ハイエンド
団欒 広大な敷地に建てられた日本家屋。
正面の門を避け、横の小道にタクシーを停車させて、西岐は相澤と共に高い塀に寄り掛かっていた。
エンデヴァーが脳無と死闘を繰り広げたあの日から二日。
手術とリカバリーガールの"治癒"により一命をとりとめたエンデヴァーが帰宅するということで、轟に外出許可が下りた。無事と聞かされたとはいえあれだけの怪我を負ったのだから当然の配慮だ。
轟が自宅に帰ると聞いて一緒に連れてきてもらったのだ。
先程ちらっと垣間見たエンデヴァーはしっかりとした足取りでいつもと変わりないように見えた。
「よかった……一家だんらんな声がしてます」
「団欒ではないだろ……」
開け放たれている和室から何人かの声が聞こえてくる。何を話しているのかまでは聞き取れないが親子の会話がなされているのだろう。以前から話に聞いて想像していた轟家よりずっと"家族"の様相をしているように思えるのは西岐が家族を知らない故なのか。
それでも轟が穏やかに父と話せているのだと思うと感慨深い。
「直接顔を見てきていいんだぞ、向こうもどうぞって言ってくれてるんだ」
「ん、ん、いいの」
相澤の言葉に首を振った。
轟の姉・冬美から家の中へと勧められ相澤が丁重に断った時に西岐もそれに倣った。
エンデヴァーの怪我が心配でついてきたものの、流石にそこまで図々しくお邪魔は出来ない。
「一家だんらんだからねえ」
家族の感動の再会だ、水を差すのは野暮というもの。
「そんな感じじゃないと思うが……」
幻想の混じった西岐の考えに相澤は低く吐き捨てて塀の向こうにチラッと視線をやる。テレビの音らしきものが微かに聞こえるだけで後はもう静かになっている。
向かいの路地から猫が歩いてくる。
構いたそうに手を伸ばしかけた相澤がシャーッと威嚇されている。
辺りは閑静な住宅街で綺麗な青空が広がっていて、二日前が嘘のように見渡す限り平穏だ。
西岐が少し屈んで猫の方に手のひらを向けると猫は警戒を解いて近寄ってくる。不思議と昔から動物には好かれやすい。
あと少しで手のひらに顔を寄せるという距離にまで近付いたその時。
ザッと靴音が響いた。
驚いた猫が慌てて逃げていく。
「……」
先ほど見たまま、私服姿のエンデヴァーがこちらへと歩いてくる。相澤と視線を合わせてから互いに小さく会釈をした。
「焦凍に付き添ってもらったようで……上がって茶でも」
「いえ、私はこちらで」
いかにも保護者と担任という感じの会話を交わす二人を眺める。
声だけを聴いているといつものエンデヴァーと全く変わりはなく、とても元気そうだ。けれど顔の左側、額から口元までを覆うように大きな傷が残っていた。脳無のあの一撃はやはり重かったのだ。
遠目ではっきり見ることができなかった傷跡が予想以上のもので……。
西岐の中で何かが音を立てた。
瓦礫の上に倒れ込んだ場面がフラッシュバックする。
ヒュッと喉が鳴って息苦しさを覚えた。
胸に広がるのは底知れぬ無力感。
自分がどう立っているのか分からなくなって足から力がフッと抜けた次の瞬間。
傾きかけた西岐の身体を大きな手のひらが支えていた。
力強く引き寄せ、もう片方の手が前髪を払いのけて額から頬へとゆっくりと撫でた。
「どうした」
長い前髪が視界から無くなって、覗き込んでくるエンデヴァーの険しい顔立ちが鮮明に映る。彼にしては珍しく気遣う気配が漂っていて、手のひらで体温を測っていたらしく『少し熱いか』と独り言ちる。
熱い手のひらに触れられて西岐の胸の内の奥の奥に閉じ込められていた熱いものが噴き出す。
「……ッ」
あっという間に視界が歪む。
平らにならそうとする頭の何かを激情が押し流していくのを感じる。
「えんでばさ……っ」
目蓋の縁に堪り切った涙が頬に落ちる。
エンデヴァーはきっと困っている。
訳も分からず目の前で泣かれているのだ、困るに違いない。
でもどうしていいかわからないくらい思考がぐちゃぐちゃになって溢れ出ていく。
本当は怖かった。手の届かない遠くでどうにもならない酷い怪我を負って、そうして万が一の事態に陥ってしまうのではないかと。そうでなかったとしても、後遺症を残してしまったり、引退を余儀なくされたりということだってある。
いや、そうじゃない。そんな理屈じゃない。
あんな痛そうな傷を負ったのだ。
痛そうだった、酷い傷だった。
「〜ッ、……いたそ、えんでばさん……っ、おかおいたい」
まるで幼い子供の嗚咽だ。でももうきちんとした言葉になどならない。
喉が詰まるような苦しさが取れなくて息をするたびにしゃくりあげてしまう。
ふわりと、身体が浮き上がった。
「……泣くな……れぇ」
我が子をあやすかのように優しく抱き上げ耳に囁く。武骨な手が何往復も頭を撫でて落ち着かせようとする。
そんなふうにされると錯覚してしまう。
家族のように思ってしまう。
「いっぱいいたそ、だった」
「もう痛くない」
「しんじゃう、て思って」
「死なん」
ぐずぐずで聞き取りにくいであろう言葉へ律儀に返しては、ぎゅうぎゅうしがみついても文句も言わずにいてくれる。
「おれ、えんでばさん治そうって、思ったけど、行けなかった」
「……」
一番わだかまっていることを吐き出すと髪を梳いていた手がピタリと止まった。少し身を引いてしげしげと西岐の顔を眺めたかと思うと、フッと口角を緩めた。
「同じことを言う」
主語の抜けた台詞を西岐が理解できるはずもなく、涙でべとべとの顔をきょとんとさせていると、誤魔化すように手のひらが涙を拭いとる。
「――れぇ」
呼びかける声に振り返ると門から轟が出てくるところだった。
西岐と目が合うなり足早に駆け寄ってきて、怪訝な顔でエンデヴァーと西岐を見比べる。クラスメイトが泣きながら父親に抱っこされているのだ、怪訝にもなるだろう。
さすがに申し訳なくなってもぞもぞと身じろぎすると、エンデヴァーがそっと降ろしてくれる。
「あ、の、あのね、ごめんね、しょうとくんのお父さんなのに……」
「なんで泣いてんだ? こいつに泣かされたのか?」
謝る言葉に轟の問いかけが被さる。
言葉が重なったことで何を問われたのか上手く聞き取れず、えっ?と軽く混乱する。
「れぇ、泣くなら俺の胸の中にしろ」
バッと両手を広げて見せる轟を見つめて西岐は呆気に取られていた。父親をとられて怒るのではと想像していたのだがどうやら違う。
混乱している間に引き寄せてひょいと抱き上げられてしまう。
「ちょっと焦凍〜、お蕎麦あまったからお土産に……って、西岐くんどうしたの!?」
轟を追いかけてきたらしい冬美が、目を真っ赤にして抱きかかえられている西岐を見て何事かと慌てふためく。
「やっぱり上がって休んでいった方がいいんじゃない? ね?」
「うん、そうしたほうがいい、れぇ、そうしよう」
「……そうだな、少し上がっていけ」
散々泣き腫らしておいて大丈夫ですとはなかなか通用せず、轟家の三人が三人に上がっていけと勧められては上手く断る文句が浮かばない。
どうしようと振り返った先で、相澤が呆れたように肩を竦めるのだった。
create 2019/07/11
update 2022/09/25
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