1.おうちに帰ろう

「あんたはたかが私のサーヴァントでしょう!?なんでそんなとこまで口出されなきゃいけないのよーっ」
「凛、落ち着いて!」
「ふん。そのたかがサーヴァントから見ても君の私生活は目に余る。何だ君は、あるべき場所にあるべき物を戻すことすら出来ない人間なのか」
「アーチャーもそんな煽らないで!」
「は〜〜〜〜!?!?!?!?あんた私のオカンなわけ!?」
「当たり前のことを当たり前に言っているだけだ。――まったく、遠坂の後継者が聞いて呆れるな」
「何ですって!」
「凛!」

 アーチャーに掴みかかろうとする凛を必死の思いで引き留める。凛をただの女子高生と侮ってはいけない。この二人が本気の大喧嘩を始めたら、遠坂の屋敷がいくつ壊れたって足りないはずだ。私は二人の間に入ってどうどう、どうどうと手を揺らす。

「やめようよ二人とも。ね、ほらせっかくアーチャーが作ってくれたごはんが冷めちゃうよ」
「何よ。かすみはアーチャーの味方ってわけ?」
「え」

 な、にを突然。私はぎくりと身体を震わせる。
 ――今回のことは正直、どちらの味方についたらいいのかわからなかった。何たって二人は面白いくらい両極端すぎるのだ。アーチャーは掃除を始めたらやりすぎなんじゃないのってくらいとことんぴかぴかになるまで極めるし、反対に凛は物の整理が苦手でどんなに危険な魔法道具だって床に置いちゃってたりする。そんなふたりだから整理整頓に関しては思いきりそりが合わない。

「どうしたかすみ。もしや君は凛の味方なのか?」
「えっとねえ……それはその」
「あらアーチャー?かすみが味方だと嬉しいわけ?」
「勿論だ。1対1よりも2対1の方が分がある。多数決にすれば、このような不毛なやりとりも一瞬で終わらせることができるだろう」
「それは私も同感。ねえかすみ、あなたはどっちの味方なの?」
「そ、その〜……」
「かすみ、君の立場をはっきりしたまえ。君は私と凛、どちらにつく気だ?」
「ちょっ……!」

 ――凛とアーチャーがじりじりと迫りくる。壁際まで追い詰められた私は成す術もなくへたりこんだ。どうすれば、どうすれば、どうすればーー



*



「む。かすみではありませんか」
「あれ、セイバーちゃん」

 学校からの帰り道、商店街のスーパーで買い物をしているとばったりセイバーちゃんに会った。カゴの中身を見るに、セイバーちゃんも晩ごはんの買い出しに来ているらしい。

「えーと、衛宮さんちの今日の晩ごはんは……カレー、かな?」
「はい!シロウと桜に作り方を教えていただく予定で。まずは材料の買い出しから」
「わ〜セイバーちゃんの手作りカレーか〜!いいなあ……」
「今夜は凛がうちに来るようですが、かすみもいかがですか?カレーなら人数が増えたところで問題ないでしょうし、二人もきっと喜びます」
「う……せっかくのお誘いなんだけど……」
「?」

 セイバーちゃんのアホ毛がぴょこんと揺れた。

「――そうですか。それでかすみが二人を叱ったら、二人して拗ねてしまったと」

 野菜売り場を回りながら昨夜の顛末を説明すると、セイバーちゃんが唸った。じゃがいもを見比べる真剣な顔は士郎くんそっくりだ。

「二人とも強情で、変に意地っ張りなとこあるから。今回も長引きそうだなあ」
「なるほど合点が行きました。だから凛は今日から我が家に泊まるのですね」
「……え?今日、から?」
「ええ。今朝方、うちに来るなり『しばらくお世話になるわ』と……。まさか、凛から聞いてないのですか?」
「う……聞いてない。やたら朝早く家出たなって思ったけど、そんなことに……」
「結構な大荷物でしたよ」
「重症だあ……」

 セイバーちゃんがカレーのルーを数箱カゴに放り込んだ。こんなに作って食べきれるのかしら、とびっくりしたけど、セイバーちゃんを見て思いなおす。セイバーちゃんにライダーさん、それに凛が加われば最強だ。怒っている時の凛はその分頭を使うのか、よく食べよく寝るのだ。

「――ところで、かすみも夕飯の材料を?」
「うん。ナツメグとひき肉と、それからおからパウダー」
「もしや遠坂家の今日の晩御飯は……ハンバーグ、ですか?」
「あたり!今日はねぇ柳洞くんからたくさんレモンをいただいたから、さっぱり和風ソースで仕上げようと思ってるの」
「レモンのソースとはなかなか乙な!想像するだけでよだれが……。そういえばシロウも大量のレモンが入った紙袋を持って帰ってきていましたが、あれは柳洞寺からのおすそわけだったのですね」
「そうそう。ほんとにありがたいよねえ」

 生徒会の手伝いをしてくれているお礼に、といつも豪華なおすそわけしてくれる柳洞くんの顔が脳裏に浮かんで、思わず私は合掌した。実は度重なる財政難資金難に喘ぎまくってる遠坂家にとって、柳洞寺からいただくお野菜や果物はかなりの家計の支えになっているのだ。
 ……まあでも柳洞くんって私が遠坂の家でもお世話になってるってこと、知らないのよね。私の手に渡ったおすそわけたちは実は凛のお腹の中に入っていく運命にあるのだ、なんてこと知られたら一生おすそわけしてもらえないに違いない。いやなんだかんだ優しい柳洞くんのことだからそんな極端なことはないとは思うけど、なんたって凛は柳洞くんの天敵だ。気を付けないと。

「私はもう買い物終わりでいいかな。セイバーちゃんは?」
「えーと。あとは牛乳を買うだけです」
「牛乳、牛乳――あ」

 私は思わず足を止める。私が手に取ったものを見て、セイバーちゃんは特売の牛乳を両手にぱあっと顔を明るくした。



*



 数十分後、私は遠坂邸のキッチンに立っていた。窓から差し込む夕日が眩しい。レモン、粉ゼラチン、牛乳、氷水、――それからさっき、牛乳コーナーで見つけた植物性生クリーム。まずはハンバーグより先に、今晩のデザートを作ってしまおうという魂胆だった。

「えーとレモンしぼりのやつどこやったかな〜」

 たしか前見た気がしたんだけどと棚をガタガタ漁っていると、ひょいと後ろから目当てのものが差し出される。

「スクイーザーのことか?」
「そうそれそれ!……って、え!?ひゃああ!?」

 背後をしっかりマークしてきた筋骨隆々の成人男性に思わずのけぞって、がつん!と思いきり棚に頭を打ち付ける。あまりの痛みに涙を浮かべて蹲っていると、大きな手が転がり落ちたレモンしぼり器を拾い上げた。

「も、う〜〜〜〜〜!アーチャー!いたの!」
「私がいて何か不都合でも?」
「別に不都合じゃないけど!アーチャーのばか!ばかばかっ!何で急に話しかけんのさ!」
「ああすまない。あまりの音に謝るのをすっかり忘れていた」

 絶対わざとだ!涙目で睨みつけながらレモンしぼり器をふんだくると、さすがにやりすぎたと思ったのかアーチャーはすこしバツの悪い顔をした。

「――悪い。今のは八つ当たりがすぎた。すまない」
「……ん。謝れていい子。わ……っ」

 アーチャーの手が私の後頭部に滑り込む。冷たい指が火照った頭に気持ち良かった。打ち付けたところがずきりと痛む。

「ね、もしかしてだけどたんこぶになってる?」
「……」
「なってるんだ……」
「……私が」

 アーチャーがしぼりだすように言った。

「……私が、料理を作ろう。君はソファで頭を冷やしながら指示を出してくれ」
「え、いいよ大丈夫これくらい、私身体丈夫だし、ってうわっ」

 無表情ながらもまるで悪いことしちゃった子供みたいな雰囲気を漂わせるアーチャーに抱き上げられて、私はなされるがままソファに身体を沈めこませる。今日はかなり反省していると見た。そういえば初めてあった日もこんな感じのことやってもらったな、なんてちょっとじんじんしてきた頭にふわふわのタオルで包んだアイスノンを当てながら、エプロンをつけるアーチャーの背中を眺める。

「で、私は何をすればいい」
「えっとね、ゼラチンをふやかしてレモンしぼってー、牛乳あっためてふやかしたゼラチン入れて、レモン汁入れて、生クリーム軽く泡立ててー、火止めた鍋に入れて全体かき混ぜたら器に入れて3時間冷やす」
「レモンのムースか。それならば身に覚えがある。任せておけ」

 でしょうね。
 だってこれ、士郎くんに教えてあげたレシピだし。
 フーン頭で覚えてなくても身体は覚えてるってわけね、みたいな訳ありな視線で彼の後ろ姿を見ていたら振り向いた彼がなんだ、とでも言いたげな顔で眉間に皺を寄せたものだから、私は慌てて首を振った。あ、いけない。頭動かしたらまた痛くなってきた。

「――にしても、このレモンはどうしたんだ。随分量があるようだが、また柳洞寺からか?」
「あたり。ねえアーチャー、おととい食べ終わったマーマレードの瓶って捨てちゃった?」
「いや、洗って干しておいた。レモネードでも作るのか?」
「さっすがアーチャー話が早い。せっかくだし柳洞くんにも作って持ってこうかなあ。あとランサーさんとか、ギルガメッシュさんとか……」
「……おい、柳洞はまだしもあとの二人に持っていく義理はなかろう」

 呆れたようなアーチャーの声に、いいじゃないたくさんあるんだから、と言い返す。遠坂の家の窓から夕日なんてものはとっくのとうに退場していて、士郎くんのオレンジとアーチャーの紅が混ざったような色の光が冬木の街の水平線上から夜空との境界線を彩っていた。キッチンの方から聞こえてくる包丁の音と、やさしい牛乳の香り。私はうんと脚を伸ばして(やめなさいという声がキッチンの方から聞こえた気がしたけど無視無視)、お隣のソファにかかっていたアーチャーの私服の上着を器用に引き寄せてくるまった。



*


 目を覚ますとダイニングはすっかり真っ暗になっていた。アーチャーがカーテン閉めてくれたのかな、なんて思いながらみじろぎする。ずるり、と毛布が身体から滑り落ちた。

「もっと手のひらに打ち付けるように空気を抜きながら」
「そうすると形崩れちゃうんですけど」
「君の場合力が強すぎる。もっと軽く。中の空洞を潰すつもりで」

 声を聞いた途端飛び起きていた。毛布に足を取られながら、絨毯との段差で転びそうになりながら、私はキッチンを覗き込む。ーーいつもの二人がいがみあいながらハンバーグのタネを成型していた。今日この場にいるはずのない少女が私の方を振り向いて微笑む。

「あらかすみ。おはよう。頭はまだ痛む?」
「え、と。だいじょうぶ」
「そう、それは良かった。あともうちょっとで出来上がるから、ソファに座って待ってなさい」
「え、――でも、でも凛。今日は士郎くんちに泊まっちゃう予定だったんじゃ」
「うん。その予定だったんだけど、セイバーにね」
「え」

 ――放課後真っすぐ衛宮邸に向かった凛は、スーパーから帰宅したセイバーに「かすみが3人分の夕食の材料を買っていた」ことを伝えられたのだという。私としては凛から直接話を聞いていないし、一応準備しておかなきゃ、いや帰ってきてくれる可能性はかなり低いけど帰ってきてくれたらすごくうれしいし……なんて気持ちが働いた上での選択だったのだが、これが思わぬところで功を奏したらしい。

「まあこいつには腹が立ってるけど、かすみがかわいそうだし。――だけど、帰ってきたらソファで寝込んでてびっくりしたわよ。アーチャー!ちゃんと謝りなさいよ!」
「かすみに対しての謝罪は済ませてあるぞ、凛。それともあれか。君にも『すまない』の一言を添えなければならないのか?――まあ私としては、君に謝らなければならない必要性なんて感じられないが」
「……あんたのそういうところ直せって言ってんの〜」

 ハンバーグのタネをアーチャーにぶつけんばかりに怒りで震える凛を、私はまあまあと抑えた。すかさずアーチャーが凛の手からタネをかすめとる。慣れきった連携プレイだ。

「あとは焼くだけだ。3人もいらん」
「は〜ちょっとむかつくんですけど。まあいいわ。――かすみ、士郎からレモンのタルトクッキーもらったわよ。紅茶淹れてあげるから一緒に食べましょ」
「……わ、わーい士郎くんのタルトクッキー!食べる食べる!」

 アーチャーの肩がぴくりと動いたのを見て、私は慌てて空気を読む。こういう時末っ子格は本当に大変だ。今までの経験則から言って、明日のおやつは怒涛のアーチャーお手製レモンスイーツバイキングで確定だ。今からお腹に空き作っておかないと。
 結局そんなこんなで私たちはキッチンから締め出されてしまった。なんだかんだいつもみたいにアーチャーが淹れてくれた絶品紅茶を飲みながら、凛と私は士郎くんのタルトクッキーを口に入れる。あまりのおいしさに思わず「おいしい」とはもると、キッチンのアーチャーが勢いよく舌打ちをするのが聞こえて、隣に座る凛ともどもおもいきりふきだしてしまった。
 ちょっと、いやかなり不貞腐れたような声で唸るアーチャーに、涙目で笑い転げる凛が必死で謝る。やっぱり我が家はこうでなくっちゃ。キッチンから漂うおいしそうな匂いにあーハンバーグまだかなー!と足をじたばたさせると、アーチャーが呆れたような目線を送ってきた。なんたって今日はハンバーグだけじゃない、とっておきのデザートまであるのだ。私は冷蔵庫の中の3つのレモンムースに心躍らせた。




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title by 『コペンハーゲンの庭で』様

Fate
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