
02.ホグワーツ特急
マルフォイ邸の一室、子供部屋の大きなベッドで幼い双子の兄妹は寄り添うように眠っていた。先に目を覚ましたのは兄であるドラコだった。
カーテンの隙間から射し込む光の眩しさに顔をしかめながら目を開き、隣で眠る少女の姿に優しい笑顔を浮かべる。幸せそうにすやすやと眠る少女の目は閉じられ、まだ目覚めまでは遠そうだ。
「レイラ、朝だよ」
優しく声をかけるが反応はない。
あまり寝起きがいいとは言えない可愛い妹の名前を何度も呼びながら、その艶やかな髪に手を通す。サラサラとした手触りを堪能するように頭を撫でていると、レイラは小さく身動ぎながら声を上げた。
「、んぅ……」
「レイラ」
「んん……ドラコ?」
長い睫毛をふるりと震わせ、ゆっくりとレイラが目を開ける。何度かぱちぱちと瞬きをする少女の姿を愛おしそうに見つめてから、ドラコはその頬に唇を寄せた。
「レイラおはよう」
「ん…、まだねむいよぉ……」
舌っ足らずな口調で頭を振り、むずがるように自分の胸に顔を埋めてくる妹の姿にドラコは一層頬をゆるませる。
そのまま再び眠ってしまいそうな少女を起こすべく、柔らかい少女の頬に再び唇を寄せ、額、鼻の頭、瞼と次々とキスの雨を降らせてやるとレイラはクスクスとくすぐったそうに笑い声をあげ、降参して目を開けた。
「ふふ、もう……ドラコ、くすぐったい」
「でもこれで目が覚めただろう?──おはよう、僕のお姫様」
そう言ってドラコは甘く蕩けそうな顔で笑う。そんな兄の頬にお返しとばかりに唇を寄せ、レイラは幸せそうな顔で「おはよう」と微笑んだ。
二人が着替えを済ませて一階へ下りていくとダイニングルームから朝食のいい匂いが漂ってくる。
「ドラコ、レイラ。おはよう」
「お母様おはようございます」
既にテーブルに座っていたナルシッサは読んでいた本を閉じて二人に笑いかけた。三人がそれぞれの席に座りながら会話をしていると、しばらくしてルシウスも姿を現した。
「お父様おはようございます」
「おはよう、レイラ」
「父上、おはようございます」
「ドラコもおはよう。──二人とも準備は済んでいるか?」
ルシウスの言葉にドラコとレイラは緊張した面持ちで頷いた。
今日は九月一日。ホグワーツへ出発する日だ。
結局レイラは食事が喉を通らず、ほとんど朝食を食べることができなかった。元々朝はほとんど食べないタイプなのだが、飲み物すら飲まなかったのは初めてだ。初めて外の世界に行く期待と不安と緊張、色んな感情がごちゃごちゃになってお腹の中がぐるぐるしている。
それだけじゃない。これから数ヶ月は両親と離れて暮らさなくてはいけないのだと思うと寂しさでレイラの青白い顔はさらに色を無くし、紙のように白くなっていた。
「レイラ、おいで」
ナルシッサは優しい声で手招きしてレイラをドレッサーの前に座らせた。ナルシッサの愛用する櫛でレイラのつややかなプラチナブロンドの髪がより一層艶めいていく。
髪を梳かし終わると今度はナルシッサの細くしなやかな指が髪を掬い、器用に髪を編み込んでいく。
鏡に映る母は穏やかで優しい表情を浮かべている。
こうしてナルシッサに髪の毛をいじってもらうのは大好きだ。杖を一振りすればあっという間に完成してしまうけれど、ナルシッサの手で少しずつ形を変えていく自分の頭を見るのも、優しい母の手が髪に触れるのも、全部が大好きで大切な時間だった。
「明日から私はやってあげられないから心配だわ」
「私お母様みたいに器用じゃないからこんなふうにできないよ」
「そうね、レイラはちょっと細かい作業が苦手だものね」
くすくすと笑われ、レイラは口を尖らせた。不器用な自覚はある。
「でも、そうね。結べなくても、毎日髪を梳かすのは忘れちゃだめよ?ボサボサの頭で過ごすなんてレディ失格ですからね──はい、できたわ」
深緑色のリボンをきゅっと結び終えるとナルシッサは鏡越しに「うん、とっても可愛い」と微笑みかけた後、寂しげに目を伏せた。刻一刻と別れの時間が近付いているのだ。鼻の奥がツンと痛む。溢れそうになる涙を堪えようとしてレイラの顔がくしゃりと歪んだ。
「これからしばらくレイラに会えないなんて寂しいわ……毎日でも手紙を書いてね?」
「お母様……」
「これ、私から。入学のプレゼントよ」
そう言ってナルシッサは今使ったばかりの愛用の櫛と小さな袋を差し出した。袋の中には髪を結ぶためのリボンがいくつも入っている。レイラはまだ少し泣き出しそうなぎこちない笑顔でナルシッサに抱きついた。
「ありがとう。毎日大切に使う」
「えぇ──大丈夫よ、学校はすごく楽しくて寂しく思う暇なんてないんだから」
「そうなの?」
「私の時は気が付いたら一年が終わってたわ」
懐かしそうに笑うナルシッサの顔を見てレイラの心の中で学校生活への期待が膨らんでいく。ルースもセブルスも同じように言っていた。
大好きな皆のお墨付きだ。きっと大丈夫。素敵なことがいっぱい待っているはずだ。
ようやくレイラがいつも通りの笑顔を見せると、ルシウスが二人を呼ぶ声が響いた。
「ナルシッサ、レイラ、支度はできたか?そろそろ出るぞ」
「今行きます」
二人はにっこりと笑ってルシウスとドラコの元へ向かった。
キングス・クロス駅に着いたレイラは目をまん丸にして辺りをきょろきょろと見回した。自分より小さな子供から腰の曲がった老人まで、ありとあらゆる年齢の人間が忙しなく駅の中を歩いている。
切符を買う列に並んでいる人や発車時刻と行き先が書かれた掲示板と手元を見比べて何やら話し合っている人。他にもいろんな人があちらこちらで動いている。
「すごいすごい!本物の駅よ!『ラリーの小さな大冒険』に書いてあった通りだわ!ほら、あそこで電車が来るまで待つの!」
「ラリーの…なんだって?」
「『ラリーの小さな大冒険』よ。ちっちゃなラリーが迷子になって一人で電車に乗るんだけど、ねずみさんとお友達になったりカモメさんに助けてもらったりしてお家まで帰るお話なの」
大興奮で繋いだ手をぶんぶん振り回すレイラの言葉に「あぁ、マグルの本か」とドラコは僅かに顔を顰めた。
家に閉じ込められているせいなのかレイラは本を読むのが大好きで、魔法界のものだけでなくマグルの本も好んで読んでいる。マルフォイ家は純血主義の家系だ。マグルが書いたものを読むなんて……と思わなくもないが、嬉しそうに本を抱きしめるレイラから楽しみを奪うことはルシウスにもドラコにもできなかった。
しかも古書店を営むルースが次から次へと本を贈ってくるのでもうこれに関しては半ば諦めている。
「ドラコ、レイラ、早く来なさい」
「二人ともちゃんと手は繋いでる?はぐれたら大変よ」
「大丈夫です──ほら、レイラ。行こう」
目を輝かせてきょろきょろする妹がはぐれないようにぎゅっと繋いだ手に力を入れ、ドラコは両親の後について歩き出した。
マグルだらけの構内を歩き、四人は九番線と十番線のプラットホームに辿り着いた。
九番線と十番線の間の壁に向かって進むとホグワーツ特急の止まる九と四分の三番線へと抜けることができる。何回も両親から聞いていた話の通り、ドラコとレイラが荷物を積んだカートを押して壁を通り抜けると魔法使いで溢れるプラットホームへと出ることができた。
「わぁ……!!」
壁を抜けた二人はおもわず感嘆の声をあげた。
真っ白な煙を吐き出す紅色の蒸気機関車『ホグワーツ特急』がプラットホームに停車していた。ドラコとレイラが押しているのと同じようなカートを押しながら歩く生徒、賑やかに声を上げるふくろうや猫の鳴き声、「今年こそは勉強を頑張ってお母さんを喜ばせてちょうだい!」なんて厳しく言いつける母親らしき魔女──ホームはホグワーツの生徒とその親で溢れかえっていた。
空のコンパートメントを見つけ、ルシウスが杖を振って二人のトランクを中に運び入れてくれる。
しばらく四人の間に奇妙な静寂が流れた。
──きっとそれぞれが泣き出しそうになるのを堪えていた。
「ドラコ、レイラ。二人ともマルフォイ家の名に恥じぬ行動を心掛けるように」
静寂を破ったのはルシウスだった。二人はしっかりと頷く。
「ドラコ、レイラのことを守ってやるんだぞ。いいな?」
「父上が安心できるように、ちゃんとレイラのこと守ってみせるよ」
頼もしいその言葉にナルシッサは感極まったようにハンカチを目頭に押し当てた。
「レイラ、何かあったらすぐにドラコか私に言うんだ。セブルスも力になってくれる。それから──人前では話さないように」
ルシウスの言葉の意味を理解してレイラはしっかりと頷いた。レイラはパーセルマウス──蛇と話すことができる人間だった。
魔法界でも蛇と話せる人は珍しい。レイラ以外に蛇と話せる人間はマルフォイ家にもいないくらい非常に稀な能力で、さらにパーセルマウスは闇の魔法使いの印であると信じている人が多い。
要らぬ誤解を招かないために人前でパーセルタングを使わないようにと、ホグワーツへの入学が決まってから耳にたこができるくらい言い聞かされていた。
「クリスマス休暇に会えるのを楽しみにしているよ」
「手紙を書いてね。毎日お菓子を沢山送るわ」
ルシウスとナルシッサは二人に微笑みかけ、次の瞬間にはバシッと音を響かせ姿くらましをしてしまった。ドラコとレイラはつい数秒前まで両親がいた所をしばらく名残惜しそうに見つめていた。
荷物を置いたコンパートメントに入るとレイラは荷物の中から本を取り出した。ファンシーなイラストの上に濃紺地に銀色の文字で『うっかりさんの不思議な魔法薬』と書かれたそれを、向かいに座ったドラコが「何の本?」と覗き込んだ。
「この前セブルスがくれたの。魔法薬学の基礎の基礎を理解するのに役に立つんだって」
パラパラと捲ってみた本は所々にイラストが挿し込まれていて、なるほど、たしかに本格的に学び始める前のさらに前の人間を対象にしているようだ。レイラが本を読み始めたのを見て、ドラコは手持ち無沙汰に窓の外に見えるホームに目を向けた。
本を最後まで読み終え、レイラはふぅと息を吐いた。
小さい子向けの本かと思いきや意外としっかりした内容で、思わず夢中で読み耽ってしまった。どうやらシリーズ物のようだから他のものもないか後でセブルスに聞いてみようと思いながら顔を上げ、驚いた。
いつの間にか列車は動き出していたらしく、窓から見えるのは生徒や保護者でごった返したホームからのどかな田園風景に変わっていた。
さらに向かいに座っていたはずのドラコはレイラの隣に移動していて、目の前の席には二人の男の子が座っている。両手にかぼちゃパイと糖蜜パイを持ってもぐもぐ忙しなく口を動かしている男の子は縦にも横にも大きく、その隣にはひょろりと細長い印象を受ける、涼しい目元の男の子が座っている。
「読み終わった?」
コンパートメントをぐるりと見回すレイラに気付き、ドラコが優しく問いかける。それに頷いて、レイラは首を傾げた。
「うん、すっごくおもしろかったわ──いつの間に出発したの?」
「一時間くらい前かな。さっき車内販売が来たからレイラの分も買っておいたよ」
「ありがとう」
ドラコが差し出してくれたものの中から糖蜜パイを取り、コンパートメントにいる他の二人に目をやる。不思議そうなレイラの視線に気付いたのか、ひょろりとした方の男の子が顔を上げた。もう一人の子は新しいかぼちゃパイの包みを開けるのに忙しいみたいで気付かない。
「こっちがセオドール・ノット、こっちがビンセント・クラッブ。二人とも親が父上と知り合いで、僕も何回か会ったことがある」
ドラコが紹介するとひょろりとした男の子──ノットは軽く頭を下げ、クラッブはかぼちゃパイを飲み込もうとしながらもごもごと聞き取りにくい声で「よろしく」と言った。
「えっと…レイラ・マルフォイです。よろしく」
「二人とも代々スリザリンの家系だから、ホグワーツでもいい付き合いができるはずさ」
初めて出会った自分と同じ年の子供だ。どんな会話をするのだろうとドキドキしていたのだが、どうやらクラッブもノットもお喋りは得意ではないらしい。
クラッブは目の前の食べ物を胃袋に詰め込む事が最優先事項のようだし、ノットも気だるげに窓の外を眺めていて時折ドラコとレイラの会話に相槌を打つだけだ。
なんだか少し期待はずれだ。初めてお喋りした子が一生の友達になる──そんな夢を見ていたのだが、現実は物語のようにはいかないらしい。
そんなふうに考えながらかぼちゃジュースの瓶に手を伸ばした時、コンパートメントの戸が開いた。
入ってきたのは整った顔立ちの黒人の男の子だった。その後ろには大柄な男の子が百味ビーンズの箱を手にして立っている。
「セオドール、ここにいたのか」
探したんだぞと言いながら黒人の男の子はノットに笑いかける。ノットはレイラに挨拶した時と同じように軽く頭を下げ、手を上げた。
「こっちは?お前の知り合いか?」
「僕はマルフォイだ。ドラコ・マルフォイ」
「あぁ、マルフォイ家か。俺はブレーズ・ザビ二」
お互いに相手を見下すような笑顔を浮かべながら握手を交わす。そんな二人を見るレイラの視線に気付いたザビニがちらりと目をやり、レイラの顔を見た途端にがらりと表情を変えて親しげな笑顔を浮かべた。
「はじめまして、可愛らしいレディ。お名前を伺っても?」
「…………えーっと……?」
レイラが困惑してドラコを見上げると、ザビニから隠すようにドラコが立ちはだかった。
「彼女は僕の妹だ。気安く話しかけないでくれないか」
「俺は君じゃなくてその子に聞いてるんだけど。邪魔しないでくれよ」
コンパートメント内にピリピリした空気が流れ、レイラはどうしたらいいんだろうと困り果てた。こういう時どうするのが正解なのかわからない。
ふとノットと目が合うと彼はどうしようもないというように肩を竦めてみせた。その仕草につられるようにレイラも眉を下げて小さく笑った。
「ミス・マルフォイ?俺達も一緒に座っていいかな」
「だめだ」
「だ・か・ら、俺は君じゃなくて彼女に言ってるんだって、何回も言わせないでくれよ」
ドラコはきっぱりと断ったが、最終的にザビニはレイラ達のコンパートメントに居座ることになった。
ザビニの後ろに付いてきていた大柄な男の子──グレゴリー・ゴイルが黙々と食べ物を頬張るクラッブと共にお菓子を食べ始めてしまったからだ。
窓際のレイラを守るように座るドラコの隣にザビニが、そして正面の席ではクラッブとゴイルが凄い勢いでお菓子を貪り、その隣でノットが興味なさげに窓の外を眺めている。
最初のうちはレイラに話し掛けようとするザビニを妨害していたドラコだったが、いつの間にか二人はクィディッチの話で盛り上がっている。クィディッチに興味のないレイラは楽しそうな二人の会話に入っていけない。
あいかわらずクラッブとゴイルは手を止めずに食べ続けているし、ノットは無表情で窓の外を見つめ、たまにドラコ達の話に加わっている。しばらく考えるとレイラは意を決して立ち上がった。
「どうした?」
「ちょっと列車の中探検してくる!」
「一人じゃ危ないぞ。僕も一緒に行くから」
「いやいや、俺が行くよ」
「遠くには行かないから一人で大丈夫よ」
「でも……」
「すぐ戻るから」
ドラコとザビニが立ち上がる前にするりとコンパートメントを抜け出し、まだ何か言いたげな二人に手を振りレイラは歩き出した。
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