7.空を飛ぶということ

 まだ夜も明けていない頃。ふと目を覚ましたシャーロットが枕もとを見ると、粉々になった目覚まし時計が散らばっていた。

「…………」

 ……えーっと。
 シャーロットは一瞬動きを止めて、考えを巡らせ――とある推理を導き出した。

 深夜、誰かに秘密のプレゼントを贈るために、こっそりふくろうが派遣された。それはシャーロットの隣のベッドの子だったかもしれない。向かいのベッドの子だったかもしれない。はたまた……。しかしかわいそうに、件のふくろうは今回が初めての配達だった。深夜にこっそりスリザリンの闇夜を羽ばたくのは、新人のふくろうにとって非常に難関なことである。だから彼、乃至彼女はプレゼントをよたよたと運ぶ最中、入り口の戸棚にぶつかってしまった。棚から落ちた本がサイドテーブルの林檎にぶつかって、転がった林檎がインク瓶を倒して、インクで滑った秤の重りが薬匙を弾き飛ばして、そしてーー

 不幸な事故である。これは仕方がない。誰も責めることができない。――うん、仕方がない。そういうこともある。



「何が『そういうこともある』だ。それ絶対寝ぼけたシャーロットが力任せに目覚まし時計ぶっ叩いたからだろ」
「でもセブ、私そこまで力持ちじゃないわ」
「……あのな、シャーロット。忘れてるのかもしれないけど、君って今『男の子』なんだぞ」


 きらきらの笑顔を浮かべた彼女に「ねえ聞いてよセブ!さっきすごいことが起こったの!」と叩き起こされたのはつい数分前のこと。時計の針が午前四時を示しているのを認識したセブルスは、ため息をつきながらズキズキ痛む頭を抱えた。僕まだ二時間しか寝れてないんだぞ、と恨みがましげに睨みつけてやると、不穏な空気を察したシャーロットは即座にセブルスのベッドに潜り込む。

「……」

 ――面倒くさくなったセブルスは、毛布からはみ出ているシャーロットの脚をぐいと押しやると、無理矢理ベッドの中に自身の身体を押し込んだ。ガサガサとシャーロットが身じろぎして、ぷはっと顔を覗かせる。

「もう寝る?」
「ああ。明日は七時起きだ」
「七時……早いね」
「いつも通りだ」

 薄暗い部屋の中に、シャーロットの青い瞳が揺れた。

「……君の部屋、目覚まし時計が無くなったんだろ。僕らは女子寮に入れないから、起こしに行けない。だから……仕方ないから、ここで寝ればいい」
「……!ほんと?」
「君がそう望むなら」

 嬉しそうなシャーロットがすりすりと頭を擦りつけてくる。これじゃほんとに大型犬だ、と苦笑交じりにシャーロットの髪を撫でてやると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。――さっきよりもずいぶん布団の中が温かい。セブルスもシャーロットの後を追うように、溶けるように眠りの中へ落ちていった。




*


「セブルス、まだ寝てるんですか?もう八時ですよ!七時半に談話室集合ってセブルスが昨日っ、……――う、うわあああああああ!?」
「――っ!な、なんだ!?」

 つんざくような悲鳴にセブルスは飛び起きる。見ると、レギュラスがセブルスを指差しながら、怯えた表情で後ずさっていた。

「そ、そんなっ……!うわあ……!?」
「……?」

 しばらく、セブルスは寝ぼけた頭のままぼんやりとレギュラスを眺めていた。まったく失礼な奴だな。人を指差してはいけないと教わらなかったのか。ていうか意外と声がデカイなこいつ云々。
 それにしても。妙な違和感にセブルスは首を傾げる。
 ……あれ?……うん?
 気が付いてはいけない気がした。
 ……何故だろう、何かがおかしい。
 セブルスの動物的直観が危険を告げる。何だろう、この胸騒ぎは。
 ……七時にしてはやけに、日が高いような。

「んん……何?レグ?どうしたの?」

 シャーロットもさすがに起きたらしい。セブルスはあまりにも恐ろしくて、シャーロットの腕を掴んだ。怪訝な表情を浮かべるシャーロットにお構いなく、セブルスはレギュラスの指先をおそるおそる辿る。

「……あ」

 セブルスとシャーロットの声が揃う。セブルスの枕もとには、粉々に破壊され尽された目覚まし時計が転がっていた。





*



「……と、いうわけで新人のふくろうの仕業でな、目覚まし時計がご臨終されたんだ」
「なーにが『というわけで』よ。それ絶対寝ぼけたシャーロットが力任せに目覚まし時計ぶっ叩いたからじゃない」
「何言ってるんだ。シャーロットがそんな怪力なわけがないだろう」
「……あのね、セブルス。忘れてるのかもしれないけど、今シャーロットって『男の子』なのよ」

 リリーは呆れ顔である。申し訳なさそうに身体を縮こませながら、シャーロットが言った。

「セブごめんね。弁償するから、ふくろう通信の中で気に入った時計があったら教えて」
「いや、構わない。確かまだ保証期間内だからな。後でふくろう便で修理依頼を出すつもりだ」

 自宅へ戻る準備に追われる生徒たちで、校内はどこか慌ただしい。大広間は別れを惜しみあう生徒たちでいっぱいで、みんな寮にこだわらず、おもいおもいの席に座っている。空いている席はないかとシャーロットたちがきょろきょろしていると、

「あの、シャーロットさん……!リリーさん……!」

 レイブンクローの下級生だった。何か思いつめたような、ただならぬ気配を漂わせている。レギュラスが人ごみをかきわけてやってきた。

「先輩。誰ですかこいつ、追い払ってきていいですか」
「でも何か言いたそうじゃない?」
「いいか、シャーロット。君、そういう無駄な優しさが災難を引き寄せてるんだぞ」
「そうですよ先輩。スリザリン生なら、切り捨てることも覚えるべきです」

 セブルスとレギュラスがシャーロットの脇をガッチリ固めながらひそひそと言葉を交わす。下級生が一瞬怖気づいたのを見て、リリーが笑顔でセブルスとレギュラスを押し退けた。

「ごめんなさいね、この人たち、事あるごとにすぐ物騒なこと考えちゃう癖があるの。多分悪い人たちじゃないんだけど。……で、何の用かしら?」
「えっと……その」

 『彼』の目が泳いだ。口がぱくぱく動く。しびれを切らしたセブルスが「おい」とリリーの肩を掴んだ瞬間、

「あの、これ、受け取ってくださいっ!」

 ばさっ!――シャーロットの目の前に豪華絢爛な花束が差し出される。シャーロットは目を点にした。

「え……わ、私に?」
「はいっ……!わ、わたし、本当は家に帰りたくないんですっ!とっても素敵なシャーロットさんや、リリーさん……みなさまのお姿を、この目にしかと焼きつけたいと!そう思っているんですが、両親の許可が下りなくて……!帰って来いって……!」

 そこまで言って、レイブンクローの下級生はわっと泣き出してしまった。近くで様子を見守っていたらしいレイブンクローの級友たちが、わらわらと駆け寄ってくる。

「だ、だから、本当に大したものじゃ、ないんですが……っ!受け取ってくださいっ!わたしの気持ちです!シャーロットさん、いつまでもお元気でっ……!」

 シャーロットはまだ五年生なので今生の別れというわけではないはずなのだが、来年度まで自宅で過ごす『彼』は、今この瞬間が男性バージョンのシャーロットの見納めらしい。――今にも崩れ落ちそうな下級生に、シャーロットは立ち上がって手を差し出した。

「ありがとう。とっても素敵な贈り物、本当にうれしい。……私、きっと大切にするね。あなたも、来年まで元気でね」
「ア、ア、ア、ア……」

 下級生が震えながらシャーロットと握手する。顔を真っ赤にする『彼』にシャーロットが首を傾げると、『彼』は悟りを開いたような微笑を浮かべたまま級友たちの腕の中に倒れた。

「急患―ッ!!!!!」

 ホグワーツの臨機応変な文化は今回の状況においても遺憾なく発揮されているようで、流れ作業で生徒が運ばれていく。シャーロットは握手をしたポーズのまま、ぽつんと通路に残される。


 ――そこからは祭りだった。

 本心では学校に残りたいが、親の意向で帰宅する生徒は存外たくさんいたらしい。
 あわててふくろう通信に目を通す者、「ちょっと花摘んでくる!」と校舎の外へ駆けだす者、などなど大広間は再び阿鼻叫喚の地獄へ陥った。中でも特に多かったのは、パイオニアの勇気ある行動に背中を押され、プレゼントを抱えてシャーロットのもとへ押しかけてくる生徒たちである。

「ちょっ、シャーロット!僕の手に掴まれ!」

 むぎゅっ

「いやああセブ!あああセブが人ごみに吸い込まれ、――ああっ!セブー!」

 むぎゅっ

「くっ、シャーロット先輩に近づくなこの不埒者!!……え?……これ、僕に?」

 むぎゅむぎゅっ




「はーーーーいちょーーーーっとどいたどいたぁ!!!」

 威勢のいい声とともに、通路を擦る車輪の音が生徒たちを跳ね除ける。もみくちゃにされているシャーロットがその音の正体を求めて顔を上げた途端、どこかから這い出てきたセブルスがシャーロットのシャツを掴んだ。

「ウィンガーディアム・レビオーサ!」
「セブッ……!?」

 ふわりと浮遊感が身体を襲う。次の瞬間、シャーロットは大広間をひとりでに走り抜ける猫車に放り投げられていた。シャーロットを受け止めたシリウスが鬼の形相で叫ぶ。

「あっぶねー!まともな魔法も使えねーのかスニベルス!」
「クソッ!何でよりによってお前らなんだっ……!」
「エバンズ!君も乗れ!」
「ポッター!?――きゃあ!」

 高速で自走する荷押し車に、成す術もない生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

「はっはー!爽快だな!」
「ちょっと、何よこれ!?」
「見て分かるだろう?我ら悪戯仕掛人が開発した『びゅんびゅん!走るくん』さ。咄嗟の逃亡時にいかが?」
「すごい!――ありがとう、二人とも!」

 ネーミングセンスはさておき、助けられたのは確かなのでシャーロットは素直に感謝の言葉を述べる。――とはいえ、めまぐるしい勢いで校内を駆け巡っているものだから、ほとんど絶叫のような声ではあったが。
 しかし、悪戯仕掛人と5年間同じ寮で過ごしているリリーの反応は違った。リリーは焦ったような怒ったような表情でジェームズを怒鳴りつけた。

「馬鹿ポッター!あんた何巻き込んでくれてんのよ!」
「わおエバンズ!何が不満なんだい?」
「これ、絶対ひどい怪我するじゃない!もう!私だけじゃなくシャーロットもいるのに!」
「怒るなって!だってあのままだと君たち、大変なことになってたぞ!」
「あのね、私が言いたいのは!この後私たちどうなるのってこと!」
「この後?そうだな!デートでもするかい?」
「ばっかじゃないの!このボケナス!あんぽんたん!クソ眼鏡!」

 親友の泣き出しそうな声にただならぬものを感じて、シャーロットは大声で尋ねた。

「ねえリリー、どういうことなの!?」
「だからっ……だから!ああ!!あのね、たぶんこいつら、この台車、止められないのよー!!」
「えーーーー!?」
「まだ試作品だからな!どっかの壁にぶつかればまあ止まるだろ!」

 シリウスが楽観的にそう言ってのける。ジェームズも余裕そうにリリーに微笑む、がーー次の瞬間、顔色を変えた。とてつもなく嫌な予感がして、思わずリリーと身を寄せ合う。

「まずいっ……!『走るくん』の進路が狂った!天文台の塔に向かってるぞ……!」
「えーー!?そ、そんな!どうにかならないの!?」
「こいつら馬鹿だから、どうせそんな仕掛け作ってないに決まってるわー!!」
「な、なんでええ!!リリー!どうしよう!」
「落ち着け馬鹿!――プロングズ!5階の物置に突っ込む手筈じゃなかったのか!?」
「もしかしたらスタート地点を計測し間違えたかもしれない!――ああ、でも最高に楽しいよ!スリル満点!」
「馬ッッ鹿ポッター!あんたなんかトロールの糞桶がお似合いよ!」

 ジェームズがリリーに罵倒される横で、シリウスが『検知不可能拡大呪文』をかけた布袋の中に腕を突っ込んで何かを引きずり出した。

「それ、緊急脱出用のパラシュートかい!?僕そんなの入れてないぞ!」
「ムーニーの野郎が準備してくれたんだろうよ!――ほれ、着ろ!」

 この時ほどシリウスを頼もしく思った瞬間は無い。しかし次の瞬間、シリウスの背後に見えた光景にシャーロットは悲鳴を上げた。

「え!?階段もうす、ぐ――あ、いやあああああ!!!」
「きゃあああああああああ!!!!!」
「ひゃっほーーーう!!!!」
「俺に掴まれ、シャーロット!」

 ――ここまで誰一人として魔法を使うことを考えていないあたり、魔法界における「魔法使いは緊急事態に自身が魔法使いであることを忘れる」法則の根強さを感じざるを得ない。
 車輪がギュルン、と火花を散らしながら天文台の塔の煉瓦を蹴り飛ばして、四人は空中に投げ出された。



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セブルス・スネイプくんは日の高さで時刻を把握できるタイプ。

トワレの小瓶
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