夢見る蝶

 ざあざあと降り続く雨にルキウスは思わず息を吐いた。
 これから仕事で出かけねばならないというのに、この調子ではもう暫く止みそうにない。止むのを待っていたらきっと日が暮れてしまうだろう。
 ——転移のプリセプツを使えばいいのだけれど。瞬間移動を可能にするあの術であれば天気も時間も関係ないし、ジャンナの教会から辺境の村まで瞬時に移動出来るのだし。
 ただあの術は本来強力なものだ。慣れていないと気分が悪くなることはある。頭痛や吐き気の症状が出て苦しむこともある。ずっと訓練してきたルキウスはもう体が慣れてしまって体調に変化はないけれど。
 ふわりと体が浮遊するような感覚。瞬きする間にガラリと変わる景色。それだけでも脳が混乱するしプリセプツに耐性がなければ更に影響を受けてしまうのは理解出来る。

「クロシェットは転移のプリセプツが苦手なんだろう?」
「……恥ずかしながら。自分で使おうにも習得できなかったし、ルキウスに連れて行ってもらったときも気持ち悪くなってしまって。どうにも向いていないみたい」

 自分一人であるのなら何も気にせずプリセプツの力に頼ったのだが、クロシェットが同行するとなれば話は別だ。
 彼女に苦しみを与えたいわけではないし、わざわざ苦痛を伴う手段を選ぶ必要もない。仕事とはいえ急ぎというわけでもないし。雨の中の移動は少しつらいな、とは思うがクロシェットが体調を崩すことに比べればましだ。

「……ルキウスの負担になりたくはないのだけど」
「負担だと思ったことはないよ。クロシェットは……その、ボクの出自を知っても変わらずに接してくれた数少ない相手だし」
「私がこれまで見てきたルキウスの姿が偽りだとは思えないから。それに、いつかはどんな出自でも種族でも手を取り合えるような世界を目指すのでしょう?」

 教皇——ルキウスにとっては父であったその人が亡くなってから一年。異端審問会を解体したことへの反発は今も根強い。教会は市民をリカンツから守る気はないのか、なんて言われたこともある。
 レイモーンの民も今までの仕打ちも恨みも忘れてはいないと共存を拒絶している者も多いという。そちらはひとまずヒトとレイモーンの民の架け橋になろうとしているフォレストに頼りきりにしてしまっているけれど、差別をなくすことは想像以上に難しい。
 そんな中でルキウスがレイモーンの民の血を引いていると知っても態度を変えないクロシェットのような相手は本当に貴重だった。尤もその事実自体、ルキウスが信頼に足ると判断した一部の人にしか明かされていないものなのだが。

「新しい教皇はヒトとレイモーンの民双方の血を引いている、なんていきなり公表してしまっては国中が大混乱だけどいつかはこの事実を隠さずに生きられる世界を目指したいとは思ってる」
「ルキウスが目指す世界を私も見てみたい」

 十年後か、二十年後か、或いはもっと先かもしれない。
 レイモーンの民が陽の当たる場所を大手を振って歩けるようになった頃、自分たちはシワの多い老人になっているかもしれないけれど、種族や生まれで差別されない世界を夢見たっていい。

「そろそろ出ようか、クロシェット。こんな雨の中歩かせてしまうことになるのは申し訳ないけど」
「ううん、平気。私のこと気遣ってくれてありがとう、ルキウス」

 悪天候の中、というのは気になるけれど二人で歩く時間は——それが仕事だとしても案外悪くはないとも思うのだ。