「伊地知さん、知ってます?今日転校生来てるんですって」
東京に戻る途中で千冬がその話題を出したのは、真希に連絡を入れなければいけないことを思い出したからだ。
スマホを弄りながら自分の返事を待つ少女に、伊地知はフロントガラス越しに見える景色から目をそらさずに口を開く。
「特級過呪怨霊に呪われている少年でしたか」
「それです。悟くんが偉い人達から強奪してきた男の子。ふふ、響きだけだと囚われのお姫様みたいですね」
真希とのトーク画面を開いた瞬間に目に入った『あのバカのせいで新入りと組むことになった』という吹き出しもあいまって、思わず千冬は小さく笑った。
『おわった!チョコとクッキー、お土産どっちがいい?』と打ち込んで、お気に入りのスタンプと一緒に送って真希の反応を待つ。その間にも知らない転校生のことで頭はいっぱいだった。何せ今日は朝イチで高専を出たから、千冬は結局その転校生とは会っていないのだ。
同級生4人をロッカーに詰めた、特級過呪怨霊に憑かれている少年。前半の情報だけだとすごいいかつい不良を連想してしまうが、少女が怨霊になってでもずっと憑いているくらいなら、もしかしたら美少年なのかもしれない。
と、そこまで考えて千冬はもう一度「伊地知さん」と声をかけた。
「怨霊になった女の子の血筋とかって、伊地知さんが調べたんでしたっけ?」
「そうですね、他にも何人かの補助監督の方と手分けをしましたが」
「ふーん、でも特に何にも出てこなかったんですよね」
「はい。大分さかのぼりましたが、調べた限りでは特に呪術師の家系というわけではなさそうです」
「なるほどなぁ……。じゃあそもそもの前提が間違ってたのかもですね」
「というと?」
「少女の想いが原因で呪霊があんなに力を持ったんじゃなくて、別のことが原因だったりするんじゃないかなって。少女が死んだ場所が呪霊と相性がよすぎた曰くつきの所だったとか、呪詛師が嚙んでるとか、呪われた少年の方に素質がありすぎたとか」
「なるほど」
確かに一理ある考えかただ。伊地知が上からの指示で調べたのは祈本里香の方の家系だけだから、その線で調べればまた何か出てくるかもしれない。
「ま、どうせ私が考えることなんて悟くんも思いつくだろうし、そのうちまた再調査とかさせられるかもしれないですね」
「それは……当たらないでほしい予想ですね……」
苦い顔をした伊地知は、五条の思いつきの一番の被害者だ。当たらないでほしいと口では言いつつも、今後言われるであろう『オネガイ』に対してもう既に諦めているようだった。
そうやって甘やかすから五条悟係だなんて言われるのになぁ、なんて千冬は思ったりもするのだが、自分も色々お世話になっている身なのでこれに関してはずっと胸に秘めている。
代わりにぐぐぐ、と車内でできる精一杯の伸びを一つした。
「あーぁ、それにしてもみんな任務で遅くなるんだったら温泉もうちょっと入ってきたのになぁ」
浴場に呪霊が出るから祓ってほしい。できれば露天風呂を壊さないままで。
適任だからと五条に任務を振られた千冬だったが、片道2時間かけて向かった現場での仕事は10分にも満たない内に終わった。
興奮して襲い掛かってきた呪霊が温泉に足を突っ込んだ瞬間を見計らって温泉に一発打ち込み、温泉のお湯ごと凍った呪霊にもう一発。呪力だけを込めた二発目によって粉々に砕かれたのを確認してから、最後に炎をまとった弾丸を氷に向かって放てば、もうそこは呪霊がいない普通の温泉に戻っていた。
その後のんびりと露天風呂に浸かって、迎えに来た伊地知の車に乗って、現在に至る。
「真希ちゃんの返信も遅いし」
実習で行くようなものならそこまで時間がかからないはずなのに。未だに真希からの既読がつかない画面をぼんやりと見ていると、別のトークでの通知が来たことを知らせる音がした。
それが一年生グループラインの方だったから、千冬は真希がそっちに間違えて送ったのかと思って軽い気持ちで開いて、そして。
パンダから送られてきた内容に目を開いた。
「伊地知さん、やっぱり高専じゃなくて病院寄りたいです。……あ、やっぱりその前にもう一個寄り道!」
「構いませんが、寄り道はどちらへ?」
「チョコ屋さん!」
里香の呪いを解く。
そう決意を新たにした憂太の前を、軽やかに一人の少女が駆け抜けた。学ランのような詰襟にスカートを合わせている彼女は、なんだかオシャレそうな紙袋をひっさげている。
憂太が座っている長椅子のすぐ横、つまりは真希がいる病室の扉をコンコンコン、と小気味よくノックして、
「まーきちゃーんやーい、起きてる〜?」
と、返事を待たずに病室内に入っていった。
そのあまりの自然さに一瞬惚けてしまったけれど、すぐに我に返る。
勝手に入っていいのか、真希が寝ていたらどうするつもりなのか。そもそも彼女は誰だ。
慌てる憂太を他所に、病室内の声は微かに廊下に漏れ出ていた。どうやら少女がきちんと扉を閉めそこなっていたらしい。
「寝てたらどうするつもりだったんだ」
「真希ちゃんそんなにヤワじゃないかなって」
続く会話と、五条が特に止めていない現状。彼女も関係者なのかもしれない、と思い当ってちらりと見上げた先で、五条は憂太の思考を見透かしているかのように手をひらひらと振った。
「これね、チョコ!銀座のお店でだけ今日から限定発売のやつ!」
「今食べられると思うか?」
「一緒に食べるために早く治してねってこと。あ、ていうか思ったよりひどくないから私治せそうだけど、入院手続きとかしちゃった?」
「知らん、バカがしてなければしてねぇだろ」
「聞いてくる!」
そうしてパタパタと足音がして、病室からひょこりと少女が顔を出した。
「悟くん、私が治すので退院手続きしておいて!」
「いいけど、体調は?」
「温泉ばっちり入ってきたから元気モリモリ。あとで温泉卵のお土産あげるね」
「ワー超うれしいー」
Vサインをふりふり振ってから、少女はまた病室に引っ込んでいった。白い扉の前に残っているのは怒涛の展開についていけない憂太と、少女とお揃いのVサインをいまだにしまわない五条だけだ。
既にショートを起こしそうな憂太がようやく絞り出せたのはたった一言だけだった。
「あの、治すって……」
医療従事者に見えなかったし、真希の傷は結構深かったはずだ。
「あぁ、千冬は反転術式を使えるからね」
「はんてんじゅつしき……?」
「まあそこらへんは追々説明するよ」
退院手続きは受付の人に言えばいいのかな〜なんて言いながら、適当な方向に歩き出す黒い背中を慌てて追いかける。流石に病室の前で一人取り残されたくはない。
が、数歩歩いたところで背後からドアの開く音と「そういえば!」という女の子の声が憂太を呼び止めた。
驚いて振り返った先では、廊下を通り過ぎたナースにたしなめられた少女が手を口でおさえたまま駆け寄ってきていた。憂太の前までくると、その手を下ろしてにっこり笑う。えくぼが両頬にできるのがなんだかあどけなく見えた。
「転校生だよね。名前聞いていい?」
「あっ、えっと、乙骨憂太です」
「乙骨くんね。同期の凍宮千冬です、よろしく」
そう言って手を差し出してきた千冬に、「ようやくクセのない人が来た……!」と半ば涙ぐみそうになりながら憂太も手を伸ばして、そして。
バシンッ
「!?」
「わっ」
軽くはない音が廊下に響き渡った。同時に、握手をするはずだった憂太と千冬の手がはじかれる。
振り払われた手をまじまじと見ながら、千冬が首をかしげた。
「もしかして乙骨くん、おさわり禁止だった?別料金?」
「いやっ、えっと、そういうわけじゃ……」
かといってなにが起きたのかもわからない。いや、多分里香が千冬の手を払ったのだろうが、その理由が全くつかめない。
別に千冬は憂太に害を与えようとしていたわけではないのに。
初めてのパターンで戸惑っている憂太に助け舟を出したのは、後ろで一部始終を面白そうに眺めていた担任だった。
「千冬、そういう言葉をどこで覚えてきたの?悟くん、そんな子に育てた覚えはありませんよ」
「悟くんが昔持ってたアニマルビデオ」
「あちゃー」
全く反省の気持ちがない教師をそれ以上気にすることなく、千冬は傾げていた首をまっすぐに戻した。
「まあいいや、気持ちだけ握手ってことで。じゃあ私、真希ちゃん治してまーす」
また学校でね、歓迎会しようね。という言葉だけを憂太に残して、もう一度少女が病室に戻っていく。なにがなんだか、本当にわからない。
けれども、とりあえずは、
「若人の青春はいつだってまぶしいねぇ」
なんていいながらこの場を離れる五条を、今度こそ追いかけた。