ある日のホグズミード行き

「いいか、ホッグズ・ヘッドには絶対に入っちゃだめだ。昼間からあの居酒屋に入り浸るやつは、大概ろくでもないからな……」
「セブ、無理しないで。今日は休日だし、私このままでも平気よ?」
「だめだ、せっかくの外出なんだから」

ホグワーツ魔法学校医務室。私はセブルス・スネイプに髪の毛を梳かされていた。
救護室の主であるマダム・ポンフリーが、棚の薬品を整理しながらちょっと怒ったようにこっちをちらちら見ている。それもそのはず、セブルスは昨晩大広間で倒れたれっきとした『病人』なのだ。マダムの目には、私が満身創痍のセブをこきつかっている女生徒に見えているに違いない……。
あとで釈明に行かなきゃ。私は小さく溜息をついて、ちょっと首をすくめた。

「おい、動くな」
「ごめんなさい。でもセブ、悪化したらどうするの?寝てた方がいいわよ」
「ただの風邪だ……心配ない」
「心配するわよ。セブってば、過保護すぎるわ。私の髪の毛なんか放っといてよ」
「君の暴れ柳のようなこの髪をかい?そんなの愚か者のすることだよ」
「ひどい」

私が頬をふくらませて言うと、セブは鼻でフンと笑った。

「何言ってんだ、ほんとのことだろ」


私はいわゆる癖っ毛というやつで、毎朝髪の毛がライオンのたてがみが如く、ぼんわりと爆発してしまう。数年前セブルスが専用の薬剤を調合してくれてから、ちょっとはマシになってきたけれど、セブに言わせると『あかちゃんがはいはいできるようになった程度の進歩』でしかないらしい。

一体彼はどこを目指しているのか。
私にはよくわからない。
……はいはいできるようになるのって、十分すごいと思うけどな。

でもいまだにどんな強力なスタイリング剤を駆使して頑張っても、夕方には見る影もなくごちゃごちゃになってしまうのは否定できない。やはり『あかちゃんがはいはいできるようになった程度の進歩』は、微細な改良にしか過ぎないということなのだろうか。

しかしこんな私の髪でもセブルスが結うと不思議と、なぜか不思議と、ほんとうに不思議と、一日中きれいな髪形が維持されるのだった。十数年間どうにもならなかった癖毛が、セブの思うまま素直にまとまってゆく様には舌を巻くことしかできなかった(これは個人的『ホグワーツ七不思議』のひとつだ)。
そしてセブが毎朝私の髪を結ってくれるようになって、早5年。今では彼はもはや、私の専属ヘアスタイリスト的な何かと化しているのだった。

セブの節くれだった手が、私の髪を器用に編み込んでゆく。
体調は大丈夫か、とふくろうで手紙を送った私のもとに返ってきた細い紙きれには短く『その髪のままホグズミードに行く気か』というメッセージと、いくつかの薬剤を箇条書きにした走り書きが記してあった。何度手紙を送ってもセブは髪を結うといって聞かず、私は『これ以上救護室をふくろうが往来するのは、マダム・ポンフリーが良い顔をしないだろう』という冷静な脅しに負け、重たい薬品瓶と櫛を抱えて救護室まで足を運ぶ羽目になったのだ。


……私はなんとなくそれとなく、何度目かの質問をセブに投げかけようとする。

「……そのスタイリング剤の調合って」
「駄目だ。絶対に教えない」

 即答である。

「何度も言うが、この調合は僕だけの秘密だ」
「ドケチ半純血のプリンス」
「なんとでも言え」

 セブルスが笑ってそう言ったのを聞いて、私は急にさみしくなった。よく考えてみたら、ホグズミード行きにセブルスが一緒でないのはこれがはじめてだ。私はしょんぼりして言った。

「ねえセブルス、私やっぱり行かない……」
「は?どうして?リリーと行く約束したんだろ?」
「そうだけど……」

 やっぱり、世界で一番仲良しのセブが一緒でないのはどうしようもなく悲しかった。でも確かに、昨晩セブが倒れたのを知って、わざわざスリザリンの寮までホグズミードに誘いに来てくれた優しいリリーとの約束を無碍にすることなんてできない。

「……ヒルの脾臓と雛菊の種と、満月草の花束を買ってきてくれ」

 私がおみやげは何が良いか尋ねる前に、セブルスはそう言った。セブの枕もとからリボンが飛んできて、私の髪にしゅるりと巻き付く。今日はゆるめの編み込みハーフアップのようだった。
 私は忘れないようメモ帳に全部書き付けた。それでもやっぱり悲しくて、知らず知らずのうちに肩を落としてしまう。私はセブルスの手を両手で握った。

「激辛ペッパーも買ってきてあげるわ」
「いや……それはいいかな」
「蛙チョコとヌガーと砂糖羽ペンと、それからバタービールもたくさん買ってくるから。元気になったら食べましょうね」
「……そんなにたくさん、どうやって持ち帰ってくるつもりだい?」
「あら、リリーがいるもの。二人だったらなんでも運べるわ」

 そう胸を張る私に、セブルスが呆れ顔で言った。

「可愛いリリーを変なことに巻き込まないでくれよ……」
「え?」


 その一言に、少しだけ身体が固まってしまう。そうだった……最近おとなしかったからあまり意識していなかったけれど、セブルスが(一方的に)リリーに好意を寄せているのは、ホグワーツで生活している者なら誰でも(きっと屋敷しもべ妖精でさえも)知っていることだった。一方的っていうのは、その……私は、実はリリーがあのジェームズ・ポッターのことを好きなんだってこと、知っちゃってるからなんだけど。
 ……こんなことセブルスに知らせたら、ホグワーツ中が闇の魔術の罠だらけになってしまう。ポッター一味だけでなく、魔法省すらも敵に回す事態に成りかねない……。


 私とセブルスはいつも一緒でなんでも話せる仲だけど、あくまでただの『親友』なのだ。ただの親友。そんな事実が私の胸にちょっと重くのしかかって、なんだかムカムカしてきてしまって、私はぶっきらぼうに言った。

「……あなたって本当にばかね」
「は?」
「ばかもばか、筋金入りの本格的なばかよ。おみやげは、全部ゾンコのお店で買ってきてあげますからね!」

 セブルスはぽかんと間抜けな顔をしている。勿論セブルスは悪くない、悪いのは切り替えられない私なのだ。わかっている。わかっているけど。
 私の声を聞きつけて、何人かの生徒がベッドから身を起こしてこちらを覗き見てくるのが見えた。そういえば、風邪が流行しすぎて薬が切れちゃったせいで、救護室のベッドは連日満員なんだっけ。

「……大声出しちゃってごめんなさい。お大事に、さよなら」
「お、おい、シャーロット……」

自分勝手な気持ちをぶつけて八つ当たりをしている自分がなんだか情けなく思えてきて、私はカバンをひったくって救護室から逃げ出した。毎日一緒にいてくれるくせに、優しい声で『シャーロット』って呼んでくるくせに。セブルスのびっくりした顔が脳裏を掠めた。喉の奥がぎゅっと苦しくなって、私は廊下の隅でこっそり泣いた。




「……えっ、喧嘩したの?」

 ホグズミードへの道を歩きながら今朝の顛末を話すと、リリーは驚いたようにそう言った。

「喧嘩ってわけじゃないんだけど……」
「まあでも、なんにせよ私は、100%セブルスが悪いと思うわ」

 なんだかよくわからないけれど、リリーの言葉には言い知れぬ謎の安心感があった。確かにセブの幼馴染がそう言うのならそうよね、と私は自分を無理やり納得させて、目の前の楽しいことを考えるのに集中した。新しくできた服飾店では流行りのデザインのワンピースを3着と、行きつけの文房具屋さんではちょっと高めの羽ペンをふたつ買った。それから地味な靴下を五組と、地味なシャツを二着と、それから真っ黒なスラックスを一本と……


「ちょっと……ちょっと、シャーロット」
「何?リリー、こっちとそっち、どっちの方が良いと思う?」
「ねえシャーロット、どっちも良いと思うけれど、一度目を覚ましてちょうだい。その銀の杓子は、一体誰のために買おうとしてるの?」
「……あれ?」

 私はダービシュ・アンド・バンクス魔法用具専門店の真ん中で、ぽとりと手に持っていた杓子を落とした。カランカランと金属質な音をたてて、杓子が石畳の床を転がっていく。部屋の奥に座る店主の目がぎろりと光った。リリーが店主のもとへすっとんでいく。

「すみません、これ、買い取ります。いくらですか?」

 結構な値段が店主の口から漏れ出たのが聞こえたけれど、そんなことに気を回すほど、私は元気じゃなかった。
 私たちは無言で店を出た。頭上で錆びついた色のドアベルが、虚しく鳴り響く。


「……ね、シャーロット、元気出して。そういうこともあるわよ。ほら、バタービール飲みに行きましょ」

 リリーが私の肩を抱いて慰めてくれる。休日を大満喫中のホグワーツ生で溢れるホグズミード通りの人ごみをかきわけ、同じくホグワーツ生で混み合っている三本の箒の二人席にバタービールが運ばれたときやっと、私は口を開くことが出来た。

「……リリー、私、どうしよう……」
「そうね、しばらくは男性もののシャツと、スラックスと、靴下を履いて生活するしかないんじゃないかしら」

 あと、トランクス。とリリーは付け加えた。私は口の中がからからになっているのを感じながら、一生懸命記憶の糸を辿る。

「……うそ。私、全然覚えてない」
「シャーロット、それはその……仕方ないわ!物思いに耽ってるみたいに、ずっとぼんやりしてたもの。大丈夫よ、紳士服店の下着コーナーで真剣に吟味していたあなたの姿は、友達として責任もって忘れといてあげる」
「聞きたくなかった情報だわ……」

 私が深いためいきをついてバタービールに口をつけると、パシャッ大きなシャッター音が鳴った。私はびっくりして顔をあげる。少し大きめのカメラをこちらに向けたリリーが、ちょっと申し訳なさそうに言った。

「ごめん、こんな大きな音が鳴るなんて思ってなくて」
「わあすごい、カメラじゃない!買ったの?」
「いえ、そうじゃないんだけど……借りたの」

 リリーの言葉は妙に歯切れが悪くて、私は少し嫌な予感がした。……まさか。急にバタービールで胃もたれが起きたような感覚に襲われて、私はおなかをさすりながらおそるおそる尋ねる。

「……ねえリリー、嘘だって言ってちょうだいね」
「……えっと、嘘よ」
「絶対嘘じゃないじゃない〜〜〜〜!!!!」

 私は勢いのまま固い木のテーブルに突っ伏して、ガツンと頭を打った。リリーが慌てたように言う。

「あのねシャーロット、怒らないでちょうだい。私、セブルスが倒れた時に、あなたのこと誘おうってちゃぁんと考えてたの」

 リリーが周囲を気にして小声で言ったから、私たちは密談でもするかのように、くっつきそうなほど顔をつきあわせる。

「信じるわよリリー、私信じるからね」
「……そのあとセブルスからふくろうで手紙が来たの。自分の代わりにホグズミードに行ってやってほしいって」
「何それ、セブルスのくせに生意気じゃない?ムカついてきた」
「……ついでに、写真も撮ってこれたら撮ってきてほしいって」
「えっ、気持ち悪くない……?」
「私もそう思ったけど、カメラって触ったことなかったから……その……好奇心が勝っちゃって」

 私は昨日から今朝にかけてのセブルスの言動をすべて思い出す。そういえばホグズミードにリリーと行くなんて一言も言ってないのにあいつ知ってたな。
 一周回って拍子抜けしてしまって、私はちょっと笑ってしまった。
 というか、私の写真を撮ってどうしようというんだ。
 蒐集でもしてるのか。
 それとも新手の呪いでもかけようとしてるのか。

「あーあ、買ったもの全部シリウスにあげようかしら」
「……シリウスって、セブルスと好みも何もかも正反対じゃない?やめといた方がいいわ」
「そのシリウスなんだが」

 突然聞き覚えのある声が降ってきて、私たちは揃って顔をあげた。リーマスとジェームズが息をきらしながら私たちのテーブルの脇に立っていた。
 リリーが澄ました顔で言う。

「何かしら、二人とも」

 リリーはツンデレである。

「用がないならどこか行ってくれない?ポッター。私、今シャーロットとの時間を楽しんでるの」

 小学生男子もびっくりのツンデレっぷりであった。私はジェームズになんとなくなまぬるい(同情の)目線を注ぎながら、二人のただならぬ雰囲気に首を傾げた。私とリリーを離そうっていう芝居かしら?

「とにかく……とにかく、大変なんだ!君たちが三本の箒に入ってったって聞いて、僕たち……やばいぞ…………あいつら、退学処分になりかねない」
「どういうこと?」

 ジェームズのはちゃめちゃな説明に、私たちはキョトンと顔を見合わせた。もうちょっと分かりやすくないと芝居に便乗できないんだけど。リーマスが息を整えながらゆっくり言った。

「良いかいシャーロット…………落ち着いて聞くんだ。シリウスと、スネイプが」

 犬猿の仲の二人の名前がリーマスの口から飛び出て、私は急に冷水に打たれたような心地がした。

 セブルスと、シリウス?

「待って、リーマス、まさか……」
「そのまさかさ。……救護室で大喧嘩だ――――お互いカーテンで仕切られてたから、僕たちわからなかったんだ……まさか二人が隣同士のベッドなんてね」
「……最悪中の最悪じゃない……」

 素直な気持ちがぽろりと零れ落ちてしまう。
リーマスとジェームズの深刻な顔が大体の状況を物語っている。……私は頭が真っ白になるのを感じた。







 そこからの私たちの行動は早かった。リリーが荷物を運ぶ役目を買って出てくれて、私たち三人は身軽な状態でホグワーツまで走って戻った。さっきまでのおもしろおかしかった気持ちはどこかへ飛んで行ってしまって、私はやみくもに男子二人のあとを追った(リーマスは途中途中で私を気遣ってくれた。それから、あとでお詫びに高級チョコレートセットを持ってきてくれるとか言っていた気がする)。

 校舎に残っていた一・二年生を突き飛ばすように走ったせいで管理人のおじいさんに大きな罵声を浴びせられたけど、立ち止まって謝るほど私たちには余裕が無かった。滑るように救護室に駆け込むと、入り口の近くに困り顔のマダム・ポンフリーが立っていて、ぶつかりそうになる。

「あ、ああ……マダム、ごきげんよう」

 ジェームズがずりおちた眼鏡をかけなおしながらそう言った。

「僕たち、シリウスとスニベ……あー、スリザリンのスネイプ君が心配で、来たんですけど」
「まったく、あの二人には驚かされました!お互い病人なのに掴み合いの喧嘩なんかして!」
「えーっ!つ、掴み合いの喧嘩!?あのセブが!?」

 私はびっくりして腰を抜かしそうになった。マダムは呆れ顔で溜息をつく。

「そうですよ。喧嘩も大喧嘩、乱闘騒ぎも良いところです!おかげでカーテンとシーツはビリビリ、ベッドもほぼ破壊されたに等しい状態でした……ダンブルドア校長がすべて修復してくださいましたが、一時はどうなることかと」

 ……マダムはそうカンカンに怒りながら、目に涙を貯めていた。

「あの……マダム、本当にすみません……」
「うちのブラックとスネイプが迷惑をかけました」
「謝っても謝りきれません……」

 私たち三人は状況が飲み込めないながらも、マダムの背後で散らばった羽毛をせっせとかき集めている魔法のちりとりとか、痛々しくへこんでいる木の床を見て、はからずも同時に頭を下げた。

「……二人は今ダンブルドア校長と面会中です。椅子に座ってお待ちなさい」
「はい……」
「わかりました……」
「ごめんなさい……」

 私たちはマダムがあごで指した入り口の横の古いソファに、身を縮こませながら腰を下ろした。いつもはホグワーツを肩で風を切って歩いているジェームズですら、ちょっと申し訳なさそうな顔でマダムの後ろ姿を見送った。

「……二人とも、一体どうしてこんな騒ぎを起こしてしまったのかしら……」
「僕たちもハグリッドから聞いた話しか知らないんだけど、足の付け根のほくろ?がなんだの叫びながら喧嘩してたらしい」

 私はリーマスの言葉が理解できずにぽかんと口をあけた。リーマスも自分で言ってわけがわからないらしく、首をかしげている。ジェームズだけがニヤリと笑った。

「だからさ、リーマス言ってんじゃん。女だって」
「こらジェームズ。そんなことを女子の前で言うんじゃないよ」
「監督生様は紳士でございますねえ」
「女って、どういうこと?」
「どういうことってそういうことだよ……イテッ!リーマス、拳骨はやめろって!」

 そんなこんなで三人でひそひそと事の原因を邪推していると、シャッとカーテンの開く音がして、ダンブルドア校長が何やら中に一言二言、声をかけながら出てきた。

「ダンブルドア先生!」

 私たちはソファから飛び降りて、わっと駆けだす。ダンブルドア校長は人の好さそうな笑みを浮かべながら、半月型の眼鏡からキラキラした瞳を覗かせた。

「困ったことに二人ともなかなか口を割らんでな。じゃがまあ、理由が深刻でのうて良かった」
「先生、シリウスが退学処分になるって本当ですか」
「はて?さてはハグリッドから話を聞いたのかの。あの男は少しばかり事を悪い方向へ考えてしまうのが良くない癖でな。安心なさい、退学処分にはせんよ。無論、ミスター・スネイプも、な」

 それぞれの寮から減点はさせてもらったがの、とダンブルドア校長はお茶目にウインクして言った。こんな大事が、減点くらいで済んだならば万々歳である。私たちは顔を見合わせながら、ほっと安堵の溜息をついた。

「しかし、君たちの仲間を思う気持ちは称賛に値する。グリフィンドールとスリザリンに10点ずつ与えよう」
「ダンブルドア校長、優しすぎやしませんか!?」
「ミスター・ポッター、不要ならば返してくれてもよいのじゃぞ」
「いや、いります、いります、とっても必要です」

 ジェームズがひきつった笑いを浮かべながら慌てふためく。私とリーマスはぷっと吹き出してしまった。ひとしきり笑った後、ダンブルドア校長に促されてジェームズ、リーマスの順にカーテンの中に入る。

「思春期真っ盛りの素直でない子供の心に必要なのは、甘いチョコレートじゃ。ハニーデュークスから菓子を取り寄せた。存分に語らいなさい。……おお、ミス・エバンズも招待してもよろしいかな?」
「ええ、もちろん。あー……リリーはちょっと嫌がりそうですけど、きっと来ます」

 私がそう言うと、ダンブルドア校長は謎めいたほほえみを浮かべながら立ち去って行った。私は少し引っかかるものがあって、首を傾げながらも頭を下げて校長を見送った。
 ジェームズがカーテンからひょっこり顔を出した。

「おい、ベイカーも早くこっち来いよ。お菓子が山積みだぜ」
「もう、あなたたち、ちゃんと校長先生のことお見送りしなさいよ」

 わりいわりい、とジェームズは言いながら、私の手を引っ張ってカーテンの中に引き込んだ。

「スニベリーがうるさいんだよ、僕たちだけだと」
「ポッター、二度とその名で呼ぶな!」

 包帯でぐるぐる巻きにされたセブルスが、むっつりとした顔でジェームズに吠えた。ジェームズが肩を竦めながら言う。

「はいはい、半純血のプリンス様は怖うござんすね」
「何よセブ、良いじゃない。私、泣き虫スニベルスなセブが好きよ」

 私はセブのベッドに腰かけて、セブとシリウスの間に置かれたお菓子のテーブルをがさがさ漁った。セブが苦虫を噛み潰したような顔をしたから、口の中に蛙チョコを詰め込んでやる。同じく包帯でぐるぐる巻きのシリウスが、機嫌が悪そうに言った。

「お前も変わってるよな。人畜無害な天使みたいな顔してるくせによ」
「おいシリウス、天使様は慈悲深いんだ。泣き虫スニベルスのことも平等に愛してくださるんだよ」
「……あ〜あそういうことか!違いない!そうでもなきゃこんなきれいな生き物が、あのスニベルスのことを好くわけないよなあ」

 愉快そうに笑うジェームズとシリウス、無心でマグルのチョコを食べ比べするリーマス、そしてうるさそうに顔をしかめるセブルス。なんだかとっても頓珍漢な集まりだった。私はセブルスがちょっとかわいそうになって、早くリリー来ないかな、なんて思いながらまずそうな色をした百味ビーンズをセブの口の中に放り込んでいた。

「おい見ろよ、ジェームズ。今日なんて髪形もあいまって、女神様みてえだ」
「僕はエヴァンズ一筋だから明言は避けさせてもらうけど、確かにスニベルスじゃあかなり勿体ないよな、ウン」
「まあ!でも、この髪を結ったのはセブよ」

 イチゴ味のグミを食べながらの私の言葉に、シリウスはなぜかムスッとした表情でぶっきらぼうに言った。

「ああ、知ってるさ。横で全部聞いてたからな」
「二人とも、いつからベッドが隣だったわけ?……あ、シャーロット、このチョコおいしかったよ。食べてごらん?」
「今朝からだよ。昨日から体調が辛くて、諦めて朝食の前に救護室に行ったんだ。結局風邪だったから、薬が出来るまで安静にしなきゃいけないことになってね……空いてるベッドがたまたまスニベルスの横だったってわけ」
「だからってこんな大騒ぎになっちゃうほど喧嘩するなよ。シリウスもスニベルスも、この年の魔法使いの中では利口の部類に入るだろ?それくらいの判断はさすがにつくはずだぜ」

 ジェームズの冷静な突っ込みに、私とリーマスは揃って頷く。シリウスが自嘲気味に言った。

「笑えよ、俺はな……シャーロットとこいつの、痴話喧嘩に口を出しちまったんだ」
「は?痴話喧嘩?」

 私は心当たりがなくて……
……あ。あった。そういえば、私、朝セブと喧嘩したんだっけ。
喧嘩っていうか、私の一方的な八つ当たりに近かったけど。

「スニベルスが恋愛下手なのは今に始まったことじゃないだろ」
「シリウス、それは本当にどうしても我慢出来なかったことのか?いつもみたいにキレてやってしまったってわけじゃないだろうね?……はあ、ジェームズか僕が残るべきだった」

 リーマスもジェームズも、どちらもひどい言い様である。
 シリウスが眉を八の字にして嘆いた。

「お前ら、俺の話聞きゃあスニベルスがどんな酷い男かわかってくれるって。……シャーロット、お前さえ良ければこいつらに話して聞かせてやるんだけど」
「良いよ、別に。セブも良いよね?」
「……ああ」

 セブルスが返事をする前に、シリウスは朝の私たちの喧嘩(という名の私の八つ当たり)について彼自身の解説や考察を交えながら詳細に話し始めた。私はシリウスの語りをぼんやり聞きながら、セブルスの長い睫毛を見つめていた。

「スニベルス、お前……ひどいなあ。そんなんだからエバンズにもベイカーにも振られちまうんだ」

 開口一番、ジェームズがそう言った。リーマスは気の毒そうな視線をセブルスにちらりと浴びせてから、ジェームズに同意した(リーマスはなんだかんだ、誰に対しても公平なところがあるようだった)。

「……いや、まだ振られてない。多分」

 ボソッとセブルスが呟いた。即座にグリフィンドール勢からブーイングが飛ぶ。私はあわててカーテンに防音魔法をかけて、中の声が救護室にうるさく響かないようにした。

「馬鹿野郎スニベルス、往生際が悪いぞ」
「あんなん振られたも同然だぜ」
「スニベルス、素直になるが吉だって前に言ったじゃないか。忘れたのかい?」

 四人の顔がぐるりとこっちを向く。

「な、なによ……」
「で、振ったの?ベイカーの姉さんは」
「シャーロット、そこははっきりさせた方が良いよ。男女関係はそういうところが後々面倒になるからね」
「なあ、スニベルスなんかやめて俺とくっつこうぜ。いいだろ?」
「……えーっと……」

 私は結論を迫る男子たちの視線に根負けしそうになりながら、言い逃れるための言い訳を必死で探した。

「……あー、オーケイ。でもそうね、大喧嘩の理由を聞かなきゃなんとも言えない、かな。ね、教えて」

 シリウスとジェームズが、は〜〜〜〜〜っと大きな溜息をついた。リーマスはニコニコしているけど、それでもちょっと残念そうな顔を隠せないでいる。この閉鎖的な校舎の中に閉じ込められた学生たちが求める娯楽はいわゆる……『恋バナ』なのだから仕方ないのは仕方ないのだろうけれど、私は居心地が悪くてしょうがなかった。そしてセブルスはというと、ぎゅっと固くつむった目をそーっとあけながら、安心したような表情を浮かべている。この人はこういうところが本当に弱虫で、かわいい。

 シリウスがふてくされたように乱暴にチョコレートの銀紙をこじあけながら、言った。

「……だから、俺は言ったんだよ。ひどいんじゃねーかって。シャーロットがかわいそうだって」
「シリウス、あなたってたまにすごく優しいのね」
「だろ?だから俺と付き合おうぜ」
「シリウス、軽口もいい加減にしろ。話すなら早く話せ」

 ジェームズが焦れたようにシリウスを小突いた。シリウスは顔を険しくした。

「こっから先はあまり覚えてねえけど。……いつもみたいに罵詈雑言を浴びせあったよ、確か。途中、マダム・ポンフリーが注意しに来たのも相まって、段々ヒートアップしてった」

 シリウスが黙った。ジェームズとリーマスがスナック菓子を頬張りながら、お互いの顔を見合わせる。

「悪いのはブラックだ」

 セブがそう小さく言った。ジェームズの手が出そうになったのを、リーマスが制止した。

「あいつ、言ったんだよ」

 セブルスは顔を赤らめながら、確かに言った。

「……シャーロットの脚の付け根にほくろがあるの、知ってるって」


 一瞬の静寂が、私たちの間の空気を支配した。私は震える声で、おそるおそる尋ねる。

「……えっ、誰が?」
「ブラックが」
「誰の?」
「君の」
「何を知ってるって?」
「……だから!……脚の付け根の、ほくろ」

 耳を真っ赤にさせて言うセブルスは、まるで清廉で純粋な乙女ヒロインのようだった。私はそんなセブと、不愉快そうに口を真一文字に結んでいるシリウスを交互に見比べる。

「……あー、うん。もしかしてシリウスに、……えーっと……私とやることやったんだって宣言されたから、乱闘になったってこと?」
「……そ!」

 セブは怒ったように(多分照れ隠し)言い捨てて、そのままふとんにくるまってしまった。

「……ほら、リーマスやっぱり女の話だったろ」
「……脚の付け根のほくろの謎、解けてよかったなあ。……でも僕は、実はスニベルスの脚の付け根に大きなほくろがあって、それを馬鹿にされて大喧嘩になった説をひっそり推してたんだけどなあ」
「わけわかんけえよ、なんでスニベルスの脚の付け根事情をシリウスが知ってることになってんだよ、気色わりいわ!」

 私は泣きそうになりながらセブルスの身体を揺すぶる。振り向いてもらえない片想いを嘆いて学校を飛び出したはずなのに、勝手にセブルスを振ったことになってるわ、ついにはシリウスと男女の関係を結んだことになってるわ、なんというか散々である。

「セブ〜!?お願い、こっち向いて!私あんな気持ち悪いやつと一線越えるわけないじゃないっ!ちょっと!馬鹿シリウス、なんとか言ってよ!」
「さっきから言ってんだって!俺、すげえ謝ってるしさ……でもずっとあれだから困ってんだよ。ダンブルドアがお前を呼んだのも、多分そのためさ。誤解を解くために、ってな」

 ああ、あの含み笑いはそういうことだったのか。私は急に合点がいって、肩の力が抜けた。真相を知った途端、シリウスへの怒りがこみあげてきて、私はずかずかとシリウスに詰め寄って制服のネクタイを掴んだ。

「もう、だからブラック家のダメな方って言われちゃうのよあなたは!」
「うるせえな!俺だってグリフィンドールの点数スリザリンの二倍引かれてんだぞ!お前んとこはさっきの加点でプラマイゼロかもしれないけど、俺んとこは半分しか挽回できてねえんだ!それくらい許せ!」
「前言撤回アンタってほんと最悪!この駄犬!スケベ!脳内下半身!」
「うるせースニベルスを黙らせる方法はそれくらいしか思いつかなかったんだよ馬鹿!」
「結局私とセブの関係悪化しちゃってるじゃない馬鹿!」

 リーマスが私とシリウスの間に割って入った。ジェームズがおせんべいをぼりぼり食べながら言った。

「まあでも、スニベルスもわかってんだろ。嘘だって。ただカッとなってシリウスに掴みかかっちゃったのがちょっと恥ずかしいだけだろ。ウーン、あ。…………なあスニベルス、ほんとにベイカーのこの髪の毛お前がやってんの?すげーな、どこでこんなの勉強してくんの?」
「……。図書館」

 もぞもぞとふとんから顔を出して、ボソッとセブルスが答えた。さすが次期クィディッチキャプテンだけあって、ジェームズは人心掌握術に長けている。でも多分、セブがちょろすぎるんだろうけど。
 ……私はセブが毎月女性ファッション誌を何冊か購読して、熱心に今時の流行のヘアスタイルを勉強していることは彼の名誉のためにも黙っておいてあげることにした(驚くべきことに、セブルスのベッドの下に隠されている秘密の雑誌は附箋が何枚も貼られ、気持ち悪いほどに赤ペンの書き込みがなされたキラキラティーンの女子向け雑誌なのだという。セブルスと同室のスリザリン生が教えてくれた)。

 私は、不機嫌そうにぼさぼさの黒髪を手櫛で梳かすセブルスに抱き着いた。

「うわっくっつくな、やめろ、気持ち悪いな!」
「何よ。私がシリウスとそんな仲になるだなんて思い込んでた人が、私にそんなこと言っちゃうんだ?」
「ばかだな君は。僕がそんな愚かな間違いをするだなんて、本気で思ってるのか!僕はただ、シャーロット、虚偽の関係を吹聴しようとしたあいつを成敗しようと思ってっ……」

 セブルスは怒ってそうまくしたてたかと思うと、また耳を真っ赤にして俯いてしまった。私は恥ずかしいやら嬉しいやらで、呆れて言った。

「……セブ、あなたって本当にばかね。筋金入りのばかね」
「何言ってんだ、ばかは君だろう」
「は?」
「今朝の話だよ。君は知らないのかもしれないけど、僕は君が可愛いのも全部知ってる。そんなこともわからないのか君は」

 ……ええっと、この男は何を言ってるんだ?
 
「……は?わかんないわよ。セブルスのばか」
「ほら、やっぱりばかじゃないか。やーいばか、魔法薬学万年可のばーか」
「何よ、あなたこそ……あれ?あなたほとんどの教科優じゃなかったけ?」
「ハン!ばか。ひれ伏せばーか。グスン」
「ばかばかうるさいわねばか!うわああああん」

 グリフィンドール勢から贈られる冷ややかな視線を真っ向から受けながら、私たちは泣きながらひしっとお互いに抱き合っていた。よかった、本当によかった。実際何がよかったのかよくわかってないけれど、本当によかった。

「……何これ。こんな馬鹿みたいな喧嘩を見せつけられたわけ?シリウスお前、かわいそうだなあ」
「だろ?自分が可哀そうすぎて泣けてきたぜ。なあ、慰めてくれよ、我が友ジェームズ……」

 シリウスとジェームズがげんなりとした顔で肩を組む横で、リーマスはマイペースにチョコレートを食べている。カーテンの中の簡易式お菓子パーティー会場は、なんとも言えぬカオス空間になりつつあった。

「あのー…」

 リリーがひょこりとカーテンから顔を出した。

「あら、なぁんだ。来てみたらお通夜状態だったからびっくりしちゃったけど、中はこんなににぎやかなのね。まだお菓子はある?……え、セブルスとシャーロット、あなたたちまだ喧嘩してるの?そろそろ素直になりなさいよ……あ、待って。出来ればポッターから一番遠い席が良いんだけど……」




《終》