知識有転生者が円堂に会いたい1








「いやああああああ!!!!」

名字名前は卒倒し、朝食のウインナーを投げ飛ばした。
弧を描き、ぽとりと床に横たわったウインナーに姉と母の二人から厳しい叱咤が飛んでくる。

「ばっ……馬鹿! 制服についちゃったじゃない!」
「食べ物を粗末いしないのお馬鹿!」

日頃の名字であれば、双方から馬鹿と言われたことに対し怒りに震えただろうが、今の名字には一切聞こえていなかった。
椅子の背もたれに完全に体を預け、両手で顔を覆ったまま天を仰ぐ。
名字が考え込むように三分ほど呻き、母と姉がその尋常でない様子に不安の表情を見せる。平日の朝は数分でさえ惜しいが今は心配の方が勝っていた。やがて二人は顔を見合わせて頷き合う。娘が、妹が、おかしい。

「今日は学校休んだら? 電話してあげるから……」
「怒鳴ってごめん、……帰りにプリン買ってくるよ! 好きでしょ?」
「……うん……うん……」

――名字がまともに思考できるようになったのは、母に布団の中へ押し込められてからだった。
病気などめったにしない、丈夫が取り柄な名字の弱った姿に母は珍しく心配しており、その度合はゆっくりと閉められるドアからよく覗えた。
薄桃色の可愛らしい掛け布団をきつく握りしめながら思い返すのは、朝のニュースだ。
姉が「月曜に出てくるこの人嫌いだから変えるわよ。」と返事を待たずにリモコンを弄り、普段と違うテレビ会社のニュースに切り替わると、中学生によるサッカーの大会が映し出された。

『今年のフットボールフロンティアはとっても熱かったですねー! おめでとうございます!』

初めて見た女性リポーターの可愛い声。
夏らしい涼しげな洋服を纏った彼女はスカートを翻しカメラの外へ身体を向ける。すると画面も横に移動し、一人の男の子を映し出した。

『雷門中学校を40年振りの優勝に導いたキャプテン、円堂守さん。サッカーをするのに一番大切なことは何でしょう?』
『サッカーが大好きだっていう気持ちです!』

いつでも一緒だというように男の子はサッカーボールを抱えていた。印象的な太陽色のバンダナのすぐ下で笑顔がはじける。

「あ」

――あの子の名前は円堂守。
名前と、笑顔と、サッカーボールが複雑に重なり合いやがて名字はずっと忘れていた『前世』を思い出すに至った。

蘇った前世の記憶では、名字は成人を間近に控えた年齢で、特筆すべき事件も無く生活していた。学校に通って、細々とアルバイトに励み、何となく日々を過ごすごく普通の女学生だった。
何故新しい人生を送ることになったのかは思い出すことができないが、記憶がよみがえるまで名字は平凡に生きており、その人生は前世と然程変わりはない。人格形成の過程に差異がないためかすんなりと受け入れることができた。
それ以上に衝撃的だったのは円堂守の存在だった。

「……いなずまいれぶん……?」

円堂守は『イナズマイレブン』という作品の架空の人物だった。名字はこの作品が好きでしょっちゅう見ていたことをよく覚えている。前世のアニメやゲームという視点で見る円堂と、今世の実在の人物という視点で見る円堂のふたつのギャップは名字に火花が爆ぜるような衝撃と眩みを与えた。
すぐに広がった前世の記憶。名字は布団の中で事実をゆっくりと整理するのだった。

その日の晩は知恵熱が出て大変だった。
名字としては考え過ぎが原因だと分かっていたが母と姉は今朝の出来事から『悪い病気をもらってきた』と考えている。姉の選んだプリンを頬張って食欲全開のアピールをしたが熱によって上半身がふらついてしまい、それを帰ってきた父親が目撃したことから次の日も学校を休む羽目になった。


二日間の休みというのは現状を整理し受け入れるのに十分な時間だったと思った。
夜にはすっかり元気を取り戻した名字に、あれだけ不安そうにしていた家族もいつもの調子だ。夕食には名字の好きなカレーが出され、声に出すほど喜んでしまったことに違和感を得る。
確かにカレーは好きだけど歓声を上げたりはしなかったはず。どきりと跳ねた心臓を無視するように明日からの学校生活を想像しながらカレーを掻き込んだ。


ところで、名字名前は今世では小学六年生である。
成長が早い方だったので前世に比べて極端に身長は変わらず、視界の高さはよく馴染んだ。しかし今朝背負った赤いランドセルは当たり前のようなそうでないような、ざわつく違和感は禁じ得ない。学校へ着くころには無くなっていたが。

そして学校につくことで、昨夜の違和感に確信を得た。

「二日も休んでどこに遊びに行ってたんだよ」

お山の大将的存在の男の子が名字に投げかけた。

「違うよ、熱だもん」
「うそだー、お前が熱なんて出すかよ」
「う、嘘なんかついてないっ。私だって体調が悪くなる時ぐらいあるよ」
「馬鹿は風邪ひかないっていうだろ」

嘘だと言われた。馬鹿だといわれた。胸のあたりがぐっと苦しくなり、視界が滲み始めた。
子どもの根拠のない戯言だというのに、信じられないことに顔がかっと熱くなる。普段では考えられない状況に焦りを感じた。
だって小学生の男の子なんて、適当なこと言ってからかうものだ。前世で小学生と話した時も先ほどのように散々な言葉を言われたが生意気だと思うぐらいで、こんなにも翻弄されるなんてなかった。

「うそじゃ、ないもん、馬鹿じゃないもん……っ!」

泣きそうになった名字を見た途端男の子は焦ったように退散した。やがて担任が教室に入ってきたことで慌てて席に座ったが、朝の話をそっちのけで考え事をしてしまう。
――精神が退行している。
昨夜のカレーに対する喜びで感じた違和感はこれだった。
前世の記憶を取り戻したことで精神はあの頃に戻ったと思っていたが、どうやら今世での記憶に引きずられているらしかった。たしかに考え方には落ち着きが出ているが、脳の構造の問題だろうか、物事に対する感情のセーブが難しい。特に悪口に対しては流すことができない程度に。
一日はまだ始まったばかり。今日を通して、また新たに自分を知ることになる予感がした。

その日の夕方、屍となった名字がいた。
いちいち幼い反応を示す自分に焦り、そのたびに『引きずられているのだから仕方ない勢』と『やはり大人でありたい勢』が大戦を繰り広げていた。もう下手にしゃべりたくないと口を閉ざせばクラスメイトが心配そうにして、それに野次を投げるお山の大将くんにまた翻弄された。
家に辿り着くころには気力を使い果たしていた。

「ただいまあ」
「おかえりなさーい」

リビングに母はテレビを見ているようだった。テレビを見て不安げな表情をしている。

「こわいわねえ、中学校が壊されたんですって!」
「え、なにそれやばいじゃん……」

どういった経緯なのだろうと苗字もテレビに顔を向けてみて、固まった。

「……雷門中!?」

テロップに流れた『雷門中学校』と、まるで巨人が殴ったかのように全壊した建物。疲れていた意識が覚醒し食い入るように身を乗り出したが終盤だったようで次のニュースに切り替わってしまう。
そうだ、雷門中学校が破壊されるのはフットボールフロンティアで優勝した直後のことだった。思い返せば記憶がよみがえったあの日に見た映像は優勝した時のもので、事件がすぐに起きたことにも納得がいく。
先ほどのニュースでは雷門イレブンは一人も登場していない。これはテロを疑う事件だ、序盤でいちサッカー部を取り上げることは無いだろう。
この事件はいずれ収束する上、その実情を知っていたためか、苗字は余り恐怖を感じていないようだった。そのためか、円堂の姿は見れなかったな、と落胆さえしたのであった。

――気が付けばエイリア学園どころか、世界大会さえ終わりを迎えていた。
日頃テレビを見ることの無かった名字だが円堂の姿を見つけるためにかじりついた。エイリア学園との闘いを見ることはできなかったが、財前総理の誘拐は機密事項として扱われているので(おそらく情報操作)仕方ないだろう。
世界編は、もう。すごい。日本中がイナズマジャパンに大注目だ。言い過ぎだろうか? しかし大会優勝後の街ではファングッズで溢れているのだから間違いではない。
しかしテレビではなかなか円堂を映してくれなかった。すぐにフォワードへと切り替わってしまい、名字がゴールキーパーを見る時間は短い物だった。

満足に見られないもどかしさの中、名字は何かを求めていた。
はじめは好きな作品だったからキャラクターを見たくて仕方ないのだろうと思っていた。事実それは間違っていないだろう、好きなキャラクターたちが実在しているのだから見たいと思うのは至極当然だった。
しかしそれだけではないのだ。それ以上に特定の人物が忘れられず、気付けば頭がいっぱいになって苦しんでいた。

目を閉じてみれば脳裏に浮かぶ、太陽色のバンダナと大口をあけたはじける笑顔。円堂守を忘れられなかった。
数か月もテレビに注視していれば嫌でも分かってしまった。サッカーの試合があればついゴールポストの前で構えるキーパーを見てしまうのだ。
――だって仕方ないじゃないか、笑顔があんまりにも、かわいかったから。あの一瞬で心を奪われてしまった人はきっと他にもいる、そうに違いない。

自分が何を欲しているのかを理解してしまえば、見たいという欲求はさらに高まった。今の円堂守は中学二年生で、小学六年生の名字より二つ上だ。前世では年下だった円堂が年上になっているのだ、たった二つの歳の差だってたまらなく感じてしまう。

「お姉ちゃんスマ……じゃなくて、ケータイ貸してください。動画が見たいの。」
「いや。ただでさえパケット料金やばいのに。」

やはりもう我慢の限界だ。この時代はガラパゴスケータイのみのようで、スマートフォンは無い。なつかしさを感じるケータイを操作している姉に頼み込むがすげなく断られてしまう。
確かにそうだ。姉は現役女子高生で、ケータイは必需品なので通信料のかかり過ぎで没収されてはかなわないのだろう。おそらくいつの時代でも、女子高生に頼んだところで快い返事は帰ってこない。スマートフォンなら通信制限、ガラケーは通信料が壁なのだから。
名字は母に頼んでみることにした。するとどうだろう、姉とは正反対にすんなりと貸してくれた。

「何を見るの?」
「サッカーの動画!」

インターネットに疎い母が心配そうにするので正直に答えた。ありがとう母よ。名字は拝まずにはいられなかった。

ベッドの上。どきどきとうるさくなる心臓。逸る気持ちをなんとか抑えながらキーワードを打ち込んでいく。『フットボールフロンティア 雷門中学校』。検索結果の一番上に動画が表示されたので選ぶとページが移動し、ローディングが始まる。


――たった三分間の動画なのに尋常でない疲労感だった。
名字はぐったりとしながら息を整える。動画の前半は世宇子中が続けざまに3点を先取して圧倒的な力を見せつけるが、後半は雷門中が巻き返し4点を奪い逆転優勝。その事実をダイジェストにし、淡々と流していた。
しかし逆転優勝の過程には彼らの熱くたぎった想いがあると知っているため、動画の向こうの心情を思い返して苦しくなった。
歓声の上がるサッカースタジアムでは選手の声はおぼろげだ。それでも叫びをあげる円堂の声はわずかに届き、耳に残った。アニメのように丁寧でなく事実だけをかいつまんだ動画だが、グラウンドを傷だらけで駆け抜ける彼らの姿は、何よりも重みのある現実だった。
気が付けばその動画を繰り返し見てしまっていた。翌月には届く請求書により名字はしばらく動画を禁止されてしまったのは言うまでもない。



(未完のため続きはありません)

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