黒いルフの誘い

漆黒の髪が揺れる。

血色の瞳が見据える。

黒ルフが彷徨う。

「ここはやっぱ綺麗過ぎんだよ。シンドバッド。」

色素の薄い唇が弧を描いた。

***

「莉亜!もっと打ち込んでこい!相手の隙をつけ!」

『はいっ!!』

日も昇りきった午後。私は師匠に稽古をつけてもらっていた。私の腕はまだまだで、直すところばかり。今日へとへとになるまで修行した。

「うし、今日はここまでにすっか!」

『はい!ありがとうございました!』

「おう。ところで莉亜。今日は右目の調子がわりーのか?」

『えっ、どうしてわかったんですか!?』

「微妙に右へと攻撃の反応が遅れてたからなー。まぁ、そんなに支障はないと思うけどな!」

『そうですか…。ありがとうございます!』

「おう!じゃあ今日は俺と飯でも行くか!」

『すみません。この後はマスルールさんとの約束があるんです。』

「んだとぉ!?マスルールやつ意外と攻めるじゃねぇか……。」

なんて談笑していると、突然大きな魔力を感じた。その直後にシンドリアの周りに張ってある結界が壊れ始めた。

「!!結界が…!」

『どうして…!?』

「王様んとこ行くぞ莉亜。緊急事態だ。」

『っ、はい。』

一体この国に何があったのだろうか。シンドリアに張ってある結界はヤムさんが張ったもの。ちょっとやそっとじゃ壊れるものではない。それがこんなにも簡単に壊れてしまった。南海生物を初めて見たときの恐怖とは比べ物にならないくらい恐怖を感じた。

「王様!」

「シャルルカン、莉亜と一緒だったか…良かった…。」

王の元へ行けば、八人将が全員揃っていた。皆が神妙な面持ちで、思わず唾を飲む。

「おいヤムライハ。何があったんだよ!」

「何があったも何も何者かに壊されたのよ。この国を守ってた結界を。」

「んなことわかってんだよ!一体誰が…っ、」

シャルルカンの言葉が最後まで紡がれることはなかった。ぺたりぺたりと裸足で歩くような足音が唐突にシンドバッド達の近くで聞こえたのだから。その瞬間シャルルカンは莉亜を自分の後ろへ隠す。その行動にシンドバッドはホッとする。

「よぉ、シンドバッド。」

「っ、ジュダル…!!」

師匠の背中で誰が来たのかわからない。しかし相当すごい人が来たのはわかる。何故ならこの場の空気が今までで一番ピリピリしているから。

「久しぶりじゃねぇか!元気だったか〜?」

「何の用だジュダル。」

「おいおいそんな怖い顔すんなって!別に戦いに来たわけじゃねぇよ。」

ジュダルはさらに近づき、シンドバッドの真横を通る。そしてシンドバッドにしか聞こえないようにそっと囁いた。

「今度は何を考えてるんだシンドバッド?」

「っ、」

動揺したシンドバッドにジュダルはほくそ笑み、さらに足を進めた。八人将はそれぞれ戦闘態勢に入ったが、全て無駄だった。彼は瞬間移動をし、シャルルカンを吹き飛ばす。

「ぐあっ!!」

『っ、師匠!!』

「みーつけた。」

黒いルフが目の前を羽ばたいた。まるで時間が止まったのかのようだ。漆黒の髪に赤い瞳がよく映える。

『っ!!』

突然右目に熱を帯びた。何が起きているのかわからない。この人は誰なの。どうしてこの人のルフは真っ黒なの。

「あ?お前…、」

『っあ、』

「ユリ…?お前ユリか…?」

ジュダルさんは目を丸くして、私に手を伸ばす。この人は私を誰と間違えているのだろうか。確かにジュダルさんは私をユリ、と言った。

「お前生きてたのかよ!死んだかと思ってたんだぜ!」

『ひゃあっ、』

「!?っジュダル!莉亜を離せ!」

「うるせえな。俺は今カンドーの再会をしてんだよ。黙ってろ。てか莉亜って誰だよ。」

『離してっ…、』

ガバァっとジュダルさんに抱き着かれ、息が詰まった。ぎゅうぎゅうと体を締め付けられて苦しい。

「白龍も紅炎もお前のことずっと探してたぜ!あの夜お前の死体だけ見つからなかったからよぉ!」

『やめてくださいっ、私は貴方達なんて知らない…っ!!』

莉亜は精一杯の力でジュダルの胸板を押し返す。莉亜の言葉に動揺したジュダルは簡単に莉亜から離れた。

「何言ってんだよユリ。」

『私はユリじゃないです。貴方と会ったのもこれが初めてです。』

「ユリじゃない…?んなわけねーだろ。会ったのはチビの頃だから容姿は変わってるけど、ルフは同じだぜ?お前のルフ、他とはビミョーに違うんだからよ。」

他とは違う、そう言われてギクリとした。そして同時に悲しくなった。ジュダルさんは変わらず不気味な笑みで私を見下ろしている。

「莉亜のルフは私達と何も変わらないわ!!」

『ヤムさん…、』

「普通の魔導士にはわかんねーよ。それにお前の右目、一番魔力を感じる。ま、どーでもいいや。」

ジュダルさんは私の胸ぐらを掴んで自分の方へ近づけた。赤い瞳には情けない私の顔が写り込んでいる。

「莉亜を離せジュダル!」

「何言ってんだよシンドバッド。今日はこの国の違和感を確かめに来たんだぜ?こいつをこのまま離すわけねぇだろ。」

『ひっ…、』

ぬるりとした感覚を頬に感じる。ゾワァ…と全身に鳥肌がたった。

「っ、貴様!!」

「双蛇標<バララークセイ>!!」

「おっと、」

『ひゃあっ、』

ジャーファルさんはジュダルさんに攻撃を仕掛けるが、あろうことか彼は私を米俵のように抱えて避けた。そしてそのまま浮遊魔法で上空へと移動する。

『離してくださいっ、』

「ばーか、誰が離すかよ。」

「っ、憤怒と英傑のジ…、」

「シン!ここで金属器を使えば国民を巻き込んでしまう!!」

「そこのやつの言う通りだぜシンドバッド。お前は気をつけるだろうが俺はわかんねーよ?」

ケタケタと笑うジュダルさんに酷く憤りを覚えた。この人は誰が傷つこうが関係ないのだ。だけど王様は違う。誰よりも国と国民を愛しているから、私となんて天秤にもかけられない。ならば私も抵抗すれば国民を巻き込んでしまう。私に選択の余地なんてないんだ。

「じゃあなシンドバッド!」

『っ、王様ぁ…っ!』

「莉亜!!」

ああ、どんどん地上が遠くなっていく。私は殺されてしまうのだろうか。せっかく三ヶ月も修行したのに、向こうの世界の手がかりも見つけられないまま私の人生は幕を閉じるのか。

そんなことを考えていると、空にふよふよと浮かんでいる絨毯が目に入った。その絨毯は何とも煌びやかで、そして<煌>という文字が縫ってある。私はその絨毯の上に投げ捨てられた。なんて乱暴な人なんだ。

「あー疲れた。」

『…、』

正直、今は魔法の絨毯に乗っているという興奮が恐怖に勝っている。魔法の絨毯なんて一般人にとっては永遠の憧れだろう。私も浮遊魔法は覚えたけれど、魔法の絨毯と飛ぶのではわけが違う。

「おい。」

『っ、は、はい!』

「俺のそばに来い。」

『い、嫌です。』

「は?」

私が逆らったのが余程気に食わなかったのか、ジュダルさんはまた私の胸ぐらを掴んだ。

『んっ、くるしっ…!』

「昔はもっと仲が良かったのによぉ。本当に全部忘れちまったのか?ユリ。」

『私はっ、ユリじゃないっ…!』

ジュダルさんの腕をグッと掴み返し下に下げた。私だって常人ではない力を持っているのだ。魔法を使って強化をしていない腕ではない限り勝てないことはない。

「この馬鹿力も変わんねぇのに。」

『けほっ、だからっ、私は莉亜です!人違いです!!』

「はいはい。まぁどうでもいいや。今日はお前を見て来いって言われただけだし。」

『どうして私なんですか。』

「お前が一番わかってんじゃねぇの?他とは違うって。お前のルフ気持ち悪いんだよ。生温い、白過ぎるルフ。マギでもないのにルフから愛されてる。」

『でもヤムさんは特に変わりはないって…!』

「さっきも言ったろ?普通の魔導士にはわかんねーって。」

ジュダルさんは楽しそうに笑っている。そんなジュダルさんと対照に、私はきっと青ざめているのだろう。

「ユリじゃなかったらお前は誰なんだよ。」

『そんなの…、』

私が一番聞きたいよ。とは言えなかった。私の素性は話さないと王様に約束したのだ。

『私はただの食客です。私をどうするつもりですか。殺すのですか。』

「殺すって言ったらどうする?」

『全力で抵抗します。私にはやらなければならないことがありますから。』

「!!はははっ!…気に入った、お前煌帝国来いよ。」

『は!?』

「どうせうちの親父達もお前のこと気になってたみたいだし、俺もお前のこと気に入ったしよ!」

『私は煌帝国には行きません!』

「お前の意見は聞いてねーから。」

ダメだ、この人は私の話なんて聞くつもりないんだ。だったら私だって反撃してやるんだから。

『さ、さっきから私のことばかりですけど、貴方は一体誰なんですか?煌帝国とどういう関わりがあるんですか?』

「ホントに忘れてんのかよ…、」

『だから、』

「あーはいはい。仕方ないから教えてやるよ。俺はジュダル。マギなんだぜ。」

『まっマギ!?』

「おー、すげーだろぉ。」

マギとは世界に三人しかいない、ルフの加護を受ける創世の魔法使いのこと。そんなすごい人がこの人だって言うの?それに煌帝国の神官って…。

『マギってルフが黒いんですか…?』

「!!お前ルフが見えんのか?」

『!…あ、いや…えっと…』

しまった。自ら墓穴を掘るなんて。ジュダルさんは先程より笑みを深くしていた。

「まぁ、ルフが見えるのはそんな珍しいことじゃねーよ。魔導士の素質のあるやつなんて探せば見つかるからな。」

『そ、そうですか…、』

「ああ、さっきの答え言ってないな。マギが全員黒ルフなわけじゃねぇ。黒いルフは堕転した証拠。」

『堕転?』

「堕転は「運命」に逆らった証拠。その時、ルフが黒くなるんだぜ。人間が自分の運命を恨んだ時が多いな。それが堕転。」

『運命に逆らう…。』

ジュダルは莉亜の頬に手を滑らせる。その行動にビクリと体を揺らしたが、血のように赤い瞳からは目が離せなかった。

「お前も堕ちて来いよ。」

『な、に…っ、』

「お前にも受け入れられない運命があるんじゃねーの?」

『…っ、ないです!』

「本当に?」


『お母さん!!お父さん!!助けて!!』

『どうして私なの…!帰りたいよ…!』

『こんな運命なんて受け入れない。』