2.迷子の彗星

「――と、いうわけで先生方もお手上げでのう。ビンズ先生に聞くところによると、どうやらこの呪いは今までに何度も発動しているようなのじゃが、しばらく経てば……まあ、半年とか?学期末くらいまでかの?それくらい経つと、何事もなかったように元に戻るらしい。まさに、時間が解決してくれるというやつじゃの。この際じゃ!みなでこの状況を楽しむというのはどうかの!」

 ――歓声とブーイングとともに、全校集会は幕を閉じた。リリー・エバンズは疲れきった表情で、いつもより少し小柄なダンブルドア校長と、それを必死の形相で追いかける背の高いマクゴナガルの背中を見送る。

 突然泣いている同級生に叩き起こされたかと思うと自分の身体は男性のものになってて、動揺した下級生たちは過呼吸になってしまっていて、自分含め上級生は体調不良を訴える『女の子たち』の世話に追われて、お馬鹿な男子たちは鼻血を出して倒れていて全然頼りにならなくて。途中でマクゴナガルが駆け付けてくれて特別に監督生のバスルームを開放してくれたから何とかなったものの、リリーはもうへろへろだった。

 ――中世騎士よろしくな男性用コスチュームに身を包んだマクゴナガルにその訳を尋ねたところ、『彼』は頬をぽっと赤らめて「……一度着てみたかったんですよ」と低い声で恥ずかしそうに告げた。そんな寮監は正直ちょっとかわいかった。生徒の異変に気が付くまで、教員たちもそれぞれの身体の変化を楽しんでいた最中だったらしい。

 その時、背後で歓喜の悲鳴が上がった。野太い声と黄色い声が混ざりあっていて、突然校内でクィディッチの試合が始まったのかと思った。
 どうせナンパなブラックか、アホのマルフォイがファンサービスでもなさってるんでしょう。リリーはまたため息をついて、人混みの中から親友の彼女の姿を探そうときょろきょろする。

「きゃあ〜!先輩かっこいい〜!」
「ありがとう。照れるなぁ」
「どちらへ行かれるんですかぁ〜?わたくしご一緒しても〜!?」
「あっ抜け駆けは禁止って言ったじゃない!ずるいわよっ!」
「あ、いた。リリー!――ごめんねみんな、また後で」
「きゃああ〜!ステキ〜!」

 急に呼ばれた自分の名前に、リリーは驚いて振り返る。
 ばたばたと勝手に倒れていく生徒の間を縫って、猛烈に顔の整った背の高い『男』がリリーに向かって駆け寄ってきていた。え?誰?私、あんなイケメン知り合いにいたっけ。リリーは混乱しながら、『彼』の抱擁を受け止める。

「リリー!会いたかった……!」
「え……っと、え!?もしかして、シャーロット!?」
「うん、正解。今、時間ある?」
「ええ、もちろん……」

 ――きらきらと柔らかな微笑を浮かべる男性版シャーロットは、王子様のように整った顔立ちに、彫刻のような美しいプロポーションを誇っていた。シャーロットはするりとリリーの手を取って、中庭へと誘う。


「そっかあ、グリフィンドールも大変だったんだねえ」
「大変っていうか、……男子が馬鹿すぎてもう、疲れちゃった。スリザリンは?」
「うちはたまたまナルシッサとルシウスが遊びに来ててね、あの二人がなんとかまとめてくれた。――ねえ、リーマス知らない?集会中も探したんだけど、見当たらなかったの」
「ルーピンなら、ポッターとピーターの付き添いで医務室にいると思う。ほんと彼がいてくれて助かったわ。――セブは大丈夫だった?あの人も大広間に来てなかったわよね?」
「セブは生理になっちゃった。重そうだったから、医務室で寝てると思う」
「あら……。ピーターも辛そうだったわ。とても可哀そうだった」
「ポッターは?」
「あいつは鼻血を出したのよ」
「ああ……」

 中庭をぶらぶらと歩きながら、二人はトイレやお風呂の相談をした。グリフィンドールでは早速風紀の乱れが起きつつあった。主に原因はポッターとブラックだが。
 スリザリンはそんなこと起きなきゃいいなあ、と楽観的な表情を浮かべるシャーロットに、風紀の乱れの原因を作りそうなのはお前だとリリーは指摘したくなった。王子様エフェクトのきらきらが、一周回って目に毒だった。



*



 リリーと別れた後、シャーロットは医務室に向かった。生理が来てしまった生徒、体調不良を訴える生徒、身体の変化に戸惑う生徒で医務室はぎゅうぎゅうになっていた。神経質そうなエプロン姿の男性が、医務室の隣の部屋を第二医務室とするのはどうかとフリットウィックと話しているのが聞こえた。頬を赤らめて壁の鏡に見惚れている老齢の女性の傍を通り過ぎると、『彼女』の足元でにゃあと猫が鳴いた。猫はご主人の変化に戸惑うように、すりすりと『彼女』の足に擦り寄っていた。

「――うわあ!」
「っ、と」

 カーテンの中から飛び出してきた小柄な生徒とぶつかってしまう。シャーロットは咄嗟に、よろめいた『彼女』の肩を掴んで引き寄せた。

「う、うう……っ、ぐすっ」
「ごめんね、痛かった?大丈夫?」

 ウェーブのかかった黒髪から覗いた灰色の瞳は濡れていて、シャーロットはあわてて『彼女』の背中をさすった。『彼女』も元は男子生徒だったのだろう。自分は比較的すんなりと現実を受け入れることが出来たが、そうではない生徒が大半だ。――彼も、突然の身体の変化に戸惑っているのかもしれない。
 それにしても、なんとなく誰かに似ている気がする。こちらを睨みつける美しい『彼女』を抱き締めながら、はてとシャーロットは考えた。自寮の先輩であるベラトリックス・レストレンジの顔が浮かんだシャーロットが、「あ」と声を上げた瞬間、


「くっそおおおお!!!何でだよ何でだよ何でだよっ!!!!ちんこが無きゃヤることヤれねーじゃねえかよばかああああ!!!!!だああ腹立つ!誰だか知らんが王子様オーラ振りまきやがってこの野郎!このやろーー!!」
「え?うわあ!?あれ、シリウス!?……だよね?」

 ぽかすかとシャーロットの胸を叩く黒髪の『美少女』――シリウス・ブラックに気圧されてシャーロットは後ずさる。だけど涙目で睨んでくるシリウスは正直なところ、とっても可愛かった。
 羨ましいだの腹が立つだのそこの立ち位置は本来俺のものだの言いながら泣きわめくシリウスをおーよしよしと慰めていると、眼鏡をかけた天パの『女の子』が現れてシリウスをべりり!とシャーロットから引き剥がした。

「こらこらシリウスよ。せっかくの美少女が台無しだぞ」
「あ、まさか鼻血出したポッター?」
「……え、何で知ってるの。え、エバンズから聞いた?てことは君はベイカーかい?」
「シャーロット姉さん!?姉さんが来てるの!?」

 シャァッ!とカーテンが思いきり開いて、ぶかぶかのシャツとジーンズを身に着けた鳶色の髪の『少女』が飛び出してくる。

「え……リ……リーマス?」

 シャーロットは目を疑った。

 ――リーマス・ルーピンとシャーロット・ベイカーは親同士がホグワーツの同窓であった縁で、幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしてきたという過去があった。
 見た目も性格もゆるふわな姉貴分のシャーロットを、しっかり者で面倒見の良いリーマスが支える。『人狼』となってしまったがゆえに心身ともに虚弱気味のリーマスを、ちょっとのことでは決してへこたれないシャーロットが励ましサポートする。
 シャーロットはリーマスを弟のようにかわいがっていたし、リーマスはシャーロットを姉のように慕っていた。

 そう、二人は姉弟のように育った。二人で遊ぶ中には、当たり前のように『着せ替え人形遊び』も含まれていた。
 ーーリーマスはシャーロットの弟分だった。だから二人の『着せ替え人形遊び』ではもちろん、『お人形』はリーマスだった。

 リーマスかわいい!とはしゃぐシャーロットはとってもかわいくて、「シャーロットがそう言うなら僕、すごく可愛いんだろうなあ」と本心から信じていた時代があった。
 母親の化粧道具を勝手に持ち出して、リーマスの顔に真剣にメイクを施すシャーロットもやっぱりかわいかった。鏡に映る自分は白粉と口紅がべちょべちょしていて変だったけど、「シャーロットがそう言うなら僕、すごく可愛いんだろうな」と結構素直に信じ込んでいた。
 ホグワーツに入って、ジェームズとシリウスに真実を突きつけられた日はかなり本気で泣いた。

 あれ、何でこんなこと思い出すんだろ。
 ーー突然目の色を変えたシャーロットに怯えながら、リーマスの頭は妙に冷静だった。

「……か、かわいい」
「ね、姉さん……?」

 ゆらり、とシャーロットの長身が揺れる。逃げようと思った時にはもう遅かった。リーマスの肩を、シャーロットの両手がガッと掴む。

「……かわいい。やっぱりかわいいよ、リーマス!リーマス、ねえ、リーマス!どうしてそんなにかわいいの!な、なんでなんでなんでそんなぶかぶかな服着てるの!勿体無い、もっとかわいい服着ようよ!」
「ちょっ、姉さん!?」
「アクシオ、身長計!」
「わあ!」
「ほら!昨日までの私と身長同じじゃない!私のお部屋においで!せっかくなんだから可愛い服着ましょうよリーマス!!ねえ良いでしょうリーマス!」
「え、あ、え……えと」

 ーー習慣でシャーロットだと飛びついてしまったが、間違いだったのかもしれない。
 恍惚の表情でリーマスの肩を揺さぶるシャーロットは、男になっても相変わらず、見惚れてしまうほど美しかった。

 だから、リーマスは秒で絆された。気が付くと「わかったよ姉さん、着る!」と言ってしまっていた。だって仕方がない。リーマス・ルーピンはシャーロット・ベイカーの弟分なのだから。

「リーマス天使。大好き!かわいい!」
「うん!僕も大好きだよ、姉さん!」

 女神のような微笑みを湛えた姉さんは今日もとっても可愛い。長身を曲げて痛いほどに抱きしめてくるシャーロットを、リーマスは抱きしめ返す。ーーふと視線を感じて横を見ると、ジェームズとシリウスがドン引きしたような目でこちらを見ていた。

「何」
「やーいシスコン」
「ムーニーのシスコン」
「うるさい」

 リーマスはそう一蹴すると、大好きな姉――兄?−−に愛でられに戻ってしまう。
 いや、しかし、もしかして。ーージェームズは眼鏡のフレームをクイッを上げて、考える。頭脳明晰な彼は、新しいビジネスの形に辿り着きつつあった。


「ちょっとシャーロット、あんたこんなとこで何してんのよ」
「ん?うわ〜おエバンズ!君もベイカーに負けず劣らず美男子だなあ!」
「うるさい鼻血の変態ポッター」
「まったくぅそんな厳しいとこも大好きだよ」
「……ルーピン、マクゴナガル先生が呼んでる」

 リリーが呆れ顔で言うと、仕方なしといった顔でジェームズが灯希とリーマスをべりべりと引き剥がした。リリーに引きずられながら「姉さん!」と泣きそうな声で叫ぶリーマスに、シャーロットも「リーマス!」と手を伸ばす。お昼の刑事ドラマよろしくな茶番(本人たちはいたって真面目である)は、医務室の主に叱られるまで続いた。



トワレの小瓶
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