鳥ポケモンが騒がしい海沿いの道で、私は見知った後ろ姿に向かい、勇気を振り絞って声をかける。

「チェレン!」

博士の言った通り、チェレンは海辺で佇んでいた。簡素な柵の向こうに広がる大海原は、美しさと恐怖を抱かせ、ニートを告げた途端その波の中に突き落とされるのではないかと想像する。最終話を火サスにするわけにはいかないので、私は海から離れたところに立ち、チェレンが寄ってくるのを待った。保身第一のレイコであった。

「…レイコさん」
「ここにいるって博士に聞いてさ」

決してストーキングしているわけではない旨を伝え、潔白をアピールしながら再会を喜び合った。久しぶりのようなそうでないような謎の感覚に、私は若干戸惑いながらも、少し背が伸びた気がする少年を、慈愛に満ちた眼差しで見つめた。

チェレン…イッシュでの第一村人は、君だったよね。小田和正が歌い出しそうな回想感を醸し出し、私は哀愁に目を細める。
右も左もアララギ博士の顔もわからなかった時、不審すぎる私に慄く事なく、声をかけてくれたのがチェレンだった。昨日のことのように思い出され、全ての始まりのこの地で彼に真実を告げようとしているのも、何だか運命みたいに思えてならない。

いつになく緊張した面持ちで佇む私に、チェレンは普段と変わらず溜息をつくと、眼鏡を上げながらわかりやすく嫌味を投げた。

「お久しぶりですね」
「そ、そうだったかな…」
「そうですよ…やっと連絡取れたと思ったら、もう図鑑も完成間近らしいじゃないですか」

小姑全開のチェレンに深く頭を下げ、申し訳ありません…と私は素直に謝罪した。
まぁ不在着信42件を見たらさすがの私も謝るしかないよね。電波の届かない山にいた間、チェレンから鬼電をもらっていた事に気付かず、さぞかし心配をおかけした事と思う。これからはいつでも連絡がつくから安心してほしい。そう、毎日家にいるからね。逆に不安になるわ。

またしても立ち話でチェレンにここまでの道のりを話し、それドラクエVの話ですよね?という的確なツッコミを得て気分を上げながら、失踪していた間の事を説明した。
ネジ山、電気石の洞穴、チャンピオンロード、ジャイアントホールという日の当たらない場所を股にかけ、棲みついたポケモン達の生活感溢れる映像を撮り続けること数日…ノンストップで働く私は、あまりいろんな事を考え込まないようとにかく走り続けた。夢を叶えろと言ってくれたNのためにも、私は一刻も早くニートになるべく奮闘していたわけだ。
うっかりマスターボールに入れてしまったレシラムさんは、役目を終えたからか、いつの間にかまた漬物石に戻っていた。さっき博士に預け、研究に役立ててくださいと贈答し、今後の対応も任せてある。やり残した事もないし、つまり帰国準備は万全ってわけなんだな。あとは避暑地のサザナミタウン辺りを記録すれば終わるから余裕なんですよ。しかし何故だろう…そこには考古学者で…メーテルのように美しく…シンオウのチャンピオンっぽい人がいる予感がするんだが…気のせいという事にしておくか。

そうやって怒涛の不在着信42件を見た私は、チェレンと連絡を取り、カノコで落ち合う約束を取り付けて現在に至っているのである。
私もいろいろ忙しくて…と言い訳っぽくチェレンに説明し、実際は暇だから目をそらしつつ、念押しでもう一度ライブキャスターに出れなかった事は謝っておいた。
しかし私には、チェレンに説明できなかった事が一つだけあり、その件も何だか胸が痛んだので、深々とお辞儀をする。

本当はすぐにカノコに来てもよかったんだけど…どうにも気になるあまり、ライモンの観覧車の傍まで、私は足を運んでしまった。
結局Nについて知ってる事は、ポケモンへの溢れ出るLOVEがある事と、観覧車が好きだって事くらいな気がするな…。あんなにいろいろあったのに。生い立ちや生活環境は否が応でも見せつけられたが、彼自身が何に喜びを見出すのかは、いまいちわからずじまいである。別に友達ってわけじゃないからいいんだけど。それでも何か見つけられたらと思い、老朽化が進む観覧車をしばらく眺めた。わかった事は、リア充が多いという事だけだったので、死ぬほど無駄な時間であった。爆発してくれ。

「あれから…Nとは…?」

ちょうど奴について考えていた時、チェレンからその名を口に出され、私はつい動揺してしまった。まるで名前を言ってはいけないあの人の本名を聞いたみたいなリアクションを取ってしまい、一人でただテンパっていく。落ち着け。
気を取り直し、あれからってどれからだ?と思いながらも、私もNの消息などは存じ上げていないため、正直に現状を告白する。

「城で別れたっきり音沙汰なしだね。元気でやってたらいいけど…」

こんな早々に再会しても何の感動もないしな。数年後に君の名はみたいに街中でばったり会うのがやはり王道ですよ。マジでお前の名は何?って感じだしな。Nが本名なの?本当にそれなの増田?続編で明らかになる形でいいのね?
明らかになったのは増田のブログだった事は置いといて、元気でいてくれたらそれで…的な反応をする私に、チェレンは何故だか渋い顔をする。

「…いいんですか?会っておかなくて」

いやだからこの間別れたばっかりじゃん、と呆れ声で告げようとする前に、チェレンは続けた。

「だって…帰っちゃうんですよね、レイコさん」

露骨に寂しげな声を出された時、チェレンの言わんとしている事を察したと同時に、私の中の庇護欲的なものが一瞬頂点に達した。すぐに正常値に戻り、しかし一度覚えた感情を忘れられそうにない。らしくない彼の声色は、私の胸を大いに打った。

チェ…チェレン氏…!別れを惜しんでくれてるんだね…?こんなクソニートの私に…!感動とつらさで板挟みになりながらも、心根の優しい少年に感激して、思わず涙を流しそうである。
イッシュを離れるから、その前にNに会っておかなくていいのかと、そう言ってるわけだな?私は全然会わなくていいし多分続編で再会するから不要なんだけど、Nが最後に私に会いたいと思っているんじゃないかと配慮できるその心…立派すぎるよ。敵に塩を送るなんて上杉謙信の再来じゃん…世が世だったら立派な武将になっていた事でしょう。そんな少年をこんな…歪んだ性癖にしてしまった事、もはや腹を切って詫びる以外に思いつかないな。
一生をかけて償いますと彼の両親に脳内で謝罪し、私はそっと左右に首を振った。

「きっとまた会えるから。大丈夫だよ」

チェレンを安心させるため笑顔を作ったが、しかしそれは紛れもない私の本心でもあった。口に出すと、本当にまた会える気がして、あまり彼の将来を悲観する気持ちは現れない。きっと何年か後に、ひょっこり顔を出すんじゃないだろうか。そう思いながら、Nも見ているかもしれない青空に目を向ける。
まぁ別にめちゃくちゃ会いたいわけでもないからいいんですけど…同窓会ノリで再会できたらいいよねって感じだから。え…お前…N?うそー!痩せた!?みたいなリア充全開のやり取りができたら私も救われるって話よ。
だからチェレンが気にする必要ないからね、と慈愛に満ちた眼差しを送り、これ以上突っ込まれても困るので、意図的に話題をそらした。正直Nの話よりも重大な用件が、私にはあるのだった。

「チェレンもいつか遊びにおいでよ。カントーも結構いいところだからさ」

サファリもあるしでかいデパートもスクランブル交差点もある、何よりあのオーキド研究所へ私は顔パスで入れるからな。誰でも入れるド田舎だという事は伏せながら、私は故郷をアピールし、いつでもチェレンを迎え入れると約束した。
そして私のホームへ案内するにあたり、どうしても言っておかなくてはならない事があるのを、忘れてはいない。

告げなければ。私が親のすねかじりニートであるという真実を。

「あの…」

決心が鈍らないうちに、私は切り出そうとした。自身の本当の姿を語るべく、それまで重かった口をとうとう開く。
いろいろたくさん助けてもらったチェレンきゅんには…嘘偽りない私の正体を知ってほしいと思うんだよ。それは女の趣味を矯正させるためだけじゃなくて、これからも切磋琢磨し合う関係でありたいと思うから、対等で、そして正直でいたいんだよな。懸命に向かってきてくれた君のために、私も素直に生きたい。
ヤマブキシティのレイコ!年齢不詳!独身!職業は家事手伝い、つまり!無職!です!

私はカノコタウンの中心で、クソすぎるプロフィールを暴露するべく息を吸った。しかし吐き出す直前で、チェレンに先手を打たれてしまう。どこまでも間の悪いニートであった。

「レイコさん」

不意に名前を呼ばれてしまい、私の無職宣言計画は即刻破棄された。もどかしい気持ちは宙を舞い、そして着地点を永遠に見失う事となる。

「レイコさんはどこにいても…ずっと僕の憧れですから…」

やめろ!今そういう話しないでよ!
別れのムードを感じ取ったチェレンに、最後の挨拶っぽい台詞を投げられてしまった私は、一瞬にして窮地に立たされた。お願い!もうやめて!と羽蛾を嬲り続ける遊戯を止めるくらい必死に脳内で訴え、血の涙を流しそうになる。
なんで?何で今そういうこと言うの!?こっちが一大決心した事を揺るがすような発言、本当に困る!良心が死んでしまいます!

まさかのタイミングで切り込んできたチェレンに、私の心臓は爆発寸前まで追い詰められた。
いやまぁ最後だからな、大事なことを伝えたいという気持ちはわかる。というか私が今まさにそういう状況なんで、本当…お前の気持ちもわかりみしかないが、だけど!でも!今は私のターンでよくない!?こっちはもうドローまで済んでたのに!
体裁を生け贄にニート激白を召喚しようとした私は、完全に出鼻を挫かれてテンパった。すでに神妙な面持ちでシリアスな事を言われてしまった以上、話を遮るのも難しく、かと言ってさらに胸の痛む台詞を吐かれたら、いよいよニートを暴露できなくなるかもしれない。
どうするべきか…と悩んでいる間にもチェレンは言葉を紡ぎ出し、私は震えながらそれを聞いているしかなかった。今にも血涙を流しそうな心境で。

「僕も…もっと強くなる。だからレイコさんも、夢を叶えてくださいね」

死亡。私のノミの心臓、ご臨終です。
真っ直ぐな眼差しでそう告げられた時、私の精神は崩壊した。純粋な少年の心根の良さに耐え切れなくなり、悲痛な表情を見られないよう、チェレンの頭を撫でてごまかす。汚れきった心に響いた言葉は、莫大な破壊力を持って私を殺した。

もう駄目だ。生きていられないよ。こんな無垢に私の夢を応援してくれる良い子に、その夢が実はニートですなんて言えると思うか?無理だ。どう足掻いても無理。完全に心を折られた私は、しかしそれでもどうにか一矢報いようと、根性で力を振り絞った。
ニートを伝えられないにしても…チェレンに憧れを抱かれるような女でない事だけは…せめてそれだけは教えたい…!これが私にできる最後の戦いだよ。君を狂わせた報いなら全て受けよう、だからどうかチェレン…女を見る目だけは…養ってくれ…!

私は涙を飲み、震える声で口を開いた。冗談や遊びなんかじゃなく、本気で私がその辺のファッションクズなど足元にも及ばない、真性のクズである事を信じてもらうべく、かつてない真顔を作った。迫真の形相だった。

「…チェレン、私…チェレンが思ってるほどまともな人間じゃないんだよ…本当ダメで…なんかもう…」

途中で情けなさのあまり号泣しそうになり、思わず口元を押さえた。ちゃんと言わなきゃ、と思うのに、彼の瞳を見ていると胸が詰まる。

しっかりしろレイコ!チェレンの将来は今この時に懸かっていると言っても過言ではないんだぞ!私の本当の姿に惹かれたのであれば諦めもつくが、彼は私をニートと知らずに焦がれているのだ。つまりチェレンの愛した女などこの世には存在しないということ…偶像を追いかける無駄な日々など過ごさせたくはない。だから言うんだ、私はカスです、と。どうしようもないクズだと。ゴミ同然のクソ野郎だと!言え!言うんだよ!

そこまでカスでもないけど…と思いつつも、多少盛った方がチェレンも諦めやすいに違いない。私は自虐に自虐を重ねるため口を開いたが、こちらが喋る前に、彼は何故か首を左右に振った。まるで全てを見透かしたかのような目つきに、またしても心臓がざわつき出す。
そして言ったのだ。私を呪縛から解き放ったのか、それともさらに苦しめるのかわからないような台詞を。

「僕が好きなのは…そのままのレイコさんだよ」

エンダアアアイヤアアア!もうやめてホイットニー!あなたの歌は私には重すぎる!
流れだしたBGMを止め、私はチェレンを見ていられず、後ろを向いてそのまま走り出した。喜びと照れと虚しさが一気に押し寄せた気分で、いろいろ問い詰めたいところはあったけれど、もうまともに喋っていられない。初めて言われた熱烈な告白には、良心が爆発四散するほどの衝撃があった。

どういう事!?それニートでもいいってことか!?ていうかニートバレてんの?嘘でしょ?いやそれともどんな私でも愛してみせるっていう覚悟の話か!?わからない、わからないけどもう無理だ!これ以上は無理!心の汚れたニートは美しい魂と長く会話していられないの!だからさよなら!チェレンともきっとすぐ会えるから!たぶん二年後くらいに!

「ありがとうチェレン!君に会えてよかった!」

私は走り去りながら、最後に感謝を叫んでカノコタウンを疾走した。僕もです、と返事が来たことにうっかり感動で涙目になるも、次の瞬間それは別の涙に変わる事となる。

「レイコさん!」

町中に響くような声で呼ばれ、ぼちぼち動悸もやばくなってきた私は、その場で足を止めた。ちょっと走っただけでこの息切れは何?本当に旅慣れた人なの?
肉体の脆弱さを嘆く私へ、遠くのチェレンは最後まで純粋に言葉を投げ続けた。思わず心臓が凍りついたけれど、大いなる意思のようなものを感じ、ようやく私は心落ち着ける事ができたのだった。

「レイコさんの夢って、何なんですか?」

真剣な問いかけは、もしかしたら神の啓示だったのかもしれない。今までなら硬直してはぐらかしていたが、ここに来てそれを問われたという事は、運命がそうしろと言っている気がしてならなかったのだ。

お前は本当…散々間の悪さを披露しておいて今それを聞くのか?見てよ、この上の数行に渡る私の迷走っぷりを。めちゃくちゃ葛藤したっていうのに、そんなあっさり聞かれたら、もう諦めるしかないじゃん。
私は大きく息を吸い、空を見上げて決意を固めた。考えてみたら、イッシュに来たのもニートのためだし、そのニートを原動力にして色んな事を乗り越えてきたわけだから、別に恥じるような事なんか何もないんだよな。いや恥だけども、夢が私を変えてくれたのは事実である。
胸張って言うような事じゃないが、こんな私でもいいって言ってくれるポケモン達がいるんだ。これが本当の私だし、それ以外にはなれないんだから、チェレンにもそう伝えるだけだよ。
生涯をかけて追い続ける夢、全ての原点である夢、私が私らしくいられる最高の夢!そして大人として最低の夢がこちら!

「ポケモンニート!です!」

海に向かって叫んだ私の宣言に、チェレンは一瞬ポカンとするも、呆れ気味に笑っていたので、私もつられて微笑んだ。そしてこのイッシュでの旅が、今度こそ夢を叶えてくれると信じているのである。
二年後にまたこの地を走り回る事など、知る由もなく。

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