17.はじまりのきみ
声が聞こえた方を見上げると、先程まで真一文字に結ばれていたサラザール・スリザリンの石像の口が大きく開けられ、ぽっかり開いたその穴の入口に女性が立っていた。

「二人が揃って顔を見せるのは随分と久し振りだな──ん?いや、以前会った時とは違うな…そなたに会うのは初めてか」

重力を無視したようにふわりとレイラ達の目の前に降り立った女性は二人の姿を見て目を細めて笑う。薄暗い部屋の中にも関わらず女性の白い肌と髪は月明かりに照らされたように淡く輝き、そのあまりに人間離れした美しさにレイラは怪物と対面するかもという恐怖も忘れて見蕩れてしまった。
大人のユニコーンは周囲の雪がくすんで灰色に見える程の白さだというが、目の前の女性の前ではそのユニコーンですらくすんで見えてしまいそうだ。

「そうですね、学生時代の僕の記憶は引き継いでいますが、僕≠ニして会うのは初めてになります」
「ふむ、なにやらややこしいことになっているようだな?」

リドルと女性が話すのをただ見つめていたレイラだったが、ふと疑問を感じて首を傾げる。リドルはレイラ以外の人間には見えないし声も聞こえないのではなかっただろうか。人間どころかゴーストや森に住む生き物にも見えていないと思っていたのだが。レイラが一人考えていると、女性はレイラの顔を覗き込むように顔を寄せた。

「どうした? 呆けた顔をしているようだが」

突然覗き込まれ、驚いて思わず逃げるようにリドルの背中に隠れるレイラを見て女性は長い睫毛に縁取られた瞳をぱちりと瞬かせた。

「えっと……あの、あなたはだぁれ? 秘密の部屋の怪物さん? それとも、ゴースト…?」

レイラは戸惑いがちに女性のぼやけた全身に目を向けた。女性の全身はリドル以上にぼやけて透けていて、今にも消えてしまいそうな程に儚い。怪物というには美し過ぎるが、人間ではないことは確かだ。

「もしや記憶がないのか?……まあいい、詳しくは中で聞こう」

女性がつい、と手を振り上げると石像の髭が音もなく動き、ぽっかり開いた口に続く階段へと姿を変えた。リドルは階段を上っていく女性の後を追うようにと促してくるが、不安過ぎて素直に付いていく気にはなれない。

「ちょ、ちょっと待って。あの人、誰なの?」
「心配しなくても部屋の怪物ではないから襲われたりはしないよ」
「じゃあ……ゴースト?」
「ゴーストにもなれぬ、謂わば残留思念のようなものだろうか」

階段の途中で振り向いた女性はそう言って自嘲気味に笑った。レイラはその言葉の意味が分からずに首を傾げた。

「ゴーストになるのには幾つか条件があるが、私はそれを満たすことが出来ぬ。ゴーストというのも烏滸がましい、存在の不確かな霧や霞のようなものだ」

いまいちよく分からないままだが、とりあえず彼女からは恐ろしい気配や敵意は感じられない。ならば大丈夫だろうか。レイラはちらりとリドルを見上げてから、意を決して階段を上った。


大きく開いた口の中にはグリフィンドールの談話室程の大きさの空間が広がっていた。壁には配管のような大きな丸い穴がいくつか空いていて、その中のひとつだけ美しい装飾の施された扉が嵌められている。女性はその扉の前で立ち止まり、埋め込まれたエメラルドに手を添えた。カチリ。小さな音が響いた。

「問題ないとは思うが、私が目を瞑れ≠ニ言ったら従ってくれるか?」
「……? はい、わかりました…?」

レイラが不思議に思いながらも頷いたのを確認すると女性は満足そうに微笑み、扉を開けた。扉の向こうは先程の空間より更に広く、学校の大広間が丸々入りそうな大きさだ。
明かりが届かない部屋の奥の方は暗闇に包まれていてどうなっているのかは分からないが、手前にはソファーやテーブル、本棚や家具が置かれて人が生活しているような空間が広がっている。

「飲み物や菓子のひとつでも出せれば良いのだが、生憎ここには生きている人間が食べられる物はないのでな。何も出せぬ無礼を許してほしい」

女性はそう言いながらソファーに腰を下ろし、レイラ達にも座るように勧めた。深緑色のソファーは見た目より固く、お世辞にも座り心地が良いとはいえない。

「さて、まずはそなた達の現状を教えてもらおうか。最後に会った時とは随分変わっているようだが、何があったのだ?」
「その前に教えてもらいたいのですが、貴女が彼女と最後に会ったのはいつですか?」
「十年程前だろうか。ここでは時間の流れというものを意識しないので正確な年月は覚えていないのだが……十数年前だな、この娘が誓いを反故にすることは出来ぬかと訊ねに来た日が最後だ」

リドルが自分以外の誰かと話している姿を見るのは初めてで、なんだか不思議な気持ちになる。何故かレイラ以外の人間には見えないはずのリドルと会話出来るのは、この女性がゴーストのような存在だからだろうか。
結局レイラはこの女性が誰なのか、どういう存在なのかわかっていないのだがはたして説明してもらえるのだろうか。レイラは頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら黙って二人の会話に耳を傾けた。

リドルは先程レイラに説明したようにレイラ・ダンブルドアが契約を破棄する方法を探そうとしたこと、周囲の協力で結界の中に保護されたこと、レイラが赤ん坊になったことを説明した。女性はある程度事情を把握しているのか、疑問も挟まずに話を聞き終えると「なるほど」と頷いた。

「何が起こって現在のそなた達がそのような状態になっているのかは理解した。しかし結界で拒むとは……随分と無茶なことをしたなぁ。あの契約は決して違えることが出来ぬと再三説明したはずだが」
「契約のことも知ってるんですか?」

思わず口を開いたレイラを見て女性はふわりと笑う。

「勿論だ。あの契約の結び方をそなた達に教えたのは私なのだから」
「えっ!」
「ああ、そうか。そなたは以前のことは覚えていないのだったか」
「……はい」
「そうかそうか、それでは改めて自己紹介をしよう。私の名はトワ。千年も昔に生を終え、今は残留思念のようにこの部屋に留まる存在だ」
「千年前って…じゃあ、ホグワーツが創られた頃の人ってことですか?」

レイラは目を丸くして女性──トワを見つめた。

「そうだ。行く当てを無くした私を迎えてくれた恩人、それがこの学校を創った四人の魔法使いだ。彼らとの日々は私が命を落とす時まで続いた。今でも忘れぬ、大切な記憶だ」

そう言ってトワは見ているこちらが胸を締め付けられるような顔で微笑んだ。

「命が尽きた後はずっとこの部屋に留まっている」
「んーと……じゃあやっぱりあなたが秘密の部屋の怪物さん?」
「いや、秘密の部屋の怪物と呼ばれているのはバジリスクのことだろう」
「バジリスク…」

初めて聞く名前だ。怪物に関する知識を一切与えずにここに連れてきたことに文句のひとつでも言いたいが、今は怪物が出てきて襲われるかもしれないという恐怖の方が勝っている。レイラは不安に揺れる瞳で隣に座るリドルを見上げたが、リドルの顔に怯えの色は一切見られない。

「バジリスクは『毒蛇の王』とも呼ばれる大蛇だよ。強力な毒牙を持ち、ひと睨みで生き物を即死させる眼光を持った危険な怪物だ。──でもレイラが襲われることはないと思うから、そんな不安そうな顔をしなくてもいいよ」

リドルはバジリスクの説明を聞き一気に顔を青ざめさせたレイラに「平気だよ」と肩を竦めてみせた。

「五十年前、君はバジリスクと随分親しくしていた。今更襲われたりはしないんじゃないかな」
「なんで……え、だってひと睨みで即死って…そんな蛇と親しく…?」

自分のことながら理解ができない。混乱してぎゅっと眉を寄せるレイラを見て、トワは可笑しそうにクスクス笑った。

「あの頃に比べて、感情表現が豊かになったのだなぁ。うむ、安心してよい。その者の言う通り、バジリスクがそなたを傷付けることはない」
「どうして?」
「色々と理由はあるのだろうが、一番はそなたに流れる二つの血だろう」

自分の中に流れる血。マルフォイ家ではない本当の′兼掾Bレイラはズキリと痛む胸をそっと押さえた。

そう、先程リドルが話したことを真実だと信じるなら、レイラはマルフォイ家の人間ではないということになる。どうして今レイラ・マルフォイとしてあの家で育てられているのかはわからないが、大好きなあの家族と自分は本当の家族ではないのだ。そのことを考えると大声で泣き喚いてしまいたくなるが、今はそんな場合ではない。レイラは小さく頭を振ってその事実を頭から追いやった。

「バジリスクは今もこの部屋にいるんですか?」
「あぁ。呼んでみるといい、そなたの呼び掛けには応えるだろう」
「えっ……」

襲われる心配はないと言われても、やっぱり怖い。

「ほ、本当に危なくない? 怖いこと、しない…?」
「どうだろうか。そうだな、本人に聞いてみてはどうだ?」

え、と思うより早くトワが口を開いた。

『バジリスク、話は聞こえているのだろう?』

シューシューという独特の音に応えるように、部屋の奥、光が届かない暗闇の中で何かが動く気配がした。レイラは咄嗟にリドルの体に隠れるように体を縮こまらせた。

『出てきたらどうだ? お主もこの娘には会いたがっていたではないか』
『……いたずらに怯えさせるのは本意ではない』

部屋の奥から響いてきたのは嗄れた低い声だった。怪物というと話が通じず暴れ回るだけのイメージがあるが、どうやらこのバジリスクという大蛇はまともに会話をすることができるらしい。それが分かると少しだけ恐怖心が薄れた気がした。

『バジリスクさん、あの……こんにちは。私、あなたとお話ししてみたいわ』
『呪われた血を継ぐ娘よ、お前は我を恐れているのだろう?』

「呪われた血を継ぐ娘って私の事?」と首を傾げながらも、レイラは暗闇に向かって頷いた。

『うん、すごく怖いわ。でも、……あの、私覚えてないんだけど、前にあなたとお話ししたことがあるんでしょう?』
『あぁ』
『なら、またお話ししてみたいなって思うの。あ、でも痛いことしたり、食べたりしちゃ嫌よ?』
『……お前のような娘を食べたら消化不良を起こしそうだ』

少しだけバジリスクの声に楽しそうな色が滲んだ気がして、レイラは「失礼だわ」と頬を膨らませながら笑った。直後、ゆっくりと暗闇から大きな影が現れた。

ここへ来る時に通った配管と同じくらいありそうな太く大きな体。今までに出会ったどの蛇よりも巨大で恐ろしく、毒蛇の王と呼ばれるのも頷ける。もし心の準備もなく対面していたら悲鳴を上げて気絶していたかもしれない。

『あなたが、バジリスク?』
『いかにも』

バジリスクはレイラ達の座るソファーから少し離れた所で止まり、それ以上近付いてこようとはしない。

『どうしてそんな離れた所にいるの?』
『周囲の様子がわからぬ。これ以上近付けばお前達を踏み潰しかねない』
『目が見えないの?』

先日会ったアラゴグは盲ていた。この大蛇も同じなのだろうか。そんなレイラの疑問に答えたのはバジリスクではなく、トワだった。

「バジリスクが望む望まないに関わらず、奴と目を合わせた者は命を落とす。あれはそういう生き物だ」

言われてバジリスクの顔を見ると、確かに瞼が閉じられていた。視線ひとつで命を奪うなんて恐ろしい生き物だと思ったが、それが自分の意思に関係なく起こるというのなら、恐ろしいと感じる以上に悲しいと思う。

『ねえ、近くにいってもいい?──あ、』

思わずそう言いながら立ち上がったが、今はトワとリドルの話の途中だったと気付いて口に手を当てた。そんなレイラを見てリドルは呆れたように軽く笑う。

「構わないよ。多分君は聞いていても理解できない内容だろうから」
「私がお話を理解できないのはリドルがちゃんと説明してくれないからだと思うのよ!」

むぅ、と頬を膨らませてもトワは面白そうに笑っているし、リドルも「そうかな?」ととぼけたように首を傾げるだけだ。レイラはぷいっとそっぽを向き「もういいわ。私、バジリスクとお喋りしてるから」と唇を尖らせて二人に背を向けた。

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