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じっとり、背中に嫌な汗をかいている。気温のせいではない、汗。冷や汗、と一言で言うのは簡単だ。それに加えて気持ち悪くて、胸のあたりに重しが入ったような感覚に陥って。

自分の呼吸が、心なしか荒くなった。

(見られてる......)

新学期入って間もないのに、この奇妙な感覚が付きまとって消えない。

こわごわと後ろを振り返る。
そこには、いつもと変わらない朝の風景が広がっていた。
人がたくさんいて、誰が私を見ていてもおかしくはない。
けれど、もしかしたら誰も見ていないのかもしれない。

駅のホームの喧騒。つきん、と耳鳴りがした。三半規管がおかしいみたい。ぐらぐらする。目の前の景色が、フレームに入ったそれがガタガタと揺れる。
泣きたい気分だった。生理前で情緒不安定なだけなのかもしれない。

そう、そうやって、今までも言い訳してごまかしてきた。

季節も問わずこの感覚が3年以上も続いているかもしれない事実には、今日も見て見ぬふりをして蓋をする。
引っ越しでもしたら変わるんだろうか。家を出る時間を変えれば。根本的な何かが変われば。

もう、分からない。何も。考えたくない。

私の朝は、毎日のように不安定さから始まる。




Azalea




「おはようございます....」
「あら、またなの?顔が青いわね」

ちょっとふくよかで、いいお母さん風の容姿をした保険医の朝ちゃんは呆れた口調でそう言って、「一応ね」と体温計を手渡してくれた。
本当に....高校に入学してしばらくしてから、私は耐え切れないほど具合の悪い朝が増えた。中学後半からこの気持ち悪さは感じていたものの、ここのところそれは顕著だ。
登校の時間をずらせば変わるのかもと思いながらも、家族全員朝は早起きで同じ時間に揃って家を出る習慣があるのだ。私もずっとそのルーティンで暮らしてきたので、一朝一夕で変えるのも難しいとなんとなく思いながらここまできてしまった。早起き主義のお父さんのことが恨めしい、と逆恨みしてみたり。

よって私も、朝練のある運動部の人たちとそう変わらない時間に登校していた。

駅のホームではじっとり背中が汗ばんで、すごく不安になる。ひとりでいると余計にそうだった。

帰りはそんなことはないし、教室にいるときもそんなことはない。朝だけなのだ。

通学鞄をどさっと床に下ろして体温計を脇の下に挟む。
どうせ熱がないなんてことは分かっているのに、くらくらした。

「具合悪かったらしばらく寝ててもいいけど、授業には出なさいね」

朝ちゃんは異様に設備のいい、氷帝学園の医務室の大きくて高そうなベッドを指さす。
このセリフを聞くのも何度目だろう。もう回数を数えることもやめてしまった。
「はーい」と適当に返事をしたところで、ぴぴと体温計が鳴る。
やはりそこには35.8と表示されていて、なんで熱が出ないんだ自分...!たまには授業サボらせてくれよ頼むから...!と拝み倒したくなる数字が表示されている。

気持ち悪さを誤魔化すようにくるくると医務室の黒の丸椅子を回していると、朝ちゃんから微妙な顔で「何してるの、どうせ熱なかったんでしょ...寝ないならはやく教室いきなさい」と促されてしまった。

溜息をついて医務室のドアを閉め外に出た。窓から見える天気は快晴だ。
教材を詰め込んでいないぺらぺらのスクールバッグがやけに重く感じる。




「おはよう不健康児」
「おはようございます...」

高校1年もそろそろ後半と言う時期に差し掛かってくれば、自分に話しかけてくるメンバーはだいたい決まってきている。
わいわいと騒ぐ女の子の中の一人としてグループに紛れれば、少しほっとした。
みんなといるのは好きだ。不安を消してくれるから。気持ち悪さが消えていく。
誰かと一緒に登校したら朝の不愉快さも違うのかもしれない、とも考えたこともある。それでもずっと1人登校だったのは、このメンバーの中に私と同じ方面から電車に乗る子がいなかったのが理由として大きい。

しかし何より「誰かにずっと見られてる気がする」なんて言って自意識過剰だったらと思うのが怖かった。
なんなのだろう、この体調不良は。低血圧?貧血?どれでもない。

「顔色悪っ!青っ!」
「不健康児ですからー」
「しかも朝だけとか」

けらけらとみんなが笑い飛ばしてくれるからすっきりした気分になった。


大丈夫、なんだ今日も笑えてるじゃん。




「.....ッ苗字!」
「!はい!」

1限目、青い顔のままぼうっとしていたらしく先生が「保健室行くかー?」と心配してくれていた。やばいほんとに意識飛んでた。

「いや、大丈夫です...」

クラス中のみんなの視線を感じる手前居心地悪くもぞもぞと椅子の上で身を小さくさせれば、黒板の文字をきちんと目が認識してぎょっとした。
2学期の新しい委員長決めをしているところだったからだ。
氷帝では一学期ごとに委員長副委員長を変えなければいけないという面倒な決まり事がある。
不真面目になりきれず成績も割とよく、誰からか頼みごとをされるとノーと言えない性格が災いしてか、去年も3学期の委員長に任命されてしまって面倒だったことを思い出す。

1学期はなんとかクラス委員を回避できたものの、今回も勝手に誰かが推薦したのか黒板に書いてある私の名前が見えた。

「2学期は大変だよ〜?委員長なんかになっちゃうと」

いつもツルんでいる女子たちのひとりである日名子は隣の席で、にやにやと面白そうにこちらを眺めていた。

「私を推薦したのって日名子?」
「やだー聞いてなかったの?もしそうだったらどうする?」
「覚えてろカバンの中に板チョコ突っ込んでチョコまみれにしてやるからな・・・!」

くわっと噛みつかん勢いで抵抗したはいいものの鼻であしらわれた。畜生本当にやってやるんだからな。

結局私は副委員長に任命されてしまった。委員長は私を憐憫の目で見つめてきた高梨くんがやってくれることになった。ありがとう高梨君、君の眼鏡が私も好きだよ。

夕暮れ、帰宅部の私は友達と別れて帰路に着く。まだじとっと汗ばむ季節でも、朝のような鳥肌の立つような寒気はとうに消えて無い。

学校が休みの日、別に家から出なければあの視線は感じない。
本当に朝だけ、学校がある日の駅のホームから学校までの距離だけなのだ...あの違和感と気持ち悪さは。


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