06
「ねえ、柳くん」

苗字が俺を君付けで呼ぶときは、いい話ではないことが多い。彼女が俺にマトモな話をすることはほとんど無いが、それでも今回もいい話ではない。嫌な予感がしつつ、味噌汁をすする。インスタントのものなので、好みよりはいくらか味が濃い。
いつも俺たちの朝食のメニューはバラバラだ。俺は白米と味噌汁、おかずを一品つける。今日は焼鮭だ。
苗字は食パンの上に目玉焼きを乗せる。更にその上にソースをかける。
俺がもしそのパンを食べるとしたら、そこには醤油をかけるだろう。

パンの上に乗った目玉焼きを、それこそラピュタのパズーのように大口を開けて咀嚼しながら、苗字の視線はテレビに釘付けだった。彼女はこくん、と目玉焼きを飲み込むと、唐突にそれを口にした。

「サフランライスのパエリアが食べたい」

予想は当たったが全く嬉しくはない。

「……俺に、作れとお前は言う」
思わずため息をついた。
「え、ほかに誰が作るの。君がもこみちになるんだよ柳くん。レンジキッチン‥え、普通にレンジみたい…そんなに怒るなよ柳くんごめんって」
「苗字が作ればいいだろう。今日は講義もアルバイトもなかったはずだが」
「なぜ嫌いな料理をしなければならないのか説明して」
「むしろ何故、苗字が食べたいだけのパエリアを作らなければならないのか説明してくれないか。簡潔に」
「柳くんわたしはね、今日は一日星ドラをやると決めているの。今イベント中なの。昨日のバイトはそれを楽しみに頑張ったし、今日早く起きたのはイベントやりたいからなの。よってご飯は君が作ってくれ頼む」

苗字がこんなことを口にしたときは、指定のメニュー以外のものだと文句を言う可能性が高い。彼女自身が料理をするとも考え難く、一日ゲームに没頭すると宣言したからにはそうするだろう。
つまり俺が夕食を作らなければ、彼女は夕食抜きで夜を過ごす。パエリア以外のものを用意してもいいのだが、夕食中恨めしい顔で見られ続けるのも気に触る。またこの調子だと、昼食さえも摂らない確率は73%だ。
なんだかんだと、俺は苗字が俺の作った料理に対し美味しいね、と賞賛を口にするのが好きだったりするのだ。非常に認めたくないことだが。
パエリアは俺にとって別段好みのメニューではないし、苗字の言う通りの夕食を用意するのは何となく癪ではあるが、致し方ない。
パエリアを作ったことは今までなかった。これもいい経験だと思いなおすことにする。

自分の、この同居人に対しての甘さは一体なんなのだろうとたまに考える。
解を出すのは、またにしよう。

「部活が終わったら一度帰ってくる。そうしたらお前もスーパーに連れて行く。それまでに着替えておいてくれ」
「…ええ、めんどくさいっす…」
「一日外出しないのは、健康に悪いぞ」
「健康的じゃなくてもいいんですけども…」
「歯を磨いて顔も洗え。昼食もとれ。そうしないと俺はパエリアを作らない」
「そこ対価交換なんすか超やだ〜え〜その言い方超気に食わないけどわかりましたよ〜美味しいパエリアの為だし」

歯磨きも洗顔もしないのは流石に不潔すぎやしないかと思いつつ、返答は面倒くさがりな彼女らしい。ぶつぶつと文句を連ねる彼女を尻目に、淡々とひとり外出の準備をした。
パエリアに必要な材料、家の調味料で足りないものなども冷蔵庫をあけて瞬時に確認しておく。
そして教材を詰め込んだ鞄と、テニスバッグを手に取った。

「俺は出掛けるが、ちゃんとしろよ」
「はーい…」

今にも舌打ちでもしそうな恨みがましい視線をうけ、呆れながら彼女に手を振る。

「いってくる」
「てらー」

返事は短くても律儀に返ってくるのがまた憎らしいのだ。食パンを片手に振り返された手のひらを見ながら、そっと扉を閉めた。

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