付喪神さまのまにまに

「きよめたまえと」
 ぱちぱちと、小さな火が弾ける音がする。燃え盛る赤が視界に広がっていた。
「もうすことをきこしめせと、かしこみ……」
 あと少しで付喪神を呼び出せる、というところで異形の姿を認め、彼女は出口へ駆け出した。
 逃げねば。逃げねば、生きられぬ。逃げねば、死んでしまう。
 彼女は建物の中を走り続けた。大切な一振りの刀を抱き、彼女は何も分からないまま、ただ懸命に駆けていた。
 しかし、影はいとも簡単に彼女に追いついてしまう。気配を感じて振り返ると、彼女の目の前には、刀を振り下ろす異形がいた。
 その刀は彼女に届かなかった。
 彼女の手から、刀は消えていた。代わりに、白い戦装束の青年がそれを手にしていた。
 彼は、異形の刀を手にした刀で受け止めていた。
 白い羽織の後ろ姿。彼女の記憶はそこで、ぷつり、と途切れてしまっている。



「この子はまだ目覚めないのか」
「手入れは終わってるはずなんだけどなあ……」
 彼女は、暗く閉ざされた視界の遠くで誰かの気配を感じた。二人いるようだ。どちらも男性だろう。片方はよく知った声だ。もう片方は分からない。しかし、どちらも自分のことを案じている様子に思える。
「傷は塞がってるし、息もしてる。問題はない……と、思うよ」
「あとはこの子次第、ってわけか」
「そうなるね」
 どうやら自分はずっと眠っているらしい。彼女はぼんやりとした意識の中で、現状を把握しようとしていた。記憶は朧げで、まだ眠いのか思考もままならない。
「……しばらくその子を見てもらってもいいかな? こんのすけに報告してくるから」
「ああ。この子のことは俺が見ていよう」
 誰かが立ち上がる音がする。彼女は、「お願い、待って」と言いたくなった。ここはどこなのか。自分の身に何が起きたのか、彼女は知りたかった。しかし、声が上手く出ない。
 薄目を開ける。和室の天井が見えた。板目と灯りの切られた照明。しかし、長い間眠っていた彼女の視覚を刺激するには、丸窓から漏れる太陽光でも充分すぎた。
 目を動かすと、白い着物が視界に映った。上へと目線をずらすと、金色の瞳と目があった。彼女の目が覚めたことに気付くなり彼は、ぱあっと小さな子どものような笑顔になった。そうして、
「気が付いたか?」
先程の笑みとは違う、微笑むという言葉が似合うような表情を見せた。
「……ここ、は……?」
「ああ。俺たちの本丸さ」
「……ほんまる?」
 ほんまる、とは何だろう。彼女は疑問に思った。知っている言葉のはずなのに、記憶から抜け落ちているみたいだ。ほんまる、本丸。
 彼女はハッとした。ぼんやりした頭が急に鮮明になったような気持ちになった。
「少し待っていてくれ。なに、すぐに戻ってくるさ」
 彼はそう言って部屋を後にしてしまった。
 彼女はゆっくりと起き上がる。なんだか視界が広い。というか、眼鏡を眼鏡なしに掛けているような感覚を覚えた。
 彼女は少しずつ、自分の置かれている状況を頭の中で整理していた。

 時は、西暦二二〇五年。
 『歴史修正主義者』を名乗る時間犯罪者たちは、『時間遡行軍』を編成し、歴史修正という名目のもと、本来起こるはずの歴史的事件への介入を行っていた。対峙する時の政府は、時間遡行軍の討伐のため、とある能力を持つ者たちを派遣し、全ての歴史の守りとした。
 敵は、未来から無限に兵を送り出している。その数は、なんと八億四千万。
 時の政府にとっては分が悪い闘いだった。しかし、時の政府にはたった一つだけ、勝算があった。
 とある能力を持つ者たち――『審神者』の存在だった。
 審神者は、眠っている『モノ』の想いを、魂を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせることのできる、特殊な技能を持っていた。その技によって、人型に顕現した刀剣に宿りし魂――最強の付喪神である『刀剣男士』と共に、正しい歴史を守るため、審神者は過去へ赴く。

 彼女は審神者見習いだった。刀剣男士と共に戦うに相応しい主となるため、学び舎で勉学に励んでいた最中のことだった。その前のことは何も覚えてはいないが、少なくとも、彼女には審神者見習い期間の確かな記憶があった。
 時間遡行軍の襲撃。見習いたちは戦火に飛び込む覚悟もないまま、彼らと対峙しなくてはならなくなった。
 見習いはまだ自分の刀剣男士を顕現できるに至っていなかった。教員として務める刀剣男士や、実習用として協力してくれる政府の刀剣男士は存在した。しかし、彼女らは、戦場で彼らと遭遇するどころか、自身の手で鍛刀した刀剣男士さえも持ち合わせていなかった。
 ふと、彼女は傍らに置かれた刀を見た。最後の記憶、炎に包まれた学び舎から逃げるときに持ち出した太刀――「鶴丸国永」だ。
 実習での鍛刀は何度か行ったことがある。時間遡行軍の襲撃を受けた彼女は、生き延びるために実習棟に駆け込んだ。刀剣男士を呼び出すためだった。
 運良く希少な刀剣男士を降ろすことができそうだというところで、彼女は敵に襲われた。祝詞は途中で切れてしまったから、彼を顕現できたのかどうか分からない。
 今、この安全な場所ならば彼を呼び出すことができるのではないか。彼女は彼に触れた。彼が応えたかのように、しゃらり、と装飾の鎖が鳴った気がした。
 そのときだった。勢いよく戸が開かれた。肩で息をする男性と、白い羽織の――それこそ、鶴丸国永の付喪神だ。あのとき顕現できていたのかもしれない。一瞬、どきりとした。しかし、すぐに違うとすぐに分かった。彼は自身を腰に帯びている。彼女の持ち出した、この鶴丸国永とは違う個体なのだろう。
「良かった……! 目覚めたんだね」
 男性は彼女の手を取るなり、心の底から安堵したように笑った。どうやら、この男性は審神者であり、ここが彼の本拠である本丸のようだ。
「ご無事で何よりです、鶴丸国永様」
 男性の背後から、ひょっこりと顔を出したのは管狐だった。審神者に一体は補佐として派遣される管狐、通称・こんのすけ。彼女は目を丸くした。実際に目の当たりにするのは初めてだったからだ。こんのすけは、彼女の膝の上にちょこんと座った。
 彼女はこんのすけに触れようとして、手を布団の中に引っ込めた。
「……今、何と?」
 彼女は管狐に問うた。
「鶴丸国永様とお呼びしたのですが……もしや、違う刀剣様でしたか?」
 きょとん、とした顔でこんのすけが問い返す。こんのすけが不思議なものを見るような目で見つめ返してくるものだから、彼女は困ってしまった。
「いや、そんなはずはない。姿形は違えど、この子は確かに鶴丸国永だ。最大練度になってから出陣回数は減ったが……本霊を共にする同位体を見分けられないほど、俺は鈍っちゃあいないぜ」
 鶴丸国永が言う。彼女には彼の言っている意味が分からなかった。体温が下がったような気がした。嫌な予感がする。彼女には、彼の言葉に思い当たる節があった。
 どうして視界がいつもより広く感じるのか、どうして身体に異変を生じているような気がするのか、そもそも自分の体はこんなに白かったのか。
――もしかしたらこの身体は、本来の私の身体ではないのかもしれない。
 違和感が拭いきれず、彼女は、「ここに鏡はありませんか?」と問おうとして、
「……ここに……鏡は、あるか?」
と、問うた。
 どうやら、先程よりははっきりと声が出るようになったらしい。しかしながら、思ったことと実際に声に出る台詞にずれがある。本当は違うのに、元々の口癖が出たとしか思えないような不思議な感覚を覚える。形容し難いその感覚に、彼女は戸惑った。
「待っててね。ええっと……」
「ほら、主」
 男性が部屋の箪笥を開けようとしたところで、鶴丸国永が懐から手鏡を取り出した。折りたたみ式のコンパクトミラーだ。
「何で鶴丸が持ってるの? まあ、いっか」
 男性は彼から手鏡を受け取ると、
「はい、これ」
と、彼女にそれを寄越した。
「……ありがとう」
 彼女は受け取った手鏡を開く。目の前に映ったのは、自分ではないその人だった。
 こんのすけや鶴丸国永の言っていた意味を、彼女はようやく理解できた。彼女の知っている自分の姿は黒髪黒目だ。しかし、今の彼女はどうだ。それこそ、そこにいる鶴丸国永を女にしたような見た目をしている。黒髪は銀に染まっていて、肌もやはり記憶にある自分自身の姿よりワントーン明るい色だ。目は黒から金に変わっている。
「……誰だ、こいつは」
「……ええっと、紛れもなく、貴女ですが……」
 彼女は鏡を指差した。こんのすけは困惑したように返した。
「何者かに記憶を奪われてるのか……?」
「その可能性はありますね」
 鶴丸国永は苦虫を噛み潰したような顔をした。こんのすけは眉を下げて答える。
「しかし、彼女は手入れ前に検査を受けています。その際に神気量、霊力量共に異常はありませんでした」
「なら、何故この子は『俺』であることを忘れている? まさか、元いた本丸の審神者に……」
「私の本丸なんて存在しない」
 彼女は彼の言葉を遮った。そして、
「私は、本丸を持っていないんだ」
と、言った。見習いは正式な審神者ではない。そのため、本拠である本丸の支給が行われる時期は資格取得後、つまり正式着任時となる。
「こんのすけ、本当に?」
「いえ。検査結果によると、他の審神者の霊力反応が検出されています。ですが……」
 こんのすけは困ったように耳を下げた。
「検索範囲を広げて調べてみても、どのサーバーの、どの本丸の審神者とも一致しませんでした。政府関係者か、あるいは時間遡行軍か……」
「時間遡行軍だって? あいつらと一緒にしてくれるなよ」
 疑われるのは仕方が無いにしろ、時間遡行軍なんていう時間犯罪者と一緒にして欲しくない。彼女は強くそう思った。彼女がこんのすけを睨むと、
「大丈夫だよ。敵だなんて思ってないから」
と、この本丸の主は笑った。
「それなら、いいんだが……」
「……便宜上、今だけは貴女のことを鶴丸国永様とお呼びさせていただきます。鶴丸国永様が意識を失う前、何があったのか、教えていただけませんか?」
 こんのすけは頭を下げた。
 彼女は、ゆっくりと、先程思い出した記憶を辿った。

「辺り一面が、焼けていた。私は無理矢理、そこらへんにあった資源を使って、刀を作った」
「刀剣が刀を?」
 男性が彼女の話を遮る。鶴丸国永は、
「主」
と窘めた。
「……続けて」
 男性は彼女に続きを促した。すると、
「……その刀が、これだ」
と、彼女は、手元の太刀を示した。
「私は付喪神を降ろそうとした。だが、やっと祝詞を唱え終わりそうなところで、時間遡行軍に邪魔をされた」
「……鶴丸国永様は、審神者だったのですか?」
 こんのすけの問いに、彼女は首を横に振った。
「違う。おそらく見習いだったということは、記憶にある。それより前のことはあまり覚えていない」
 彼女は自分の記憶が欠けていることも、正直に話した。
「とにかく逃げなければいけないと、そう思って、刀を抱いて逃げた。だが、女の私では時間遡行軍にすぐ追いつかれてしまってな。そうして殺されかけたときに……白い羽織の男の背中を見たんだ」
 話しながら、彼女はそのときの様子を思い出していた。
――そうだ。あれは、資料でよく見た鶴丸国永の姿だった。
 炎の中で、助けてくれた神様。
 自身の傍らに置いている刀を持った青年の後ろ姿。白い戦装束に身を纏った彼が、彼女を守るように立ちはだかっていた。その光景は、朦朧とした彼女の目に焼き付いていた。
 彼女は思わず、そこに居る鶴丸国永に目線をやってしまった。あれは間違いなく、彼の姿だった。
「白い羽織……鶴丸、お前か?」
 彼女が彼を見てしまったせいか、男性が鶴丸国永に問う。鶴丸国永は首を横に振った。
「俺じゃあないな。俺が駆けつけたときには、この子の姿しかなかった」
「ああ。そこの鶴丸国永ではないことは確かだ」
 彼女は彼に同意した。あれは彼であって彼ではない。何故かと聞かれれば困ってしまうが、彼女には根拠のない確信があった。
 ならば、彼女を助けた付喪神はどこへ行ってしまったのだろう。眠ったのか、それとも別の個体で折れてしまったのか。今の彼女には知る由もなかった。

「……こんのすけ、それなに?」
 話の途中、男性がこんのすけに視線を移した。その声に彼女も管狐に目を向ける。こんのすけの目の前には、光のパネルが宙を浮くように表示されている。
「もしかしたら、と思って検査のデータを取り出してみたんです」
 こんのすけの肉球に反応して、画面が推移する。
「……ああ、やっぱり!」
 こんのすけは、ある画面を指し示した。
「ここです、見てください」
「いや、見てもさっぱり分からないんだけど」
 男性は言う。こんのすけは一つ咳払いをすると、話を始めた。
「結論から申し上げますと……この鶴丸国永様は、極稀なケースの刀剣男士……いえ、刀剣女士と言えます」
 こんのすけが画面を動かすと、黒い背景に浮かぶような形で何かを示す波形が現れた。
 どれもが正弦波で、丸みを帯びた曲線だ。青い曲線の近くには刀剣男士の名前が、赤い曲線の近くにはおそらく男性の審神者名であろう名前がローマ字で表示されている。
 こんのすけは小さな手で示した。
「赤い波が刀剣男士の神気、青い波が審神者の霊力なんですけど……分かりやすく、我が本丸の鶴丸国永様のデータと比較させていただきますね」
 こんのすけが画面を操作すると、この本丸の鶴丸国永のデータが現れた。
「……これが俺のものなのかい?」
 感嘆する鶴丸国永に、こんのすけは頷く。
「そうです。一般的に、刀剣男士の身体を流れる神気と霊力のこの波長は正反対の動きをします。また、両者の波の振れ幅は全く同じとなります。刀剣男士は、無意識ではありますが、この振れ幅を基準にして、自分に合う審神者かそうでないかを判断し、呼び出しに応じているのではないかと言われています」
 こんのすけは解説を続ける。このこんのすけの得意分野なのだろうか、先程よりも少しばかり早口だ。
「そしてこの波は正反対であればあるほど、そして両方の波の振れ幅が大きければ大きいほど、互いを補佐する結びつきが強くなります。ここだけの話、わずかですが、本丸で過ごした年数や練度などにも影響されます。我が本丸の鶴丸国永様は主様が審神者に就任されたころにいらっしゃったこともあって、一般的なデータよりも良い値が出ていますよ。特に我が本丸の主様は優秀なお方ですからね! 当然と言えば当然ですね!」
「……へー、そうなんだ」
 男性は圧倒されたような調子で曖昧に笑った。褒められたことが、あまりピンと来ていないらしい。
「もし、この波長がずれていたり弱かったりするとどうなるんだ?」
 鶴丸国永は問うた。こんのすけは、即座に答える。
「振れ幅が弱くとも、波長が正反対であれば、そこまで問題はありません。要は波長が合うか合わないか、合わせられるか合わせられないかです。まず、刀剣男士は波長が合わなさそうな審神者を選びませんからね」
「刀剣男士は主を選べないって聞くけど、本能的なところで選んでる、ってこと?」
 今度は男性が問う。こんのすけは、
「そうなりますね」
と答えた。そして続ける。
「しかしながら、稀にずれが生じることがあります。それが、鍛刀時のバグ、と呼ばれるものです」
「……バグ?」
 こんのすけの言葉に引っかかり、彼女はその単語を繰り返した。見習いだったはずの頃、そんな話を聞いたことがないからだ。
「そういえば、それこそこの間、後輩ちゃんが刀剣女士の鶴丸国永を顕現させたとか」
 男性が言う。
「伯耆国サーバー・一三〇番本丸の審神者様ですね。ずれの原因としては審神者の霊力素養、もしくは鍛刀時のシステムエラーが考えられます。彼女の場合は完全に後者ですね。当時、配布されていた依頼札が本来出回ることのないはずの未調整の不良品でしたから」
 こんのすけが付け加えた。そして、
「全く政府も何をしているんだか……こんな戦時中に、戦力を削る可能性がある代物を出回らせて……嘆かわしい」
と、呆れたように首を振った。
「でも、この鶴丸ちゃんの件とは全く別なんだよな?」
 男性が問う。こんのすけは、
「そうです。これからお話しますね」
と、口調と話を元に戻した。
「それでは本題の、こちらの鶴丸国永様のデータを今一度ご覧ください。『鶴丸国永』としての神気、審神者としての霊力が重なっているのが分かります」
 こんのすけは彼女のものであろうデータを示した。そこで、彼女らは信じられないものを見ることになる。
 登録データではまだ見習い扱いだからか、彼女のものであろう霊力曲線のところには「Unknown」と表示されている。そのすぐ真下に、鶴丸国永の名前がある。
 二つの曲線はぴったりと重なり合っている。
「こちらは、鍛刀時のバグで生じるものではありません。むしろそれより更に稀な……レアケースです」
「……それで、私はどうなっているんだ?」
 彼女はこんのすけに話の続きを促した。こんのすけはこちらを向く。
「鶴丸国永様……今、貴女は、人間としての貴女と『鶴丸国永』が融合した状態となっています」
 こんのすけは続ける。
「刀剣男士と審神者の融合……融合症例は全サーバーで十七件と、二〇も満たないものです。このサーバーでは、彼女が初の融合症例となります。うち七件は審神者がゲートを潜る際にうっかり刀剣に触れながら時間遡行したもの、五件は神隠し直前の強制刀解祝詞ミスによる不具合」
「残りは?」
 男性が問う。こんのすけは、
「残り五件は、瀕死の審神者を生かすために、自らの神気と霊力を全て分け与えたことが原因とされています」
と答えた。
「この子がゲートを通ったとは考えにくい。それに、あんな状況だったんだ。神隠しに遭う場面でもなかっただろう」
 鶴丸国永は言う。
「じゃあ、この子の鶴丸国永が、この子を守ったってこと?」
 彼の言葉に、男性は問うた。
「この鶴丸国永には……私を守る理由がない」
 彼女は首を横に振った。この鶴丸国永には、彼女を守る理由がない。まだ主にさえなっていない自分を、刀剣男士として顕現できなかった審神者を守る理由が彼には無いはずだ。彼女はそう考えていた。
「……どんな理由であれ、その鶴丸国永は、きみに生きていて欲しかったんだろう。でなけりゃあ、そこまでしないと思うがなあ」
 鶴丸国永は、彼女の傍らにある同じ名の刀を示して言った。
 他の刀に言われるより、同じ銘の刀剣男士の方がずっと説得力はあるのだろう。しかしながら、彼女にはやはり理解できなかった。
「それで、この鶴丸ちゃんはどうなるんだ?」
 男性はこんのすけに問う。こんのすけは彼の方を向く。
「ええと……正式な処分が下るまでは、しばらく、保護観察ということになります」
 そして、ちらりと彼女を見て、
「よって、鶴丸国永様にはこの本丸に滞在していただこうと思うのですが……」
と言った。
「い、いや、待て、ここにこれ以上世話になるわけには……」
「いいんじゃないかな。どうせ政府からの指示でしょ?」
「そうですね。わたくしは特に、バイタルチェックに秀でた個体なので……」
 彼女の話はよそに、男性とこんのすけは勝手に話を進める。
「それに、新しい子が増えるのはうちとしても嬉しいし、鶴丸ちゃん、行くとこないでしょ? この本丸、男所帯ってところを除けば悪いところじゃないし……だめかな?」
 男性は有無を言わせないような笑顔でこちらを向いた。
 確かに、今の彼女に行く宛などない。それに、戻ったところで教育機関に通うなんてことはできずに研究対象として何をされるか分からない、なんてことは容易に想像がつく。しかし、彼らの世話になるわけにはいかない。彼女はそう考えていた。
 彼女はちらり、と男性を見る。男性は、有無を言わせないような笑顔で彼女を見ていた。どうしてもこの本丸に居させたいらしい。
 下心は幸い無さそうだ。彼女は、
「……わかった。できるだけ、協力させてもらおう」
と、頷くしかなかった。
「ありがとうございます!」
 こんのすけが真っ先に喜んだ。そして、申し訳なさそうに、
「ただ、お部屋なのですが……」
と、部屋のことを切り出した。
 さっきの態度とは一変しておろおろするこんのすけに、鶴丸国永が助け舟を出す。
「俺の隣の部屋が空いている。同一の刀剣の付喪神が傍に居た方が何かと都合がいいだろう? それに、近くには乱の部屋がある。乱は男士だが……女性のあれそれにも関心があるようだから、頼りやすいんじゃないか?」
「ああ。ありがとう。助かる」
 彼女はほっと胸を撫で下ろした。他の刀剣男士とはまだ顔を合わせておらず、短刀は人懐っこい男士が多いと聞く。乱藤四郎のような短刀や、同位体の鶴丸国永のように、頼りやすい刀が近くにいるというだけで気が楽になる。
「ああ、それと、」
 鶴丸国永は続ける。
「鶴丸国永が二人も居ちゃあ紛らわしいだろう。きみ、見習いだったんだよな? きみの名は?」
「名前……」
 彼女は彼の問に答えられなかった。
「真名でなくていいぜ。むしろ、そうでない方がいい」
「……そうじゃなくて、」
 彼に問われて、彼女はやっと自分の名前が思い出せなくなっていることに気が付いた。記憶がところどころ曖昧なのは分かっているが、思い出そうと思っても思い出せないのは、どうにもむず痒い。

――「俺の主……絶対に、きみは俺が守ってやる」
 ふと、彼女の頭に言葉が浮かんだ。声が内側から聞こえる。
――「俺の可愛い、」

「……ひな」
 彼女は声の言葉をなぞった。鶴丸国永は目を丸くして、
「……ふはっ」
と、吹き出した。
「なるほどなあ。ひな、ときたか」
「ち、ちがっ……!」
「可愛い名前だね」
 彼女の主となった男性が笑う。ひなは諦めて、
「……もういい。ひなでいい」
と、投げやりに言った。
「よろしくね、ひなちゃん」
 主が手を差し出す。おずおずと彼女が手を差し出すと、彼は手を握り返した。