穏やかな昼下がりのこと。
私は緊張した面持ちで自隊長の前にいた。夜一様は私の真面目な顔を気にすることなくお気に入りの座椅子の上にあぐらをかいてあくびをしている。悠々とくつろぐ彼女の横には、ぞんざいに投げ捨てられている隊長羽織。総隊長に目撃でもされたら雷が落ちること間違いなしだけれど、今のわたしにはそれよりももっと大事なことを夜一様に言う必要があった。
「夜一様、折り入ってお願いがあるのですが」
そう切り出した私の方を方を見てパチパチと2度ほど瞬きをした後、琥珀色の瞳はニィっと細まった。
「なんじゃ、構ってほしいのか?可愛いやつめ。ほれほれ、こっちに来い」
「いえ、このままで……」
「ん?」
「やっぱり失礼しま〜す」
危ない、手招きされたのに対して首を横に振った瞬間、とてつもない霊圧が夜一様の方からぶわりと襲いかかってきてた。君子危うきに近寄らずというが、この場合近寄らないと何が起きるかわからない。
大人しく近寄ってその太ももに頭を預ければ、途端に霊圧を引っ込めてご機嫌でわしゃわしゃとなでてくる。自分のところの隊長の膝枕に慣れることになるなんて、入隊前の私に言っても絶対信じないだろうな……。
「よ〜しよし、侑李は猫みたいで可愛いのう」
「ありがとうございます。それで夜一様、お願いなんですけど」
「ん〜?」
「この書類全部に目を通してもらえますか?」
「……ん〜?」
「これ、今日中に総隊長に要提出です」
「……」
わしゃわしゃとなでる手の力が黙って強まった。が、このまま引っ込むわけにはいかない。
夜一様に差し出している書類の束は、警邏隊と裏廷隊の活動内容の報告書だ。瀞霊廷内でどんな情報を集めてきたか、他隊に展開すべき情報はどのように取捨選択したか、いつだれに実際に伝令を行ったか、そんな感じの内容が書かれている定期報告。第二分隊は基本的に交代制でずっと諜報を行っているので、警邏・裏廷両隊が関わるこの書類は裏廷隊が担当している。
それを夜一様に確認、署名をしてもらう必要がある。……のだが、いかんせんこの人はこういうめんどくさいのを好まない。今も顔は見えないけど、私が掲げた書類に眉をひそめているに違いない。結果、こんなに分厚い書類を携えてこうやってお願いにこなければいけないわけだ。
「もうだいぶたまってるんですよ。これ以上出さないと総隊長に怒られます」
「侑李が確認したんなら儂が確認する必要もない。代わりに名前を書いて出せばよい」
「だめです」
「儂の筆跡の真似も板についてきたじゃろうし」
「代筆もしません。ていうかほんとそれ他に人、特に他隊の人がいるところで言わないでくださいね……」
隊長の代筆なんて外に絶対漏れてはいけないやつだ。
夜一様が自分で書かなければいけない報告書の代筆を最初に頼まれた時は緊張で手が震えたけれど、今では切羽詰まったときは許可をもらって代筆をすることに躊躇はなくなった。多分ここ数年、書類に書かれている「四楓院夜一」の文字は私の代筆の方が多い。怖すぎて数えたくもないけど。
けど、本来は隊長がやらなければいけないことだし、今回は絶対に全部目を通してもらう。そんな私の決意を感じ取ったのか、大きなため息がわざとらしく頭上から降ってきた。それからなにやら髪の毛を柔らかく引っ張られる感覚。もしかしなくても私の髪で遊び始めているな。
「まったく、侑李は真面目じゃのう」
「私だって本来はどちらかというとちゃらんぽらんな方なんですけどね……」
仕事はできれば手を抜きたいし、こんな書類仕事に没頭できるような几帳面な性格でもない。
ただ、それぞれの通常業務が24時間体制の他の分隊と違って、私が部隊長をしている裏廷隊が動かなければいけない至急伝令なんて早々ない。その結果、うちの分隊はもっぱら「二番隊」として要求される書類仕事をほぼほぼ請け負っているというだけの話だ。
「夜一様」
「なんじゃ」
「今日はこの後第二分隊の部隊長との情報分析会を予定していて、できれば早めに確認お願いしたいんですけど」
「うむうむ、警邏の集めてくる情報の整理まで頑張っている侑李は偉いのう」
「まあ裏廷隊部隊長の仕事でもありますし。ていうか褒めていただけるのは嬉しいんですけど、報告書の確認……」
「じゃあこうしよう」
私の言葉をさえぎって名案を思い付いた!と言わんばかりの夜一様。絶対ロクな提案じゃない。
「半分は儂が確認するから、侑李は残り半分の代筆をする。これでどうじゃ?」
「どうじゃ?もなにもそれで私が是とするとでも?」
「今日はこの仕事が終わったらあがっていいぞ」
「この後情報分析会があるんですが」
「儂が代わりに出ればいいじゃろう」
「いや、可能ならば毎回顔を出してください」
「後から毎回結果をお主が報告してくれるからな。儂はそれだけで十分じゃ」
「それは夜一様が出てくれないからまとめているだけでですね……」
何だろう、この微妙に不毛な会話。ため息をついて、いつの間にか夜一様の手が離れていた髪の毛を触ったら器用に三つ編みが編み込まれていた。見上げれば、にやりと笑った夜一様。
「前に侑李がおいしいおいしいと言って食べておった餡蜜、明日までに家の者に頼んで取り寄せておいてやろう」
「……二つほしいです」
死神は、甘味の前では時に無力である。