優しくつつみこむように
びっくりするほど恐ろしい夢を見た。現実かと見まごうほどに、妙にリアルで生々しい夢。それが夢だとやっと理解できたのは、ベッドから飛び起きてしばらく経った後。
サイドテーブルの時計は深夜の2時を指していた。私は震える手で水差しを手に取る。
同室の女子は全員すやすやと寝息を立てて眠っていた。シインと静まり返った地下牢は私の不安をかきたてる。我慢できずに私は忍び足で寝室を飛び出した。談話室を抜けて、男子部屋への扉をくぐって、私は目当ての寝室にそろりそろりと侵入する。
入って、右から二番目のベッド。
白いシーツがゆっくりと上下しているのを見て、私はほっと一安心する。魔法で地下牢部屋の天窓に映し出された月明かりが、長い睫毛を照らしていた。よかった。ほんとにいなくなっちゃってたらどうしようかと思った。私はなんだか泣きそうになって、静かに眠っているセブルスを揺すぶり起こす。
「セブ、起きて、セブ」
「ん……ぅ…………なんだよ、マルシベールか……?っ、えっ、シャーロット!?」
セブルスは勢いよく起き上がって私の肩を掴んだ。暖かい手の感触が嬉しくて、私はガバッとセブルスの首に抱きつく。私たちはそのままベッドに崩れ込んだ。
「ああセブルス、良かった!」
「わ……っ、」
涙が抑えられなかった。自分でもびっくりしちゃうくらいぽろぽろ大粒の涙が頬を伝って、私はセブルスを強く抱きしめる。セブルスは何か言いたげに一瞬身じろぎしたけど、黙ってポンポンと背中をさすってくれた。
身体が干からびるんじゃないかってくらいひとしきり泣いたあとも、セブルスは私を優しく包み込んでくれていた。私はゆっくり深呼吸をしながら、セブルスのパジャマで涙を拭いた(小さく文句を言われた気がするけど聞こえなかったことにした)。
「……あー……何があったんだ?……女子部屋で、嫌なことでもあったのか?」
セブルスがちょっと遠慮がちな声で小さく尋ねた。私も同室の男子を起こさないように、声を落とす。
「ううん。あのね、セブルスが……。……その……」
私はなんて説明したら良いのか分からなくなって、ごにょごにょと言い淀んだ。セブルスがちょっと眉をひそめる。
「僕?……うん」
「セブルスが……えっと、……いなくなっちゃう夢を見て…………」
言いながら、なんだか幼稚すぎる理由に私は赤面してしまう。そんなはずないのに。そんなことあるはずないのに。冷静になった今なら、こんな時間に寝室を飛び出して電撃訪問するほどのことではないと判断できる。しかし時すでに遅し。私は耳を真っ赤にさせながら俯いた。
「……あーうん。そうか」
「ごめんなさい……思ったより子供みたいな夢で、恥ずかしい……」
「何言ってんだ。まだ12歳なんだから、十分子供だろう」
笑われるかと思ったからびっくりした。セブルスの優しい手がふわりと頭を撫でてくれる。セブルスは無愛想に見えるけど(実際無愛想だ。彼の喜怒哀楽を見分けるのは『動物もどき』をマスターするのより難しいだろうとエイブリーが言っていた)、不器用なほど愚直なほど、切なくなるほどーーーー優しい。
……みんな、優しいセブルスをちゃんと知ってくれれば良いのに。
セブルスが私の髪を手櫛で梳かして、小さな編み込みを作っていく。私は心地よさに目を細めながら、なされるがままにされた。
「……僕はさっき、シャーロットとサクラを見に行く夢を見たんだ」
セブルスの口から故郷の馴染み深い植物の名前が出てきて、私はぱちくりと目を瞬かせた。
「桜を?」
「うん。ほら……君のお母上の故郷の花だろ。ピンクで小さいやつ。寝る前、『日本の薬草全集』という本で読んだんだ」
セブルスが腕を伸ばしてベッド脇から分厚い本を取り出してきた。私たちは寝転がったまま、一緒に桜のページを覗き込む。
「……どうだった?きれいだった?」
「うん?……サクラに辿り着く前に、誰かさんに泣きながら叩き起こされたからね」
「……ごめんね……」
私が謝ると、セブルスは「いいよ別に。寝飽きた頃だったし」とかなんとか言った。セブルスの細い指が桜の白黒イラストを滑るのを、私は黙って見つめていた。
「……シャーロットは、見たことあるんだろ?サクラ」
「うん……日本にいた頃。……」
「僕もサクラを見てみたい。連れて行ってくれ」
「え?」
私はびっくりして、隣に寝転んだセブルスの顔を凝視した。セブルスの顔は冗談を言ってるように見えないほど真面目だった。
「なんだ、駄目なのか?」
真剣な瞳に見つめられて、どくどくと心臓が波打ってしまう。私は慌てて言った。
「勿論駄目じゃない!……うれしい」
「そうだろうな」
え?
セブルスがハン、と鼻を鳴らしてそう言ったものだから、私は顔がだんだん熱くなってゆくのを感じた。
「えっと……ど、して」
「だってほら、君も読んだだろう?最近発表された魔法薬学の論文。桜の花びらをすりつぶしたエキスを使用するんだ」
なんともセブルスらしい理由だった。
私は拍子抜けして吹き出した。それでも嬉しい。じんわりと幸せな気持ちが胸に広がっていく。訝しげな表情をしているセブルスの手をぎゅっと握って、私は力強く言った。
「……絶対行く!新しい調合、試してみましょう」
「ああ。……サクラは、春にしか咲かないのか?」
「あ、うん……4月の初め、ぱあっと咲いて、すぐに散っちゃうの」
「……イースター休暇が開花時期にかぶるのは……再来年だな。今年も来年も、4月の中旬だったはずだから」
「……そうなんだ」
桜は春にしか咲かない。ホグワーツは9月始まりの学校だ。イースター休暇がうまいこと桜の開花時期にかぶらない限り、お花見はできない。顔に気持ちが出てしまったのか、セブルスは困ったように眉を下げて私の頭を撫でた。
「……2年だ。2年待てば良い」
「2年も?」
「たったの2年だよ。一瞬さ」
「2年経ったら、私たち4年生ね」
「そうだな」
4年生になっても、セブは私の傍にいてくれる?と小さく尋ねると、セブルスはうん、まあ多分な、というか君が僕から離れる気ないだろ、とぶっきらぼうに答えた。
セブルスの囁き声は優しくて、切なくて、私は彼のあたたかな体温に身を委ねる。
「……ゆめみたいに、かってにいなくなったら、しょうちしないから……」
「分かってるよ。こんな泣き虫、置いてけるわけないだろ……」
うとうとと眠りに落ちながら、なぜだか泣きたい気持ちになった。頬をつたう生ぬるい涙を、セブルスの指がそっとすくいとってくれる。
ずっと永遠に、この時間が続けば良いのに、と願った。
*
翌朝
セブルス「?何してるんだ」
マルシベール「お前とシャーロットがくっつくかどうか、みんなで賭けてるのさ」
セブルス「なっ……起きていたなら早く言え!」
《終》