秋ももう終わりはじめようとしている頃のこと。私はパンダくんと一緒に教室の机につっぷしながら他の同級生の帰りを待っていた。
「今日の実習の先生誰だっけ」
「日下部じゃなかったか。最近任務なくて授業ばっかりだな」
「ね。さすがに疲れるな〜」
「でも世の中の学生は毎日これなんだろ、やばくね?」
「わかる、超やばい」
任務自体は大変だし何個も詰め込まれるとパンクするけど、行き帰りで色んな所に寄ったりできるからなぁ。そっちに慣れていると朝から夕方まで学校にいるのはなんだか落ち着かなくてもぞもぞしてしまう。
硝子ちゃんは「学生の内は仕事なんてしなくていいよ」って言うし、悟くんは「仕事より青春の方が大事じゃない?」って言うけど、正直どの口が言うんだって感じだし。こちとら今も昔も二人の背中を見て育っているのだ。
まあ昔はもうふたつ追いかけていた背中があったんだけど、なんて自分で自分の地雷を綺麗に踏んだところで、何かに気付いたパンダくんが視線を外にやった。
「帰ってきたな」
「あっほんと?」
窓から見下ろした先では、確かに見慣れた三人が並んで校舎に入ろうとしているところだった。
高専に丸一日いる時は、じゃんけんで負けた人達が昼ごはんを準備することを始めてから随分経つ。すっかりタクシーの配車アプリを使いこなすようになってからは「出前が来ないならこっちから行けばいい」精神で昼休みに力技で外部調達することも増えてきた。
本当はみんなで寮に戻る方が時間もかからないし出来立てのごはんも食べれるんだけど、そこは暗黙の了解ってやつ。
「そういやパンダくんもマフラーいるの?全身がマフラーみたいなものじゃない?」
「千冬、冬山をなめていたら死ぬぞ」
「ほんと?気を付ける〜」
なんの生産性もないやりとりをしていれば、視線に気づいたのか憂太くんがふとこちらを見上げた。
へにゃりと笑って何かを言ってきているようだったけれど、残念なことに口元が半分ほどマフラーに隠れていたからほとんど読み取れない。ただいまとか待たせてごめんねとかそこらへんだろうな。
手を振ってから真希ちゃん達の方を指し示したら、さっさと進む二人を慌てて追いかけはじめる。そんな憂太くんを見ていたら、横から生ぬるい視線がうるさいくらいにつき刺してきた。
面倒なのが目に見えていたからガン無視するつもりだったけど、勢いよく肩に腕を回されて『ぱんだから にげられない!』状態になった。思わず舌打ちしちゃったのは許してほしい。
「そういえば最近憂太とはどうなんだ」
「どうなんだって、普通だけど」
「またまたぁ〜、お見合いの話で憂太とギクシャクしてたじゃねーか」
「あれは真希ちゃんとか棘くんに同じような話があってもなってたよ」
あの時の憂太くんの感じからすると、パンダくんが期待しているようなキャッキャウフフな感情よりは、折角仲良くなった友達が自分の知らないところで遠くに行っちゃうかもしれないという寂しさの方が近そうだ。
話しながらしっしっ、とパンダくんの手を払う事には成功したけれど、興味をそらすことはできなかったらしい。「憂太の方が何にもないとしてもだな」なんていいながらもう一度強引に肩を組んできた。
「おまえの方はどうなんだよ」
「わかんな〜い」
「ガキだな」
親指を思い切り下に向けてやろうかと思ったけど我慢したの、誰か褒めてくれてもいい。
でも、本当に分からないのに。
憂太くんのことは好き。真希ちゃんや棘くんやパンダくんに対する好きと違うのかって言われたら多分違うんだろうけど、別にそれは憂太くんに限った話じゃない。
みんなに対してそれぞれ少しずつ違う種類の「好き」を抱いているのに、憂太くんへの好意だけが特別な恋愛的なものなのかなんてわかるわけない。
ていうか、憂太くんには里香ちゃんがいるし。
「そもそも解呪終わったら一般人に戻るんでしょ。ずっと仲良くはしていたいけど、あまり憂太くんの将来を呪術界だけに制限しちゃよくないよ」
自分でもよくわかっていない感情を他の人にうまく話せるわけもないからほんの少しだけ話の方向性をずらしたら、意外な情報がパンダくんから転がり込んできた。
「最近迷っているらしいぞ」
「そうなの?」
「悟に進路相談しに行って全く参考にならなくてとぼとぼ帰ってきてた。つい昨日」
「そりゃ知らないわけだ」
そして悟くんを相談相手にしたのは憂太くんの完全な人選ミスだよ。規格外がうっかり人の形を保っちゃったよう人だもん。
「千冬は?」
「へ?」
「将来だよ。最前線でずっと祓うのか、それとも硝子みたいに反転術式で後方支援すんのか。おまえならワンチャン呪術界から足抜けとかもしそうだけど」
「足抜けって」
パンダくんの言葉を笑いながらも、心臓が変にイヤな音を立てた。
私の将来。
ずっと、呪いを祓い続けるんだと思ってた。
お兄ちゃんの代わりに、お兄ちゃんが助けられたであろう人を助けるんだって。
でも、それ以外にもいくつも選択肢があるんだ。
その事実が私にくれたのは、安堵じゃなくて不安だった。
私は、何になりたいんだろう。
私は、何になれるんだろう。
お兄ちゃんの代わりにもなれない私が、一体何にならなれるんだろう。
ガラガラと響いたドアの音で、我に返った。
「帰ったぞ」
「ツナマヨ」
「ただいま〜」
買い出しから帰ってきた三人が教室に入ってくる。パンダくんがさっきまでの会話を忘れてそっちに向かってるのを見て、私も立ち上がった。
「おかえり。お昼ご飯結局何になったの?」
「ダブチ」
「おー、ポテトも5つあると随分な量だな」
「私おっきいお皿持ってくるから全員分のポテト出そうよ!」
「いいけど、気を付けないと憂太の分だけパンダに全部食われるぞ」
「しゃけしゃけ」
「僕の分だけ!?」
ひとしきり笑って教室を出れば、さっきまでのぐるぐるした気持ちはすっかり無視できるくらい小さくなっていた。
「こうやって皆でバカなことするの、楽しいなぁ」
本当に、楽しかったのになぁ。
「珍しいな」
「憂太の勘が当たった」
「?」
その日の夕方。みんなが気負わずにそれぞれの武器を構える中、私は一人だけ金縛りにあったかのように動けなかった。状況をつかめていない憂太くんが気づかわしげにこっちを見ていたけれど、気にする余裕なんてない。
だって、近づいてくる霊圧を私は知っている。
呪術高専に来るはずがない、来てはいけないはずの霊圧だ。
やがて変な呪いと一緒に降り立った人物は、見慣れない服を着ているけど見慣れた顔をしていた。
「変わらないね、呪術高専は」
声色も記憶のものと一緒だから、嬉しいのか泣きたいのか、それとも怒りたいのかわからなくなって憂太くんの後ろに隠れる。
盾にされた憂太くんは心配そうな視線のまま何かを言ってくれようとしていたけれど、すぐに侵入者に手を取られてそっちに向き直った。
私にはまったくわからない思想の話。悟くん達大人の到着による応酬。……それから、真希ちゃんへの侮辱的な発言。
目まぐるしく変わっていく周囲の状況と感情に一人取り残されていれば、ふと彼の矛先が自分に向いた。
「千冬もこっちにおいで」
久しぶりに私の名前を呼ぶ声の方を見れば、優しい笑みを浮かべた傑くんがいた。
憂太くんの肩に腕を回したままの傑くんは、憂太くん越しに声をかけてくる。
「呪術師じゃない猿がみんなこの世からいなくなれば、猿どもに危害を加えたからという理由で不知火家がお咎めを受けることもなかった。そうなれば、不知火家が凍宮家を襲撃することもなかったし、雪那も殺されることがなかっただろう」
「それは……そんなことは……」
「つまり猿どもによって雪那は殺されたと言ってもいい」
めちゃくちゃな理論だ。そんなのわかっているのに、口が動かない。
だって、傑くんの言葉を否定するということは、お兄ちゃんが死んだ本当の原因を肯定しなきゃいけなくて。
「おいで、千冬。雪那の敵をとりたくないかい」
お兄ちゃんの本当の敵は。
「わたしは……」
「千冬さん」
私の言葉をさえぎったのは、憂太くんの声だった。
乾いた音を立てながら傑くんの手を払った憂太くんが私の手を握って、一歩傑くんから離れる。
「ごめんなさい。夏油さんが言ってることはまだよく分かりません。けど」
ぎゅ、と私の手を強く握って、
「友達を侮辱する人の……友達をそそのかして困らす人の手伝いは、僕にはできない!」
強い意志を言い切った憂太くんの横顔には、何も迷いがなかった。
「すまない、君を不快にさせるつもりはなかった。千冬のこともね」
私の方に視線を向けてくる傑くんの顔は、途中から憂太くんの背中にさえぎられて見えなくなる。
それからのやり取りは私にとっては白い学生服越しのもので、
「それでは皆さん、戦場で」
ひらひらと手を振って飛んでいく傑くんは、昔と同じかそれ以上に笑っていて。
ねえお兄ちゃん、私はどうすればよかったんだろう。