00.序章


吾輩はニートである。
職業はまだない。

否、一生定職に就く気はない。

オレ、ヤマブキシティのレイコ!ポケモンニートを目指してるんだ!
ポケモンニートっていうのは簡単に言うとつまりニートだ。頭にポケモンを付ける必要はどこにもない、ただの自宅警備、夢の職業である。

旅に出るわけでもなく、半ニート生活を送り続けて早数年。私はここ、カントーのヤマブキシティでだらけきった日々を送っている。
研究者である父の知り合いのオーキド博士から、ポケモン図鑑を持って旅に出る事を勧められたが、それを蹴ったのがちょうど十歳の時の事だ。素晴らしい冒険が君を待っておるぞ!というあのお決まりの台詞を言われたけど、微塵も興味がなかったので丁重にお断りした。誰もが憧れるポケモンとの旅…図鑑を手にして新しい土地へ踏み出していく…そんなまたとないチャンスでも、私にとっては無価値であったのだ。
父が研究者なんかをやってるおかげで、ポケモンは見飽きるほど見ているし、何より朝から晩までポケモンと顔を突き合わせ、ポケモンのために躍起になり、身を削って研究に全てを投じるその働く姿、幼いながらにこれが社畜かと私は絶望したものである。

人はここまで働かなくてはならないのだろうか。ここまで働かないと充分な暮らしはできないのだろうか。親の背を見て考え、労働の形に疑問を抱き始めるのにそう時間はかからなかった。
そしてすぐに、私はあんな風にはなりたくないという結論に至った。ぶっちゃけ我が家は結構儲けているので、私一人くらいなら養っていけるだけの資産は充分にある。その辺は父の預金通帳を見て確認済みだ。贅沢な暮らしをしなければ今後74年は働かずに生活できるというところまで計算している。もちろん消費税増税にも対応済みだ。10%となると74年が69年にまで下がるけどまぁ許容範囲でしょう。その前に死ぬわ。乙。

だからうちの親父みたいに躍起になって働く必要はないのだと、自宅警備への道に光が差した。その日から私の将来は決まったのだ。
そう、私は生涯布団の中でだらだらし、朝方に寝て昼過ぎに起き、パソコンにかじりついてジャージにすっぴんでコンビニに行くようなニートとして生きていきたいと。それが幼い頃からの野望であった。

とはいえ、親の目は普通に厳しい。当然だ。娘を無職にしたい親がどこにいる。その辺の親心も理解しつつ、何とか上手く説得できないかと考えて数年が経っていた。
完全なニートになる事は叶わず、父のフィールドワークを度々手伝わされては、やれ断崖だやれ深海だと研究の手伝いに駆り出される日々。かと言ってニートでいさせろと逆ギレするわけにもいかず。家事手伝いくらいしろと言われて従ってはいるが、一体どこの家に家事手伝いで断崖絶壁まで行かせる親がいるんだって話だよ。もしや殺す気か?と本気で思ったりもした。そうして何とか1ミリも働かず生涯ニートでいられないかと考えていた頃、父からこんな提案をされたのが、この物語の始まりである。

「カントー全域のポケモンの生息状況を調べてほしい。あと150種全ての姿形の記録を取る事もよろしく。もし達成できたら一生ニートでもいいよ」

何でも父は、マサラのオーキド博士と共同でポケモンの生息地とそれに関わる生態やら何やらの研究を行う事になったらしい。他の研究もあるため、研究室から出られない父は、私についに断崖以上の場所へも行かせるつもりのようだ。死ぬ。これまでも崖から落ちたり海で溺れたりと散々な目に遭ったが、今回ばかりは本当の死が間近に迫っているのを感じて白目を剥いた。
そんなに私が実家にいる事が煩わしいか。そんなに働かせたいか貴様は。娘を死地へ追いやってまで厄介払いがしたいのか。ここまで邪険に扱われるとさすがに傷付くって話よ。思春期の娘のハートはガラス細工のように繊細だって事忘れてるんじゃないのか。ハウスダスト舞う部屋で生活しているような図太い娘の繊細な主張など無論通るはずもなく、父からはこれ以外に永久ニートの条件はあり得ないと完全に突っぱねられてしまう。

しかし、私はこの話に乗った。死と隣り合わせのカントー1周ダーツの旅に、私は乗っかったのだ。それ以外にニートになる方法がないというのならやるしかない。決意の瞬間だった。
小賢しい父は恐らく、私のニートへの執念をなめているのだろう。150種なんて記録できるはずがない、伝説と呼ばれる珍しいポケモンもいるしニートの私にそんな偉業が成し遂げられるわけがないと。そう思っているわけだ。上等じゃねーかとチンピラみたいな顔で父に睨みをきかせ、私は勝負を受けた。
ニートのためならたとえ火の中水の中草の中森の中って歌もあるように、なかなかなかなかなかなかなかなか大変だけど必ずニート生活ゲットだぜの精神で、ニートを賭けた一世一代の勝負に乗ったのである。

こうして私はオーキド博士から図鑑をもらい、数年越しの旅立ちをしたのであった。
手持ちは幼少から共に過ごしたカビゴン1体。そらをとぶ使用不可能という過酷な旅だ。ある時は荒れ狂う海を越え、野生のポケモンと乱闘し、血気盛んなトレーナーを蹴散らし、図鑑を埋めるためにポケモンリーグに行ったりもした。あちこちは定点カメラを設置しては回収、近くを行きかうポケモンを勝手に撮影し、おかげさまでまぁ若干見切れてるが珍しいポケモンとかもばっちり映せたわけなんだけど。そういった地道な活動のおかげでついに。ついについに私はカントー全土を回り、150種全てのポケモンのデータを入手する事ができたのだった。

執念勝ちした私の功績を、勝ち誇った顔で父に報告に行く。オーキド博士と共に入念にチェックされ、私は大変な高評価を得る事ができた。散々褒めちぎられて有頂天である。だってこれで私は晴れて生涯ニート。公式で。誰にも咎められる事なく。一生だらけた引きこもり!
素晴らしい。人生というのはこんなに素敵なものだっただろうか。ニートが決まってからの景色は、今までとはまるで違う、黄金の輝きに満ちているように思えた。我ながら詩人よ。自由の身となった私は、図鑑を突き出して父に迫る。
どうだ我が父よ。見くびっていたのだろうがこれが貴様の娘の実力だ。ニートへの執念を甘く見ていたお前の負けだよ!これで私をニートにしないわけにはいかなくなったな!もう逆ギレもできるし強気にも出られる。お前も大人なら約束はちゃんと守れよな!

今後のニート生活に何の疑いもなく喜びを抱いていると、データをチェックしていた父が突然何かを見つけたようで、眉間に皺を寄せた。ここからだ、私の人生設計が180度狂ったのは。

「あれ?これって…151種いない?」

その意味不明な言葉に、私も思わずデータを覗き込んだ。
なん…だと…?と久保帯人の顔になって目を細める。
151?カントーのポケモンは150しかいないはずでは…?見ると確かに151種いて、私は目を疑う。それは絶滅したとされていたポケモンの再発見であった。この件は当時カントーでちょっとした騒ぎになったのだが、おかげで私の人生は狂わされる事となる。

「この分だとまだ未発見のポケモンがいるかもしれない…レイコ、お前ちょっとジョウトに行ってまた図鑑埋めてきてくれ」
「は…?え?カントー制覇したらニートでいさせてくれるんじゃ…?」
「150種集めたら、って約束だったよね。でも151種のデータ集めちゃったから。新たな可能性広げちゃったからその責任は取らなきゃいけないよ。大丈夫、ジョウト制覇したらニートになっていいから」

私はその場で崩れ落ちた。こんな理不尽な事があってもいいのだろうかと、明確な殺意を父に抱きながらも泣き崩れた。詐欺。これは完全に詐欺である。まさか約束を反故にされるとは思わなかったので、あまりの事に絶句した。
なんてこった…なんて…なんて事を…ちくしょう…やられた…やられたよ。数多く記録すればいいってもんじゃない、なんか変なポケモン見つけても見なかった事にする、そういう小ずるい気持ちも必要だったのだ。おのれ…純粋な私の心を弄びやがって。うちの父はとんだ一流詐欺師だった。おかんの事もそうやって誑かしたんじゃね?通報しました。

そんなこんなで私はうまい事はぐらかされ続け、ジョウト、ホウエン、シンオウと各地へ飛んでデータを集めた。いつの間にか手持ちも増え、カビゴンなんて明らかに100レベ超えたでしょ、みたいに強くなり、ここまできたらもうシロガネ山に篭るしかないのでは?ってほどの実力さえも身につけてしまった。前作ソフトから100レベのポケモン連れてきたらどうなるか…わかるか?つまりそういう感じである。無双。
圧倒的に強くなってしまったので、そのあまりの実力差から、ジムもリーグも一瞬で勝ち抜き、さてはお前チートしてんだろとポケモントレーナー協会から疑われて出禁になったりもしたが、それにも負けず私は根性でデータを集め切る。

これでどうだと。どうだ親父、ぶっちゃけもう行くとこないだろ。これ以上データ集める場所なんてない。そうだよな?日本列島を伊能忠敬でもないのに歩き回って集めたデータの数々。隅々まで回ったので、もう私のカメラに収まっていない場所なんてどこにもないはずであった。
南も北も回ったしそろそろ私にニート生活を送らせてくれてもいいんじゃないかなぁ…つーかもう一生分の働きしたと思うんだけど。本当。マジで。今まであれやこれやと理由をつけられ各地に派遣させられてきたが、それももう終わりだ。さぁ。もう…ゴールしていいよね?私に一生ニート券をくれ。早くくれ。寄越せよ。父からの判決を、私は固唾を飲んで待ち続ける。祈るような気持ちで目を閉じたら、父はついに言葉を発した。

「あとイッシュ地方ってのがあるんだよね」

グローバルなんてくそくらえ。


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