1.調子はずれのカンタータ


 ――セブルス・スネイプはやけに騒がしい部屋の空気と、身体を支配する妙な違和感に目を覚ました。

 何かがおかしい。
 妙に身体が重かった。サイドテーブルの古びた時計はとっくに朝の八時をまわっていて、セブルスは目を見張る。――だけど、何だ。何かが、どこかがおかしかった。身体の中心に重い石が入ったみたいにだるくて辛くて、起きることが出来ない。風邪でも引いたのだろうか。

 体調不良とはいえ朝に弱い彼女を放っておくわけにもいかないので、セブルスは無理に身体を起こした。頭が軋んで、下腹部が鈍く疼く。だるくて眠くてめまいがひどい。セブルスは呻きながら手を下腹部に伸ばした。

 ――するりと自分の冷たい指先が、腹と地続きのそこを撫でる。それにしても、やけに服がぶかぶかなような。
 その瞬間自身の身体を蝕む違和感の正体に気が付いて、セブルスはがばりと布団をはがした。

「……え……?」

 白いシーツに真っ赤な染みが見えて、セブルスはびくりと身体を震わせる。おもわずトランクスの中に手を入れて――セブルスは言葉を失った。

「セブルスッ!セブルス!」

 焦ったような、泣きそうな声がセブルスのベッドのカーテンを勢いよく開けた。視界に銀髪がはねる。シャーロットの寝間着を着た、シャーロットみたいな瞳の色をした男は一目セブルスの姿を確認すると、低い声でかわいらしい悲鳴を上げた。

「セブ、大丈夫?お腹痛い……?今、ナプキン持ってきてあげるからね!――セブ?大丈夫、セブ……?」

 男でも見惚れてしまいそうな顔立ちに、セブルスは呆然とする。セブルスの顔を覗き込む『彼』と、自分の血まみれの両手を交互に見つめーーセブルスは静かに卒倒した。



*



 いつもより二回り以上小さくなったセブルスの身体を抱えたシャーロットが、寮のドアを蹴飛ばして談話室に戻ると――やはり、スリザリン寮は混乱を極めていた。泣く者、怒る者、困惑する者。その多くは『女の子』たちであったが、『彼女』らの世話に追われる『男の子』たちの瞳にも動揺の色が浮かんでいる。

「生理が来ちゃった子はとりあえず着替えて、監督生からナプキンをもらって!わからないことはすぐ上級生に聞くのよ!」

 そう叫ぶがっしりとした体躯の同級生は、やけにふりふりのネグリジェを着ていた。――シャーロットはため息をついて、ちらり、と暖炉の上の丸い鏡を見やる。
 銀髪と、青い目。鏡に映っているのは紛れもなく自分自身、シャーロット・ベイカーなのだと思う。
 けど腰まであったはずの髪はおもいきり短くなっていて、肩幅が広くて――極めつけには、見覚えのない男性の顔がこちらを見つめていた。うーん、少し面影がある……ような気がしなくもないけど。

「ねえ!なんかすっごい格好良い人がこっち来てるんだけど!?」
「え、え、え、かっこいい!何あの人!?へたれオーラと小者感が一切無いルシウスさんみた〜い!」
「生徒じゃないよね?うちの卒業生かなあ!?」

 寮の入り口で、背の高い男の子たちがきゃあきゃあとはしゃいでいる。サイズの合っていないかわいらしいシルエットの寝間着がふわふわと動いた。

 ――その時、スリザリン寮の合言葉を唱えて入ってきた人影に、シャーロットは息を飲む。

「スリザリンの寮生諸君。落ち着きなさい」

 背格好と服装が似ていたから、一瞬ルシウスかと思った。――ナルシッサ・マルフォイの張り詰めた声が、談話室に響く。

「緊急事態です。ホグワーツに眠っていた、ある古い呪いが発動してしまいました。――性別逆転の呪いです」

 ナルシッサの後ろから、シルバーブロンドの美しい女性が顔を覗かせる。
 どうやらナルシッサとルシウスは、お互いに服を取り換えたらしい。ルシウスはふんわりとしたスカートを、とても不服そうな表情で摘まんだ。

「監督生のバスルームが全校生徒に開放されました。スリザリンはこのあと八時半から三十分間、貸し切りの時間が割り振られています。身体を清めたい生徒は私と一緒にいらっしゃい」

 元監督生の手腕を活かし、ナルシッサが次々に指示を飛ばす。スリザリンは緊急事態に弱いが、カリスマ性に溢れた指導者がひとたび現れれば魔法界随一の協調性を発揮する。マルフォイの女主人の元、スリザリンの上級生たちがてきぱきと作業を分担していきーー先程まで混沌を極めていた談話室は、徐々に落ち着きを見せ始めた。
 シャーロットの腕の中で、セブルスが小さく呻く。

「う、うう……」
「!セブルス、しっかり」

 長い睫毛が頼りなさげに動いて、真っ黒な瞳がシャーロットの顔を映し出した。

「う……。お前……シャーロットか?」
「うん、シャーロット。セブ、大丈夫?お腹痛い?お薬持ってこようか?熱はない?」
「わ、待て!お、お前、っや、顔、近っ……!」

 腕が塞がれてしまっているシャーロットは、躊躇なくセブルスの顔に額を近づけた。こつん、とセブルスのひんやりした肌があたる。熱はないようだった。
 ――が、なぜだろう。セブルスの目が泳いで、青白い頬にだんだん赤みがさしていっているような。

「セブルス?」

 シャーロットの無自覚天然行動にやられたセブルスは、ゆでだこのように顔を赤くした後「きゅ〜」と音を立てて失神してしまった。

「え!?そんなっ……!セブルス!しっかり!」
「シャーロット。今のはさすがに心臓に悪いわ。セブルスがかわいそう」

 頬をぽっと赤くしたナルシッサが、ぽんとシャーロットの肩をたたく。――お姫様抱っこをしたまま、キスをするように顔を寄せたシャーロットの姿はまるで王子様のようで、談話室中の人間が目を奪われてしまっていた。

「シャーロット先輩、格好良い……」

 かわいらしいパジャマを着た『男の子』がふらりと倒れたのを皮切りに、鼻血を出す者、悲鳴を上げる者、感極まって泣き始める者が続出した。ナルシッサの努力も虚しく、スリザリン寮は再び混乱に陥ったのだった。



トワレの小瓶
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