夏油傑とクリスマス
外は既に太陽が沈み、薄暗くなってきた街に街灯が点り始めている中、カタカタとキーボードを打つ音が執務室内に響く。
クリスマスだというのにシステムの不具合で今日は残業確定だと手元に置いてある缶コーヒーを飲み干す。
一緒に過ごそうと約束していた恋人には残業が確定した時点で連絡をした。そこからスマホを見れていないし、師走に入って忙しくてなかなか会う時間が取れていない。
浮気……はする人だと思ってないけど、今まで時間を作って会いに行っていたから浮気していると思われてもおかしくなさそうだな、なんて自分で考えて悲しくなった。
チーム全体での残業の為に部長がピザを取り寄せてくれ、それを片手で食べながらまたカタカタ。クリスマス要素がピザだけなのは会社だから仕方ない。こうなるとわかっていたら有給消化すれば良かったと思うが今更の話だ。まぁ、そもそもこの繁忙期に有給取る勇気もなかったが。
◆◇
終電を見逃す時間に作業を終えてみんなくたくたな表情の中、それでも家に帰る為にロッカーへと向かう。最早習慣化しているスマホの通知確認をすると傑さんから大量のメッセージと不在着信が入っていた。
最終の通知は『まだ会社かい?』というメッセージ後の着信がちょうど1時間前。それなら流石に寝ているだろうと返信は明日することにして、既読をつけたまま鞄に戻して会社から出ると出入り口に人集りが出来ていた。
一応都会の一等地にある会社だから芸能人でも来ているのかと思いながらも早く帰りたい一心でそちらに目もくれずに歩いていると、ふいに名前を呼ばれた。
聞き覚えのある、そして耳にすんなり入ってくるその声は大好きな恋人のものだ。
「なん、で……」
「連絡がないから心配になってね。しっかり食べたかい? 今日はうちでゆっくりしようか。明日は休みを貰ったんだ」
にっこりと笑ってさり気なく手を繋ぎながらそう言う傑さんを見ながら完璧超人だなと思った。周りの黄色い声は既にBGMになっていて、ちらほら見える同僚に後で根掘り葉掘り聞かれるのだろうと少しだけ憂鬱になって猫背になってしまう。
「買い物……は流石に無理か。やっぱりお泊まりセットを用意しておくべきだと思うのだけど」
「一応お泊まり用にまとめた鞄は自宅にあるんですけどね。傑さんの家に泊まることはそうないので邪魔だと思いますよ」
「私はこまめに泊まりにくればいいと言っているのに泊まりに来ないのは誰かな?」
確かに傑さんの家は私の職場から近いから、遅くなる時や疲れた時にはいつでもおいでと合鍵を渡されている……が、私がそれを使ったことは一度もない。
理由は単純。遅くなる時や疲れた時は家事をしたくないからだ。折角恋人の家に行くのならご飯を作って待っていたいしお風呂の準備だってしたいのに仕事が忙し過ぎて全く出来そうにないから、一度も傑さんのいない時に行った試しがない。
「花子のことだから何もしないのは申し訳ないなんて思っているんだろうけど、すぐ帰って休める様に今の場所に部屋を借りた意味がないのは困るなぁ」
――今、彼はなんて言った?
目を見開いて勢いよく彼を見ると、こちらを見ながらケラケラと楽しそうに笑われる。
それをぼんやりと眺めながらも頭をフル回転させる。私の記憶が間違いなければ付き合う前から彼はあの場所に住んでいて、
「流石、理解が早いね」
よしよしと頭を撫でられるが私の頭は未だに疑問だらけだ。だって、それじゃあ、
「一目惚れってやつさ」
「やってることストーカーみたいですよ?」
「自分でもギリギリなことをしている自覚はあったよ。だけど、そうでもしないと何の関わりもなかったのに付き合えないだろう?」
彼の言葉にそれもそうかと思う。
彼とは彼の落としたものを私が拾って、お礼代わりにとご飯をご馳走されたことから始まった。運命的だなんて思っていたけど、計画されていたことらしい。
「まぁ、傑さんのこと好きになった今は別に運命じゃなくてもいいですけど」
「花子ならそう言ってくれると思ったよ」
いつの間にか静かになった道をお互いを温めるようにひっついて歩く。あと少しで傑さんの家だというところで彼が再度口を開いた。
「そうだ、暴露ついでに言うけど花子、明日から無職だよ」
「……はい?」
「正確には再来月からかな。有給消化になるから」
「いやいやいや、退職願出した覚えないんですが!?」
「そうだろうね。私が出したから」
「それ会社が受理するとは思わないんですけど」
「受理されたよ?」
ほら、と手渡されたのは最終出社後の対応が書かれたマニュアルだった。
「花子は働き過ぎだから暫く休憩した方がいい。一人養う人間が増えたところで私はなんら困らないから」
笑顔を深めてそういう彼に口答え出来る人間が果たしてどれだけいるのだろうか。少なくとも私には無理だった。
というか、そもそも私は彼の仕事を知らないのだけど、本人がそう言うなら稼ぎはいいのだろう。確かに今までデートで私がお金を出したことはなかった。
だが、それでも。辞めるということは今まで築いてきたキャリアを手放すということで、それは万一彼に捨てられた時にキツイのではないかと思ってしまう。
技術職でそこそこの給料を貰えていたのだ。忙しいのは忙しいが、充実もしていたから辞めるなんて考えたことはなかった。
「それなら再来月からまた働いても……」
私の言葉は彼の菩薩のような笑顔で黙殺された。
「大丈夫、手放す気はないよ」
その言葉に頷くことしか出来なかったが、きっとこれはこれでありなのだろう。
今まで出来なかった分、彼との時間を増やそうと心に決めて握った手に少しだけ力を込めた。