ダイヤモンドの彼女

血筋や家系なんてものが売り捌けるなら、とっくにそうしている。

氷帝には中等部からいた。在籍はしていた、という微妙な言い方がしっくりくるだろう。
一応血筋だけは血統書つきの犬よろしく立派で、由緒正しき元華族の本家筋だ。
没落していた時期もあったものの、祖父が山梨で宝石商として大きな財を成し、宝石の特殊カットでいくつか特許を所得した。周囲に金属を極力少なくする石の留め方でも特許を得ており、そのデザインのジュエリーを販売するブランドを起こした。そこで母が世界に名を馳せるジュエリーデザイナーになってからは、金には苦労していない家庭と言えるだろう。

私を除いては。

諸事情で都内で一人暮らしをしている私は、ボロアパートで細々となんとか暮らしている状況だ。親からの支援はほぼ無いに等しい。
一代成金と虐げられ、コンプレックスに塗れた氷帝の生徒もいることを知っているので、そんな生徒に血筋が売れるならいくらで売れるだろうなあとたまに考えることがある。
そんなものは無駄でしかないので彼らに売捌きたい。血統書を1000万くらいで買ってくれ。超安値のたたき売りだよ、安いよ安いよ!へいどうだいそこのあんた!

つまり、そんなどうしようもないことを考えるくらい。汚れた制服をクリーニングに出す金も満足に無いのである。

べつに危害を加えてこようが、お嬢様達が嫌いなわけでは無い。むしろそこまで跡部が好きか、と感心してしまうこともあるほどだが、こういうときは恨めしく思ったっていいだろう。私は聖人ではないのだ。
踏み潰されて皮膚が擦り切れた指先に洗剤が染みて痛いし、あんまり擦ると制服の生地が痛むので裏側から地味にトントンと汚れを叩き出す作業はすごく苦痛だ。時間の無駄だし。
だいたい転ばせてのしかかるの、ゴミ捨て場じゃなくてもよかったじゃないか。制服に謎の液体を付着させてくるのは勘弁してほしい。
斎宮のお嬢様はこんな作業はしたことはなかろう。あんまり誇って言えることじゃないけどな。

汚れが落ちたかなあと思えるようになった頃にはすっかり制服は水を吸って全体的にビチョビチョになっていた。あーもうめんどくさい!
ドライヤーを全開にして、イヤホンを耳に突っ込んでローリングストーンズのブラウンシュガーを爆音で流す。リズムに合わせてドライヤーを動かすと少し鬱憤が晴れたような、ちょっと微妙な気持ちになった。人は誰しもこうして鬱憤をどこかで晴らして生きている。
そういえば、跡部はロックやパンクといった煩い音楽の類はあまり好んで聴かないと言っていた。跡部が生まれた故郷のイギリスはロックの聖地なのに、勿体無い。
彼が好んで聴くらしい優美なクラシックこそ私は苦手で、聞いていると小難しくて眠くなってしまう。あいつとは何から何まで趣向が合わない。

でもそんな男のことが、月島さんは好きなのだから、月島さんのためを思うとどうしようもない。月島さんに頼まれたことなど一度もないが、彼女のために私が何かをしたいのである。
跡部の取り巻きの女たちが跡部に執着しているのと同じように。
月島さんの茶色く、透き通るような大きな瞳は、何度見ても私をがんじがらめにするようにして離さない。
月島さん、すき。





「おはよう向日」
「お前‥大丈夫か?」
「朝一番に大丈夫かって一言はさすがに酷いよね。ロボットじゃないんだから別に故障してませんよ」
「そういうことじゃねーってクソクソ!」

くしゃくしゃと自分の頭上を引っ掻き回し髪をばさばさにした向日にお前の方こそ大丈夫かよと思いつつ、頭を撫でて手ぐしで髪を整えてやる。向日は私の息子か。つーかこいつなんで髪とぅるんとぅるんなの。

「昨日さあ、ジローの動画見たんだよ。髪引っ張られてただろ。あれ見てるだけで痛かった。染みたんじゃねえ?」
「あーうんそうなの。マジ痛かったしシャンプー染みた。でももはや日常茶飯事」
「あれに慣れるなよ‥帰るときも誰かと一緒に帰るように気をつけろ」
「一緒に帰ってくれる友達がいないんだけど」

ジト目で向日に現状を主張すると彼はかわいそうなものでも見るような、そう、スーパーに並んだ特価価格の痛みきったキャベツを見るような目で私を見た。とても失礼だ。
なぜ私に友達がいないのかといえば、私の性格が飛びぬけて悪いから、ということもあるのかもしれないのだが、中学入学当初はこれでも頑張っていたのだ。友達などまったくいらないと主張する中学生がいたならば、そいつは相当ひねくれている。
多少擦れてはいたかもしれないが、私はごくごく一般的な中学生であったはずなので、友達作りに勤しんでいた。中学に入ると同時に東京に越してきたので、浮かれていたせいもあったのかもしれない。高校デビューならぬ中学デビューがしたかったのだ。
しかし、擦れていた私より氷帝の女子生徒たちはもっと擦れていた。中学一年生にして、カースト格差があったことはもちろん、どのグループにいても金銭マウンティングが激しい。社交界に精通している生徒もいるので、おのずとそういった話が多くなってしまうのだろう。どこどこのブランドのものが素晴らしい、もう買った、どこに旅行に行った、どこの有名芸能人と-----------などという辟易する話題が多かった。この中で純粋な友人関係を築こうとするのは苦行に等しい行為である。
ブランド名に関しては、姉がそういったことに詳しいのでついていけた。おさがりもまあ多少はあった。しかし芸能人には興味がない。話題についていくためコンビニで芸能誌を立ち読みしてみたりした。顔の美醜というのは私にはよくわからず、曖昧に頷くことも多かった。が、ここまではなんとか形にはなっていた。
一番の問題はそんな友人たちとの外出時だった。
中学生にしてませた3-5000円のランチを余裕綽々で楽しむお嬢様たち。8万円のミュールを手に取り「名前さん、こちら買おうと思うんだけどどうかしら?似合う?」とマウンティングアルカイックスマイル(そのとき命名した)をある一人のクラスメイト-------お嬢様に向けられたとき、「おやここでは生きられない」とさすがに白目を剥いて根をあげたのである。何度も思い出したことだが、この当時、我々は中学一年生だ。
中学当時から変わらず、というかバイトもできなかったため今よりジリ貧貧乏どん底にいた私に5000円のランチが楽しめるわけがない。
そのあとは花の蜜を集める蝶のように、というと字面は大変美しいが、ふらふらとグループをいったりきたり。どこのグループにいてもそんなことを繰り返し、財布の紐が庶民感覚の生徒にようやくぶちあたったかと思えば成績のことで両親に責め立てられ精神を病んでいたり、性格が明るくて居心地のいい生徒にようやくぶち当たったかと思えば貧民街の乞食に施すように無邪気に金を恵まれたり。
良質な友人を作るのが難しすぎると匙を投げたのが中学二年のことだっただろうか。
血筋だけは氷帝に見合うお嬢様。さりとて中身はただの庶民。
憧れの月島さんをただ見続ける(ときにストーキングする)だけの日々。

月島さんはマウンティングお嬢様たちの中でも浮いていて。きっと本人もその状況を自覚しているだろうに、笑みを絶やさない。
彼女はいつだって、宝石のように輝いていた。

そんな中で向日と友人になれたのがどれほどの僥倖だったか、きっと向日には一生わからないだろう。
向日は中学生の時から悪い意味で闘争心むき出しのガキくさいときもあったが、無駄にマウンティングしたりしなかったし、下校時にコンビニで一緒にスーパーカップを買っても何も言わなかった。
むしろ当然のような顔をして、木のスプーンでおいしそうにバニラアイスを食べた。そのとき私はじんわりと涙した。庶民の男子って最高。

というわけで、私には友達といえる友達が向日、宍戸、芥川くらいしかいない。もちろん向日から派生した知り合いなので向日がナンバーワン親友の座に座っている。向日にそんなつもりはないだろうが。
全員跡部とも友達のテニス部なのは、まあご愛嬌ということで。

「おい、昨日大丈夫だったか」
「宍戸も私のパパかよ〜?心配してくれてありがとう。すき」
「うぜえ...誰がパパだよ一言多いんだよ苗字は」
「はっはっは」
「なんだよその笑いは」

宍戸は薄気味悪そうな顔をしながら私の顔や体あたりをなんとなく観察している。けがをしていないか気にしているのだろう。さすがは常識人の気にしい体質だ。
宍戸は口は悪いがとにかく優しい男で、何かと跡部の取り巻きに嫌がらせを受ける私を気にしてくれまくっている。じつは向日より宍戸に助け出される機会のほうが多い。間違いなく彼はよいパパになるであろう。

「そういやよ、東京ドームシティのアトラクション券あるんだけど。今度一緒に行くか?」

続けて宍戸はなんとなく、慰めるようにぎこちなくそう言った。

「え?宍戸とデートですか?」
「ちっげえよバカ。向日とかも一緒に決まってんだろ。長太郎も誘うからな」
「なんで東京ドームシティ」
「親戚が株主なんだよ」
「タダかよ。最高」

ぐっと親指を突き立ててニヤニヤすると、宍戸はさっそく向日を誘っている。
そのため私は教室の隅にきょろきょろと視線を動かすと、ぐったりと机に突っ伏して眠っている芥川がいた。

朝練後いつも樺地に背負われ席まで連れてこられる芥川は、常にその姿勢で寝ている。一番楽な姿勢らしい。
樺地は跡部に忠誠を誓っているようなので、芥川の傍にずっといることは出来ないだろう。芥川は万年眠り王子でいて将来はどうするつもりなのだろう。彼の未来が心配だ。

「芥川、芥川。起きて」
「ん〜」
「んじゃないよ。おきて」

椅子から引きずりおろさんばかりに芥川の体を揺らすと、すごく眠そうな顔をして芥川が起きた。糸のようにうすくあいた瞼の隙間。今にもまた眠りそうだ。
慌てて「遊園地いこっ!」と言うと芥川はゆうに三秒使ってゆうえんち、という言葉を脳内で咀嚼して理解する。

「遊園地!いくいく〜〜!!」

ガバリ!と音が出たのではないかと思うほど彼は勢いよく飛び起きて、茶色い瞳をらんらんと輝かせる。自分が楽しそうだと思った音には本当に現金な反応だよなあと感心してしまった。

「遊園地!どこの!」
「東京ドーム」
「いつ!」
「え、いつだろ...でも部活休みの日じゃない?日曜とか?」
「ええ!今行きたい!」
「無理でしょ....」
「じゃあいつ!」
「勢いすごいなおい...詳しくは宍戸に聞いて...」

宍戸ー!と飛びながら宍戸のところに犬のように向かっていく芥川をあっけにとられながら見送る。芥川は起きているときの熱量が半端じゃないから、ほかの時間は寝ていないと生きていけないのかもしれない。

「すんばらC〜!」

日程はすぐに決まったようだ。私のバイトの日程も聞いてほしいのだけど宍戸君。ばしばしと短いまつげを揺らしながら、瞬きでモールス信号のごときアピールを送ってみる。
あっ無視ですか、そうですか。





「おはようございます〜」

放課後暇なときは、だいたいバイト先にいる。時間制でなく歩合制の職場なので、シフトなどは特にない。いつ来るかは自分で決めている。
歩合制の内容は、自分が月にどれだけ商品を作れたかというものによる。
お客様からオーダーがあることも増えてきたので、実は結構忙しい。納期は大目に見てもらっているものの、欲しいと思っている人の手元に早めに届くに越したことはない。
メイン工房のほうに一瞬顔を出す。
そこでは職人たちが歯医者のようにぎゅるぎゅるとリューター音を響かせている。人によってはゴリゴリと金属を切断していたり、3DCADを動かしていたりする。
気難しそうな男ばかりのむさ苦しい工房だ。
彼らは挨拶と同時にこちらに一様に皆一瞬顔を上げて、ぺこりと頭を下げてきた。
一応ここでの私の扱いが社長の娘なのが笑える。まあ実際そうなんだけども。


私のバイト先は工房が一体型になったジュエリーショップである。

祖父亡き後両親が跡を引き継いだブランドであり、自由が丘にあるこのショップは旗艦店に近い役割を担っている。ブランド本店は山梨だが、東京でのメイン店舗といったところだろうか。
そこで倉庫に近い扱いになっていた一室を間借りして、自分の工房として出入りしている。
小さな部屋の中に小さなCADの機械、作業台などがすし詰めになっている。あとは壁一面に、天井近くまでルースの箱がべたべたと貼り付けてあった。
それは宝石商が来た時に取引して買ったものだったり、その昔祖父に連れられてミャンマーやインドで買い付けて来たものも含まれている。

宝石に囲まれて育ってきた。そしてそれはきっとこれからも。

数年後にはここにピンクダイヤモンドのルースが仲間入りするのかと思ったら、うっとりしてしまった。宝石は見ているだけで癒される。美しいもの、かわいいものは大好きだ。

いそいそと木の小箱を取り出す。祖父が昔使っていた展示用のルースケースで、気に入ったものを飾る時はこれを使っているのだ。小さな細長いクリアシールの上にピンクダイヤモンドと表記して、ぺたりとガラス面に貼り付けた。
自分のことながら気が早い。






「坊ちゃん」

ミカエルのしわがれた声が薄く響く。
跡部邸の中の屋内テニス専用ルームの中には、汗だくの男が一人佇んでいた。
狂気を孕んだ瞳は煌々と輝いており、容姿端麗で華やかな見た目とは裏腹に肉食獣のような尖りきった印象を与える。

「坊ちゃん、そろそろおやめに」
「はは....はははは....」

男の手は、握りこんでいたはずの真っ黒のテニスラケットを壁に勢いよく叩きつけた。べきり、と音を立て歪んだのは壁面だったのかラケットなのかは知れない。
瞬間さぁっと瞳から狂気が消え去り、深い青色の目の中には絶望が横たわっていた。

「あのラケット、捨てとけ」
「....かしこまりました」

ミカエルがそっと差し出してきた清潔な厚いタオルを握り頭の上にかぶせ、数歩歩く。

そして男は盛大に、獣のような咆哮をあげた。

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