女心と秋の空

 気のせいだろうか?なまえに避けられている気がする。
 気のせいだと良いんだけど。
 …………気のせいなのかな?

 
「女心と秋の空って言うだろ」
 学友のふとした一言に、俺はぽとりと筆を落とす。
「おんなごこ…………え?」
「女の気持ちと秋の空模様は変わりやすいって意味さ」
「そりゃあ、意味くらいは知ってるけど…………え?つまりなまえが、他の奴のことを好きになってるってこと?」
「いやいや、一概にそうは言えないけどまあ、可能性としてな?」
 学友のからかうような声が、ごうんごうんと脳内でこだました。

 …………今朝家を出る時もなんだか素っ気なかった気がする。
 昨日、散歩に誘っても断られてしまったし、夕ご飯の時も顔を合わせてくれなかった。
 一昨日は掃除を手伝おうとして逃げられてしまったし、その前は…………


 あれ?俺、いつからなまえとまともに話せてないんだろ……?

 衝撃の事実にくらりと眩暈がした。

「……帰る」
「え?」
「急用が出来てしまったから絵は明日仕上げるって、先生に伝えておいてくれないか。それじゃあまた明日……!」

「あ……菱田!おーい菱田、すまん冗談だ!おーい!……ああ、からかい過ぎてしまったな…………」





 屋敷の扉を勢い良く開けて、身体の思うままにサンルームへと飛び込む。
「なまえ!」
 彼女はソファでうとうと船を漕いでいた。なんだか張り詰めていた気が一気に緩んで、ほっと溜息をつく。
 鞄を投げ捨てて、彼女の隣へ腰を下ろした。そっと手を伸ばしてなまえの頬に触れようとしたところで、

「ん……しゅんそうさん?おかえりなさ………………ひゃ!」
 彼女は顔を真っ赤にして、それはもう物凄い速さで飛び退いた。なまえはぽかんと口を開ける俺から目を逸らして、
「ご、ごめんなさい!えっと………その、あ、そうだ、」
 彼女のあまりの慌てように、疑惑の念がぐるぐると湧き出てくる。
 ……まさか、本当に?
「なまえ」
「お茶!お茶を用意しますね!」
「なまえ!」
 部屋を出てゆこうとするなまえの手首を掴んで引き寄せた。そのままソファに押し倒す。

「……ねえ。どういうこと?俺何かした?ねえ」
「春草さん!ちょっと待って……!」
 なまえは押さえつけられた腕を懸命に動かして顔を隠そうとする。俺はなんだかイラついて、
「ちょっといい加減にしてよ。俺のこと避け過ぎじゃない?君」
 腕に込める力を強めて、ガバリと顔から腕をはがした。するとなまえは顔を赤らめて、
「あ、しゅんそさっ…………見ないでっ」
「……?何をそんなに恥ずかしがっているわけ?」
 潤んだなまえの瞳が揺れる。この体勢、なんか悪くないな、なんて思っていると、
「…………ごめんなさい。その、私、前髪切りすぎちゃって」
「………………………?」
 もじもじしたなまえの態度がなんだか煮え切らなくて、ぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。
「それで?」
「だから、えっと、春草さんに変な前髪を見せたくなかったという、か…………」
「………………………………?」
「ですからその、恥ずかしくて……」
 なまえの前髪をまじまじと見つめる。
 ……そんなに変かな?
「別に、おかしくなくない?」
「それは1週間経って少しマシになっただけで……ほら、こことかまだちょっと斜めになってて、不恰好じゃないですか」
 ………………うーん。そうなのかな。
 女性は難しい生き物なんだな、と無理矢理自分を納得させた。
 それにしても、そんな理由だったなんて……と、安堵と怒りと呆れの感情がいっせいに押し寄せて、ふと虚脱感に襲われる。
 はあ、と深く溜息を吐き出して、俺はなまえの腕の拘束を解いた。

「…………それにしても酷いだろ。あんなに露骨に避けなくても良いじゃないか」
「…………ごめんなさい。春草さんの気持ちまで考えられてなくて。……本当にすみません」
 なまえがしゅんと落ち込んだのを見て、俺はコホンと咳払いをする。

「……じゃあ一緒にいられなかった時間を、今から取り戻してもらおうかな」
「……!は、はい!」
 もし尻尾がついてたら、今頃ぶんぶん振り回してるだろうな、と思ってしまうくらい、なまえの表情が明るくなる。
 なんとなくムカついて、両手でなまえのほっぺたをつまんで引っ張った。
「ひゃ!?い、いはいへふよひゅんひょーひゃん!?」
 じたばたと暴れるなまえをしばらく観察してから、ぷにりと頬を挟む。
「……?」
「そうだなあ。今日は絵も描きたいし散歩もしたいし、画材を揃えに行きたいし、ああそれと、久しぶりに甘いものでも食べに行きたいな。あと、それから……」
 俺の言葉を一語一句聞き漏らさないようにしているのか、なまえは俺から目を逸らさず、ひとつひとつの言葉に大きく頷く。

 …………なんだかまた、気が抜けた。
 頬から手を離して、なまえの大きい瞳をじっとりと見つめながら、柔らかな髪を撫でる。

「……?春草さん……その、」

 恥ずかしそうに目線を逸らしたなまえの顎を掴むと、

「駄目だよ。こっち、ちゃんと見て」


 ちゅ、ちゅ、と濡れた音が響いた。


「……ぷは」


 しばらく経ってから、なまえの口を解放する。
 なまえはこれでもかというほど頬を赤く染めながら、目を白黒させていた。

「しゅ、春草さ……!?」

 俺なりの復讐。
 なまえが俺のことを避けた分、しっかりこらしめてやらなきゃ、ね。

 俺は笑い出しそうになる気持ちを押し殺して、なんでもないような素っ気ない表情で、なまえの顔を覗き込んだ。




「なまえのばーか」






ー終ー



再掲目次
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