08
「柳先輩、彼女さんと買い物っスか?」

へらへら、面白いものを見つけてしまったように冷やかしてくる後輩にため息が出た。
テニス部は揃いも揃って仲間の事情に関して首を突っ込みたがる傾向があるのは、ともに過ごした時間が長すぎるせいなのだろう。いっそ家族意識のようなものがある。
そういえばこの後輩とは生活圏内が被っていた。偶然にもスーパーで会ってしまってもなんらおかしくは無いのだ。
どう返したものかと無言になると、俺の脇腹を苗字の肘がつつく。俺よりだいぶ低い位置にある苗字の顔を見下ろすと、にやにやと気味の悪い笑い方をしながら彼女は嘯いた。

「やだ、柳ってばこんなかわいい彼氏がいたの?知らなかったわ〜紹介して?」

調子づいたそんな台詞に、思わずいつもの調子で手が出る。スーパー袋を手にしたままなので予測以上の勢いが出た。彼女の肩のあたりに硬いオリーブオイルの瓶がぶつかる音がする。「いっつぁ!」と苗字から聞いたことのないような悲鳴が上がったので慌ててしまった。これは100%俺が悪い。

「も、おま、おっま!信じられん!本気でいたい!やりすぎにも程があるだろ!」
「すまない、俺が悪かった」
「くそ、その涼しい顔での謝罪!将来ハゲる呪いかけた」
「構わないが?」
「効かないと思ってるだろ?物理的にわたしが抜くからな」

俺たちの小学生のようなやりとりを赤也が引き気味に、頬をややひきつらせて見ているのに気づき、口をつぐんだ。苗字もそれに気がついたのか、痛む肩を抑えながらも赤也にへらっと笑いかける。

「えっと〜きみは、柳の知り合い、なのかな?」
「っあ、そ、そうっす!柳先輩の、部活の後輩で、切原って言います」
「あ、そうなん、なんだ柳の彼氏じゃないのかツマンナイ」

面白がってまだそんなことを、ひょうきんにそう言ってのける苗字。
それに対し一瞬赤也が戸惑って視線をうろつかせた。

「ヘエっ?!ち、違うっスよ!俺は女の子が好きっスからね!」
「なんだ残念、柳と付き合ったら教えてね、祝福しに行くから」
「おい…苗字後輩をからかうのもいい加減にしないか」

もう今日何度目になるかもわからない溜息と呆れた声を零してしまった。苗字のこの、おそらく敢えての失言ぶりに。

「オリーブオイルをぶつけたわたしにその言い草はないだろ労われよ」

苗字は俺に恨みがましい目を向けてきた。
赤也は苗字の畳みかけるような勢いの喋りにすっかり飲み込まれているようで、対応しきれず目を白黒とさせている。俺も最初の頃は苗字の突拍子も無い会話についていけず、同じ思いをしたことがある。
今の赤也の様子は以前の自分を見ているようで、思わず目が遠くなった。こいつは少しばかり変わっているのだ。特に初対面の人間に対しては。
しかし恐らく彼女は根から失礼なわけではなく、わざとふざけてときには怒らせて見せて相手の反応を見ている。
その様子は、相手を信用に足る人間か見極めながら話す仁王とどこか被るところがあると最近気がついた。

「えっ、と、彼女さんじゃないんスか?」

赤也がまじまじと苗字を見てそう言うと、苗字はわざとらしく笑う。

「え?彼氏?オリーブオイルぶつけてきたのに?柳が彼氏とか笑っちゃう」
「オリーブオイルの件引きずりすぎだろう」
「まだ痛いんだからな許さないぞオイ。一週間は覚えてるから覚悟しとけ。あ、わたしは柳のはとこですどうも」
「えっえ!はとこさんなんスか」
「似てねえなって今思ったでしょ後輩くん。顔に書いてあるぞ素直かよ」

苗字の流れるようについた嘘に一瞬頭が白くなる。表情も変えず、事実であるようにつかれた嘘。

ただその後すぐ冷静になった。苗字と俺の関係は誰かに説明することが難しい、曖昧なものだ。
友人でもない、恋人でもない。知り合いというには少々親しすぎている。そもそも一緒に住んでいるのだから。
彼女がついてくれた嘘に、俺は感謝しなければならない。普段へらへらと調子よく笑い、抜けていて我儘で面倒くさがりで阿呆な割に、妙なところは気遣う繊細さが見える。
だから俺はズルズルこいつと一緒に暮らしているのだ。改めて俺は苗字の優しさに寄りかかっているのだと思い知らされる。彼女が家主。俺はただの居候だ。

ガサツで女らしいとは言えない。そのくせ暮らしの上で支えあいながらも引かれた一線は超えてこない。人としての繊細さをたまに感じさせる。
口から吐き出される我儘さえ、気を遣ってやっているのか、どこまで計算なのかわからないときがある。

「そんなわけでワシらは今から見ての通り夕飯にするけ、後輩君は柳に用事があった?」
「いや、からかおうと思っただけなんで、特には…でも一緒に家で飯作って食べるとか、仲良いっすね、へえ、いいじゃないっスか〜」
「切原くんだっけ?なかなかな性格してんなきみ」
「それほどでもないっス」
「褒めてねえよ」

ほら柳帰るよ、そう促され動き出す。オリーブオイルや米を詰めたスーパー袋が疲労で重く感じた。

「赤也、気をつけて帰れよ」
「柳先輩と彼女さんも!おしあわせに!」
「赤也、あとで覚えていろ」

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