あの子の名前はおまじない
太宰くんには、"自殺癖"があるらしい。

最初それを聞かされた時は、なに言ってんだこの人、と思っただけだったけど。
でも実際に「川に入った」と言ってびしょびしょになって帰ってきた時に、わたしはああこの人そう言えば"太宰治"って名前だったなぁと思い出したのである。

太宰治と言えば、学校で一度は習う、所謂文豪、、と呼ばれる物凄く小説が評価された人で。
あんまりよくは覚えてないけど、確か何度も自殺にチャレンジし続けて、自分だけ生き残って、結局最後の最後でやっと成功して"死ねた"人だった筈だ。

代表作はなんだっけ。
確か、走れメロスとか、斜陽とか。
ああ後、人間失格とかもか。

走れメロスは授業の時に地味に盛り上がった記憶を思い出して、軽く笑ってしまった。
だってメロス、割りと何度か身代わりにした友だち見捨てようかなとか確か考えてたはずだ。
まあでも、それはどうでもよくて。

太宰くんは自殺が趣味で、よくボロボロになって帰ってくる。
それは服だったり鞄だったり服だったりで。
川なんかに流れた日にはお財布も流しちゃったりするもんだから、最初の頃はいちいち心配していたわたしも、最近だと太宰くんが濡れてると「お財布は無事?」だなんて確認をとってしまったりもする。

勿論太宰くんはそんな可愛げのないわたしにちょっと拗ねるけど。
でも太宰くんみたいなタイプの人は、構えば構うだけ「これをすれば構って貰える」と学習してしまうタイプだと思うので、本当に止めて欲しい事に関してはスルーするのが一番だと思うわけである。

つまり、本質的に構ってちゃん気質なのだ。
なのでわたしは、太宰くんの自殺には突っ込んであげたりはしないのである。
ああ今日も流れたの?とか、そのくらい。

だって別に、わたし太宰くんに死んで欲しくないし。
この世界の食い扶持だからとかそんなんじゃなくて、好きな人に死んで欲しくないと思うのは、まあ割りと普通なことかなと思う。

──一応補足すれば"好き"と言うのは恋愛感情的な感じの好きではなくて、普通に友愛的な意味の好きだ。
誰だって、友だちが死んだら寂しいし、苦しくって悲しいと思う。
特に今のわたしには太宰くんしか居ないわけで、そんな太宰くんが死んでしまったら、これからどうすればいいのかもわからない。

つまり、太宰くんはわたしにとっての命綱なのである。
だから、そんな太宰くんには、少しでも生きていて欲しいわけで。
だから──だから。

「……、ぅ、……っ、」

荒れる呼吸に、眉間に寄ったしわ。
時おり漏れる、呻くような、苦しそうな声。
それらがわたしに教えてくれるのは、太宰くんは今、魘されているということ。

「…………」

布団と言うのは割りと高くて、最初はわたしも二、三日で元の世界に帰れるとばかり思っていたから。
だから最初は、布団を譲るという太宰くんには遠慮して雑魚寝して寝ていたのだけれど。
だけど、いつの間にか起きたら太宰くんと同じ布団の中に抱き絡められていて。
初めの内は吃驚したけどその内に慣れてきて、今じゃあこうして自然と最初から自分で入るようになっていってしまってる。

布団の中に招かれるようになったのはいつからだっけ。
もう随分前過ぎて、よく覚えてないけれど。

「……だいじょうぶ。だざいくん、こわくないよ。だいじょうぶ」
「っ、……」

流石に枕はと買って貰った自分の枕から、太宰くんの枕へとずりずりと移動して。
そしてそのまま、魘され続ける太宰くんを腕の中へと閉じ込める。

少し浮いた首の下に腕を差し込んで、身体の上からも、腕を回して。
そうして頭を軽く撫でた後、背中を優しくさするようにぽんぽん、とあやしていく。
びくりと、腕の中で強張った身体が、小さく震えた。

「だいじょうだよ、ここにいるよ……。いいこだから、だいじょうぶ……」

小声で囁くように、そう口遊む。
声は大きすぎても起こしてしまうかもしれないから、このくらいが丁度いいんだと思う。
小さい頃に怖い夢を見たと泣く弟をあやしたことを思い出して、あの子は今、ちゃんとご飯を食べているだろうかとぼんやり考える。

ぐうたらな子だから、先にご飯を用意していないと、すぐ軽く済ませてしまおうとするのだ。
その分太宰くんは、せっかちな弟に比べるとちゃんと出来上がりを待てる子だから、良い子だなぁと思う。
──良い子って、一応、わたしよりも年上なんだけどね。

「……、…………」

呼吸に合わせて優しく背中をぽんぽんと擦っていれば、か細く震えていた太宰くんの呼吸が徐々に落ち着いたものになっていく。
ふっふっ、と揺れる寝息は、もう大分緩やかで。
これならもう大丈夫かなぁと、身体を離そうとしてみれば。

「──……」

ゆっくりと、量の多い睫毛に飾られた目蓋が、持ち上がって。
そうして夜空よりも昏く光のない瞳が、ゆるやかにさ迷いながら、ひたりとわたしの事を見詰めていく。

綺麗な瞳。
だけど、なんだか、迷子みたいに不安定だ。

ゆらゆらとさ迷うそれに、わたしはゆっくりと息をして。
今度は背中じゃなくて太宰くんの形の良い頭を優しく撫でて、こう言葉を口にするのだ。

「まだ、よるだよ。おやすみのじかん。こわいものはぜぇんぶたべてあげるから、もうちょっと、ねよう」

今は果たして何時頃なのだろうか。
天井寄りの壁に括り付けられた時計は、生憎とこの位置からじゃよく見えない。
だけど深夜であることはなんとなく察しが付いてしまうので、自分自身もうとうとと目蓋が重くなりながらも、早く寝かしつかさなきゃと太宰くんを甘やかしていく。

「いいこ、いいこ……」
「…………、…」

注ぎ込む様にそう呟けば、ゆるゆると瞳を伏せた太宰くんが、そのままわたしに寄り添ってきた。
ずるりと身体を落として、わたしの首の根元に顔を埋めて。
そうして、なにかを確認するみたいに、一度すり、とすり寄った後に深く深く息を吸い込んでいく。

吸って、吐いて。
そうしてまた深く吸って、ゆっくりと吐き出した。

徐々に重たくなっていくその呼吸に、わたしも合わせるように息をして。
そうして太宰くんの頭を抱き込むように腕を絡めて、指先で優しく髪をあやしていく。

良い子、良い子と呟きながら。
太宰くんは、やぁっと眠るのだ。




チンした小麦粉とバターに、牛乳をゆっくりと加えて、なるべくダマが出来ないようにかき混ぜる。
そうして出来るもったりとしたペーストを、胡椒とコンソメを混ぜてまた電子レンジで温めて。
そのまま出来たものを、十字に切り込みを入れてハムを乗せ、更にチーズをたらふく盛った食パンの上に、これでもかと塗りたくる。

そうしてトースターにセットしてる間に、目玉焼きを2つ、なるべく厚くなるように焼いていく。
わたしも太宰くんも、目玉焼きは半熟が好きだから、黄身は勿論したの方はぐじゅりと固く、天辺はぷるぷるの状態。

パンに取りかかる前に火に掛けていたコンソメスープの様子を見ながら、卵をフライパンから取り上げて、鍋の中をぐるりと回した。
そうしていると、チン、という音と共にオーブンの中のものが焼けたから、焼き加減を確認してそれぞれのお皿に取り分けていく。

その上にさっき焼いた厚めで黄身がつやつやした目玉焼きを乗せた後に、最後にもうちょっと胡椒を上から削り落とす。
そうしてそれとは別に、弱火で熱し続けてた鍋の火を止めて。
とろりと煮込んだ黄金色のスープを、深くて大きめの、取っ手付きのスープカップになるべく具が入るように盛り付ける。

そうして出来た料理を卓袱台の上に置いて、今度は番茶の用意をするべく、これまた火に掛けていたヤカンの方へと歩きつつ。
そろそろ起きて欲しいなぁと未だに布団の中に沈む太宰くんに、ちょっと大きめに声を掛けた。

「太宰くーん。朝ですよー。そろそろ起きなきゃまた遅刻しちゃうよ〜〜」
「……う゛ぅん…………」
「ちなみに今日のご飯は、クロックマダムっぽい感じのトーストにコンソメスープね。早く起きて顔洗って」
「…………とーすと」

茶葉を急須の中に入れて、沸騰したお湯を注ぎ込む。
最初の頃こそ太宰くんは朝ものを食べる習慣がなかったらしく──と言うよりも、朝食と言う概念にそこまで興味がなかったらしく、必要ないとまで言う始末だった。
実を言うとね、なんて勿体ぶって朝ごはんとか食べる意味わかんないと言われたのが昨日のことのよう。

ちなみにわたしは、朝ごはん絶対食べる宗教に入っておりまして。
その瞬間に戦いのゴングが勝手に鳴り響いたわけでありまして。

「そうトースト。とろとろのチーズと卵が乗ってて、美味しいよ」

朝ごはんがもたらす身体への優秀な影響を然り気無く説き、太宰くんの前でこれでもかと美味しそうに朝ごはんを食べて。
軽く興味を持たれた所から、じゃあせめて白湯くらいは飲んでみる?と、飲み物を飲むことから覚えさせ。
段々と胃を開拓し、今じゃこのくらいならぺろっと食べれるくらいにまで成長した。
これぞ食育、と思いつつ、でも舌が育ってない訳じゃあないんだよなぁといつも不思議に思う。

味を感じ分ける力はちゃんと持ってるのだ。
なのに、良いものをきちんと食べなければ育たない舌はちゃんと育ってるのに、食べることには興味なくて、好きなものしか食べてこなかったなんて。
なんというか、過程と結果があまりにちぐはぐだと思う。

なんせ隠し味にだってなんとなく気付く優秀な舌を持っているのだ。
なのに食べることに今まで魅力を感じなかったとか、味の素があれば全部誤魔化せるとか、どういうことだと思うわけである。

ちなみにわたしは味の素はそんなに好きじゃない。
だってあれ、人工的な味するんだもん。
なのでねだられない限りは、実は使ってなかったりする。

そんでもって、太宰くんは自分のことを全然話さないから、どういう人生を歩いてきたのか全くわからないけど。
でも、なんとなく、大変だったんだろうなぁとは、察してる。
と言うかまあ、こんなアグレッシブな不法侵入者を受け入れる段階で、かなり波瀾万丈な人生を送ってきているんだろう。
だって普通裸の女の子がお風呂場に登場したら、通報するか追い出すよね。

「ほーら、お茶淹れ終わっちゃったよ。ご飯冷めちゃう。ほらほら、起きて、顔洗って歯を磨いて」
「ん゛〜〜真弓ちゃんおこしてよ……」
「ええ〜〜? んもー」

宙を掻くようにぷらぷらと振られる両腕に、仕方ないなぁと呟いて太宰くんが未だに埋もれる布団の方へと近づいていく。
そうして、太宰くんの身体に股がるように立って、その腕をぎゅっと掴んで。
そうしてそのまま、後ろに重心を掛けるように引っ張り起こしていく。
ここまでしたら、後はちゃんと起きてくれる筈だ。

「ほら、起きて。チーズなんだから、固くなっちゃうよ」
「……そしたら、また温めればいいんじゃないの?」
「何事も適度ってものがあるの」

そこまで言って、まだうつらうつらと舟をこぐ太宰くんの前でしゃがみこんで、顔にかかる髪の毛を払ってあげる。
眠たげな顔は、そんなことをしてもちっとも覚醒する素振りがない。
困ったな、今日はだいぶお眠むだそ。

と言うか、やっぱりイケメンて凄い。
顔も洗ってないのに、朝からきちんとイケメンだ。

そんな、神に愛されし顔面力を保有する太宰くんに微笑んで。
数時間前の続きみたいに、その頭をゆっくりと撫でてあげる。

「──おはよう、太宰くん。よく眠れた?」

優しく問いかければ、閉じ掛けていた目蓋がふるりと震えて、薄く開いた。
そうしてゆるゆると持ち上げられる睫毛に、今日もたっぷり生い茂ってるなぁとよくわからない感想を抱く。

そうしてそこから覗く、光の差し込んだ、、、、、、、瞳に。
もう一度おはよう、と口遊んで、目にかかる髪を耳にかけてあげた。

「……うん。おはよう、真弓ちゃん」

しっかり起きた声。
それにわたしもゆるりと微笑んで、太宰くんの前でしゃがんでいた身体を起こしてく。

ちんたらと時間を過ごしていたせいで、多分もうチーズは固くなっちゃってるだろう。
これは時間配分ミスったなぁと、もうちょっと早く起こせばよかったとやや後悔しながらも卓袱台に戻って、スープの様子を確認する。
──大丈夫、まだ湯気、しっかりたってるや。

あ、そうだスプーン忘れてたと引き戸の方に行くわたしに。
蛇口を捻って、洗面所からばしゃばしゃと水の流れる音がする。
ついで、歯を磨く音を聴きながら、元気なのはいいこと、とわたしはにんまり微笑んだ。

身支度はぱぱっと済ませるタイプの太宰くんは、後数分もしない内にこっちの方に来るだろう。
だからその前に座布団をセットして、テレビのリモコンをピッとつけた。
──今日は良い天気だし、お布団と、後この座布団を干してしまおう。

「お待たせ」

そんなことを流れる朝のニュース番組をぼんやりと見ながら思っていれば、顔と歯を洗った太宰くんがさっき用意した座布団の上に腰を下ろす。
そうして卓袱台に並んだ食事に「美味しそうだね」と嬉しそうに笑うから、わたしも負けじと唇をつり上げた。

「「いただきます」」

今じゃ、すっかり朝の習慣となった、この挨拶。
しっかり手と手を合わせて呟いた後、早速と言わんばかりに大きな口でクロックマダムに齧り付く太宰くんに、わたしも真似するようにはむりと齧り付く。

表面はちょっと固くなってきてしまっているけど、中はまだきちんと温かくて。
とろりと舌の上でとろける食感に、我ながら中々に美味しく出来たのではと鼻高な気分だ。

わたしを見てなぜか笑う太宰くんに、なぁにと言葉を呟きながら。
じわじわと身体に沁み入るような感覚に、身体の内側から息を吐く。

健康な一日は、美味しいご飯から。
今日も一日、サボっちゃだめだよ、太宰くん。

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