不安定で、曖昧な
『失礼しまーす。おはようござい…ます、』
「おはようございます、花莉さん。」
朝、登校して応接室の扉を開けると委員長と小さな赤ちゃんがこちらに視線を向けた。ペコリと丁寧にお辞儀をする彼に私も自然と頭を下げる。
『風……くん…さん?でしたよね?』
「ええ、こちらの世界では初めましてですね。改めて風と申します。お好きなように呼んでください。」
『あ、初めまして。星影花莉です。』
リボーン君とは違った大人の雰囲気に思わず敬語が出てしまう。赤ちゃんにしては落ち着き過ぎているし、誰かに似ている気がいる。
「…話は終わり?」
「ええ、このボスウォッチをつけていて下さい。これが参加している証になりますので。」
『…!』
あれは、尾道さんが皆に渡していたボスウォッチ。それを風さんが委員長に渡しているということは委員長が風さんの代理になるということ。リボーン君やディーノさんの頼みは断っていたのにどうして。
「それではよろしくお願いします。明日から始まりますので。」
「約束は守ってね。」
「もちろんです。」
風さんはお辞儀をして応接室を出て行った。なんだかもやもやしてすぐに言葉が出なかった。リボーン君やディーノさんの頼みを断っていたから心の何処かで委員長は代理戦争に参加しないのだと安心していた。何故風さんの頼みは受け入れたのだろうか。まさか何か特別な理由があるのか?
「何突っ立ってるの。」
『あっ、はい!』
私はスクールバッグをソファーの横に置き、朝の仕事に取り掛かった。朝の時間に委員長から代理戦争の話が出ることはなく、いつも通りの時間を過ごした。
『はぁ…、』
「8回目。」
『え、何が?』
「ため息だよ。今で8回目。」
昼休み、友人とお弁当を食べていたが朝の出来事が忘れられず気持ちが重たかった。それがどうやら態度に出ていたらしく友人に指摘される。
『ごめん、無意識だった。はぁ…、あ、』
「どうせ雲雀さんのことでしょ?何?喧嘩でもしたわけ?」
『け、喧嘩はしてない。私がだいぶめんどくさい女になってるだけなんだよね…。あー、めんどくさいのは好きじゃないのに。』
「あー、はいはい。恋愛特有のやつね。いつか乗り越えられるよファイト。」
『雑すぎない?泣きそう。』
とは言うものの私がうじうじしていたところで何も変わらないのだ。委員長が代理戦争に出るか出ないかは私には全く関係のないことで、止める権利すらない。それなのに出て欲しくないなんて私の我儘に過ぎないのだ。
「あんたら付き合ってるんだよね?」
『付き合う…?』
「え?付き合ってないの?」
付き合う、お付き合いをする、つまり彼氏彼女の関係になるということだろうか。私達はそんな明確な関係ではない。思いは同じかもしれないがそれが名前のついたはっきりとした関係かと言われれば否。それに彼はきっとそんなものに縛られたくはないだろう。
『付き合ってないよ。』
「その曖昧な関係に不安になることはないわけ?」
『うーん、』
友人の質問の答えは出てこなかった。不安と言われればそうなのかもしれない。でもこの関係性に名前をつけたいかと問われればそうじゃない。委員長との距離感が変わらないことを願うばかりなのだ。
「前途多難だねえ…。」
そんな友人の一言も、もやもやと考える私の耳には入ってこなかった。
***
「花莉。」
『っはい!!』
「何回呼んだと思ってるの。」
『すみません…。』
ダメだ、委員の仕事も全く身に入らない。委員長が呼んだ声にすら気づかないなんてダメダメ過ぎる。委員長を見れば小さなため息を溢し、椅子から立ち上がっていた。やばい、咬み殺される。すたすたとこちらに歩いてくる彼の方を向いてぎゅっと目を瞑り、トンファーの衝撃を待った。我ながら潔い態度だと思う。しかし私に待っていたのは鋭い痛みではなく、こつんと額に温かな何かが当たった感触。そっと目を開けると思ったより彼との距離が近くて心臓がどきりと跳ねた。
「熱はないみたいだね。」
『な、殴られるかと…、』
「僕をなんだと思ってるの?」
鬼…という言葉が危うく出そうになったが、グッと抑える。まさか心配してくれるなんて思いもしなかった。彼は私からゆっくりと離れていく。
「体調がすぐれないなら帰りなよ。」
遠ざかるその背中に手を伸ばして掴んだ。昼休みあんな話をするものだから急に不安になったのだ。不安定で曖昧な関係なのは知ってる。この人の気持ちがいつ離れていくかなんてわからない。
「…、」
『なんで…、なんで代理戦争に出ることにしたんですか…?ディーノさんとリボーン君のお願いは断ってたのに…。』
「赤ん坊のチームには咬み殺したい奴が多いから。」
『………え?』
「あと赤い彼のチームには僕しかいないから群れずに済むんだよ。」
『そ、それだけですか?』
「他に何があるの?十分な理由でしょ。」
『な…なんだぁ…。』
委員長らしいと言えば委員長らしい理由だった。リボーン君のチームには綱吉君やディーノさんもいるし、群れることが嫌いな委員長にとって、チームが委員長のみというのは断る理由がない。ただ一番好条件だっただけなんだ。ああ、もやもやして損した。
「まさか今日はそんなこと聞けなくてうじうじしてボーッとしてたんだ。」
『あ、あはは、そういう日もありますよ。』
「咬み殺す。」
『いだだだだだ!!!』
委員長に頭を掴まれ、危うく握り潰されそうになる。わりとすぐにその手は離されるがじんじんと痛い。
『頭割れた…。』
「割れてないよ。」
トン、とおでこを弾かれる。それは先ほどよりもずっと優しくて、この時間が何よりも愛おしく感じた。
『委員長、怪我しないでくださいね。』
「いらない心配だよ。」
大丈夫、まだ曖昧でいいよ。