也と違って全ての人間をね。もちろん臨也のこともちゃんと好きだよ」
私もナイフを仕舞って、まっすぐに臨也の目を見る。まるで次の言葉を分かっているかのように、臨也は顔を歪めた。
「好きだからこそ……大嫌い」
「好きがあるから嫌いが成立するなんて、そんなのは矛盾を認めたくない君のただの言い訳だよ」
「それこそ臨也の言い訳だよ。静雄を愛したくないっていう、ただそれだけのね」
静雄という名前にひどく反応する臨也が面白くて仕方ない。いつだって彼は人を動かす側で、何があっても笑っていて。そんなやつの表情を崩すことができるなんてこれ以上に楽しいことはないだろう。
「俺はね、君のことも愛さなきゃいけないんだ。シズちゃん以外に例外なんて存在しちゃいけない」
人差し指を私に向ける臨也の顔は、笑っていない。コロコロと表情が変わる臨也の細い指に嵌められた指輪が鈍く光った。そして次の言葉を分かっている私は、さらに笑みを深くする。
「だからさ、俺に愛されるようにがんばってよ。俺は名前のことが大嫌いなんだからさ」
これはお互いを嫌い合う私たちの、歪んだ物語である。
20220419
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