10 嘘つきと僕らのノスタルジア

 起きたら、傍で寝ていた彼女が居なくなっていた。
 彼女は任務に出掛けたのだろうか。しまった。俺は彼女の任務に同行するつもりでいたのに。例え嫌だと言われても、俺はなまえの傍にいるつもりでいたのに。
 なまえを守るために、なまえと共に有りたくて、ようやくここまでたどり着いたというのに。最悪だ。急いで支度する。
 途中、声が聞こえた。嫌いな、オリジナルの声だ。
――『心配するな。なまえは、俺の近くにいる』
 何を言っているんだこいつは。俺は思わず舌打ちした。舌打ちしながら、長い髪を、頂点で結ぶ。
「どういうことだ」
 お前のところへなまえは行くことは出来ないはずだ。俺はそう言いたかった。しかし、オリジナルは言う。
――『正確には、隔てたすぐ先に居る』
 全く、眠れそうにない。そう言うオリジナルに再度舌打ちし、俺は部屋を飛び出した。
 なまえは、螺旋の樹の梺(ふもと)に居るようだ。



「やっぱり割り切れないよ。どうしてジュリウスじゃないと駄目なんだろう。世界も、私も。貴方じゃないと嫌だよ。貴方のお願いひとつ叶えてあげられないなんて、私、私は」
 樹の根本に向かうと、泣き、すがるように、樹に触れ、崩れ落ちるなまえが見えた。おそらく、オリジナルに話しかけているのだろう。
「どうしたらいいか、分かんないよ……隊長は、ジュリウスしか居ない。私の大好きな人も、ジュリウスしか居ない。隣に居たいのも、居て欲しいのも、たった一人なのに、貴方が消えてしまいそうで、」
 彼女は泣き叫んでいた。
目の前の、大きく聳(そび)える樹の中に居るオリジナルを追いかけて、なまえが消えてしまうのではないか、そんな不安に駆られた。
 俺は、すぐに彼女に駆け寄ろうとした。がさ、と、足元が草に引っ掛かり、がさ、と音がする。
 それに気付いたのか、なまえは肩を、びくり、と震わせ、はっ、としたように、こちらを見た。俺の足が止まる。
「……なまえ」
 俺はなまえを呼んだ。涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔が見えた。極東に来たばかりの頃よりも少しばかり痩せたような気がする。
「ど、して」
「俺も、会いに来たんだ」
 なまえの問いに、俺はまた、嘘を吐いた。オリジナルは大嫌いで、夢で顔を会わせるのも、声を聞くのもうんざりだった。ましてや、ここに来なくても、おそらく、奴には嫌と言うほど会える。
 なまえがそれを知ったら、羨ましがるだろうか。俺は苦笑した。
 俺は深呼吸して、言葉を紡ぐ。
「ジュリウス・ヴィスコンティ。聞こえているんだろう」
 俺は、刺さっていたオリジナルの神機に触れた。全く同じ個体があるとは、フェンリルで秘密裏に開発を行う研究者たちには驚くばかりだ。思った通り、喰われることはなかった。
 俺は続ける。
「お前は言ったな。『俺の分まで、なまえを幸せにしてやってくれ』と」
 なまえが驚いた顔で俺を見上げる。俺は構わず口を開いた。
「今更撤回するなどという話は聞き入れてやらん」
 俺は、言う。
「……お前の意思は、俺が、引き継ごう。大嫌いなお前の分まで、なまえを見守る、だから」
「ああ……あとは、任せた」
 俺が言おうとした言葉は、同じトーンの声で遮られた。瞬間、辺りが、空間が変わる。
 一面に広がる花畑は、橙(だいだい)色を中心とした暖色系で、色鮮やかに映える。目の前には、見えない壁にもたれかかる彼女と、見えない壁を隔てた先に佇むオリジナル――ジュリウス・ヴィスコンティが、いた。
「じゅり、うす?……ジュリウス、なの?」
 なまえが彼に問いかける。オリジナルは、優しく微笑みかけた。
「……やっぱり、わたし、むりだよ。がんばれないよ。ジュリウスがいないと、なんにもできない」
 なまえは、弱々しく言葉を吐き出した。オリジナルは、ゆっくり、首を横に振った。そして、
「そんなことは無い。よくやってくれている。それに……」
オリジナルは、俺を指差し、言った。
「『俺』が、傍にいる」
 彼は跪いて、彼女を宥める。
「そんなに泣かないでくれ。……いや、泣けばいい。ずっと、なまえは泣かず、我慢していたんだったな」
 思いきり、泣けばいい。彼はなまえに言った。どうして、代わることが出来ないのだろう。もしも、あれが俺ならば、彼女を泣かせずに済んだかもしれないのに。
 向こう側のアラガミが、目を光らせている。彼はそれに気付いたのか、
「……時間だな」
と、立ち上がった。
「なまえ、持ち場に戻れ」
 彼女は、首を横に振った。
「貴方じゃなきゃ、私は……」
 オリジナルは困ったように、笑った。
「少し、我が儘を言っても構わないか」
 オリジナルは言った。彼女はオリジナルを見上げる。
「なまえが、笑っている顔が見たいんだ」
 彼女は、目を擦り、そして、震える声で言う。
「……これで、いい?」
「ああ。……なまえは、笑顔が似合うからな」
 幸せそうに、オリジナルは微笑んで、
「ジュリウス」
俺を、呼んだ。
「俺のすべてをお前に託す。……なまえを頼んだ」
 彼は、言った。
「……承知した」
 俺は、返事を寄越した。俺たちに背を向けて、アラガミが群がる内部へと戻っていった。
 なまえの、嗚咽は、止まない。
 オリジナルが、ジュリウス・ヴィスコンティが、「おやすみ」と言った、そんな気がした。彼は、終わりなき闘いへ身を投じるのだろう。終末捕喰を統制するために。なまえと俺たちの世界を守るために。



「隊長が元気になってよかったです。悔しいですけど」
「本当にな……ジュリウス、お前のお陰だろ?悔しいが」
 シエルとギルが口を揃えて言った。
 あの後、なまえも気持ちの整理がついたのか、俺によく接してくれるようになった。もしかしたら、オリジナルの忘れ形見のような気持ちで接しているのかもしれない。だが、俺はそれでもよかった。なまえが幸せになってくれるのなら、構わない。
「いっつもお前ら二人で任務行ってるもんなー、たまには俺たちも連れてけよー!」
「その『たま』が、今日なんでしょ、先輩?」
 ロミオとナナが言う。個性豊かなこの部隊を纏めていたオリジナルのことを思うと、彼奴は、よく出来た人間なのだと感じざるを得ない。
 あれから、オリジナルの声は聞こえなくなった。夢にも出てこなくなった。成仏した、というよりは眠りについたのかもしれない。眠れない、とオリジナルは何度かぼやいていた。余程、なまえのことが心配だったらしい。
「……何か言った?」
 なまえが書類をパラパラと捲りながら問う。先程の隊員の話は聞いていなかったらしい。
「全然!」
 ナナが誤魔化す。なまえは、
「ふーん」
と、興味が無さそうに流した。
「じゃあ、今日も頑張って任務をこなそう」
 今日も生きて帰るよ、と、なまえは、笑った。