心折る人

育手は水の呼吸の使い手だったが、私はどうにも染まり切らなかったようで、微妙な反応のまま訓練を終えた。幸い才能はあったから最終選別も突破し、入隊はどうにか出来たものの、日輪刀が赤く染まった時には、さすがに楽観的でもいられなかった。

「ええ…?赤なのぉ…?」

捨て子だった私を鍛え上げてくれた育手は、赤く染まった刀身を見て気の抜けた反応をした。確かに水の呼吸は何か違うな…とは思ってたけど、赤というのもしっくり来ない気がした。

赤かぁ…。水だと大体青くなるもんだが、まるで違う色になっちゃったな。
育手としては水の呼吸を使ってほしかっただろうに、何だか申し訳ないと感じつつも、体に合わないものは致し方ない。そもそも大雑把な私には、水の呼吸みたいに細々した剣技は性にも合わない気がして、とにかく迷走した。鬼を倒しながら、自分を探しにいろんなところへ行ってみた。

けれども、何をやってもしっくり来ないし、優しい柱の方々にも助言をいただいたりしたものだが、これといったものは得られなかった。結局最も安定するのは使い慣れた水の呼吸って感じで、それでも日輪刀はよく刃こぼれをしている状態である。

そんな中、育手から手紙が来た。私の日輪刀を見て、赤かぁ…と苦笑した日から、半年が経った頃だ。
水の呼吸を極めてほしかったな〜的な文章が長々と続いたのちに、でも向き不向きがあるからという事で、炎柱に弟子入りのお願いをしたから行ってみなさいという何とも急な内容であった。

正直私も、赤といえば炎の呼吸を連想した。でも炎の呼吸は煉獄家に代々伝わるものだし、敷居が高いと感じて気が引ける。何より柱の継子はやばい。同期はそれがつらくて隠に職種を変更したから、行きたくねぇ〜って感じだった。そしてその予想は当たった。

本気でつらかった。今まで散々稽古をし、散々命のやり取りをしたけど、煉獄の稽古に勝るものなど何もないという感じだった。

この人…人間の体に限界があること知らないんじゃないか?自分が耐えられるから人もできると思ってんのかな?
厳しいなんてものじゃない、人間だと思ってもらえてない可能性さえある、それはそれは苦痛を伴う日々だった。そりゃみんな継子になっても逃げ出すよな、と冷静に思い、噴き出す汗を両手で拭う。

すごいな、柱って。こんな鍛錬を重ねてきてるんだ。
初日から嘔吐の連続で生きるのがつらくなっていた私は、これらに耐えてきた煉獄や他の柱たちを、心の底から尊敬した。修行はつらいけど、でも私も強くなりたいとまだ思えたため、何とか食らいつき、しがみつき、そして自分が何故ここまでしているのかを考える。

私…なんで鬼殺隊に入ったんだっけ。
今までろくに考えた事がなかった点も問題だが、幼い頃より当たり前のように修行を重ねてきた身としては、考える機会がなかったとも言えた。自然な事だったのだ。物心つく前から育手の元で剣を握っていたら、他の道なんてないのではないだろうか。
漠然とした思いのまま今日までやって来たけれど、煉獄に散々痛めつけられても、何故か辞めようとは思わない。恐ろしくつらいのに、別に家族が鬼に殺されたわけでもないのに、辞めたって構わないだろうに、強くなりたいなぁと思う。鬼を滅ぼしてやりたいと思う。そういう気持ちが、自然と湧いてくるのだ。

「君は筋もいいが、何より気持ちが強いな!」

今日も今日とて満身創痍の私は、このまま稽古と称した拷問で死ぬのかな?と思っていたところ、意外にも煉獄から賛辞をいただいて驚いた。もう帰りてぇよ…と泣き言を言いかけていたため、気まずい思いで苦笑する。

「それは…ありがとうございます…」

地べたに転がっていた私は、慌てて立ち上がろうとするも、全身が重くて持ち上がらない。
ここ数日、稽古と鬼狩りを繰り返し気を張り詰めていたので、さっき煉獄に打ち込まれて倒れた時に、とうとう糸が切れてしまったのかもしれない。何もかもが重い。ついでに気分も重かったが、思いがけず褒められて心が弾んだ。
気前よく教えてくれる煉獄だが、今みたいに評価してくれる事はほとんどなかった。よく見てくれているな、とは感じていたけれど、口に出されると印象が変わるものだ。

「毎日よく向かってくる。心を折る事なく」

折れてるんだよなぁ…と素直に思ったので、誤解を解くべく訂正した。なんとなく過大評価はされたくなかった。

「折れたそばからくっつけてるんです…」
「そうか!それもいい!」

しかし正直に話しても、煉獄の評価が変わる事はなかった。上から顔を覗き込まれ、大きな声が頭に響く。私より過酷な日々を送っているはずなのに、煉獄は全く疲労している様子もなく、柱がいかに化け物であるかを痛感する。

私も…訓練し続けたらこうなれるのか?無理な気がするんだが。
当たり前だけれど、柱なんて誰でもなれるわけじゃないんだ。そりゃあ煉獄の熱心な指導のおかげでわずかに力は向上しているが、しんどすぎる時は飯が喉を通らないし、今でもやたらと吐きまくっている。マジでしんどい。心折れないわけがない。

でもなぁ…育手の顔とか、良くしてくれた人の顔を思い浮かべると、やっぱり頑張らなきゃって思うんだよな。できる事はするべきだって思う。できない人の分まで。
元々の性格なのか何なのか、そういうのが染みついてる気がする。私はきっと人より繊細ではないのだと思う。肉体のしんどさを振り切れるくらいには。

やらなくては、と力を込め、呼吸をし、私は上体を起こした。背筋を伸ばせず丸まって、煉獄の顔を見れないまま、黙って話を聞き続ける。

「繰り返しくっつけていれば、いつか折れなくなるだろう」

というか折ってる自覚はあるんだな…と確信的な台詞に苦笑した。折れるよ、と思った時に、煉獄も似たような事を言ったので、苦悩する者の気持ちもわかってくれてはいるらしい。

「それでも折れたらまたくっつけるの繰り返しだな!」

そしてこの後、良くしてくれた人の顔一覧に、煉獄も追加される事となった。

「それができるのは素晴らしい事だから、自信を持つといい」

ようやく顔を上げられた私は、いまいち何を考えてるかわからなかった煉獄が、単に実直に生きている事に気付いて心を揺らした。真っ当で真っ直ぐなんだ。だからこんな地獄の鍛錬をひたむきにやらせるんだな。回り道せず、確実で力強い一歩を踏ませている。しんどいけど、それが正しいと私も知っていた。
再び俯いていると、半ば無理矢理に立たされて修行は再開された。もうちょっと休ませてくれって感じだったが、継子にしてもらいたいな、と新たな感情も芽生えたので、何とか己を奮い立たせる。まぁ言わなかったけど。気が変わるかもしれないし。

「くっつきそうになかったら…今日の事を思い出します」

すでに折れそうな心を、私はさっきの煉獄の言葉で補強した。自分のことを素晴らしいなんて思った事はなかった。そしてそう言われるのが嬉しいのだという事も、今日初めて知ったのだった。

「それで何とかくっつけます」

励ましへの礼のつもりで告げたのだが、煉獄には私がやる気に満ち満ちているように見えたらしい。このあとの稽古は地獄そのもので、やっぱ継子はやめよう…と固く誓った。その後何度か破られそうになるも、最終的に、炎の呼吸も微妙に合ってないという事で、自然と継子の話は立ち消えとなっていく。

しばらくの間、煉獄に扱かれるのと鬼狩りに行くのを繰り返した。煉獄は忙しいので、彼の派遣先に私も向かい、合間に稽古をつけてもらいながら、自分に合った呼吸法を編み出すのがいいのではないか、という話になった。
もちろん煉獄は面倒見のいい人なので、継子に勧誘はされたのだけれど、炎の呼吸も使えないのに居座るのは気が引けて、正式な弟子入りは断り続けた。今さらな気もするが、私にも矜恃ってものがあるのだった。

二つの呼吸を使ってみて、何となく掴めそうなものを感じた私は、一度育手の元へ戻ってみる事にした。原点回帰だ。いつまでも煉獄の世話になるわけにもいかないし、これ以上迷惑はかけられないから、修行を切り上げる事を伝えた。おかげで随分と体力もつき、心も折れにくくなったので、煉獄には感謝してもし切れない。

煉獄が泊まっているという藤の家紋の家に向かった私は、今後の方針を彼に話して激励をもらった。君の進む道を信じる、と言われた時、さすがに泣きかけた。あんなにつらい稽古だったのに、終わるとなると異様な寂しさに襲われる。

不思議だな。とにかく早く帰りたかったのに、今じゃ煉獄と別れ難くてたまらない。ちょっと苦手な気持ちも変わってないってのに、どうしてなんだろう。
情が湧いたな…と冷静に思い、日が陰り始めた部屋で、私は心情を吐露していく。もう会えないわけではないというのに、いや、そう信じているけれど、話しておきたい事が溢れてきた。それだけ煉獄への感謝が大きかったのだ。
鬼と戦いながら、あの地獄の鍛錬に比べたら全然余裕だと己を奮い立たせられたし、修行したことが実戦で活かせると、自分がとても価値のある事をしているようにも思えた。煉獄にもらったものを、繋いでいける気がした。この先も、遙か遠い未来の誰かにも。

「私…なんにもないんです」

静かに語り出すと、煉獄は黙って私を見つめた。
そもそも私にはまず苗字がなかった。捨て子だから当然だ。服の端にレイコと書いてあったからそう呼ばれているけど、これが親のつけてくれた名前かどうかなんてわからない。別にその事で悲観した事はないけど、元から何かが無い気はしていた。悲観する心さえないのかもと思った。
呼吸だってそうだ。自分に合ったものがない。私には何があるのかわからない。

「鬼殺隊に入ったのも成り行きだし、仇討ちとか強い動機もなく…」

あれもない、これもないと繰り返し、あのとき浮かび上がった赤色さえ、これじゃないと思わせた。

「日輪刀が赤くなった時、少し焦りました。この色に見合う情熱もなくて…」

似合わない赤を微妙な気持ちで見つめていたけれど、そのおかげで私の人生は、有る側へと変化していった。炎柱との出会いだ。
弱々しい火が煉獄の炎に引き寄せられ、大きなものへと変わっていった。彼と関わった事で、私の人生は私だけのものではなくなったように思う。私の行動一つ一つが、どこかで煉獄に繋がる気がして、実直な生き方を考え始めた。素晴らしいと言われた自分を、なかった事にはしたくなかったのだ。

「だけど煉獄さんが自信を持てって言ってくださって、本当に嬉しかった」

思わず笑みをこぼすと、煉獄は少し目を見張る。

「鬼殺隊に居る理由ができた気がしたから…」

煉獄の思いをもらったような気分だったのだ。本当の意味で、鬼狩りの心を手に入れられたと思った。
というような感謝を、半分も伝えられずにいる事を歯痒く思う私だったが、煉獄は全てを見透かしたみたいに大きく頷き、最初の発言をまず否定する。

「何もなくはない」

不思議な事だが、煉獄に言われると本当にそんな気がしてくる。

「君には努力して得た剣の腕と、鬼を倒した功績がある。投げ出さない強さもだ」

本心からの言葉とわかるのが、たまらなく堪えた。噛み締めると泣いてしまう。全部の事をただこなしていただけの私は、それ自体に価値があった事を、彼と出会って知った。
いつ終わるかもわからない人生が、確かに変わった。

「気にかけてくれる育手もいるし、俺もいる。何もなくはないぞ」

優しすぎる台詞にとうとう耐え切れず、私は頭を下げた。礼を言いながら涙をこらえ、震える指を床に擦り付ける。
煉獄に恥じない人間になりたい。ここまで言ってくれた人を、決して失望させないように生きていきたい。たとえ志半ばで死んでも、この人生を誇れる自分でいたいのだ。

「次に戻ってきた時こそ、俺の継子にならないか」

諦めの悪い煉獄につい笑ってしまって、私は首を横にも縦にも振った。まだ言ってくれるのかこの人。決して出来の良い弟子ではなかっただろうに。
嫌だし無理だな、という気持ちと、この人でなければ耐えられないな、という気持ちがぶつかって、私は逃げ道を残す言い方を取った。

「心が折れてなければ…お願いします」
「それなら俺がくっつけよう!」

しかしすぐに退路を絶たれ、年貢の納め時を感じた私は、ついに抗う事を諦めて頷くのだった。

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