図鑑をもらい、早々に挫けていた私をさらに挫く存在が現れるまで、およそ二秒。

「レイコ!」

そろそろ行くか…と原付に跨った時、私を呼ぶ小生意気な少年の声がした。
まさか…と思い振り返ると、研究所から走ってくるグリーンが見え、私はたまらず目を細める。

は?ついに呼び捨て?

さんを付けろよデコ助野郎、と言い放ちたい衝動をこらえ、一度は乗った原付から降りる。さっき改心したかと思ったが、やはり改善されない馴れ馴れしさに、怒りを通り越して呆れそうだ。
マジ何なんだこのガキはよォ…私が年上なの…わかりますよね?しかも今日が初対面ですよね?オーキド博士でさえ私のことはさん付けだったってのに、お前の無礼講は一体どうなってんだ?

外部とコンタクトを取らない限界集落に住んでるとこういう性格になっちまうのかな?と田舎の闇を感じる私は、わざわざ追いかけてきたグリーンを渋々迎え入れ、何用なのかと首を傾げる。
なんでさっき別れたばっかなのについて来たんだ?もしかして博士が渡し忘れたものでもあったんだろうか…?なんてまともな用事を思い浮かべる私に、グリーンの口から出た言葉は、まともから最も遠い台詞であった。

「トレーナーならポケモン持ってるよな?」
「は?」

何の話。脈絡が存在しない世界かここは?
いきなりわけのわからない事を言い出したグリーンに、当然私は渋い顔をした。ジャブもなく本題を切り出されると混乱しかなく、とりあえず頷いたものの、それがどうしたとしか言いようがない。

トレーナーならポケモン持ってるよな…?そりゃ持ってるよ、持ってたら何なんだ?もしかして早速ポケモン図鑑に記録したい的な話?
そういや使ってみるの忘れてたな。田舎から脱出したい気持ちが溢れすぎて忘れていたけど、図鑑の使い方を確認していない事に気付き、私はカビゴンのボールとポケモン図鑑を取り出した。複雑な機器かもしれないし、町の外に出る前にマスターしといた方がいい気がする。

呼び捨てはいただけないけど、いいタイミングで呼び止めてくれたグリーンに若干感謝し、そんでポケモン持ってたら何なんだよ?と首を傾げる。すると彼もボールを取り出して、まるでこれから何かを始めるかのような距離を取った。

「本当はレッドが来るまで待ってるつもりだったけど…お前の実力も気になるし」

独り言にしてはでかい声で喋りながら、状況を把握できない私を無視してグリーンはボールを投げた。私と彼の間にポケモンが降り立ち、尻尾の炎を燃やしながら現れたオレンジの生物を見て、私は思わず声を上げた。

あ。こいつ知ってるぞ、あれだろ?初心者が貰うポケモンの一匹で…炎タイプの…なぁ?あれだよ。忘れてんじゃねーか。
完全にド忘れして苦しむニートに、グリーンは目的を語り出して、私はようやく引き止められた理由を理解するのであった。

「せっかくポケモン貰ったんだ。ちょっと俺の相手しろよ!」

挑発的な声色を聞き、やっと全てを把握した。出してきたポケモンや図鑑をもらったタイミングなどから推察し、彼が置かれている状況を紐解いていく。

そうか、こいつ今さっきポケモンもらったんだ。そんで手頃な私で初陣を済ませようって魂胆だな!?どんだけ不躾なんだよ!暇じゃねぇんだこっちだって!
忙しいニートを捕まえていいように使おうとしているクソガキに、私は半ギレであった。

そりゃあなぁ、貰ったばっかりのポケモンをバトルに使ってみたい気持ちはわかるよ。私もカビゴン拾った時は戦わせてみたくて、親父と相撲取らせようとしたしな。死ぬぞ。
だからって私を選ぶのは間違ってるから。お前知らないだろ。私が一体どういう人間なのか、この夢小説の中で、どういう設定が付けられているのかを。

「別にいいけど…でもやめといた方がいいと思うよ」

親切心からそう言ったのだが、優しい心が秒で吹き飛ぶ切り返しをされ、私の中の仏は死んだ。レイコは沸点が低かったのだ。

「びびってんの?」

いいだろう、ブッ飛ばしてやる。生まれてきた事を後悔させてやるからな!このクソガキ!

安い挑発に、レイコは怒り狂った。呼び捨てにされ続け、ストレスフルになった結果の暴動であった。

こいつ…誰に向かって口利いてんだ!?気が狂いそうなんですけど。いいよそこまで言うならやってやるよ、オーキド博士の孫だからって容赦しないからな。460キロの地響きに恐れ慄くがいい!

悪役以外の何者でもない台詞を吐き、私はのどかなマサラに巨神兵を召喚した。厚い脂肪を揺らしながら現れたカビゴンを見ても、グリーンは特に動じず、どうやら生意気なだけあって怖いもの知らずらしい。なかなか度胸があるじゃねーか。評価してやる。どこから目線だよ。

ブチギレ金剛と化しながらも、さっきからあのポケモンの名前を思い出せない事にモヤモヤしていたので、私は早速ポケモン図鑑を使ってみる事にした。いつ何時もチャンスを逃さない、それがニートへの近道だからね。
しかしどうやって使うんだ…?と電源を入れた瞬間、それは自動で動き始めた。何の操作もなくカビゴンとグリーンのポケモンを感知し、データが画面に映し出される。あっという間の出来事に私は感心して、かがくのちからってすげー!とモブに代わって叫びかけた。

え、もうデータ取得完了したんだけど。早っ。これで終わり?何もする事ないじゃん、ただ構えるだけでいいんだ。めちゃくちゃ楽だな。
これくらいならオーキド博士も自分でできるんじゃないか?まだ五十五歳なんだし…と定年前のおっさんに労働を強いる私は、ここでようやくあのポケモンの名前を思い出した。というか答えが画面に出た。喉に引っかかっていた小骨が取れ、すっきりした気持ちで図鑑をしまう。

そうだ、ヒトカゲだ!フシギダネ、ゼニガメと同じく、初心者が最初に貰えるポケモンの一匹!他の二匹に比べて圧倒的な人気を誇っているあのヒトカゲじゃないか!

悪意のある思い出し方をし、私はこれから敗北を喫する事になる憐れなヒトカゲを見つめた。
すまないなヒトカゲ、お前に罪はないが、これから460キロの猛攻を受けてもらう事になる。ノーマルと炎、タイプ相性は共に等倍だが、そんな事は一切関係ないポケモン勝負がこの世には存在するんだ。私はカビゴンにゆっくりと頷き、大御所の貫禄でゴーサインを出す。

私はヤマブキシティ在住のニートである。いやニートだった。しかし、ただの無職とは何もかもが違ったのである。
幼少期に最強のカビゴンを拾ったがために、無敗のニートレーナーとして名を馳せ、一度たりとも膝をついた事がない、そんな伝説的無職であったのだ。
名を馳せるほど戦っていない事はさておき、最強無敗である事に変わりはないので、初心者トレーナーだろうとレベル5のヒトカゲだろうと容赦なく一撃で沈め、私はこの旅で初めての白星をあげるのだった。

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