舐合






「雪那が女連れ込んでるって聞いたから誰かと思えばクソガキじゃん」

「クソジジィだ」

「悟、乱暴な言葉遣いを覚えさせないで」

「俺のせいかよ」

「千冬ちゃん、今日はどうしたの?」

「傑くんこんにちは!今日はねぇ、硝子ちゃんの部屋におとまりなの!」

「あれ、雪那任務だっけ?」

「や、家のこと」

「一緒に行ってあげよーか?」

「六眼様が出るまでもないよ、ありがとう。じゃあ千冬、お兄ちゃんがいなくてもいい子にしてるんだよ」

「もともといい子だよ!」

「あは、そうだったね」

それが、兄との最後の会話。








傑くんの宣言した百鬼夜行に関する対策会議が開かれているらしい。
明言はされていないけど、大人の呪術師(それも悟くんとか一級とか)が全然いないし、なんなら補助監督の人達も見かけないし、

「なーにやってんの、千冬」

「げ」

「はいはい、ここは子供禁制だから出てった出てった」

会議をやってそうな部屋に当たりをつけて聞き耳を立てようとして、案の定悟くんにバレてポイとつまみ出されたのでほぼ間違いない。

「憂太、悪いけど千冬を連れてどっか行ってて。一日くらい」

そんな言葉と共に私を引き渡された憂太くんは、寝癖をつけたまましばらく状況が呑み込めずにいるようだった。




「えーと……千冬さん、どこか行きたいところある?」

「沖縄」

「日帰りで行けな……いけるのかなぁ?」

憂太くんはしばらく旅行代理店のサイトとにらめっこしていたけれど、「それかここ行きたい」と代案を出せば首を傾げながらも地図アプリに住所を打ち込んで行き方を調べてくれた。

そうして呪術高専を出発して一時間と少し。電車とバスを乗り継いでたどり着いた先は、白い鳥居が一基だけポツンと残った更地だった。
どちらが入口かなんてわからなくなった鳥居を潜り抜けて、砂と草にほぼ覆われてしまった石畳の参道を歩いて。
ぽっかり開けた空き地の端っこ、静かに空に向かって枝を伸ばしている大木の前で立ち止まった。後ろで憂太くんが立ち止まったのも気配でなんとなく分かったけど、振り向いて話す心の余裕はなかった。

「…………」

かつてはしめ縄があったご神木に触れてみても、ただざらざらとした皮の感触があるだけで、他になにもない。当然のことなのに、なぜか悲しくなってしゃがみこんでしまった。
何も起きない。もう全てが起き終わった場所だから。

「……千冬さん、風邪ひいちゃうよ」

いつも彼がつけている浅葱色のマフラーを差し出されても首を横にふれば、黙ってゆるく巻かれた。それから憂太くんが横に並んでそっとしゃがんでくれる。
ひんやりとした風が少しだけ葉っぱを揺らして音を立てて、つられてなのか憂太くんがまた口を開いた。

「ここって、千冬さんの家に関係する場所?」

「……なんでわかるの」

「ずっと千冬さんといるからわかるよ」

「ずっとなんて……」

言うほど長くは一緒に過ごしてないのに。
途中まで言いかけて、あまりに自分がひどいことを言おうとしていることに気付いて何とか飲み込んだ。一時の感情に任せたとしても、言っていいことと悪いことがある。本当に思っているわけじゃないなら、尚更。

「ごめんね」

突然の謝罪に、自分が言おうとした言葉の続きを見透かされたのかと思った。否定しなきゃと流石に顔をあげて憂太くんの方を振り向く。
その先には、想像していたよりもずっと優しい顔をした憂太くんがいた。思い出したのは、静かな喫茶店の中に漂うやわらかいカフェラテのにおい。

「……なんで憂太くんが謝るの」

その顔を見ていたら用意した言葉を口にすることがなんだか躊躇われて、代わりに出てきたのは子供っぽい問いかけだった。憂太くんはちょっとだけ眉を下げたけど、それでも柔らかい表情を崩すことなく答えをくれる。

「この前、千冬さんに無理に話さなくていいよって言ったばかりなのに、僕からこの場所について聞いちゃったから」

「…………」

「でも、話したくないことを黙ってていいと思ってるのは今でも本当だけど、僕を連れてきてくれたってことは誰かに聞いてほしいのかなって」

さっきの言葉の続きなんかよりももっと深い心の奥をそっとのぞき込んできた憂太くんのその言葉が、妙にストンと胸の真ん中にはまった。
もう一度元ご神木をそっとなでてもやっぱり何も起きないけど、ずっと昔にここにあったものはほとんどなくなっちゃったけど。

「……どこって聞いて」

「え?」

「ここはどこなのって聞いて」

ぱちりと瞬きを一つした憂太くんはすぐに意図に気付いたようだった。

「千冬さんが連れてきてくれたここはどこなの?」

少しためらいながらも私のお願いに応えてくれた彼に答えるために、ゆっくり息を吸う。

「凍宮家が昔あったところ。……全部、お兄ちゃんが死んだ時に焼けたの」

長い間握りしめていた事実は、口にしてしまえばたったそれだけのことだった。








物心ついた頃から、両親はいなかった。任務中に呪いにあてられて衰弱したのか、陰謀に巻き込まれたのか、はたまた別の何かなのか、今となってはわからない。
硝子ちゃんを紹介されるまでは、お兄ちゃんと凍宮家に仕えていた一人の使用人だけが私の世界のすべてだった。

やれ不知火家は非術師への傷害沙汰を起こした先代のせいでお家取り潰しの危機に瀕していただとか、やれ凍宮家は分家も含めて世代交代が上手くいかずに血が途絶えそうだっただとか。そんな話は全て私が大きくなってから聞いたことで、そのころには全ての物事が終わっていた。
だから、いつか憂太くんに言った「不知火家には全然関わりがない」は正確ではない。凍宮家だって、お兄ちゃんと使用人の二人以外とは関わりがなかったのだ。
それが当たり前だったから、悲しいとか寂しいとか思ったことはない。
けれどお兄ちゃんは私と立場と状況が違ってたから、きっと私より大変だったはずだ。両親を喪った悲しみに沈む暇もなく私を守らなければいけなかったから。

両親が結婚した背景には、それぞれの家の存続問題が隠されることなく存在していた。
お兄ちゃんを当主に据えることができた凍宮家と違って、不知火家は誰も得ることができていなくて。
術式が発現していない落ちこぼれでもとりあえず血を絶やさないための道具にはなるだろうと、今まで見向きもしていなかった私を不知火家に迎え入れようとして。

『あいつは不知火家と心中したよ』

『おい悟!』

『ごまかしたっていつかはわかる話だろ』

強引に連れて行こうとしたあの日、代わりに家にいたお兄ちゃんによって目論見ごと消されて灰になった。
残ったのは、何も知らなかった私一人だけ。




「傑くん、この前高専に来ていた変な人はね、お兄ちゃんの元同級生なの」

生い立ちの話からちょっとだけ飛んだ話題に、憂太くんは少しだけ首を傾げた。

「元同級生って……呪術高専の?」

「うん。だから私の小さい頃を知っていて、お兄ちゃんが何で死んだのかも知っている」

知っているのになんであんな言い方をしたのか、私にはわからない。
もしかしたら私を気遣ってくれていたのかもしれないし、逆に遠回しに私を責めていたのかもしれない。
わからないよ、私の頭の上を飛び越えて全部終わらせてしまう人たちの考えることなんか。
私が知るのは、いつだってそれが過去の出来事になってからだ。

「お兄ちゃんはね、私がいなかったら本当は死ななくてもよかったはずなの」

「それは……」

「お兄ちゃん一人だったら、凍宮家の当主になった時点で不知火家はどうやっても手を出せなかったから」

けれど、お兄ちゃんには私がいた。
凍宮家を継ぐことがないから家によって守られることもなくて、術式の発現も遅れていたから自衛することもできない。そんな私のことをお兄ちゃんは大事にしてくれていた。
だから、お兄ちゃんが死んだのは家とか自分を守るためじゃなくて私を守るためだけで。
それだけのためにお兄ちゃんは全てを捨てた。

よくある話だ。妹を守って兄が犠牲になる、どこにでもあるような美談。
それが、私とお兄ちゃんの身にも起きた。
たったそれだけのこと。
たったそれだけのことが、いつまで経っても私を迷子にさせる。

私が目指していた道しるべは、私が帰るはずだったあの場所は、ずっと昔に私のせいでなくなってしまった。
それなら私は、どこに向かっていくんだろう。
どこに帰ればいいんだろう。

「私、どこにいるんだろう」

私だけが、生きていていいのかな。
ここにいていいのかな。

石ころみたいにちっぽけで固くて呑み込めないでいた気持ちを吐き出してみたけれど、ちょっとだけ喉がすーすーするだけで、全然楽にならなかった。
話したことによる胸の軽さよりも憂太くんの沈黙の方がよっぽど重くて、落ち着かない。
なんてね、と全部冗談にしてしまおうかと思って口を開きかけたけど、不意に真っ白な服で視界がいっぱいになったから私の試みは音になることなく空気にとけていった。
横からのびてきた憂太くんの両腕が私の背中に回って、さっきまで横にいた憂太くんがいつの間にか私の前にいて。
抱きしめられていると分かるより前に、すぐ近くから憂太くんの声が届いた。

「大丈夫だよ、千冬さん。……大丈夫、ここにいるよ」

憂太くんの服しか見えないのに、なぜだか憂太くんがどんな顔をしているかすぐに想像がついた。

「僕も千冬さんも、ここにいるよ」

憂太くんが、私の吐き出した小石を丁寧に拾ってゆるやかにほどいていく。
やわらかくてすぐに壊れてしまいそうになったそれを、大事なものを渡すように返してくる憂太くんの言葉に、目の端っこがぎゅうと熱くなるのを感じた。

「……雨が降ってきたかも」

「うん、そうだね」

水滴が一粒も空から降ってきていないのになぜか濡れる肩を、鼻が詰まってひどいことになっている私の声を、憂太くんは何一つ指摘しない。
その代わりに優しい温もりでぎゅうと抱きしめてくれた。

「ちょっとだけ雨宿りして、それから一緒に帰ろっか」

「……うん、かえる」




『真希さんたちを差し置いて僕が一番に聞きたいってわがままは言わない』

あのね、憂太くん。
私はね、憂太くんに一番に聞いてほしくて話したよ。



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