1.気まぐれレイニー
ロージー・デュベリーがレギュラス・ブラックに初めて出会ったのは、ホグワーツ城へ向かう小船の中だった。頼りないランタンの明かりに縋るように恐る恐る足元を探っていたロージーはやっぱり船底に足を引っ掛けて、あやうく転びかけ――すんでのところで船から落ちそうになったのを救ってくれたのは、他ならぬレギュラス・ブラックだった。ロージーは腕を掴まれた無様な格好になりながらも、心配そうに「大丈夫か」と尋ねてきたレギュラスに心臓を撃ち抜かれた。
小舟の中でロージーを気遣うレギュラスは少し冷たい目をしていたけど、紳士で、優しくて、親切で、まるで王子様みたいで。ロージーはストンとすっかり恋に落ちてしまって、彼に夢中になった。小舟に乗っている時間はとっても短かったけど、些細なレギュラスの言葉や所作にときめいて、心からロージーは幸せだった。――ただ、直後にとんでもなく重大な問題が発覚した。レギュラスはスリザリン、ロージーはレイブンクローに組み分けされたこと。そして極めつけに彼は生粋の純血主義の生まれで、ロージーはマグル生まれだということ。
「ブラック御機嫌よう!今日もお顔立ちがとっても素敵ね!」
「うるさい。目障りだ。消えろ」
「ふふ、お口はとんでもなく汚いけど顔がきれいだから許すわ」
「そろそろ飽きろ。僕も周りも迷惑だ」
「おーっほっほ、嫌なら顔を醜くする薬でもかぶっていらっしゃい」
「――ラングロック、金縛り」
「っ!っっ!」
無言で抗議するロージーを見て、レギュラスは彫刻みたいに大人びた綺麗な顔に、なんだか似つかわしくない笑みをこぼす。――そう、やわらかくて他愛無くて、まるで子供みたいな。
ロージーを見る周りの目は確かに痛かったけど、そんなの些細な問題だった。レギュラスにばったり出会うたびロージーは彼曰く「狂った言動」を繰り返して、レギュラスを困らせた。彼が零す笑顔を見るためにどうしようもないことを言って、彼の手を煩わせた。魔法だってクィディッチだってずっとずっとレギュラスを追いかけて、彼と同じ場所に立つために血のにじむような努力をした。心あるレイブンクローの学友たちに何度も止められたけど、毎年誕生日パーティーに招待しては毎年こっぴどく振られた。楽しかった。しつこくちょっかいを出すことで、決してレギュラスと肩を並べることが叶わない『マグル』のロージーでも、彼の笑顔を見ることができた。それだけでいい。レギュラスがスリザリンのーー『純血』の女の子と親密にしているのを見かけても、見て見ぬふりをした。ロージーは、その先は望んではいけないのだ。――夜の海に輝く星座を掴むなんて、不可能なのだから。
「――ああ、そんな時期か」
懲りずにパーティーの招待状を突き出すロージーをふいと見やって一瞬考えあぐねるような表情を浮かべた後、レギュラスは思いだしたようにそう言った。
「やだブラック、あなたわたしのお誕生日覚えててくれたのね!」
「六回目だ。嫌でも覚える」
「で、今年こそ来てくれるんでしょ?」
図書館の窓際の席。ロージーが思いきりしなを作って「学生ロージーちゃんの初々しいドレス姿を見る最後のチャンスよ〜!」とずりずりアピールしてみると、レギュラスは相変わらずの無表情で招待状を一瞥してから、無慈悲にも魔法で燃やし尽くしたのだった。
――それなのに、なぜ。
誕生日を祝うために駆けつけてくれた友人たちと騒いで歌って飲んで食べて、我が家がようやく静かになったのは明け方の四時だった。――しばらくソファで寝落ちしていたロージーは、やけにひどい圧迫感にふと目を覚ます。寝落ちする直前まで互いの“悲恋”を涙ながらに嘆き合っていたーー罵り合っていたーー友人の身体がロージーの内臓をごりごりに制圧していたので、ロージーは優しい彼女を起こさないように多少の気を遣いながら、そっとソファを抜け出した。
なんだか妙に目が冴えてしまったロージーは少し風に当たろうと、上着を羽織ってバルコニーに向かうことにした。部屋のあちこちでだらしなく潰れている同輩たちを器用に避けて、ひんやりとした空気へと足を踏み出す。
――その途端、腕を掴まれてロージーは悲鳴を上げた。腰を抜かして転びかけたロージーの身体を、誰かが受け止める。
「静かに」
「っ!っ……!?」
ほんのりと薄暗いバルコニー。――ロージーの身体を背後から抱きとめたレギュラス・ブラックが、ロージーの口を塞いで、ロージーの耳元で鋭く囁く。
「な、んで……!?」
ロージーは、そう言うのが精いっぱいだった。レギュラスの吐息が頬にかかったところが徐々に火照っていく。それを知ってか知らずか、レギュラスがぱっとロージーの肩から手を離した。ロージーはよろよろとした足取りでバルコニーの端まで後ずさって、不格好に尻もちをついた。
「まさか君、来てほしくなかったの?」
「ちがっ……!だ、だってブラックあなた!今年も招待状燃やして……!」
「僕だって馬鹿じゃない。六回も見せられたら住所くらい覚えるさ」
「そうじゃなくて、っ……!ああ、もう!」
ロージーは混乱しながらも、あわててドレスや髪型の乱れを直す。一歩近づこうとするレギュラスを「待って!」と大声で制止すると、レギュラスは怪訝そうな表情を浮かべた。
「何?あれだけしつこく誘っておいて、今更嫌がるわけ?」
「ばっ……、馬鹿ブラック!信じらんないーーどうしてパーティーが終わった後にっ!しかもよりによって寝落ちしてメイクもぐちゃぐちゃになってるタイミングで来るのよ!」
「……それ、そんなに怒ること?」
「あんたほんと最悪!だって!だって……!一番綺麗にしている時に会いたいのにっ……!」
――嬉しいはずなのに悲しくて、せっかく来てくれたのにとんでもないことばかり口から飛び出てしまって、もう一体どうしたらいいかわからなくなって。ロージーはぺたりと座り込んだままわんわん泣いた。レギュラスは困り果てているようだった。つねった腕はとても痛くて、赤く残った痕を見てロージーは呆然とああ、夢じゃないんだなと思っていた。夢じゃない。せっかく、ようやく彼が来てくれたのに、最悪だ。自棄になって大騒ぎしなきゃよかった。こうなることがわかっていたなら、ちゃんとシャワーに入ってメイクもしなおして、髪もちゃんと梳かして待っていたのに。
「――まったく馬鹿だね、君って」
呆れたようなレギュラスの声が頭上から降ってくる。呆れ果てたように、うんざりしたように、憐れむように、――だけどまるでロージーを愛しむような表情を浮かべて、レギュラスはロージーの前に膝をついた。
「来てやったんだぞ。僕が、君の誕生日パーティーに」
「……レギュラス・ブラックの、バカぁ……」
「泣くな。そんなに嬉しいか?」
「ぐすっ……ぐすっ、……うれしいっ……!」
「馬鹿だなあ、これくらいで」
そう言って苦笑するレギュラスの顔は、少しでも動けば触れ合ってしまいそうなほど近かった。せめて六時間前に来て欲しかったのに、としょうもないぼやきをこぼすロージーの頬を、レギュラスがむんずと掴む。
――きっと今日の出来事を、ロージーは絶対に忘れない。甘くて冷ややかで、妙に無口なスカイグレーがロージーを見つめていた。どくん、と心臓が音を立てる。これじゃ、まるで。
「……ねえ、ちょっとシャワー浴びさせて」
「自惚れるな、馬鹿」
噛みつくみたいにキスされる。――こうして二人は晴れて両想いになった。
*
あれ以来、ロージーたちはホグワーツでもよく顔を合わせるようになった。もちろんお互いの立場があるし(レギュラスに言わせれば「失礼を承知で言うけど、君の立場なんてもはや消え失せてるだろ」)積極的に逢瀬の約束をするわけにもいかなかったけれど、揃って監督生でクィディッチ選手だったロージーたちは、言い訳を見つけては一緒にいることが増えた。
「レグ、隣良い?」
図書館の窓際の席。レギュラスは黙々と本に目を通しながら、荷物を退けて席を空けてくれた。椅子を引いて彼の隣に座ると、レギュラスは顔を上げぬまま無言で、ロージーに向かって左手を出す。
「……?」
……わけがわからなくてぽんと右手を重ねると、レギュラスは途端に信じられないような表情でロージーを見やった。
「ふふ、なぁに?うーん……お菓子なら持ってるけど」
「馬鹿か。――今年は無いのか、招待状」
「招待状?……ああ、お誕生日の!」
レギュラスから言いだしてくれたことが嬉しくて、ロージーは思わずにやついた。レギュラスが非難するような目線を向けてきたので、ロージーはあわてて咳払いする。
「――あのね、今ってこういう状況でしょう?ほら、その……移動するにも危険が伴うし、中には外出を禁止されている子もいるから、今年はやめにしようと思って」
もちろん闇の脅威の話だった。レギュラスを傷つけないように、レギュラスとの関係を壊さないように、ロージーは慎重に言葉を選んでそう告げた。どきどきしながらレギュラスの反応を伺っていると、レギュラスは呆れかえった顔で言った。
「防音魔法も施していない家で、毎年あれだけ無駄に豪華で騒音被害まっしぐらなパーティーを押し通してきた君がか?」
「まあ!悪いけど去年は防音魔法かけたわよ!それまでは未成年だったし、うちの両親マグルだしーー……ってあれ?なんで防音魔法かけたのにあなた、そのこと知って……」
――あ、しまったと言わんばかりに目を逸らしたレギュラスの顔を、ロージーはガッと掴んで引き戻す。
「ちょっとレグ。ほんとのこと言って」
「……バラの花束」
「え?」
「毎年届いてただろ。誕生日、君の家に」
気まずそうに、少しだけ恥ずかしそうに目を泳がせながら、レギュラスがもごもごそう言った。あ、とロージーは思い至る。ーー律儀にも誕生日パーティーが始まるタイミングで、毎年ロージーの元に届けられていた差出人不明のバラの花束。最初はストーカーの仕業ではないかと家族友人共々恐々としていたものだが、六年目ともなれば一周回ってその執念に感服していた。……というか、感心を通り越して面白がってた。「今年も時間通り来るかどうか」で友達と賭けたりしてた。ふといつも、やけに高級そうな深いグリーンのメッセージカードに端正な字で簡略な祝意がしたためられていたのを思い出す。
「君は覚えていないのかもしれないけど、ーーというか、気付いてないと思うけど、バラの本数にもこだわってるんだよ。一年生の時は五本、二年生の時は十一本、三年生は十二本、四年生は十八本、五年生は十九本……それで今年は三十三本だ。全部本数に意味があるらしい」
「……どんな?」
「……君に出会えたことに感謝を、最愛の人、私と付き合ってほしい、誠意あふれる告白、忍耐と期待、生まれ変わってもあなたを愛す。君、意外とそういうの疎いのか?」
あの日以来、やたらとロージーに素直なレギュラスはそうすらすら言ってから、不思議そうに首を傾げた。ロージーは混乱して、深呼吸をしながら尋ねた。
「もちろん知ってるわ!だってそれ、マグルの花言葉だもの。ーーでも、えっと……レギュラス。そういうの、どこで教わったの?」
「親族にいたんだ、そういうの好きな人が」
「……相談したの?なんて?」
「なんてって、普通に……どんな花束をもらったら嬉しいかって」
そういえばロージーたちが一年生の時、スリザリンにレギュラスの従姉が在籍していた気がする。ホグワーツ卒業後、マグル生まれの恋人と駆け落ちしたことで随分話題になっていたような。レギュラスの兄であるシリウス・ブラックは彼女を称えるようなことを言いまわっていたが、純血思想を信奉するレギュラスは、『血を裏切った』従姉を良く思っていないのだとばかり思っていた。ーーまさか、ロージーのために彼女からマグルの慣習を学んでいたとは。ロージーはびっくりして、レギュラスを呆然と見つめた。
「……何だよ」
「レギュラス・ブラック……!」
だいすき!とロージーがレギュラスに向かって飛び込んで、あわててロージーを抱きとめたレギュラスは椅子ごと後ろに引っ繰り返る。マダム・ピンスに怒鳴られて図書館を追い出されたレギュラスは、ぶつけた後頭部を抑えながら「君、あのさ」と言いかけーーご機嫌に腕に抱き着いてくるロージーを見て思わず口を閉じた。ぱち、と目が合う。星屑のようにきらきらした瞳が、きゅっと三日月形になる。レギュラスはため息をこぼした。
「はあ」
「あら、レグ。ため息つくと幸せ逃げちゃうわよ?」
「……はいはい吐いた分は吸っておきますよ、マイフェアレディ」
「え?今なんて」
「?――まさか君、自分が美人だって自覚ないのか?」
『立て込んだ調べ物』も多いのに、図書館出禁になってしまったらどうしたものか。そんなことに気を取られながら、レギュラスは能天気なロージーを急に恨めしく感じて彼女の頬を両手でつまんだ。呆然とこちらを見上げるロージーが妙に頬を赤らめていたような気がしたが、『例の件』に没頭していたレギュラスは大して気にすることが無かった。
――レギュラスがなんとなしに発したこの言葉で、ロージーは一週間ほど上機嫌だった。