いとおしむように目を閉じて
「……な、何あの生き物……可愛すぎるんですけど……!」
私はモニターの前でごくりと唾をのむ。隣に座るムニエルが呆れ顔を浮かべた。
「えええ?どこがぁ……?」
「は?まさかあの良さがわからないのムニエル!?」
「わからんしわかりたくもない」
「えーセンス無ーい。かわいいなー触りたいなー怒るかなーナデナデしたいなー」
「……うわあ。鈴懸、うわあ〜」
「……エフン。でもほら、ヒーリング効果あるでしょ、ヒーリング効果!」
えーどこに〜?と懐疑の視線を向ける同僚の脛を蹴る。ホームズが軽やかに笑った。
「次会えた時に聞いてみたらいいじゃないか。ハグしてもいいか、と」
「えーいいですかね!?怒られたらどうしよう!」
「……うん?ちょっと嬉しそうだね?……ふむ?」
『いいじゃないかー、相互理解ってやつだね?かくいうこの天才ダ・ヴィンチちゃんも、ちょっと彼の身体的構造に興味があるなー?なんて思ったり』
「はあ……?理解に苦しむな……あの獣のどこがいいのかね……?」
「ゴルドルフは黙ってて」
「呼びつけにするなバカ鈴懸!所長と呼べ、所長と!」
電力の節電のためすこし薄暗くなっている閉鎖空間で、私たちはぎゃーぎゃーと喚きあう。味の薄い紅茶と、1/2食分のレーション。騒いで笑って叫んでハイにならなきゃやってけない、極限状態なのだ。
ーー数刻後、私の要望を彼に伝えてくれたリツカが受け取った返答は「はァ……?」だった。うーん、これはどうも思わしくない感じだぞぅ!とめそめそする私をゴルドルフ新所長が気味の悪いものでも見るような目つきで憐れんできた。うるさい。ゴルドルフのくせに。
*
……とか言いつつも、私たちの旅は『そんなこと』をやっている暇なんてなかった。目の前で血しぶきが舞う。リツカを守った彼は、リツカを怒って鼓舞した彼は、白い雪の上に倒れ伏していた。
「……あー、アイツが言ってた、あのヘンな、女か……」
ケホ、と掠れた咳が漏れ出る。赤い血が白い雪を染め上げていた。私は黙って膝をつく。ヤガとは、並大抵の傷で死ぬことはない生き物だと彼は言っていた。そんなヤガである彼でも、この怪我は――
「いいよ、かすみ。……別に、ハグしたって。お前が、血で汚れるのが、イヤじゃなきゃ……だけど……」
「……うん。失礼、します」
彼の身体の下に手を差し込む。重いだろ、と彼はおどけた。もう喋る力も、気を遣う力もどこにも残ってないはずなのに。ちくちくと硬い毛が頬を刺す。どく、どく、と血が流れている。できるだけ、痛まないように、苦しまないように。私は彼の傷口に魔力を注ぎ込む。
「……?なに、泣いてん、だよ」
白い息が上がる。見間違いだよ、と私は首を振って笑った。
「パツシィ」
「うん?」
「……ありがとう。私たちの希望を、守ってくれて」
「……、ハッ」
息が浅くなっていく。私はぎゅうと彼を抱き締めた。エメラルドの瞳がこちらを見上げてくる。血に染まった顔に、ふっと安堵の表情を浮かべ、彼は言った。
「ああ。……お前、あったけえなぁ……」
外気温はマイナス100度を超えている。魔術師とはいえただの『旧種』に過ぎない私は魔術礼装で全身を固めているから、私の体温が、というわけではなさそうだ。おそらく魔力が全身に回ったのだろう。パツシィの鼻先が私にすり寄る。彼の痛みが、苦しみが、すこしでも安らいでいたら。
「……しばらく、そうしててくれるか……?」
「うん、もちろん」
ぶる、と一瞬彼の身体に震えが走る。私はトン、トン、とあやすように、彼の胸をゆっくりたたく。
「……お前」
「……パツシィ?」
「……ふ。ヘンな、やつ……」
抱きかかえた身体から力が抜けた。
……口角が上がっていた、ような気がする。そんなもの知らない、とリツカを糾弾した彼が最期に私に遺したのは、まぎれもない笑顔で。我慢していた涙がこぼれる。ああ、よかったなあなんて、月並みな思いを抱きながら、私は彼のまぶたをそっと閉じた。
――パツシィ。私たちの希望を守ってくれたあなたに、どうか永遠のやすらぎと幸福がありますように。