17.はじまりのきみ
間近で見上げるバジリスクは少し離れた所から見るより迫力があり、やっぱり少し怖い。レイラはローブを握り締めながら緊張気味に口を開いた。

『あなたは私のこと知ってるみたいだけど、一応ちゃんと自己紹介させてね。私はレイラ……、レイラ・マルフォイ。グリフィンドールの二年生よ』
『…グリフィンドールだと? …よりによってあの男の寮にお前が入るとは……サラザールが聞いたら怒り狂いそうだ』

嗄れた声でゆったり話すバジリスクの姿に、レイラの中に残っていた恐怖心はあっという間に消え去っていく。レイラは強ばっていた肩から力を抜き、リラックスしてバジリスクの鮮緑色の体に手を伸ばした。

『あなたサラザール・スリザリンと仲が良かったの?……わぁ!あなたの肌、スベスベで気持ちいい!』

ゴツゴツした岩のような鱗は想像していたより滑らかな手触りで、思わず感動してぴとりと抱き着くとひんやりして気持ちいい。

『ふふ、もっとゴツゴツしてると思ったわ。サイズが大きいだけで普通の蛇と変わらないのね』
『お前は…………以前のお前はもう少し落ち着いていたと記憶しているのだが』
『以前の私…ねぇ、五十年前の私ってどんな子だったの?』
『そうだな……変わり者であるという点では…今とそう変わらない』

レイラは「失礼ね!私、変わり者じゃないわ!」と頬を膨らませ、抗議の意味を込めて抱き着いたままその大きな体に頬擦りをした。



レイラとバジリスクがそんな他愛無いやり取りをしている横で、リドルとトワは互いに穏やかに見える笑顔を浮かべて向かい合っていた。

「それで? わざわざこんな所まで訪ねてきた理由を聞こうか」
「あまり時間がないので単刀直入に言います。彼女が結んだ契約を破棄する方法を教えて下さい」
「無理だ」

ばっさりと切り捨てられ、リドルの眉がピクリと動く。

「何度も言ったはずだ。そんなものは存在しないと。存在していないことを教えることは出来ぬ」
「しかし完全ではないものの、契約の発動を抑えることは出来ました。契約を完全に白紙に出来なくても、こうして抑える方法が他にもあるのでは?」

トワは唇に指を当て、少しの間黙って考え込んだ。リドルはそれをじっと見つめる。

「……そなたの願いはなんだ?」
「願い?」
「トム・リドルとレイラ・ダンブルドアが結んだ契約を破棄した先に、何を願う?」

リドルを見つめるトワの瞳は何かを見極めようとしているというより、純粋に知りたがっているような澄んだ色を浮かべている。

「彼女の命」

リドルはきゃらきゃらと楽しげな笑い声を上げてバジリスクと戯れるレイラに目を向け、薄らと目元を緩めた。つい先程まで怯えていた怪物相手に抱き着いて笑う姿はどこまでも能天気で、警戒心の欠片もない。

「この契約がある限り、彼女は生きることができない」
「それはあの娘も承知の上で契りを交わしたはずだ 」

その通りだ。実際五十年前も、ヴォルデモートと袂を分かつと決めた時も、彼女は自分の命に執着したことはなかった。彼女自身が「生きたい」「死にたくない」と願ったことはない。生きてほしいと願うのは全て周りのエゴでしかない。

「だが……ふむ、そうだな。そなた達の足掻きによって、僅かだが契約に綻びが生じた」

リドルはトワのその言葉に顔を上げた。

「結界という箱の中に閉じ込め、発動出来ぬように無理矢理抑え込まれた契約は、それでも発動しようと全力で抗った。その結果、歪に果たされた契約は不完全で不安定だ。あの娘の魔力の循環が不安定なのはそれ故だろう」

トワの瞳がすうっと細められた。

「不安定だからこそあの娘の存在は脆く弱い。もしも二度目があれば今度こそ結界では抑えきれないだろう。だが、だからこそ出来ることがある──そなた、本当は気付いているのではないか?」
「……」

ゆっくりと息を吸い込み、目を伏せる。もし己に心臓があれば早鐘を打っていただろう。いや、心臓が止まったような心地を覚えていたかもしれない。そんなことを考えながらリドルは再び目の前に座る女性と目を合わせた。

「それ以外の方法を知りたいんです」
「そなたが望むのはあの娘の命だろう? 代償にそれ≠差し出せば叶うかもしれぬぞ?」
「…………、」
「まあよい。そなたが何を選ぼうと、何を切り捨てようと、私にどうこう言う権利はない。だが、それ以外の解決策は思い付かぬ」

「力になれなくて悪いなぁ」と笑う女性を半ば八つ当たりのように睨み、気持ちを切り替えようと目を閉じた。端から契約破棄について聞き出せる可能性は低いだろうと踏んでいた。本題はもう一つの方だ。あの日記に秘密の部屋を開けさせたのも、日記を一年間も野放しにしたのも、レイラをここまで連れて来たのも、全てはただ一つの目的の為だ。

「それではもう一つ、お願いがあります」
「なんだ?」
「分霊箱を破壊する為にバジリスクの毒を分けてもらえませんか」
「分霊箱?……あぁ、なるほど。最近ここに下りてくるあの若者は分霊箱だったか」

トワは納得したように頷く。

「そうだなぁ…まあそれくらいのことなら力になれるだろう」

予想していた以上にあっさりと承諾されて拍子抜けだが、説得の手間が省けて助かった。

『バジリスク』

二人がバジリスクへ近付くと、バジリスクの体に寄り添っていたレイラは「もうお話終わったの?」と首を傾げて二人を振り返る。その頬や制服に汚れがついているのを見てリドルは顔を顰めた。長い間秘密の部屋や配管の中で生活していたバジリスクの体が汚れているのは分かり切っていることだろうに、それを気にせず抱き着いたのか。トイレから部屋へ通じる配管に入る時に「汚れたくない」と渋っていたのは誰だったのかと呆れてしまう。

『お主の毒をこの者達に分けてやってはくれぬか?』
『何故我の毒を此奴等に分けてやる必要がある?』
『最近下りてくる者がいるだろう。あれを破壊する為だそうだ』

どうやら自分だけが話についていけていないらしいと分かり、レイラは「また私だけ除け者だわ」と拗ねてバジリスクのひんやりした鱗に頬を押し当てた。ここから出たらリドルはちゃんと全部説明してくれるのだろうか。……してくれない気がする。不貞腐れた顔のレイラを置いて二人と一匹は会話を続ける。

『あの小僧は継承者だ。サラザールの信念を受け継ぎ、全うしようと動く者を破壊してもいいのか?』
『問題ない。あれは正確には継承者ではないだろう? 継承者の魂の欠片だ』
『…………あれを破壊するのがお前達の望みか?』

しばらく考え込むように沈黙した後、バジリスクはレイラとリドルに問い掛けた。だがお前達の望みかと聞かれても、事情がさっぱりわからないレイラには何のことかわからない。

『あれってなぁに?』
『今回秘密の部屋を開いた犯人……いや、何も知らぬ生徒を操り、部屋を開けさせた魔法道具というのが正しいかな』
『魔法道具? それがこんな事件を起こしてた犯人なの?』

きょとりと首を傾げていたレイラはリドルの言葉を聞いて目を丸くした。ただの魔法道具にそんなことができるのだろうか。

『レイラも一度使っただろう? いかにも怪しげな魔法道具に心当たりはないかい?』
『そんな変なもの知らないわ』
『よく思い出してごらん。脳もないのに言葉を話し、会話ができる。そんな怪しい物に触れた記憶は?』
『えぇ?そんなもの……あっ!』

怪しい物には迂闊に触れてはいけないと幼い頃からルシウスやセブルス達から言い聞かせられている。だからそんな怪しげな魔法道具なんて触ったことはないと言おうとして、古ぼけた黒い日記帳のことを思い出した。

『わかったみたいだね』
『でもあれってリドルのものでしょう? じゃあ、あなたが部屋を開けさせたの?』
『説明しなかったかな。あの日記はトム・リドルが五年生の時に作ったものだ。そして僕が作られたのは七年生。それぞれ作られた時点で本体からは分離しているし、当然その後に作られた物とも分離した別の存在だよ』

そういえばそうだったと頷く。

『じゃあ勝手に動き出した日記が今回の事件を起こしてて、リドルはそれを破壊する為にここに来たってこと?』
『そうだね』
『うーん…………うん、日記を破壊したら、この事件も終わるのね?』

こくりと頷かれ、レイラは瞼を閉じたままのバジリスクを見上げた。

『私、この事件を終わらせたい。もうこれ以上誰かが襲われたり、石になったり、……もっと酷いことが起きる前に全部終わらせたい。その為に…えっと、あなたの毒?が必要なら、分けてほしいわ』
『…お前は本当におかしな奴だ……我こそが秘密の部屋の怪物、穢れた血を襲った怪物だというのを忘れたか?』

バジリスクの低い嗄れ声が響き、レイラはむっと唇を尖らせた。バジリスクがあまりにも普通に会話をしてくれるから、少しだけそのことを忘れていたのは内緒だ。

『じゃあ、あなたにお願いするわ。もうこれ以上誰も傷付けないで』
『ならぬ』
『なんで!?』
『穢れた血をこの城から追放するのはサラザールとの約束であり、継承者がそれを望む以上我に抗う事は出来ぬ』
『じゃあ、じゃあやっぱり私は日記を壊したい。そうすればあなたは誰も襲わないんでしょう?』
『さてなぁ…人を襲うのは我の本能だ。継承者が消えても襲撃は止められぬかもしれん』
『そんなの、やってみなきゃわからないよ!』
『娘よ、少し落ち着け』

地団駄を踏む勢いで憤るレイラの頭にひんやりと冷たい手が乗せられた。驚いて振り向くと、トワが微笑みながらレイラの頭をポンポンと撫でていた。

『継承者が消えればこの部屋を開ける者はいなくなる。そうすればバジリスクは外に出ることはなく、人間を襲うこともなくなる』

言われてみればそうだ。ならやっぱり日記を破壊すれば事件は解決するということだろうか。

『バジリスク、どうだ』
『…………いいだろう』
『……!!ありがとう、バジリスク!』

バジリスクの了承の言葉を受け、レイラは感謝の気持ちを込めてもう一度ぎゅうっとバジリスクに体を押し付けた。トワはそんなレイラの姿を微笑ましそうに眺め、壁に並んだ飾り棚から試験管のようなものを取り出してきた。手のひらに収まる程の大きさのそれは、ただの試験管というには煌びやかな装飾が施された美しい品だった。

『さぁ、バジリスク』

トワに促され、バジリスクが口を開いた。太く鋭い牙がずらりと並んだ口が目の前で大きく開かれている様は本能的な恐怖を煽る。思わずびくりと震えるレイラの横でトワが牙の先端に小瓶を押し当て、明かりに照らされて何かがきらりと光って小瓶に落ちるのが見えた。カチ、カチ、と小さな音を立てて小瓶の蓋が閉じられる。

『あれを破壊するくらいならば一滴で事足りるだろう』

そう言って差し出された小瓶には液体が入っている。これがバジリスクの毒。レイラは緊張した面持ちでそれを受け取った。

『この瓶はそう簡単には割れることがないよう魔法がかけられているが、取り扱いは慎重にな。皮膚に触れるだけで瞬く間に毒が体内に侵食し、数分でその命を奪う』
『うん、ありがとう……あの、あなたは物にさわれるの?』

受け取った小瓶を丁寧にローブのポケットに仕舞いながら、先程から気になっていることを口にした。トワの体は半透明に透けているし、ゴーストとは違うと説明されたがレイラの認識ではゴースト、もしくはリドルと同じような存在だ。それなのに小瓶を持ったりレイラの頭を撫でたりと、まるで実体があるかのようだ。レイラの疑問を聞いたトワはくすりと微笑む。

『この部屋には私の力が満ちている。だからこそこうして姿を保てるし、物に触れることもできる』
『じゃあここの外に出たらどうなるの?』
『おそらく消滅するだろう』

「試したことはないがな」となんでもない事のように言ってのけるトワにレイラの方が驚いてしまう。ゴーストというのはもっと色々な場所を自由に行き来できるものだと思っていた。いや、ゴーストにもなれないと言っていたから、ゴーストより弱い存在なのだろうか。
分からないことが多すぎて、何が分からないのかもわからない。難しい顔でトワの言葉について考えていると、リドルが何かに気付いたように部屋の入口に顔を向けた。つられて同じ方を見るが、視線の先にはしっかりと閉じられた扉があるだけで変わったものはない。

「リドル? どうしたの?」
「なんでもないよ。──毒も手に入れたことだし、上へ戻ろうか」
「えっ、もう戻るの?」

まだこの部屋に来たばかりな気がする。もう少しバジリスクやトワと話をしたいというレイラの主張をリドルはあっさり「駄目だよ」と切り捨てた。

「善は急げと言うだろう? 手遅れになる前に日記を破壊しないと」
「手遅れって…そんなに心配しなくてもバジリスクはここにいるし、これ以上石にされちゃう人は出ないと思うよ?」
「僕が言っているのは日記の使用者のことだよ」

レイラはバジリスクに抱きついたまま首を傾げた。

「『記憶』は日記を使用する者の魔力を吸い上げて力を強くしていくんだ。魔力とは魂であり、命だ。それを全て吸い上げられたらどうなるか、言わなくてもわかるね?」
「そんな……」

青ざめたレイラに「大丈夫だよ」とリドルは目を細める。

「そうなる前に日記を破壊する事が出来れば使用者が命を落とすことはない」
「じゃあ急がなきゃ!」
「だからそう言ってるだろう」

そんな大事な話ならもっと早く教えて欲しかった。人の命が掛かっているとなれば、もっとお喋りしたいなんて悠長なことは言っていられない。

『また遊びに来てもいい?』
『……ここに出入りするところを見られ、あらぬ疑いをかけられても知らぬぞ』
『大丈夫、見られないように気を付けるわ。だから、ね?…… トワさんも、いい?』

両手を合わせて上目遣いに見上げると、トワは眩しそうに目を細めながら頷いた。

『あぁ、勿論だ。今度はそなたの食べられる物も用意しておこう。それと、私のことは呼び捨てで構わぬ』
『ありがとう、トワ』

レイラはにっこり笑ってもう一度バジリスクを見上げた。

『ほら、トワは来てもいいって言ってくれたわ』
『…………好きにしろ』
『うん、好きにする!』


リドルに急かされるようにしてバジリスクとトワに手を振り、レイラは再び扉を潜ってスリザリンの石像から秘密の部屋へ戻った。何本も連なる石柱の間を通りながら、そういえば日記の破壊とは具体的に何をすればいいのか教えて貰っていないことに気付いた。それに日記の使用者が誰なのかも聞いていない。今のうちに聞いておこうと口を開きかけた時、秘密の部屋の入口、分厚い石の壁が二つに割れるように開いた。

ゆっくり開いたその扉の向こうに立っていたのはレイラのよく知る赤毛の少女、ジニー・ウィーズリーだった。

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