2.幸せな体温



『王命だ。手伝え、かすみ』

 幼いころの記憶。あたたかくて優しくてまぶしくて、私は傍らを歩く彼を見上げる。

『――フン。何度見ても間抜けな顔だ』

 失礼な、と今なら言い返したくなるけれど、その頃は何を言われているのか理解できていなかった。長い指が私の頬を掠めて、口元についたクリームを拭ってくれたことを知る。

『おうさま』
『何だ』
『すっごーく、おいしいよ』

 ずい、とクレープを差し出すと、彼はふは、と小さく笑みをこぼした。
 何が面白いんだかわからないけど、あまりにも楽しそうに笑う王様を見て、私の頬も緩んでしまう。

 途端に視界が揺らぐ。微睡む。
 ――ああ。なんて優しくて、幸せな夢なのだろう。




*



 チッ、チッ、チッ、と小さく秒針が動く音。……が、しない。
 私は起き抜けの状態のまま、目覚まし時計を手に取る。――ぴくりともしないそれは、深夜の1時25分で時が止まっていた。


『えー!?かすみ、まだ家出てないのー!?だから言ったのにぃ。葛木先生も心配してたわよぉー?』
「うん、藤ね、……藤村先生、ごめんなさい……」
『はいはい。いーい?遅刻でもちゃんと来なさいよー?まー士郎には怒られるかもしれないけど』

 うっと言葉が詰まる。士郎くんは生徒会の用事があって早く家を出て、桜ちゃんと藤ねぇは弓道部の朝練でうちには寄らないって話で。「ほんとに一人で大丈夫か?」と疑わしい視線を向けてくる士郎くんにまっかせてー!なーんてばちんとウインクしたのはつい昨晩のこと。「サボリは許さないわよー」と再三釘をさしてくる藤ねぇの電話を切って、居間の柱時計が指す「9時」の文字盤に、やらかしたなあ、とため息をつく。士郎くんが用意してくれたのであろう栄養満点な朝ごはんがきらきらとまぶしい。私はそれらをお弁当箱に詰め込んで、いそいで制服に腕を通す。

 ――そう。私は時間がない。急がなきゃいけない。それなのに。

「む。雑種ではないか」
「ぎゃー!?ぐえぇっ」

 突如ぐいっと制服の首根っこを掴まれて、私は潰れた蛙みたいな呻き声をあげる。目の前に広がる金ぴか、金ぴか、金ぴか。寝ぼけまなこに全てが痛い。冬木の金ぴかことギルガメッシュ王は私を持ち上げたまま、顔を覗き込んで言った。

「よいところに来たな、雑種?フン、貴様にしてはグットタイミングとかいうヤツではないか。王命である。我に付き合え」

 ギルガメッシュ様はとんでもなく悪い顔でフフンと笑う。なるほど王命。何ということだ。何度瞬きしても、脳内に断る選択肢が表れない。おかしい。おかしいな。

「あの、王様。私これからがっこ……」
「……ほう?」

 ぴくり、とギルガメッシュ様の眉間が動く。
 いやもうこれは、気軽に断りでもしたらバッドエンドルートに大直行、即首が飛ぶ気がする。ギルガメッシュ様という王様は、断・即・斬といった感じのノリで生きているのだ。――私はあきらめて、ため息をつく。とはいえ対価はいただきたいので、降参のポーズを取りながら私は言った。

「あーもう、わかりました!付き合いますー。でも、ギルガメッシュ様に付き合うと1時間目の終わりにも間に合わなくなる気がするんですけど、その責任は取ってくれるんですか?」
「……学舎と我、貴様はどちらを選び取るというのだ?」

 今度は面倒くさい彼女みたいなことを言い出した。ここを掘り下げていくととんでもなく面倒くさいことになる予感がして、私は自分の内申よりも学校の物理的損害を回避する方を優先することにした。じとーとこちらを見下ろしてくる王様に向かって、ずいと手を伸ばす。

「何だその手は」
「とりあえずお腹空いてるのでその手のアメリカンドッグください」
「フ……!このように我が勝つなど至極当然のこと。貴様もそう思うだろう、雑種?しかし王手ずからの食べ物を望むとは雑種、貴様少々不敬が」
「あーもーうるさいうるさいうるさい」
「貴様ァ!二つやるとは言っておらんぞ!」

 ぎゃーぎゃー騒ぎながら道端を占領する私たちはどう見たって不審者だ。しかしギルガメッシュ様はすっかりこの冬木の地に馴染んでいるらしい。だってこの人私が小学生の頃から“よくそこらへんを徘徊してる教会の外国人”として有名だったもんね。「またやってるよ」みたいな生温かい視線を浴びながら、私たちは流れるように商店街の休憩スペースに移動する。ギルガメッシュ様にジャンケンで勝ち、最後のひとつのコロッケをあずかりながら、私は呆れ顔を浮かべていた。

「ええーギルガメッシュ様、まーた挑戦してるんですか、商店街のくじ引き。ギルガメッシュ様って意外とそういうのにのめりこむタイプですよねー」
「言葉が過ぎるぞ雑種よ。――しかし、そうさな。ふむ、これを全てやる。使え」

 ビッッとギルガメッシュ様が何かを差し出した。あまりの速さにちょっと前髪を持っていかれて私は抗議の声をあげるけど、暴虐王は聞く耳なんて持つわけが無く。私は少し短くなった前髪を抑えながら、ギルガメッシュ様の手を覗き込んだ。マウント深山商店街、福引券。すっかり見慣れたそれに、私は首を傾げる。……うん?全てやる?

「何かあったんですか?出禁とか?」

 思わずそう口走ると、後頭部にものすごい衝撃をくらう。いったあー!としゃがみこんだ私に、ギルガメッシュ様はかわいそうな子でも見るような視線を投げつけた。

「相も変わらず察しの悪い娘よな……。貴様、よもや学校生活で浮いているなんてことはないだろうな?」
「はぁー!?さすがにそれだけは王様に言われたくないんですけどー!!?……あ、痛っ!痛っやめてくださいませ!笑いごとでなく人間の身体は王様のツッコミに耐えられるほど頑丈に作られてないんですぅ!」

 ――私、強烈なツッコミ(物理)に敗北。屈辱満点の表情を浮かべる私を、ギルガメッシュ様はそれはもう満点のド笑顔で見下ろしている。何なんだこのギルガメッシュ様は。ウン千年年下(この年齢差理解がホントに正しいのかわからないけど)のJKを負かしてそんなに楽しいのか。楽しいんだろうな〜。だってギルガメッシュ様はそういう王様だもの。

「はあ……。今回もまたぬいぐるみの景品を狙ってるのになかなか出ないと。その原因を自らの幸運値の高さにあるのではないかと推理したと。それって別にそこらへんの小学生に頼めばいい話じゃないですか?ほら、ギルガメッシュ様小学生の友達たくさんいるじゃないですか」
「馬鹿者。そのような策、貴様に言われるでもなくすでに実践済だ」
「え、ええー……」
「というわけで、だ。我は貴様のどうしようもなく中途半端な幸運値に目をつけた。――ふむ、斯様に役に立つこともあるのだなあ雑種よ?その幸運値B+、我のために使うがよい」
「ええー……!?」
「ほれ、つべこべ言わず行ってこい。寄り道は許さんぞ」
「うーん。……まあ行ってあげてもいいですけど、こんなにたくさんの福引券引くの普通〜に恥ずかしいので王様も一緒に来てくださーい」
「はァ……仕方のない雑種よな……」
「はー!?あのねえ」

 仕方がないのはどっちだ!私たちはげしげしと互いに脇腹に肘を入れ合いながら福引抽選会場に向かった。ってか痛い痛い普通に痛い。何だこの王様ほんとに大人気ないな!
 ぜぇはぁと確実に無意味なエネルギーを消費して息も絶え絶えになりつつ、紅白幕が目に鮮やかな長机に滑り込むと、ばちりと紫髪の麗人と目が合った。

「――おや、かすみではないですか。今日は学校があるはずですが、貴女一体。……あ」

 福引の法被を着たライダーさんは、私の後ろで傲岸不遜にふんぞり返る金ぴかを見て全てを察してくれたらしい。ライダーさんの静かな瞳がひときわ冷たくなる。

「何をしているのです貴方は。もしや目当ての景品が出ないからとかすみを引っ張ってきた、……なんてわけではないでしょうね?」
「聡いなライダー。フン、そのような目を向けるでない。我らは真っ当に公正な取引を行った仲。貴様が口を挟むところなど存在し得ぬぞ?」

 真っ当に、公正な、取引?私はぎょっとして、ギルガメッシュ様に詰め寄る。

「ちょっと待ってください。私たち取引なんていつしました?」
「ドあほう。王たる我の手から餌を得たことを忘れたか」
「あのすみません人のこと犬みたいに扱わないでもらっていいですか!?」

 はァ〜不敬だぞこの雑種だとか何だとか言ってギルガメッシュ様が私をねめつける。私も負けずとぎゃあぎゃあと言い返すと、売り言葉に買い言葉な惨状になって。――やかましく言い争い罵り合う私たちに呆れ果ててしまったらしい。ライダーさんはふうと大きなため息をついた。

「……色々と思うところはありますが、とりあえず頂戴しましょう。かすみ、福引のルールはご存知ですね?」
「ふはは、幸運値B+の実力、疾く見せるがよい」

 ではどうぞ、と抽選機を指し示されて、私はレバーに手をかける。ガラガラ、と独特な音とともに、ポンと水色の玉が飛び出した。

「D賞ですね」
「D賞だと?む……雑種貴様、手を抜いたか?」
「福引に手を抜く抜かないとか無いと思うんですけど!」
「ええい、次だ次。我の期待を裏切るなよ、雑種!」
「そんなこと言われましてもー!?」

 ――という感じにギルガメッシュ様が貯めた10回分の福引券を消費したのだけれど、彼の目当ての賞を当てることは出来ず、私はへなへなと座り込む。ギルガメッシュ様の視線が痛い。とんでもなく痛い。

「ぬぁーーーんだこの結果のドブ具合はァ!この駄娘、我の福引券を無駄にしおって!」
「ぎゃーーー!いやいやいや確かに参加賞の麻婆混ざってますけどっ!でも結構高レアリティの賞も引けてるっていうかぁ……!」
「馬鹿者!目当てのF賞が引けなければ全て無意味よ!」
「そ、そんな無茶なー!?」

 この調子じゃきっと何を言っても通じない。どうどう、どうどうとお怒りMAXのギルガメッシュ様をなだめながら、ゆっくりゆっくり平伏姿勢を取ろうとする。――と、その時。

「いや、何やってんだ嬢ちゃん」

 ぱし、と腕を掴まれる。何ということだろう。そこにいたのは青い槍兵、もといギルガメッシュ様とは別ベクトルで商店街に馴染みきっているランサーさんだった。

「ら、ランサーさん!」
「フン。貴様のような最悪中も最悪な星巡りには用はない。疾く去るがよい」
「うわ!何やってんだお前!?」
「何とは何だ、見て分からぬか!」
「はァ、福引ぃ……?止めとけ、どうせお前景品当てても使わねーんだから」
「……口を挟むようで恐縮ですが、ランサー。だから彼はかすみを連れてきたのですよ」
「え?」

 ――事情を一通り聞いてくれたランサーさんは、何とも言えない微妙な顔で私とギルガメッシュ様を見比べた。

「なるほど。いやなるほどじゃねえよ。何してんだホント」
「と、いうわけでだ、雑種。出なかったものは仕方がない。ほれ、福引券を集めに行かんか」
「えー!?まだ引くつもりなんですか!?」
「……おいライダー。景品全部持ってかれる前に回数制限つけた方がいいんじゃねえの?」
「私もそう思いますが、なにぶん前例が無いせいで組合側も困っているようでして」
「あー……一応商店街の売上増進って目的は達成してるしなあ……」

 ランサーさんはガシガシと頭をかいて、深いため息をついた。

「そんなことしてねえでとっとと学校に行かせてやれっつっても、どうせ聞く耳持たねえんだろ、お前。……仕方ねえなあ。ちいとばかし癪だが。ほれ、これやるよ、嬢ちゃん」
「え?」

 ぴ、と福引券が差し出される。私は福引券とランサーさんの顔を交互に見比べた。

「い、良いんですか……!?」
「ちょうど持て余してた。大した足しにもならねえかもしれねえけどまあ、使ってくれや。えーと、1回3枚必要なんだっけか?」
「そうですね。ランサーの福引券は2枚ですから、もう1枚あれば参加できます」
「ほれ、早くどっかからもらってこい」
「ありがとうございます、ランサーさん!ーーギルガメッシュ様、行きますよ!」

 返事はなかった。赤い瞳がどこかを見つめていて、私は突然不安な気持ちに襲われる。思わず腕を引くと、猫のような目にふっと、私が映る。

「王様?」
「、……」

 何かありましたか、と尋ねると、ギルガメッシュ様は一瞬誤魔化すような素振りを見せてから顔を背けた。

「興が削がれる。行くぞ、雑種」
「ちょ、ちょっと……!――ランサーさん、ありがとうございました!」

 慌ててギルガメッシュ様の背中を追いかけると、「あんまり嬢ちゃんを困らすんじゃねえぞ!」とランサーさんのちょっと怒った声がした。それでも、ギルガメッシュ様は振り返らない。

「わ、ぶっ!」

 途端、広い背中にぶつかる。じんじんする鼻をさすっていると、ばちりとギルガメッシュ様と目が合った。

「――何をぼんやりと見ている、間抜け。早く選ばぬか」
「は?え……?あ、」

 ギルガメッシュ様が指さした先には、クレープ屋さんの看板があった。私はあわててメニュー表に目を通す。

「ええと、じゃあ、いちごホイップクレープで」
「聞こえたか。そこの、勘定を申せ」

 慣れた手つきでお財布を取り出すギルガメッシュ様をぽかんと見つめていると、ふわふわと甘い香りが漂ってきた。てきぱきとクレープが出来上がっていくさまを、受け取り口でギルガメッシュ様と眺める。よく考えてみると、ものすごく変な時間だ。お待たせしました、と爽やかな笑顔とともに差し出されたクレープを手に、私は困惑した顔でギルガメッシュ様を見上げる。てっきりギルガメッシュ様が何かを食べるのかと思っていたから、この展開はものすごくものすごく意外というか。

 どかり、とギルガメッシュ様はお店の前に設置されたベンチに腰をおろした。私も隣に座ると、信じられないものでも見るような目を向けられる。構わず私はクレープを頬張った。甘い香りが口いっぱいに広がる。

「!……おいしい」

 出来立てほかほかのクレープって別格だよね、なんて思いながらもそもそ食べ進めていると、ふと横からの視線が気になった。赤い猫目に私が映っている。

「……どうしましたか。あ、クレープ食べます?おいしいですよ」
「いつ見ても間抜けな顔よな」
「はあ〜!?失礼なっ、……っ!」

 おもむろにギルガメッシュ様が手を伸ばしてきて、驚いた私はクレープを取り落としそうになった。

「……王、さま?」

 ――ぐに、と頬を擦られる。クリームが顔についていたらしい、と気が付いたのは、ギルガメッシュ様がぺろりと頬を拭った指を舐めたあとのこと。

「……?え?……」

 脳味噌がフリーズする感覚。息が止まる。目を瞬かせる。ギルガメッシュ様はいつもの悪い顔に戻ると、にやりと笑った。

「何を呆けてる、雑種。間抜けな顔が更に間抜けになっているぞ、はは」
「さっきから間抜け間抜けってうるさいですよ。ぎゃあ!」

 容赦のない肘鉄に屈しながら、私は深呼吸をする。

 びっくりした。
 びっくりした。
 びっっっっくりした!

 そういえば日頃のトンチキ行動のせいです〜〜っかり忘れていたけど、ギルガメッシュ様ってめちゃくちゃ顔が良くて格好良いんだった。いや、でもよく考えたら今のってちょっと犯罪っぽくない?こっちは女子高生なんですけど。いやいやでも、でも、でも。動揺した私はえふん、と咳払いをして、咄嗟にギルガメッシュ様にクレープを差し出す。色々と誤魔化そうと必死に平静さを装って、はいどうぞ、とやたらと張り切った声で勧めてしまった。妙な気まずさを勝手に感じていると、ぽつりとギルガメッシュ様が言った。

「……今朝方、懐かしい夢を見た」
「はい?」

 サーヴァントって夢を見るんだっけ。あ、でも受肉しているから関係ないのか、なんて漠然と考えていると、ギルガメッシュ様がくつくつと笑みをこぼした。

「その間抜けな顔。愚かしいほど変わらんな、貴様は」
「……!」

 その夢って、まさか。思い当たる節があって目を見開く。
 その瞬間、ギルガメッシュ様が私の手を掴んで、――そのままぱくりとクレープを食んだものだから、喉からひゅっと変な音が鳴った。

「な、ええ……!?」

 ギルガメッシュ様はふむ、と見定めるような表情で咀嚼している。ぱ、っと手が離された。――私は状況を飲み込めないまま、クレープについた王様の歯形を凝視する。
 びっくりした。びっくりした。……本当に、びっくりした。今、絶対心臓口から出かけた。ごくり、と唾を飲み込んで、私は震える声で尋ねた。

「おいしい、ですか。王様」
「……ん。相も変わらず、存外に甘いな……」
「はあ、左様でございますか……」

 そう言ってから、あ、と思いだす。

 ――幼いころの、懐かしいあの記憶。そういえばあの時王様は、私が差し出したクレープをひとくち食べてくれたんだっけ。



*



 あの後私は見事ギルガメッシュ様が望む景品を引き当て、ようやく登校の許可を得ることができた。――そうして二時間目の終わり頃、とんでもない疲労感の中やっと教室に辿り着いた私は遠坂凛から衝撃の情報を聞くことになった。

 『このような特徴の男性に絡まれていたため、鈴懸かすみさんは学校への到着が少し遅れます。今はランサーが一緒にいるため安全です』――商店街からの電話を受け取った藤ねえ曰く、電話口の女性はやけに涼やかで落ち着いた声だったという。

 マウント深山商店街に出没したこの不審者の情報は、すでに校内を駆け巡ってしまっていた。『冬木の金ぴかは例の福引不審者らしい』という噂は、穂村原学園をしばらく駆けまわていたとか、いないとか。

Fate
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