思いがけない穴久保版に絶叫不可避の私は、必死の形相で迫りくるピッピから逃げ、家の中を土足で走り回った。チャッキーに追われる恐怖ってこんな感じか?と悟りながら、息切れするギエピーを凝視する。

しゃ、喋った…!二度も喋った…しかも流暢な関西弁で喋った…ピッピのイメージ崩れるからやめてほしかったわ…。洞窟ではあんなに求めて止まなかったピッピへの執着が一瞬にして消え去り、不気味さに震えが止まらない。

ど、どうなってるんだ…どういう事なの?ポケモンマニアって喋るポケモンを集めたりする生き物なのか?それの何が面白いんだ?何もかもがわからず混乱を極める私は、とりあえずこれはピッピの着ぐるみなんじゃないかと期待を抱き、背中にファスナーを探してみる。
どう考えてもポケモンが喋るなんて有り得ないからな。まだこの60センチの体に人間が入っていた方が現実味がある…わけないだろ。エスパー伊東かよ。どう足掻いても無理だよ!すべての可能性が有り得ないと叫んでいる!

当然ファスナーは無いし腹話術でもない、これだけ走り回っても誰も出てこないから住人もいない、とにかく全部異常であった。普通に警察に通報していいレベルだと思うんだが…でも喋るピッピがいるなんて言ったらイタ電と思われかねない。
どうする…とうろつきながら迷って、いちいちついてくるピッピを振り返り、息を飲んだ。

「な、何なんだお前…」

思わず問いかけてしまうと、ギエピーは何故かドヤ顔で私の前に立ち、そして衝撃の発言を繰り出すのであった。

「わいはマサキ!人呼んでポケモンマニアや!」

静まり返った室内に、地獄みたいな自己紹介が響いた。時が止まったかのように誰も微動だにせず、私の思考ももちろん止まった。そしてすぐに、溜息にも似た低音が自分の喉から溢れるのである。

「…はぁ〜?」

自分の顔を指差しながら、マサキと名乗ったピッピに、私は疑い全開で非難の声を上げる。喋るピッピというすでに奇想天外な生物を目の当たりにしても尚、信じられないものはあった。何故なら、グリーンの態度が至って普通だったからだ。

いやこのピッピがマサキのわけないだろ。だってもしそうなら…絶対グリーンがそう言ったはずじゃん!まさかポケモンマニアのマサキがピッピだったなんてな〜つって報告してきたはずじゃん!そうじゃなかったって事はお前はマサキではない!ただの喋るピッピだ!以上!証明完了!

名推理を展開しながら、やはりこの家はおかしい…と確信する。自分をマサキと偽って私を騙す理由があるに違いないんだ。可愛い見た目に反してやばいポケモンだぜ…と警戒すれば、そんな様子に気付いたのか、ピッピも険しい顔をしてこちらを見つめる。

「あっ、なんやその目は?あんさん信用してへんな」
「当たり前だろ」
「ホンマやで!実験に失敗してポケモンとくっついてしもうたんや!」

情報量が多すぎる。ちょっと待ってくれよ。
なんて?と聞き返し、まだピッピが喋る事さえ理解できていない私は、次々と迫りくる衝撃に耐えかねて、その辺の椅子に座った。もう帰ろうかな?とさえ思い、熱い目頭を押さえる。

わかんないわかんない。もう何もわかんないや。いいよな?帰っても。到底理解できない事ばかり起きるし、やけにテンションが高いのも怖い。関西人だからという理由で看過できるテンションかこれは?まず実験って何?ポケモンマニアじゃなくてポケモンマッドサイエンティストのマサキなの?だとしたら余計に帰るべきだろ。こんなところに私みたいな可憐な乙女がいたら、イーブイと合体させられてケモ耳の美少女を生成しようと思い至るかもしれないし。

ニーナとアレキサンダーになる前に退散しなくては…と立ち上がったら、すかさずピッピが縋りついてきて、その気迫に声も出ない。野生のイシツブテのタックルは難なく避けられるようになっても、奇怪な生物に迫られる恐怖の前には、図太い私も思わず足がすくむのだった。

「なッ!助けてくれへん?」
「な、な…何…?ええ…?」
「まだ信じてへんのかいな!いいから頼むで!よっ色男!憎いねー大統領!」

誰が色男だよ。大統領は特に否定しないけど。
意味不明な語彙で持ち上げてくるピッピに不信感は増すばかりだったが、このままでは埒が明かない気もしていたので、背中を押されるがまま私はパソコンの前に棒立ちする。何故ここに立たされたのかさえわからないのに、自称マサキのピッピは満足げに頷くと、謎の馬鹿でかい機械の前へ駆けていった。後ろ姿だけ見れば完全にピッピである。人気の高いチャーミングな妖精…それが何故に関西弁などで喋るというのか…せめて標準語だったならまだ気持ちも違ったかもしれないのに…いやそれはねぇよ。喋る時点で穴久保だよ。

呆然としながらパソコンの画面を見つめる。するとそこには無数のウインドウがあり、いかにもインテリって感じだったが、一つだけやけに目立つソフトが起動していた。「分離プログラム」とHG創英角ポップ体で中央に書かれた謎ソフトが。

…何これ?
ここだけWindows98か?

「わいが転送マシンに入るさかい。分離プログラム頼むで!そこのパソコンや!」
「は?」
「ほな、よろしくー!」

よろしくー!じゃねぇよ。そんな重要そうな事を初対面のクソガキにやらすなよ。命捨ててんのか?
マッドサイエンティストのピッピ、恐ろしいポケモンだ。言ってる事の全てに現実味がないが、仮に全て真実だったとしてもマサキという人間がやばすぎるだけである。やはり関わるべきではないと思うけれど、何となくこのまま無視して帰るのは気が引けるのが日本人というものであった。少しだけなら…とマウスを握り、非常にわかりやすい「起動」のボタンにカーソルを置いた。

何この簡素な画面。こんな安っぽいので本当に分離なんてできるのか?なんかもっとこう難しい英字を打ち込んで最後にエンターをターン!するみたいな感じじゃないのかよ。てかこれ人にやってもらわなきゃならないならそもそもどうやって合体したんだ…分離プログラムがあるなら合体プログラムもあるはずなのに…。
何もかもが胡散臭かったが、もはやどうでもよかった。早くやって帰りたい、私の心にあるのはそれだけである。これを押してマサキとピッピがどうなろうが知った事ではない…そう言い聞かせ、謎の機械に入っていったピッピを見送ったあと、息を飲んでマウスを握る手に力を入れた。

「どうなっても知らないぞ…」

半分恐れ慄きながら、意を決し、私は黄金の人差し指でプログラムを起動させた。カチッという無機質な音が鳴ったかと思うと、次の瞬間、ピッピが入っていった大きな機械が音を立てて動き出し、何やら発光までし始めたではないか。思わず立ち上がった私は、急いでドア付近まで避難する。

おいおいおい!爆発とかしないだろうな!?一気にダイハードの世界観になるんじゃねーよ!全年齢のポケットモンスターだぞ!
挙句の果てには火花が飛び散り、電流が流れ、もはや中のピッピは無事とは思えない。無残な遺体が出てくる事も覚悟しながら、身を屈めた私に向かって、白煙が勢いよく噴き出してきた。辺りには煙が充満し、かつて学校で行なった避難訓練を思い出しつつ、煙を吸わないよう口元を押さえる。

何が起きたんだ、一体何が起きているというんだ…!消防に連絡した方がいいのか!?
適切な対応をしかけた時、白煙の中からこちらに向かってくる人影が見えた。明らかにピッピとはサイズ感が違う。どう見たって平均的な人間の大きさである。

な、なに…?今度は誰…?ターミネーター?

「やあー!おおきに!助かったわ!」

怯えながら待っていると、無駄に聞き慣れてしまった関西弁が耳に入ってきた。煙を払いながら目を凝らせば、なんとそこにいたのはピッピではなく、実に平均的な、取り立てて特に言う事もない平々凡々な見た目の男が立っていたではないか。マジで何も特徴がない。強いて言えば天パしかない。

一体どういう事なんだ…?と混乱する私だったが、煙が晴れて全てがクリアになった時、何もかもを理解する。あの気味の悪いピッピが言っていた事は、全部本当だったのだと。

「か…」

かがくのちからってすげー!もはや怖ぇー!今すぐその技術でニーナとアレキサンダーを救ってやってほしい。スカーは私が止めておくから。

にわかには信じ難い状況であったが、マジックでないとするならば確実にマッドサイエンスである。分離プログラムを起動させた機械の中から出てきたのは、ポケモンマニアのマサキであった。間違いなくピッピが入っていった場所から退出してきたため、もうこれは絶対マサキ確定ガチャだろう。いらなすぎる。

「信じられない…」
「せやかて姉さん…」
「工藤みたいに言うな」

何なんだこいつマジで。絶対頭おかしいだろ。実験に失敗するにしてもパンチ効きすぎじゃないか?そもそも何を実験しようとしてこうなったんだよ。全部怖すぎだろ。そして今すぐこの技術の特許を取れよ。趣味で終わらせていいレベルじゃねーぞ。

完全に混乱している。言葉を失っている私だったが、マサキはこの恐怖体験に何の感慨もないらしい。特に言及することもなく世間話を振ってきたので、私はますます驚愕せざるを得ない。どういうメンタル?

「で…あんさんもわいのポケモンコレクション見に来たのちゃうんか?」
「え…いや…」

なんで何事もなかったかのように訪問の目的を尋ねられる?全然理解追いついてないんですけど。聞きたい事があるのはこっちなんだよ。マジで何なんだよ。すんなり答えられるわけないだろ、子供だぞ私は。

「えっと…いや…どうだろう…何しに来たんだっけ…」
「なんやおもろないなー。もっとしっかりせな」

お前のせいだよ。全部吹っ飛んだんだよ。

「ああ、そや!助けてくれたお礼っちゅーのもなんやけど…これやるわ!」

どんどん話が進んでいく。私がまだ全てを理解する前に。
突然思いついたように手を叩いたマサキは、散らかった机の上から封筒を引っ張り出すと、それを私へ突き付けてくる。とりあえず合体からの分離のことはもう忘れようと思い、深く考えぬ努力をしながら受け取ったものを見た。

「サント…アンヌ号?」

マサキから受け取った封筒には、聞き慣れぬカタカナが並んでいた。しかし船の写真がついている事から、旅客船の名前である事はかろうじてわかる。
何これ。タイタニック号的な?

「今クチバの港にサント・アンヌ号が来とんのや」
「へー…」
「トレーナーもぎょうさん来るらしいで。チケットもろたのはええけど、パーティーとか好きやないからな」

あ、乗船券ってこと?サント・アンヌ号という豪華客船の?
それを早く言えと急いで封筒を開けると、確かにサント・アンヌの乗船券と思われるチケットが入っていた。見るからに立派な船の写真と、パーティーという単語に徐々にテンションが上がっていく。

マジかよ。タイタニックみたいな船に乗れるってこと?高級料理が並ぶパーティー会場で食べ放題ってことなのかよ?
ここに来た事を後悔していた私だったが、思いがけない謝礼に掌を返した。
さすがポケモンマニアのマサキ。人に名が知れているだけあって気前がいいな。パーティーとか好きじゃないという台詞で陰キャなのも発覚して好感度も上がったわ。もはや喋るピッピの恐怖も忘れ、乗船日時を何度も確認し、マウスをワンクリックしただけでボロ儲けした事をひたすら喜ぶのみである。

豪華客船の旅だなんてきっと二度とできないぞ。シンプルに嬉しい。都会的なイベントに飢えていた心が浄化されていくようだぜ。森と山で植え付けられたトラウマをようやく忘れられそうな状況に、素直に礼を述べる事ができた。恐怖体験した甲斐があったとようやく思えた。

「ありがとうございます…お言葉に甘えて…」

決して遠慮しない私にも気を悪くする事なく、マサキは笑顔で頷く。

「気にせんと代わりに行って遊んでぇな」
「はい」
「あっ、けど変な大人についていったらあかんで」

お前が言うな。現状お前が一番変な大人なんだよ。何の説得力もねぇよ。

そういえばここは変な大人の家なんだった…と思い出し、忠告通り早々に立ち去ろうと我に返る。チケットにつられて絆されるところだったが、こいつはマッドサイエンティスト…倫理ギリアウトの合体をCERO:Aでやりやがった変質者だ。長居してたらどんな目に遭うかわかりゃしない。
とんだ災難だったと後ずさる私であったが、そもそもなんでこんなところに来たんだっけ?と今さらながら思い、失われし記憶を辿っていく。

恐怖で完全に飛んでたけど…確かな目的があってここに来たんじゃなかったか?そう、橋の手前でグリーンに会い、バイビーする直前に交わした会話が確かマサキの話だったはずだ。預かりシステムのことだったか?でも私はそんなの使ってないから行く義理はない。
じゃあ何?何しにこんなやばいところに来たの?私の目的とは一体…?私の目的…それはニートになること…ニートになるのに必要な事と言えば…。

そうだ。
ポケモン図鑑だ!

「マサキさん、やっぱポケモンコレクションってやつ見せてくれませんか?」
「せやろ!?それ見に来たんやろ?でないとこの子何しに来たんや…って怖なってたところやねん!」

いやだから怖いのはこっちなんだよ!本当に心外なんですけど!
金の玉を投げつけたい気持ちをグッと堪え、普通に図鑑埋めに役立った事に微妙な気持ちを抱きながら、マッドサイエンティストハウスを後にする私であった。

マジで何だったんだこの回。船のチケット渡すだけのイベントにしてはパンチ効きすぎだろ。

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