01.闇夜の謀議
「レイラ、レイラ……」

血のように赤い瞳。狂気を孕んだその瞳が笑みの形に歪められる。

「レイラ……」

掠れた声が名前を呼ぶ。
耳を塞いでも、その声は頭の中に直接響いて、消えない。

「レイラ……あぁ、憐れな我が贄姫よ…」

人間離れした恐ろしい顔が近付いてくる。
逃げたいのに逃げられない。動けない。捕まってしまう……



「──……ッ、──……ッ!!……レイラッ!!!」
「……ぅ、ドラ…コ…?」

大好きな優しい声に目を開けると、薄暗い室内で心配そうに顔を歪めたドラコの顔が見えた。視界がぼやけ、全身が汗でぐっしょり濡れている。まだ恐怖が残る頭の中で、ああ、また悪夢を見たのかとどこか冷静な自分がいた。

「レイラ……大丈夫か?ほら、水」
「ん、ありがとう」

ドラコに支えられながら体を起こし、渡されたグラスの水を飲むと荒い呼吸が少し落ち着いた。ふわふわのタオルで額の汗を拭ってくれるドラコの顔を見つめ、さっきのは夢でこれが現実なのだと、ようやく体の震えがおさまってくる。

レイラはひと月前、ホグワーツ魔法魔術学校で恐ろしい目に遭った。ヴォルデモートを自らの体に寄生させたクィレルがレイラを連れ去るという事件が起こったのだ。幸いレイラは傷一つ付けられることなく無事に助け出されたが、その恐ろしい経験はレイラの心に深い傷を付けたらしく、夏休みに入ってから毎日のように悪夢に魘されていた。
毎晩悪夢から救い出してくれるのは大好きな双子の兄、ドラコだ。

「シャワー浴びにいく?」
「……うん、でも、もうちょっと……」
「わかった。大丈夫だから」

今日もドラコは隣で眠っていた少女の苦しげな声で目を覚ました。眠りながら涙を流し、苦しげに「助けて」と喘ぐレイラの姿に心が痛む。水を飲んで少し落ち着いたとはいえ、いまだに小さく震える体を抱きしめてぽんぽんと優しい手付きで背中を撫でた。

ホグワーツで流れる噂、そして両親から聞かされた以上の詳しい話は聞いていない。それでもレイラが『例のあの人』に連れ去られたという事実は知っている。それがまだ十二歳になったばかりの幼い少女には過酷過ぎる試練だということも。
ドラコは涙で濡れた長い睫毛に唇を寄せた。擽ったそうにふるりと睫毛を震わせ、小さく笑い声を上げる少女に愛しさが膨らんでいく。

「ふふ、なぁに?」
「レイラは涙まで可愛いなぁって」
「なぁにそれ」

くすくす笑うレイラの瞳には、もうさっきまでの暗い色は見えない。いつも通りの笑顔に戻った少女の睫毛に、額に、頬に。次から次へとキスの雨を降らせる。

「レイラは泣いている顔も笑っている顔も、全部可愛い。僕の大切なお姫様だ」
「ふふ、ドラコは私の王子様なのよ。だから私がお姫様なのも、当然なの」

悪夢を忘れさせるように、甘い言葉やとりとめのないお喋りを囁き合う。そうしているうちにレイラは再び眠りにつくことができると知っているから、いくらでも愛の言葉を囁いてやる。
再び眠りについたレイラは今度は魘されることなく、朝まで幸せな夢の世界に浸ることができた。





子供達が眠りにつき、夜の静寂が支配する真夜中過ぎ。
この屋敷の主人であるルシウスは緊張した面持ちで突然の訪問者、ルースと対面していた。

「レイラのこと、このままじゃ駄目だと思っているの」
「……と、言いますと?」
「守るための力が弱いのよ。この間の事があってから、アブラクサス達と色々話し合ったの。それで、これ」

ルースは前置きもそこそこに、ハンドバッグから取り出した黒革の日記帳を机の上にバサッと乱雑に放り投げた。いかにも年代物といったボロボロの表紙に目をやり、ルシウスは眉を寄せて怪訝な表情を浮かべる。

「これは?」
「帝王が直々に作り上げた魔術具よ」
「……っ」
「そんな顔しなくても、持っているだけで悪さをするような物じゃないわ」

顔を青ざめさせたルシウスを見てルースは首を振る。そう言われても、ルシウスとしてはまったく安心できない。

「これを使ってやらなくちゃいけないことがあるの。貴方、秘密の部屋ってご存知?」
「軽く話を聞いた事はあります。父上の在学中に部屋が開かれ、穢れた血が一人殺されたと……」

ホグワーツの創設者の一人、サラザール・スリザリンが学校を去る時に残した秘密の部屋とその部屋に眠る怪物。その部屋はスリザリンの継承者のみが開けることができるという。実際に事件が起こっていなければ、くだらない言い伝えだと聞き流しただろう話だ。

「知っているなら話が早いわ。その部屋を再び開けるわよ」
「………………は?」
「今年秘密の部屋を開ける。これは決定事項よ」

あまりにも突拍子のない発言に思考がついていかない。

「レイラを守るために必要なことなの。この日記があれば部屋を開けることは可能なはずよ。ただ、実行犯になる人間を確保しなくちゃいけないのよ」
「お待ち下さい、失礼ですが少々話が飛び過ぎていて理解が……もう少し詳しく教えて頂けますか」
「そうね──まず、この日記。これは書き込んだ人間の魂を吸い取り、いずれはこの日記に封じられた帝王の記憶≠フ操り人形にさせることができる物よ。おそらくその帝王の記憶≠ヘ秘密の部屋を開けようとする。操り人形を使ってね」

帝王の記憶が込められた日記帳。
ルシウスは思わず日記から距離をとるように半歩後ろに下がった。

「ただ一つ問題があって……これ、まともに使ったことがないのよね。だから操り人形になった人間がどうなるか、わからないの」
「それは、つまり…死ぬ可能性があると?」
「最悪ね。そうなる前に決着をつけるつもりではあるけれど。それに、そこまでのことにはならなくても、前回の事件で犯人にされた子のように退学処分になる可能性はあるし……色々と危険な事に変わりはないわ」
「その役目は誰が…?まさか、」

ルシウスの薄いグレーの瞳に怯えが浮かんだ。それを感じ取ったルースは「馬鹿な事言わないで」と顔を顰めた。

「ドラコにもレイラにも、そんな危険なことをさせるわけないでしょう。最悪の事態に陥った時にレイラが悲しむような人間は絶対に駄目よ」

その言葉にルシウスはほっと息を吐いた。

「その役目を誰にするべきなのかがまだ決まらなくて……私達と関わりが薄い人間がいいわ。それから日記を警戒して使わないような頭が切れる人も駄目ね……教職員や優秀な上級生も駄目……あとは……」
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「何?」
「秘密の部屋を開ける事でレイラやドラコに危険が降り掛かる可能性は?」
「純血の人間は襲われない。だからドラコは心配ないわ。レイラについては、わざわざ言わなくても分かるでしょう?」

冷たい瞳で見詰められ、背筋がゾッとする。ルシウスは慌てて頭を下げるが、ルースは大して気にした様子もなく言葉を続けた。

「部屋を開けて起こりうる危険については、既にこちらで話し合い済みよ。貴方達は今まで通りレイラを守っていてくれたらいいわ」
「……承知致しました」

彼女の言うこちら≠ノアブラクサスとルース以外の誰かがいるのだということは気付いている。けれどそれについてルシウスは知る事を許されていない。
おそらくセブルスではない。彼も自分と同じように全てを知らされずに動いている側の人間だろう。ならば誰なのか──秘密主義の彼女達からそれを聞くことは叶わない。

だが、そんなことはどうでもいい。己が望むものを手にする為ならばいくらでも喜んで駒になろう。それを邪魔する者は誰であろうと排除する──ルシウスは先日、キングス・クロス駅で会った男の顔を思い浮かべた。あの男が真実に辿り着くことはないだろうが、レイラの顔を見られてしまった。

「操り人形として相応しい者に心当たりが。確かあの家には今年入学する娘がいたはず……精神的にも未熟で日記を疑うこともない、勿論入学前ですのでレイラとの関係もありません」
「どこの家の子?」
「……ウィーズリー家の者です」
「なるほど。ついでに貴方の目障りな邪魔者も排除しようって考えね。そうね、ウィーズリーか……」

純血の家系でありながら、純血の誇りを踏み躙るようにマグルやマグル生まれに友好的な態度を取るウィーズリー家は、以前から気に入らない存在だった。その家の者が秘密の部屋を開け、マグル生まれを襲う事件を起こしたとなれば、一大スキャンダル間違いなしだろう。
レイラを守るための行動のついでにウィーズリー家の名に傷を付ける事が出来れば、ルシウスとしては万々歳だ。

「わかった。この日記は貴方に任せるわ」
「ありがとうございます」
「それから、この件はセブルスには知られないようにしてね。当然レイラにも気付かれては駄目よ」
「承知しております」

今年ホグワーツで起こる恐ろしい事件。
それはすべて、ただ一人の大切な少女を守るために。


この密談を聞いてしまった屋敷しもべ妖精がいたことに、二人が気付くことはなかった。

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