8.永久影の手触り



「さっきのはよく出来た論理だったよ。――さすがだね、ロージー」
「……ミスター・ルーピン。聞き耳を立てていらしたの?」

 ファッジの命でしばらくホグワーツに滞在することになったロージーは、与えられた部屋に向かおうとしていた。校長室を出たところで声を掛けてきた男を、ロージーは睨みつける。――ぷは、とリーマスが笑って、ロージーは表情を和らげた。

「リーマス、あなた防衛術の教授になったんですってね。お久しぶりね?」
「本当にしばらくぶりだね。――騎士団ぶり、かな。魔法省で働いてるって噂、聞いてたよ」

 しかもすごく優秀で、ビシバシ昇進してるってね。リーマスがロージーの頭を撫でたので、ロージーは目を点にした。リーマスははっとして、慌てて手を退かした。

「――ごっ、めん。思わず、姪っ子にする癖で」
「……いえ……、頭を撫でられるなんて、本当に久しぶり。多分、騎士団以来かしら……?」
「さすがにレディにすることじゃなかったね。つい昔を思い出しちゃって」
「お気になさらず。とても懐かしい気持ちになったわ。昔はよく、騎士団のみんなにそうしてもらっていましたから」
「……そうだったね」

 秋の夜の風が廊下を吹き抜ける。リーマスがロージーを散歩に誘って、二人は無人の天文台の塔に上った。

「――この、階段も、きつい、なあっ……」
「お手をどうぞ、リーマス?」
「君、随分余裕だね」

 はー上りきった、とくたくたの体でリーマスが座り込む。青い夜が湖に揺らめいていた。ロージーもリーマスの横に腰かけた。

「それにしても、さ。本当にうまく場をおさめたと思うよ。――大臣には教育の自治権を説いて、校長には正当な手段を踏む場への出廷を求めた。違うかい?」
「……確かにそうかもしれないわね。だけど、大臣とダンブルドア……お二人の間の確執が消えたわけじゃないもの。私は根本的な解決を先延ばしにして、その場しのぎの対応をしただけ」
「むしろ火種は大きくなっていってる、か……どこも大変なんだね、組織ってやつはさ」
「――そんなことよりリーマス。あなた、もっと私に言うべきことがあるんじゃなくって?」

 ずいとロージーがリーマスの顔を覗き込んで、リーマスがのけぞった。リーマスは「降参」のポーズで言った。

「えーっと……。何を……かな?」
「とぼけないで!12年も連絡を寄越さないで、一体どういうつもり!?」
「あ、ああ。でも、それにはちょっと……込み入った事情があって、――ねっ!?!?」
「事情も何もあったものですか!私が!どれだけ!あなたを!心配したと……!」

 胸倉を掴んでぶんぶんとリーマスを揺さぶるロージーに、リーマスは混乱した様子を見せてから――ロージーの手首を優しく掴んだ。ロージーの目からぽろぽろと涙があふれていた。リーマスはようやく、自分がこの気の強い彼女をひとりぼっちにしてしまっていたことに気が付く。思えば、騎士団時代彼女の傍にいた者はみな、彼女から離れた遠いところに行ってしまっていた。リーマスはロージーを抱きしめた。

「……ごめん、ロージー。私たちは、君を独りぼっちにしてしまったね」
「……っ、八つ当たりよ、ごめんなさい……」

 涙声で、ロージーは立ち上がった。リーマスに背を向けて涙を拭っているロージーに、リーマスが尋ねた。

「ロージー、さ。……結婚してる?」
「!」

 驚いて振り返る。――聞いたことを後悔しているようで、強い意志がこもった瞳がロージーを見上げていた。ロージーは一瞬黙り込んでから、笑って首を振った。リーマスが苦い表情を浮かべた。

「じゃあ、それは」

 ロージーの左手の薬指にきらりと指輪が光る。ロージーはシルバーのそれをするりと撫でて、微笑んだ。

「――あの人がくれたの。最期に、渡したいものがあるって……」
「っ……ロージー、君は……」

 リーマスが面食らったように息を飲む。――しばらく、リーマスは苦悩しているような顔だった。ほんの少し逡巡したのち、リーマスは言った。

「……まだ、好きなのかい、君……」

 ――懐かしい声色だった。レギュラスにこっぴどく振られて落ち込んだロージーを慰める時のリーマスの声。燃やされた招待状の欠片を見て怒りを露わにする時のリーマスの声。シリウスとの友情との狭間で葛藤しながらも、ロージーを心配する時のリーマスの声。慈愛と呆れと誠意に満ちた懐かしいそれに、思わずロージーは頬を緩める。

「ロージー、悪く思わないでくれ。私には……彼が遺した感情に、君が縛り付けられてしまっているように見えるんだ」
「……私は、レグが私を愛してくれた記憶がある限り、レグのことがずっと好きよ」
「――それがたとえ呪いでも?」
「彼が遺したものなら、私は全て甘んじて受け入れるわ」

 リーマスの表情に翳りが見えた。ロージーがレギュラスに縛られているように、彼も死者に縛られているのだろう。――それはジェームズだろうか、リリーだろうか。それともはたまた。ロージーはふと、ロージーを見るたび怯えた表情を浮かべていた『記録上は死んでいる』男を思い返した。

 ――帰ろう、冷えたね。リーマスがそうロージーに言った。ロージーはリーマスを追って、天文台の塔を後にした。静かな夜が心に沁みて痛かった。


*



 『太った婦人』が切り裂かれた夜。大広間に集められた生徒たちがざわざわと興奮気味に言葉を交わしている横で、ロージーは言葉を失っていた。

「……」
「……」

 ロージーとスネイプは顔を見合せる。そうして彼らは、ダンブルドアの方を同時に向いた。

「……この女とですか、校長?」
「……私がスネイプ教授と見回りに?ダンブルドア、気は確か?」
「セブルス、魔法省のお役人じゃ。君も知っておろう?君より1年後に入学してきたロージー・デュベリーじゃ。レイブンクロー寮出身、魔法法執行部の筆頭格――君の学生時代の交友関係を考えるに、顔見知りであったように思うがの?」
「さあ……存じませんな」
「法廷でならお見かけしたことはありますが……」

 ――とはいえ、シリウス・ブラックのホグワーツ侵入が明るみになっている今、こんなやりとりをしている時間は惜しい。二人はぎこちない動きで「初めまして」と握手した。スネイプの顔は歪み、ロージーの口元から舌打ちが漏れる。ダンブルドアはわけありげな二人の様子を見て、知らんぷりを決め込むことにしたらしい。
 ロージーたちは大広間を出ると、ぎっとお互いを睨みあった。

「……これはどうも、ロージー・デュベリー君。相変わらず不意打ちがお得意なようで?」
「あらあらまあまあ女々しいこと。お変わりないようね、ミスター・スネイプ?」
「ちょっっと待とうか二人とも。――今はブラックを見つけるのが先じゃないかい?」

 二人の後ろから遠慮がちに手を挙げて、リーマスがおそるおそる言う。

「ルーピン、黙りたまえ」
「リーマスは下がりなさい」

 二人の一喝は同時だった。リーマスは呆れ顔で「とりあえず見回りはしようか……」と言った。

 ギスギスした空気の中、三人は校内を見回る。スネイプが変身術の教室を検分している隙に、リーマスが小声で尋ねた。

「セブルスと君、何かあったの?」
「――ああ。リリーが一時期とっても悩んでたのよ。あの人が寮の前でうろうろしてるって」
「寮の前を……」

 思い当たることがあって、リーマスはどきりとした。それはいつかと尋ねると、やはり『それ』に該当する答えが返ってきて、リーマスの心は重く沈んだ。

「で、私その頃監督生になったばかりで、リリーにも何度かお世話になっていたの。だからそのお返しってわけじゃないけど、こう……」

 拳を握って確実に空を突いたロージーに、リーマスは度肝を抜かれる。

「まさか、嘘だろ」
「いえ?ああもちろん、リリーが嫌がってるからやめてちょうだいって話したわよ。でも、それでも『リリーに会わせてくれ』の一点張りだったから」
「から……?」
「こう、一発……パーンとやったら来なくなったわ」

 呆然とするリーマスに、ロージーは何を勘違いしたか「多分リリーはあまり親しくなかったから私に頼んだんだと思うわ、みんなを心配させたくなくって」と見当はずれのフォローをした。リーマスはジェームズとシリウスから聞いた『女帝』の話をおぼろげながら思いだす。――あれは二人が変に脚色しているのかと思って聞き流していたけど、もしかしたら。スネイプとくだらない口論を始めるロージーを見て、リリーも案外『女帝』の噂を信じて彼女に依頼したのかもしれないな、とリーマスは思った。




*




 それから数日後、ロージーは教職員席でハッフルパフvsグリフィンドールのクィディッチの試合を観戦していた。嵐が吹き荒れる中、髪や服が雨でぐっしょりするのも構わずプレーに目を凝らすロージーに、スネイプが物珍しいものでも見るような表情で言った。

「クィディッチ観戦がご趣味と?」
「あなたは興味が無くてご存じないのかもしれませんけど、私レイブンクローではクィディッチの選手でしたの」

 苛々とスネイプの手から双眼鏡を奪うと、スネイプが舌打ちをした。そんな二人の様子を知ってか知らずか、フリットウィックがひょこりと後ろから顔を出した。

「その通り!ロージーは強かった、本当に強かった――獰猛なグリフィンドールにも、苛烈なハッフルパフにも負けず……」

 感極まったように演説を始めるフリットウィックにスネイプが捕まったのを見て、「どうぞごゆっくり」とロージーはグリフィンドールの観覧席へ向かう。グリフィンドールの主将がタイムアウトを要求し、選手たちはグラウンドに下りてきていた。ロージーは観覧席の下で、ばったり出くわした女子生徒に声をかけた。

「グレンジャー!」
「あっ……えっと、あなたは……デュベリーさん?」

 試合の様子を気にしながら、ハーマイオニーは何か、とロージーの顔を伺う。ロージーは他の生徒に聞かれないように、彼女の耳元で囁いた。

「――防水呪文は覚えていらっしゃる?『インパービアス、防水せよ』、あなたなら十分うまくいくと思うの。あなたのところの眼鏡のシーカー君が雨に困ってるみたいから、ね」
「っ!はい!今すぐ――ありがとうございます!」

 ぱあっと顔を輝かせたハーマイオニーに手をひらひら振って、ロージーは教職員席に戻った。




 ――それから幾ばくも経たない頃だった。ロージーはふっと会場が急に冷え込んだのを感じて、思わずに二の腕をさすった。――いや。身体を襲う妙な違和感に、ロージーは空を見上げる。はっとしたロージーは立ち上がって、ダンブルドアの方を振り返った。

「校長!吸魂鬼が!」
「……!」

 ダンブルドアが観覧席を駆け下りて、ロージーも後を追う。事態を察知して動き出す教職員たちを見て、生徒たちも状況を理解し始めたらしい。生徒席の方へ向かうスネイプが、ロージーに一本の箒を投げつけた。スネイプの思わぬ行動に驚きながらもロージーが箒に飛び乗ると、ダンブルドアが叫んだ。

「くれぐれも無茶はするでない、ロージー!――君の置かれている複雑な状況は、こちらも理解しておる。無理のない範囲で『最善』を尽くせ!」

 無茶な要求だと思った。苦笑しながら、ロージーは箒に勢いを付けて急上昇した。ロージーは真っすぐ落ちてくるポッター少年に守護霊の呪文を放つと、急旋回して吸魂鬼を引き付けた。杖を操り、吸魂鬼を追い払おうと苦心していると――視界の隅で何かが蠢いた。

「……!」

 黒い犬が、観覧席の一番上の席からロージーのことを見つめていた。その刹那、グラウンドの方から飛び出てきたダンブルドアの守護霊が吸魂鬼を追い払う。
 すかさずロージーは箒の先をぐんと下げて急降下した。――黒い犬は逃げもせず、ロージーの箒に向かって飛び込んできた。ロージーは犬を服の中に隠して、嵐の中指示を飛ばすダンブルドアの元へ戻った。

「先生、『犬』を見つけました」

 ポッター少年を担架に乗せながら、ダンブルドアがロージーを振り返る。

「――して、その『犬』は本当に安全なのじゃろうな?」
「はい。――契約通り、私にこれの処遇は一任していただけますわね?」
「よかろう」

 ロージーは再び空に浮上する。とてつもない豪雨と混乱の中で、ロージーがどこへ行こうが何をしていようが、そんなことを気にする人間はいないらしい。今までロージーの障害となっていたセブルス・スネイプさえ、自寮の生徒の誘導で手いっぱいなようだった。――これがホグワーツの悪いところなのだけれど、とロージーは魔法省の役人として内心複雑に思いながら、用心深くホグワーツの空を飛んだ。




*



 『暴れ柳』に辿り着くと、黒い犬はロージーの腕の中からするりと抜け出て穴の中に消えて行った。ロージーも後を追おうとしてから、柳に何かがへばりついているのを認めた。

「あ、そんな……」

 ニンバス2000の残骸だった。おそらく、ポッター少年の箒だろう。ロージーは柳の動きを止めて、慎重に枝から箒を取る。待ちきれないように穴から顔を出す犬に、ロージーは厳しい声で言った。

「――さすがにこれは放っとけないの。誰か先生に届けてくるから、あなたはお利口に待ってなさい」

 ぺろぺろとロージーの顔を舐める黒い犬を、ロージーは睨みつけた。犬はきゅうと高い声で鳴くと、のそのそと柳の中から古ぼけたシーツを引きずり出してきた。これで箒を包めとということだろう。ロージーは犬を撫でた。

「そう。いい子ね。――いい子にしなさいったら!『待て』!」

 ロージーはシーツでくるんだ箒を抱えて、ホグワーツの校舎に降り立った。大広間でフリットウィックを認めたロージーは、彼に声を掛けた。

「おお、ロージー!何だその包みは?」
「あの……先生。大変申し上げにくいのですが、ポッター少年の箒ですの」

 中身を確認したフリットウィックが息を飲む。

「暴れ柳にぶつかってしまったようで、見つけた時にはもう……」
「そうか。これは……ショックに思うだろうな」
「これは先生に預けても?」
「構わんよ!私から彼に渡しておこう」
「感謝申し上げます。それでは失礼いたしますわ」
「ああ、デュベリー!待ちなさい!」

 ぽん、と手に何かを押し付けられる。チープだが味が良いと評判のチョコレートバーだった。

「リーマスから、君にと。まったく、人をふくろうのように使いおって……」
「……まあ。任務にあたりながらいただきますわ」
「雨がひどい!あんまり根を詰めすぎるなよ!」

 消灯までには帰ってくるように、とくどくど言いながら心配そうな顔を浮かべるフリットウィックに、ロージーは苦笑して「……はい」と素直に返事をした。
 地面を蹴って、嵐の中に飛び出す。――このチョコレートバーを彼に分けてあげたら、きっと喜ぶだろうとロージーは思った。


あったかもしれないいくつかのこと
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