記録





真綿で首を絞めるような 呼吸がし辛い夜の条件がいくつかある。あまり仲良くないひと達がいるグループLINEで発話したり、バイトで自分なりに気を使って頑張ったことが評価されなかったり、自尊心が高い人のそばにいて苦しくなったり、私は彼氏が一度もいたことが無いのに彼氏の自慢をされたり。こういう条件が不幸にも揃ってしまった夜には、しこたまコデインを摂取してサイトとか仲の良い人だけフォローしているTwitterとかに潜り込む。私の本名から私を隠してくれる場所に。コデインは隠れている私を正当化してくれる、なんともありがたい化学物質で、劣等感だらけの思考回路を幸せな気持ちにしてくれる。酒なんかよりずっと楽しい。他人から見たら立派な薬物依存なんだけど、薬中の口からあえて常套句を言わせてもらうとやめようと思ったらやめれます。なくても生きていけるし、本当に死にたい時にはODはしない。優しい気持ちになりたいときに、自分の心の中でひどい言葉で他人を傷つけたく無いときに使うの。ODは私の気遣い。だから許して 2019/12/29




母なる海へ 私より 私は女の子が好きなのかもしれないって思うことがよくある。
小さい頃、森下裕美の「夜海へ還るバス」という漫画を読んだ。女性が好きかもしれないと悩む女性を描いた物語。同性愛をテーマにしたその内容は、当時の幼い私には未知の世界過ぎた。その時の私は、まだ社会のことを何も知らなくて、性がなんたるか、自分の性が社会の中でどういう立場で、どういう意味合いを持つのか全く分かってなかった。だから主人公の感情描写に対してもどこか他人事で、全く、1ミリも理解できなかった。あの頃よりは少し大人になった今ちゃんと読み返したら、何かしらの答えが得られるかもしれない。かもしれないけど、読むのがとても怖い。主人公は、森下裕美は、女の子とセックスできる可能性を22歳の私に示してしまうかもしれない。それは何者にもなりたくないし、何者にもなりたい私にとって、救いであり絶望なんだけど、わかるかな 2019/12/28




Romanticism 小4のとき、私は泉京花ちゃんと友達だった。彼女は一人っ子で金髪のお母さんと明らかにカタギじゃない風貌の義理のお父さんとカーテンが締め切られた薄暗い貸家に住んでいた。靴が散乱した玄関、ボトルガムの中身が散乱した机の上、テーブルの下に雑に落ちていた算数の90点のテスト、リビングから開いた扉から見えるダブルベットの寝室。それら一つ一つがあまりにも私の家と違いすぎて鮮烈に覚えている。「本当のお父さんはお金持ちで今は別の女の人と暮らしているんだ」って笑いながら教えてくれた京花ちゃん。私は彼女のことを一生忘れないと思う。
糖尿病だった京花ちゃんのお母さんは泉鏡花を知っていたのだろうか。泉という苗字は、本当のお父さんと義理のお父さん、どちらのものだったのだろうか 2019/12/26




「神がいなければ、全てが許される」 宗教は信じるものだけを救うから、キリストは私を救わない。私を救わない神はケチだよ。神の自己肯定感どうなってんだよ。信仰していない人間すら救ってみろよ。自分とは違う意見のやつすら救うくらいの器のデカさ見せてみろよ。全員を救えないなら神なんてやめちまえ。東方正教が流行りまくってた時代のロシアで上記のように言い放ったドフトエフスキーはキリスト教信者じゃ無かったんだろうか。私は大森靖子の信者だった。そして大森靖子は私を、全員を救える神じゃなかった。神なんて、信じなきゃよかった 2019/12/20




(感情のステージに上がってこい) 楽しい思いをしながら死ねば、楽しい人生だったことになる気がするし、苦しい思いをしながら死ねば、苦しい人生だったことになる気がするし、安全でないところで死ねば、普通じゃない人生だったことになる気がする。終わり良ければ全て良しなんて本当に上手く言ったもので、人生の本質はまさにその言葉に集約される気がする。結局死ぬときに自分がそれまでの自分の人生をどう思うかだよな
誕生日の朝9時に起きてずっとBL読んでた。別に誕生日を祝ってもらおうとか、SNSでアピールしたいとかそういうのもなかったけど、BL読みながら少し後悔したのは、もっと前からあらかじめ死ぬ準備をしておけばよかったということ。誕生日の日に死ねたら特別感ない?側から見て「22歳丁度で死ぬなんて、ちょっと面白い人だったな」って思われる(かもしれない)し、私は私で「面白いと思ってもらえるような人として生きれた」という自己満足も得られて。まさに「終わり良ければ全て良しの本質」になれる気がして。それで即席で死に方を考えてみたけど、どうしても思い浮かばなかったので、考えることをやめて無心でBL読んだ。そんな意気地もない。来年はもう少し作戦を練って迎えたい、23歳 2019/12/20




途中で席を立つ、フィナーレは見ず 夢で何度も見る風景がある。私はそこに行きたいんだけど、夢の中だから絶対に行けないんだ。 羨望する光景は過去の記憶に裏付けられた絶対に辿り着けない場所。そこは誰にも邪魔することのできない、私のための私だけの秘密基地。自分のことを何も守ってあげられてないけど、せめてここくらいはちゃんと守り続けていきたいね。 2019/12/16




希望を殺してゆくとき、私の人生は輝く 朝が来る前に、自分が生きる意味を一つ一つ潰していく。手折られた花が美しいのはそれ自体が希望が潰えている様だから。日が登る前に、みんなが息を吹き返す前に、ガッチリおれの息の根を止める。夜のうちに呼吸して、朝止めて、また夜になるまで止め続ける。新鮮な空気は今しかない 2019/12/11




僕たちは迷い続けている 小学生の時にニコニコ動画で見つけた静止画を組み合わせただけの5分くらいの動画。薄暗い森林の中の写真から始まって、家に帰るまでの道が20枚くらい淡々と続くだけの動画。最後は家のトイレで終わる。タイトルは「僕たちは迷い続けていた」みたいな感じだった。ずっと探しているんだけどどうやっても見つからない。中学生の時にエムブロで見つけた個性的なブログ。過激なことが書かれている時もあれば、ただ淡々とコメントもなくオススメの動画が掲載されているときもあった。私は彼女の感性が大好きだったんだけど、ある日突然「やすだのたんじやうび」とだけヒントを残して鍵をかけてしまった。私はどうしてもそのブログを読みたくて、一生懸命検索してどの安田さんかを突き止めた。彼女はどうやら安田顕が好きらしかった。その動画も、このブログも、本当にあったのか、私の妄想なのか今となっては知るよしもない。あるかどうかもわからないけど今も私は探している。今も「僕たちは迷い続けている」それだけ 2019/12/11




会える一回きりの夢を見てる 私はやっぱり文章をこねくり回すのが好きだし理論的かどうかよりも自分が納得するかどうかに重きを置いているから自分の考えを顔の見える他人に伝えないほうが良い。伝えられた人が迷惑だからさ。同意してくれない顔の見えないあなたに伝えたい。もしたまたま、私の書いた文章にあなたが共感してくれたら、その一回だけ私に通じてくれてありがとう 2019/12/09




どんなに下らないことだって、自分にとって救いであれば大丈夫 「あなたにしか分からない痛みが確かにあって、あなたにしか救えない人が確かにいる。」他人のために生きる必要は勿論無いけれど、かと言ってありのままの今のあなたが他人から必要とされていない訳では無い。今までいっぱい傷ついてきたあなたは、誰よりもいっぱいの人の痛みをわかってあげられる、優しいひとだ。生きる意味にもなりうるそのことを、どうか忘れないでいて。 2019/12/04