あ、Nだ。世界一パシオの街並みが似合わない男。
たまに街に出ると知り合いを見かける私の名はレイコ。正真正銘の無職だ。知り合いと言ってもこの世界では私が一方的に知っているだけなので、余裕で無視する事ができ、トラブルに巻き込まれる事もほぼないから有り難かった。全くないと言えないのは悲しいところであった。
というわけで今日も今日とて素通りするしかない。Nもパシオにいる事は知っていたけれど、直接見かけるのは初めてだった。
相変わらず目立つな…浮いてるんだよな風景から…。どうやらこの世界ではトウヤくんってのが私に代わってNとのイベントを全て引き受けたらしいが…てことはライモンの観覧車にも相乗りしたんだろうか…トラウマになってやしないだろうか…いろいろ気になるところだけど、まぁ私は何の関係もないモブ。少年の心のケアに脳のスペースを割く必要もなかった。
気楽だな…ただのモブニートって…と重荷を下ろした人生を感じていると、何故か重荷の方から勝手に乗っかってくるものだから、モブに徹する事の難しさを痛感する。
「レイコ」
すれ違い様に、名前を呼ばれた。Nに。私を知らないはずのNに。
なにゆえ!?と勢いよく振り返ると、しっかり視線が合ってしまい、相変わらずのハイライトのなさに全ての思い出が甦りそうである。
「いま、君のポケモンがそう呼んだ…」
おい〜!呼んでんじゃねーよ!気軽にトレーナーを呼ぶなよ!寝てろカビゴン!いやカビゴンか知らんけど!
「あ、はい…そうですか…」
「僕の事も呼び止めた気がしたけれど…」
おいおい〜!呼び止めてんじゃねーよ!呼び止めるって何!?何でそんな事する!?どう考えても百害あって一利なしだろ!マジ誰の仕業?カイリュー!?イケメンに色目使うな!お前ときたらライヤーには目もくれず毎日ドリバルに色目を使ってるくせにまだ他のイケメンに目が眩むのか、ライヤーにも眩んでやれよ!サングラスの下はイケメンかもしれないだろ!
ていうかN、お前わかってないみたいだから忠告するけど相当やばいぞ。私はポケモンと喋れるって知ってるからこうして普通の対応ができるけど、知らない奴からしたらガチの不審者だからな。子供泣くからな。警察沙汰だからな。今のこれも女性への声掛け案件として立件しても構わないんだからな!
Nと対峙して通報のコマンドが見える日々さえ懐かしい私だったが、今は思い出を振り返っている場合じゃない。何故ならポケモンと話せるこの特殊能力は厄介すぎるからだ。
だってそうじゃん、私がかつてNと何やかんやあった事も、今は別世界からやってきている事も、屋敷でだらだらニートしてる事も、このおしゃべりモンスター達は全部Nに喋っちゃうかもしれないんだぞ。ややこしくなるから知られたくない…!特に路チューの事とか絶対に知られてはならない…!
これ以上余計な事を言うな、とボールを叩いている私を見ながら、Nは不可解な顔をして額を押さえていた。どうやら時すでに遅しらしかった。
「違う世界から…?一体どういう…」
核心をしゃべっている!やめろ!ややこしくなるからやめろ!般若心経以外唱えるな!
「すいません、急ぎますので!」
私は後ずさりをし、最後にNと視線を合わせ、この世界のNとは何も起きてはいない事を再確認するように、別れの言葉を告げた。
「さよなら…!」
一方的に言い放ち、そのまま走って逃げた。レイコは激怒した。必ずやこのあと犯人探しをしなくてはならないと決心した。
マジで余計なこと言うなよ!誰だか知らんけどさぁ!帰ったら尋問してやるから覚悟しとけ!
こっちのNは私の世界のNと違うんだから、余計な事を言って混乱させたら駄目なんだよ。もしかしたらここのNは色々吹っ切れてるかもしれないじゃん、再スタートしてるかもしれないじゃん、世界を彩る数式を経て新たな夢を持って進んでるかもしれないじゃん、それをクソニートレーナーが邪魔してはいけない…そう思うね。単に関わりたくないだけとかそんな事はない、純粋にNを応援してるからそう思うわけ。単に関わりたくないとかそんな事は全然ない、力になりたいと思う、間接的に。関わりたくないだけじゃねーか。
このまま走って帰ろうとジョギング姿勢を取っていれば、突然の突風が私の足を止めた。咄嗟にボールを掴んだが、立ち塞がる黒影に見覚えがあったため、戦闘態勢を解除する。
「ぜ、ゼクロム…!」
帰宅一択の私の前に、ゼクロムが舞い降りたのだ。誰のポケモン…いやバディなのかすぐにわかり、年貢の納め時を感じる。
「レイコ!」
追いかけてきたNに気安く呼ばれ、振り返るしかなかった。こちらの懐かしさなど知る由もないNは、もちろん初対面の振る舞いをしてきたけれど、その初対面の相手に対するコミュニケーションの取り方すら私の知っているNとは違い、本当に別人なんだと痛感した。
「驚かせてすまない、僕はポケモンと話ができるんだ」
存じ上げ〜。我生い立ちから全てを存じ上げし者〜。
「それも知っているのか…」
いや私の脳内と会話してる?私の脳内にポケモンいる!?
信じられないスピードで筒抜けていく現状に、もはや黙るしかない。いや黙るのは私ではなくポケモン達だが、黙れと言って聞くような相手なら最初から苦労はしていないのだった。五十以上のバッジを持っていても私生活では言う事を聞かせられない、これがニートレーナーの威厳のなさである。未来あるバディーズ達には是非反面教師にしていただきたい。
対応できずに参っていると、Nの方が先にただならぬ空気を察知したようだった。あのNにさえ気を遣われるという多大なる情けなさが私を襲った。
「…どうやら事情があるみたいだね」
左様。込み入りすぎた事情があるし、正直いまいち折り合いがつかないNとは。だって私が適当に誤魔化しても結局全部ポケモンが喋ってバレるやんけ。無理なんだけど。こんな時どんな顔したらいいかわからないんだけど。笑えないんだけど。
こうなったら適当にあしらうよりちゃんと素直に伝えるべきだろう。お前とは関わりたくないと…いやお前と話せる事はないと。
「…追いかけてきてもらって申し訳ないけど…今は何も話せないんだ」
今っていうか一生。お前との出会いから別れまでの全てを秘匿したい、お互いのために。別世界の自分自身の行動にドン引きさせるのも気の毒だろ。引かなかった方が怖ぇけど。引け。
「…わかった」
真っ直ぐ目を見て言うと、Nもそれ以上深追いはしなかった。懸命な判断だ。カオスの気配を察したのかもしれない。
「ただ一つだけ」
ようやく帰れる…と思った時に食い下がられ、私は露骨に眉をひそめた。しかしNの言葉は、予想したようなものとは違っていた。
「君のバディ達が言っているよ」
「…え?」
「パシオの飯美味い」
「は?」
何の話やねん。
「今のはカビゴンか…」
どうやら私のポケモン達の言葉を代弁してくれているらしい。美味いなら何よりだけども、しかし伝えたいのはその件ではなかったようだ。てか何食っても美味いしか言わねぇだろそいつ。ほぼ煉獄杏寿郎なんだよ。
改めてちゃんと耳をすませ、Nは私を見て微笑むと、何だか嬉しそうに通訳した。どうしてお前が嬉しそうなんだとは聞かないでおいた。
「レイコと一緒ならどこだって楽しいから、大丈夫だって」
真っ直ぐ見つめられると、私も不思議と微笑んでしまいそうだった。そんなこと言われなくてもわかってるんだからね!とツンデレをかまそうと思ったのに、出てきたのは他人行儀な謝礼のみだった。
「どうもありがとう…」
そりゃ楽しいだろ、飯は美味いしいい男はたくさんいるし強敵を何度でも叩きのめせるしニートできるし、パシオは本当にいいところなんだと思うよ。私もいまだかつてなくニートしてる。幸せってこんな事を言うんだろうな…って心底思う。
でも私だってポケモンと一緒ならどこへでも行けるよ。地中から湧き出た城も冷凍コンテナも観覧車も大丈夫。いや大丈夫じゃないけど、大丈夫な気がするのはポケモンと一緒だからって、それを教えてくれたのはNだったりするしな。もちろんこのNじゃなくて、常に通報のコマンドが出てる方のNだ。
「さよなら!」
見知らぬNにでかい声で別れを告げ、今度こそ本当に逃げ切った。得体の知れぬわずかな切なさを感じながらも、この世界でアウェーな気分を全力で感じながらも、たぶんこの異世界は私がいない方が成り立つんだよな…という真実に気づきながらも、私はNの言葉でそれらの懸念を振り払う事ができた。結局トレーナーなんて、ポケモンさえいれば全部大丈夫なのだった。
帰れるかわかんないし人間関係ゼロからやり直しだけど、まぁいっか。パシオは飯美味いしな。