
01.はじまりの夏
ホグワーツへの入学を認められた魔法使いは十一歳を迎える年の夏にホグワーツから手紙が届くことになっている。
マルフォイ家の双子の兄妹ドラコとレイラの元にも先日ホグワーツの入学許可証が届いたばかりだ。
マルフォイ家は誇り高い純血の一族であり、父も母もホグワーツ出身の魔法使いだ。そんな二人の間に生まれた自分達も間違いなくホグワーツへ通えるだろうと信じていたが、もし万が一にも入学許可証が届かなかったらと不安になったこともある。
だからホグワーツからの手紙を受け取った兄妹は大喜びではしゃいだものだ。
暇さえあれば両親のもとへホグワーツの話を聞きにいったし、授業ではどんなことをするのだろう、学校生活はどんな風だろうと想像して語り合った。
ホグワーツからの手紙が届いてから毎日そんなふうに上機嫌で過ごしていたレイラだったが、七月最終日の朝、その機嫌は一気に急降下していた。
機嫌が悪いことを隠そうともせずまろやかな頬を膨らませる愛娘の姿に、ルシウスは困ったように微笑みながら頭を撫でた。その表情も言葉も、家族以外の人間が見たなら幻覚でも見ているのかと思う程に甘く優しい。
「レイラ、そんなに怒らないでくれ。買い物は手早く終わらせてすぐに帰ってくるし、そうだ、何か土産を買ってこよう。新しい本か、それとも洋服がいいかな」
「本もお洋服もいらないわ。私も一緒にお買い物に行きたい」
「……それは、」
「どうしていつも私だけお留守番なの?」
レイラの蜂蜜色の瞳から涙が溢れた。
それを見てドラコは自分よりほんの僅かに小さい体を抱き締め、泣き虫な妹の背中をぽんぽんと撫でてやる。
「レイラ泣かないで。帰ってきたら箒に乗せてあげるから一緒に散歩しよう?それからレイラのお気に入りのティーセットを出してお茶会をしようか」
「……クッキー」
「ん?」
「お茶会するなら、お母様と作ったクッキーも欲しいわ」
まだ少し拗ねたように唇を尖らせたレイラに向かってナルシッサは優しい表情で頷く。
「じゃあ一緒に作りましょう。今日はどんなクッキーがいいかしら?」
「この前セブルスが遊びに来た時に作ったの、ちょっぴり失敗しちゃったからもう一回作ってみたい」
「あれね、わかったわ。それじゃあお買い物のついでに足りない材料も買ってくるわね」
ナルシッサの言葉に頷いたレイラの機嫌は先程までより大分よくなっている。ドラコに抱き締められたまま顔を上げ、涙で濡れた瞳でルシウスを見上げた。
「お父様も一緒にしてくれる?」
「あぁ、勿論」
「…………なら、お買い物我慢する」
「いい子だ」
優しく微笑みながら頬に口付けられ、レイラは嬉しそうにはにかむ。ようやく機嫌の直った愛娘に安心して「それじゃあ行ってくる」とルシウスが立ち上がった瞬間、玄関ホールにバシッと姿あらわしの音が二つ響いた。
「あら、貴方達まだ出掛けていなかったの?」
僅かに乱れたローブの裾を直しながら首を傾げたのは濡羽色の髪をシニヨンに結い上げた女性──ルース・リッジウェルだ。レイラの祖父アブラクサスとホグワーツ在学時代からの友人で、早くに亡くなった祖母に代わりレイラ達のことを可愛がってくれている。
その後ろで眉間に深い皺を刻み、面倒くさそうな顔で溜め息をついているのはルシウスの学生時代の友人、セブルス・スネイプだ。
「今日は学用品買いに行くって言っていたから、レイラが一人で寂しい思いしてるんじゃないかしらってセブルスを連れてきたのだけれど」
「今から出掛けるところです。では、我々が留守の間レイラのことをお任せしても?」
「えぇ。ゆっくりお買い物楽しんできていいわよ。ね、レイラ?」
「うん!ルースとセブルスが一緒ならお留守番もさみしくないわ」
大好きな二人の訪問者にレイラはにこにこ笑顔で頷き、ルシウス、ナルシッサ、ドラコ全員の頬にいってらっしゃいのキスをした。
三人を見送り、レイラ達は三階の子供部屋へ向かった。
ソファに腰を下ろすとテーブルの上に三人分の紅茶が現れる。屋敷しもべ妖精が用意してくれたのだろう。
広い屋敷の掃除や料理等の家事をこなしてくれる屋敷しもべに感謝はしているのだが、どうしてもあの甲高いキーキー声と薄汚れた外見を好きになれない。
だからルシウスは屋敷しもべにレイラの前に姿を見せないようにと言い付けているらしく、ここ数年その姿を見た記憶はない。
心の中で「屋敷しもべさんありがとう」とお礼を言って、漂う紅茶の香りに微笑みながらレイラも腰を下ろす。
当たり前のようにセブルスの膝の上に座ると頭上から呆れたような声が降ってきた。
「レイラ、何度も言っているが私の膝は椅子ではないのだが」
「だってセブルスのお膝の上って落ち着くんだもの」
「…………」
深い深い溜め息を無視してレイラはティーカップに手を伸ばした。ルースは楽しそうにそんな二人の様子を見て笑っている。
「ね、セブルスもルースもスリザリンだったのよね?ホグワーツのお話聞かせて!」
「私がホグワーツにいたのはもう何十年も前だからねぇ……きっと私達が通っていた時とは色々変わっているんじゃないかしら。でもセブルスは現役の教師だし、今のホグワーツについて知りたいならセブルスの方が適任じゃない?」
「たしかにそうかも」
「…………もうひと月もすれば入学なのだからそれでいいだろう。百聞は一見に如かず、だ」
セブルスの顔にははっきり「面倒臭い」と書いてある。
レイラは頬を膨らませ、駄々をこねるように足をばたつかせた。
「だってお家の外に出るのも、お父様やセブルス達以外の人とお喋りするのも、全部初めてなのよ。ちゃんとホグワーツで生活できるか不安なんだもん…」
「大丈夫よ。困っていたら先生も生徒も助けてくれるし、それにほら。レイラにはセブルスもドラコもいるでしょう?」
「……うん。でも、やっぱり心配」
レイラは生まれてから一度もマルフォイ邸の敷地から出たことがない。立派な屋敷と広大な庭。それがレイラの生きる世界の全てだった。
ドラコは何度もクィディッチの試合や買い物に連れて行ってもらっているのに、何故自分だけ敷地から出ることを禁じられているのかは未だにわからない。何度聞いても、どんなに泣いても理由を教えてもらうことも外出を許されることもなかった。
普段はあんなに優しく、レイラが望んだ願いは全て叶えてくれるほどに甘い両親は外出に関してだけは決して譲らなかった。もしかしたらホグワーツにも通わせてもらえないんじゃないかと思ったこともあるくらいだ。
敷地の外に出たこともなければ、屋敷を訪れるルシウスの知人やその子供達にも会ったことがない。顔を合わせる必要はないからと部屋に戻されてしまうから挨拶すらしたことがない。
レイラが今までの十一年間で関わったことがある人間は大好きな家族と今目の前にいる二人、それから一年のほとんどを遠い地で過ごすアブラクサスだけだ。
そんな自分が同世代の子供達が沢山暮らすホグワーツでちゃんと生活できるのか。友達はできるのか。授業についていけるか。
不安は山ほどあった。
不安に瞳を揺らすレイラを見て、ルースは紅茶を口にしてくすくす笑う。どうして笑われているのだろう。不思議に思い眉を顰めると、ルースはごめんなさいねと笑った。
「ふふ、なんだか懐かしいなぁって。私もホグワーツに入る前のこと思い出しちゃった」
「ルースも心配だった?」
「もちろん。レイラとは違うけど、私もホグワーツに入るまであんまり外に出たことがなかったから」
そう言って目を細めるルースの表情は優しいのにどこか物悲しい。
「でも大丈夫だったわ。一生大切にしたい、大好きな友達にも出会えたし──セブルスもそうじゃない?」
「私は……いや、まあ、そうだな。それにスリザリンは特に身内に甘い。心配せずともレイラが困るようなことは起こらないだろう」
不器用な手付きで頭を撫でられ、心がぽかぽかとあたたかくなる。不安な気持ちが全部なくなったわけではないが、なんとかなりそうな気がしてくる。
「それより、もう杖は受け取った?」
「昨日お父様から貰ったわ。……だから今日はお買い物についていく必要はないって言われたんだけど」
セブルスの上からぴょこんと降りて学習机の上、入学許可証が入った封筒の横に置かれた杖を手に取り、再びセブルスの膝の上に座った。頭上から何か言いたげな視線が刺さるが無視だ。
真っ黒な杖を手の中でくるくる回すと、部屋の明かりを受けてきらきら煌めいて見える。
「ほら、これ。綺麗でしょ──でもなんで私の杖だけお父様が持っていたのかな?」
「ルシウスはなんて言ってたの?」
「ええっと…大切な人から預かっていた、だったかしら。どういうことか知ってる?」
「うーん、そうね。知っているけど、今はまだ内緒。ね、セブルス?」
「セブルスも知ってるの?」
「私に振らないでくれ」
くっきり刻まれた眉間の皺がさらに濃くなるのを見て思わず吹き出すとぺちんと額を叩かれてしまった。
「いたーい!暴力はんたーい!」
「人の上で暴れるな。私が立ち上がったらどうなるかわかっているのか」
「そうしたらセブルスにしがみつけばいいのよ。それにセブルスは優しいから、私が怪我するようなことは絶対しないってわかってるのよ」
「ねー」と顔を見合わせて笑うルースとレイラにもう一度深く溜め息を吐き出す。この二人とは相性が悪い。セブルスは早くルシウス達が帰ってくることを祈るしかできなかった。
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