先生の好きな人教えてください




 先生から借りた本に挟まっていた古い写真には、ホグワーツの制服を着た幼き日の先生と二人の女の子が写っていた。真ん中に立つ白い髪の女の子がもう一人の女の子と寄り添いながら先生の腕をがっちり掴んでいる。少し褪せた白黒写真の先生は今にも彼女の腕を振りほどいて逃げようとしていて、二人の女の子に呆れたように笑われていた。裏には"Happy Birthday"の文字。日付は1972年の1月9日。ということは1年生?

 私はしばらく写真を手に取って感動に浸っていた。ていうか、大好きな先生の子供の頃の写真を前にして冷静にいられるはずがないのだ。先生って昔からこの髪型なんだ。小さな頃から背が高いんだ。女の子に手繋がれて照れちゃうとかかわいすぎ!

 先生かわいい!やわらかそうな手も小さい肩幅も嫌そうに寄せられた眉根も!

 私は中庭の木の下でガッツポーズをする。いつのまにか声に出ていたみたいで、ヒソヒソと怪しいものでも見るような視線をこちらに向けながら自寮の後輩が足早に通り過ぎて行った。そんな目で見ないでほしい。私が気持ち悪い人みたいじゃないか。

 私は一旦冷静になって考える。さて、どっちなんだろう。先生が好きだった人は。

 前、一度だけ先生の好きな人の話を聞いたことがあった。快活で優しくて、頭が良くて、美人で……あとなんだっけ?私はじっとりと二人の女の子を見比べる。どっちも明るそうだし、優しそうだし、賢そうだし…………どっちも美人だ!困った!

 正直な話、本当にどちらの女の子もめちゃくちゃ美人だった。真ん中の女の子の笑顔はすごく可愛くて、横の気の強そうな女の子のアーモンド型の瞳もかなり魅力的だ。なんていうか、両人ともモテただろうなあって思う。……あれ?スネイプ先生のくせに、こんなめちゃくちゃ美人な女の子二人に誕生日を祝われてたなんて、生意気じゃない?私はあの気難しそうな顔をした真っ黒な大蝙蝠の姿を思い浮かべる。背も高くて細くて、きっとちゃんとすればそれなりになりそうなものなのに(トンクスたちに思いきり否定されたけど、私はきっとそうだと思ってる。いや信じてるの方が正しいか?)、自分の身なりに関してかなり適当なスネイプ先生。なんなんだあの真っ黒な詰襟ファッションは。中身にそぐわず聖職者みたいな服を着てるあの先生が可愛い女の子に囲まれてる姿なんて想像できないし、そもそも可愛い存在と一切無縁な人生を歩んでそうなものなのに。

 そういえば、と私はふと思う。今日の魔法薬学の授業に遅刻して減点されたな。ほんのちょっと、数秒遅くなっただけなのに。先生は鬼だ。悪魔だ。そうだ、仕返しにこの写真、大量に複製して全校中にばらまいたらどうなるんだろう?

「誰が鬼で悪魔だと?」

 背後からぬっと低い声が響いて、私はギョッとする。と同時にパシッと乱暴に写真を取られて、私は反射的に先生の手を追った。空高く掲げられた写真を奪い返そうと先生の身体に飛びつこうとしたらひらりとかわされて、私はその勢いのままずっこける。ため息をつきながら乱雑に胸ポケットの中へ写真を仕舞う先生を、私は恨めしそうに見上げた。

「先生酷い!心を読みました!?開心術使えるんですか!?ねえ、返してくださいよ、せっかくのお宝なのに!」
「馬鹿者、全て声に出ていたぞ」

 先生は無表情のままフンと鼻を鳴らした。私は諦めて、擦りむいた手のひらにエピスキーする。エピスキーするってなんだ。エピスキーするんだよ。えーいエピスキー!

「……ていうかあーあ、先生。ダメですよ誕生日祝いの写真ぐちゃぐちゃにしちゃ」
「……見たのか」
「見ましたよ、そりゃじっくりと。小さい先生めちゃくちゃ美少年ですね。超可愛い。どうして今こうなっちゃったんですか?」

 私が自慢げに踏ん反り返ると、先生は呆れ顔のままクルッとターンして校舎へ戻ろうとした。私は慌てて黒いローブを踏みつける。

「……」

 危うく転びそうになった先生は私をぎろりと睨んだ。何ですかその顔は。こんな長いローブ着てる先生がわるいでしょ。

「で、先生。どっちが先生の好きな人なんですか?」

 半ば無理やり自分の隣に座らせながら、私は先生に聞いてみる。先生はまだピッチピチの新任教師(25)だからかとにかく女生徒からの押しに弱いというのがもっぱらの噂で、確かに押して押して押しまくればすんなり要求を飲んでくれたりするのだった(授業は厳しいし、減点ばかりしてくるけど)。

「お前に答えてやる義務は我輩にはない」
「先生ひどい!」
「何とでも言え」

 先生はぶすっと不機嫌そうな顔をして言った。こうして見てみると、幼少期の面影がある、ような気がしなくもない。私がじっと先生の顔を覗き見ていると先生はものすごーく嫌そうな顔でふかーいため息を吐いた。

「……何を知りたい」

 先生はものすごーーく押しに弱い。

「さっきの写真、どっちが先生の好きだった人なの?」

 先生は黙っている。こういう時の先生の沈黙は『ノーコメント』という意味だと私は知っていた。些細なことでも良いから先生のこともっと知りたいのになあ、なんて暢気に考えながら、私はただよってきたかぼちゃの香りから、先生と今日のハロウィンの晩餐についての話をしようと思い至る。

「どちらも既に亡くなっている」

 先生にパンプキンスープが好きかどうか尋ねようとした時、おもむろに先生がぽつりと言った。その一言のあまりの重みにフリーズしてしまって、ハロウィンの飾り付けのことも食後のおいしいデザートのことも頭から全部吹き飛んでしまった。

「は……?えっ」
「4年前の今日だ。お前も知っているだろう、何があったか」

 1981年10月31日。魔法界の誰もが知っている数字。『例のあの人』が倒されて、たった一歳の男の子が生き残った、そんな歴史的な日。

 もしかして、と私は二人の女の子の写真を思い浮かべる。どちらかが『生き残った男の子』を命がけで守ったというポッター夫人なのだとしたら?先生の横顔は無表情だった。もしかすると私は、とてもひどいことを先生に聞いてしまったのかもしれない。

「……てことは先生は、振られたの?」

 ゴン、と結構な速さで拳骨が飛んできた。私は涙目になりながら先生を睨みつける。しょうがないじゃないか、この気まずい雰囲気を打開するためには年齢を言い訳に空気の読めてない発言をするしかないんだって!

「相変わらず人への気遣いのきの字も感じられない奴だ」
「ふたりともって言ったけど、……あー、……まさか二人ともポッター夫人なわけじゃないでしょ?」
「当たり前だ!」

 先生は怒った顔で即答した。あまりの速さに私はビビってぎゅむと先生の足を踏みつけてしまう。先生はちょっとむくれたようにボソボソと言った。

「あんな最低な男に嫁が二人もいてたまるか」
「え?何て?」
「うるさい、黙れ、何でもない!」

 なんだか子どもみたいな先生に目を白黒させながら、私はポツリポツリと小さい声で先生が話すのを静かに聞くことにした。小さな頃二人で遊んだこと、彼女が魔女だと見抜いたこと、一緒にダイヤゴン横丁に行ったこと。ポッター夫人の話をする先生はすごく辛そうな顔をしていたから、聞いている私まで心臓が締め付けられるような気持ちになった。

「……話せば楽になるかと思ったが、そうでもないな」
「……先生の話、重要なところだけ抜き出されてる感じがしてよくわかんない」
「馬鹿者、お前は黙って聞いてれば良いんだ」
「人使いが荒いですねえ」

 重苦しい雰囲気に耐えきれなくて、私はぶらぶらと足を前後に動かした。先生が黙ってポケットから写真を取り出す。さっきよりくしゃくしゃになった写真を眺める先生は泣きそうで、私はちょっと困ってしまう。

「どっちがその……ポッター夫人?」
「リリー・エバンズだ。彼女のことは名前で呼べ」

 リリーは結婚していたからリリー・ポッターのはずなんだけど、私はそこには突っ込まないことにした。なんとなく先生は、リリーのことが大好きだったんだろうなと思った。

「で?この子がリリー?」

 私はツンツンと真ん中の女の子を指差すと写真の彼女は少しくすぐったそうに可憐な笑みを漏らした。すると先生のゴツゴツした指がぬっと違う方の女の子を指す。

「いや、こっちだ」

 先生の表情は「どうだ、可愛いだろう」とでも言いたげだ。いや、確かに可愛いけども!

「え!?この子とこんな仲良さそうに腕組んでるのに!?違う方の子がリリーなの!?」

 私はびっくりして写真の中の小さな先生と、結構ビッグサイズに成長してしまった現実の先生を交互に見る。先生はちょっと気まずそうにだからそれは勝手にあいつが、だの仲良くはないしただの付き合いで、だの私は嫌だと言ったのに写真を撮ると言って聞かないから、だのボソボソ呟いた。断片的な情報を丁寧に組み立ててみるとどうやら先生は幼馴染のリリーの頼みで、スリザリンに組み分けされた真ん中の女の子のお世話をしてあげていただかなんだからしい。好きな女の子のお願いを断れないだなんて先生、なかなか可愛い。

「…………結局先生ってどっちが好きなんだろ。どっちも好きなんじゃない、もしかして」
「うるさい、リリーへの感情を恋だの片想いだのそんな陳腐な言葉で片付けるな」
「いや、片想いとまでは言ってないじゃん」

 リリーは結局名字がスネイプになることはなかったみたいだし、二人は恋愛的にうまくいかなかったのだろう。片想いなのかはたまた付き合って破局したのか知らないけど、先生の反応を見るにきっと一方的な気持ちだったに違いない。こんなに好きなのになんだか先生が可哀想だと勝手に悲しくなってると、先生はどっこいしょとでも言うように腰を上げた。25歳なんだからもうちょっと頑張って格好良く振舞ってみて欲しい。先生ってなんかいちいち動きがねちねちしてるし、うん、もうちょっと色々頑張ってほしい。色々勿体ない、色々。私は写真をまたぐしゃぐしゃとポケットに押し込もうとする先生をじとっと見上げた。

「先生、ダメですよ。ちゃんときれいに保管しなきゃ、写真撮ってくれた子が悲しみますよ」
「だからちゃんと本の間に挟んでただろう。帰る」

 先生はそう短く告げて颯爽と校舎の方へ帰って行ってしまった。忠告に従って比較的きれいにポケットへ写真を突っ込んだらしい先生の後ろ姿を見送りながら、私は首をかしげる。どういうこと?もしかして先生ってほんとに二人とも好きなのかな。なんだか狐につままれたような気持ちのまま、晩餐の始まる鐘の音に急かされて、大広間へ慌てて走る。先生はさっきの落ち込んだ顔が嘘みたいにいつものあのふてぶてしい表情でパンプキンタルトをちまちま食べていた。



 私が先生と、リリーと、例の彼女の本当の話を知ることが出来るのはそれから13年後、やっと私がこの時の先生と同じ年齢になった時の話。だけど当時の私はそんなこと知る由もなくて、先生がポツリポツリ話してくれた、危ないことだけ抜き出された第一次魔法戦争の話を思い出しながら、先生を真似て小さくカットしたタルトを口の中に押し込んでいたのだった。




《終》



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まだ教師としての余裕がない教授とか、生徒に相談事(?)しちゃう教授とか、あとそれなりに小さな女の子に優しくできてた若い教授とか、書いてみたかった。