00.序章

吾輩はニートである。
職業はまだない。

否、一生定職に就く気はない。

オッス!オラ、ヤマブキシティのレイコ!ポケモンニートなんだ!
何度この序章を繰り返した事だろう。もうこれっきりにしてもらいたい私は、ヤマブキで細々とニート生活を送っている。

あれは今から数年前。父から言い渡された永久無職の条件を達成するべく、私は旅に出た。
カントー全域のポケモンの生息状況の記録、加えて図鑑の、いわゆる見つけた数ってのをコンプリートさせる特命を受け、それを達成することができれば一生ニートでいてもいいという約束を、我々は固く交わしたのだ。

カントーだけでよかったはずが、いつの間にかジョウト、ホウエン、シンオウ、イッシュ、そんでまたイッシュと、何かと理由をつけて派遣され続けた私は、やっと全てを終えて実家に戻り、悠々自適な高等遊民と化している。
ここまでの道のり、本当に長かった。普通のポケモンの記録だけでも大変だってのに、伝説のポケモンを探し求めたり、トレーナーバトルを粛々とこなしたり、やばい組織に巻き込まれたりと、本当に踏んだり蹴ったりで散々な旅路だったけれど、まぁ学ぶところもあったから許してやろう…と寛大な心で、過去を全て水に流していたのだが。

そんな私の快適生活をぶち壊す存在が、家庭の中に潜んでいる。

「レイコ、一人暮らししてみる気はないか」

いきなり父に呼び出された私は、第一声から聞く耳を持たない決意をした。父の正気を疑うくらい、NO以外の答えが存在しない愚問だったからだ。

「はあー?」

思わずミサワ顔で聞き返し、白けた視線を父に送る。

私の父は研究者である。研究内容は何回聞いてもいまいちよくわからないし興味もないが、生息地調査を私に頼むくらいなので、まぁそういう類の専門家なのだろう。貧弱な肉体ゆえデスクワークを生業としている父は、自分の代わりに、私を旅立たせる機会を虎視眈々と狙っていた。
子供をニートにさせたい親などいないだろう。その気持ちは充分にわかる。しかしそれでも無職に縋りつきたい私は、Wi−Fi環境が整い、家賃もなく、光熱費などの心配もなく、難しい保険の契約も必要なく、切れたトイレットペーパーを買い足さなくても誰かが買っておいてくれて、そして何の責任感もなく過ごせるこの実家で、どうにか生涯だらけて過ごすべく、父と交渉して生きてきた。あれだけ過酷な旅をこなしてきたのも、すべてはこの家で惰眠を貪るため…。他ならぬ大都会ヤマブキの、ローンのない安定した自宅でなければニートをする意味がないのだ。だというのに、いきなり何を言い出すかと思えば…。

一人暮らしですって?

「…すると思うか?」
「そう言うと思ったよ。まぁ聞け」

偉そうな父が着席を促すので、私は渋々椅子に腰かける。こういう時は、大体ろくな事がないのはわかっていた。序章って何だかんだ理由つけて私を旅に出す話だからな、今回ばかりはその手には乗らねぇよ。こっちも成長してるんだ、何でもかんでも思い通りには行かないということ、あなたにわからせて差し上げますことよ。
父の出方を窺いながら、私は相手を睨み、ネフェルピトーと対峙するゴンくらい冷静かつ冷酷な態度で、それ以上に冷酷な父に臨んだ。

「実は父さんの知り合いが家を買ったんだ」
「それはまた景気のいい話ですね」
「本人はそこに住む予定だったんだけど、仕事が忙しくてなかなか研究所を離れられないみたいで」
「待て待て待て待て」

はいダウトー!終了!このお話は終了です!次回作にご期待ください!
私はせせら笑いながら、完全に罠の気配を察知し、相手の話を制止した。今の会話の問題点、素人にはわからないかもしれないが、半分騙すような形で旅に出させられまくった玄人の私には、容易に罠だとわかるキーワードが存在していたのだ。同時に、それほどまでに詐欺の被害に遭っていた自分を悲しくも思った。いい加減学べよ。

「…研究所って何?」

カタギの口からは到底出るはずもない言葉を、私は指摘した。逆転裁判の始まりだった。
家を買ったはいいけど忙しくてそれどころじゃない…ってのはまぁわかったよ。仕事に缶詰めなんだろうな、ニートからしたら有り得ない状況、シンプルに同情する。
でも研究所って何?忙しくて研究所を離れられないって、研究職の人だけですよね?それってどういう事ですか?また何とか地方の何とか博士が関与してるんじゃないですか?理由つけて私を旅に出そうとしてるんじゃないですか!?
怪しすぎる!と机を叩き、徹底追及しようと法廷に立ったが、証拠の提示を恐れたのか、父は私など完全スルー状態で話を続けたので、ますます不審に思えてくる。

「それでな、住めないのはもったいないから、家を人に貸す事にしたらしいんだよ」
「まだ研究所問題から進めてないぞこっちは」
「でも、貸した人が越してくるのは数ヶ月先…」

聞いちゃいねぇ。

「だからそれまでの間、家が傷まないように住んでくれる人を探してるんだって」

私へ語りかけているはずなのに私を無視する父の話は、そこで止まった。仕方なしに聞いていた私も黙り込んでいるので、しばらく沈黙が流れる。まさかこれで終わりじゃないよな?と冷や汗を流し、こんなオチもない話のためにわざわざ呼び出されたとしたら、さすがに温厚な私も、百発殴ってしまいそうである。

で?って感じなんですけど。で?何?
意味の分からない父の話を、一体どこから突っ込んだらいいのか、私は悩んだ。
知り合いが家を買った、しかし住めそうにないから借家にした、住人が来るまで数ヶ月あるから、その間住む人を探している。簡潔に言うとそういう事でしょ?こんなどうでもいい話をした意味は何なの?一分一秒も無駄に過ごしたくない私は、世間話すら許すつもりはない父へ、冷ややかな視線を送る。
その瞬間、思い出した。無駄話の前に、謎の第一声があった事を。

「その家、お前が住んだら?と思って」

住んだら?じゃねぇよ。

「はあ?」

序盤とほぼ同じやり取りに、私は顔を歪めた。何を言っているのかさっぱりわからなかった。
馬鹿なのかこの親父は?本当に大学出たのかよ?答えの決まっている問いかけをする愚かな父が、もはや何を考えているのか理解できず、首を傾げて唸る他ない。

住まねぇよ。実家の快適さに敵う場所はないっつーの!そりゃな、親が鬱陶しい時ももちろんあるよ。今みたいにしょうもない話聞かされたり、おつかい頼まれたり、NHKに映像提供するから書類にサインしてとか言われたり、いちいち口うるさいものだけど、でも新生活を始めるのはもっと面倒なんで。つまり答えはノーよ。断固拒否。私の生きる場所はただ一つ、ハウスダストの舞う自室だけだから。掃除しろ。

「絶対に嫌」
「早まるなよレイコ。この間取りを見てから決めなさい」

そう言うと父は、どこからか封筒を取り出し、家の見取り図を私の前に置いた。やけに用意周到なところに引っかかりつつ、まぁ見るだけなら…と視線を凝らす。

1LDKか…加えて二階もあるし、結構広い敷地じゃねーの。一人で住むには大きく、さらに普段狭い部屋で過ごしている私にはもっと大きく感じられ、最終的に、掃除がだるそうだな…という感想に落ち着いた。
一人で悠々自適に広い家で生活する事に魅力を感じないわけじゃないけど…でもさすがに広すぎだろこれは。持て余すわ。結局一室しか使わないみたいなことになるでしょ。人が住んでたわりにはキッチンが綺麗すぎる…ってコナンに料理をしない事を言い当てられちまうだろうが。
答えは変わらないね、と父を突き離せば、驚いた事にここから怒涛の展開が始まり、謎の迫力に私は圧倒される事となる。

「この広さで家賃ゼロ!」
「え!?」
「持ち家だからね。あちらの御厚意で光熱費も通信費も食費もお前が支払う必要は一切ない!」
「ば、馬鹿な…」

いきなり新生活で最も不安な要素を取り除かれ、私は仰け反るほどの衝撃を受けた。奇特すぎる家主が信じられず、竜宮レナなみの迫力で、嘘だッ!と叫びたくなる。
だって絶対おかしいでしょ!家賃は百歩譲ってそうだとしても、光熱費や通信費や食費まで払ってくれるってのはありえない!どんだけリッチマンだ!?まさか石油王なのか?結婚してよ!いや違う研究員だった、一生関わらないでくれ。
あまりの事に混乱する私へ、父はさらに追い打ちをかけてくる。

「家電も全部揃ってる。ルンバもいる。そして…」
「そして…!?」
「Wi−Fiも完備だ」

雷に打たれた。私は目と口を見開き、これ以上ない良物件の衝撃で、しばらく動く事ができない。
引きこもりに最も必要なもの…それはドアの前にご飯を置いてくれる母親でも、新任の熱血担任教師でも、運命を変えてくれる美少女でもない。そう、Wi−Fiである。
Wi−Fiさえあれば何でもできる!逆にWi−Fiがなければ何もできない!ニートにとってそれは希望なのだ!その通信費も全て…無料だって!?マクドナルドでもないのにそんな事ありえるのか!?逆に怪しい!いくら何でも条件が良すぎる!

どう考えたって裏があるのはわかっているのに、この毒親から離れ、何をしても怒られず、Wi−Fiのおかげで外に出ずともネットショッピングだけで全ての買い物が済み、ずっと引きこもっていられる環境に、私は惹かれてやまなかった。
もちろん実家が一番だ。私はこのカントー1の大都会を愛しているし、慣れ親しんだ環境から脱却する事は、非常に勇気のいる事だと思う。
でも一人暮らしっつっても数ヶ月でしょ?数ヶ月間楽しい思いをして帰ってこれるなんて…普通にいいんじゃないか?旅先での野宿に比べたら天国だよ。そうだ、忌々しい旅の連続で一人で色々やり過ごす生活には慣れてるじゃないか。今さら一人暮らしに臆する事など何もないはず。

だからまぁ…?行ってやっても?いいっていうか?なぁ?

「…ちなみに住むとしたらいつなの、それは」
「明日。これ飛行機のチケット」
「早っ!」

手早く渡された封筒に向かい、私は叫んだ。

「断らせる気ゼロじゃん!ていうか飛行機で行くような場所なわけ!?」
「カロス地方のアサメタウンです」
「どこだよ!絶対田舎だろ!」

シティじゃなくてタウンなら間違いなく田舎じゃねーか!Wi−Fi完備でも基地局がないとかいうオチじゃないだろうな!?

あまりの用意周到さに、私は確信した。どう考えても何かある。つーか断らせる気ないならここまでのやり取り微塵も必要なかったよね?とんだ茶番だよ。できるだけ苦しんで死んでほしい。その方が世のため人のため、そして私のためなのだから。

カロス地方という明らかに日本列島ではない場所にも、もちろん不安が募った。確実に罠。いい家だな〜っつって入って行ったらガシャン!って檻に閉じ込められるルート。害獣じゃねぇんだよ。
しかし、何をさせるつもりにせよ、罠にしては仕掛けがでかすぎる事は少し気になった。だって家を用意してあるんだろ?大がかりすぎやしないか?いや、もうそこから嘘かもしれないからな。何も信じられない。信じられないけど、もしこのクソ親父の話が本当なら、快適な生活が手に入れられるのだ。こんな風に茶番に付き合わされる事もない、一人だけの自由な日々…。

「…家の話、本当なんだろうな?嘘だったらお前を殺して私も死ぬ」
「本当だって。ストリートビューで調べてごらんよ」

間取りの横に書かれた住所を指しながら、父はやけに自信ありげに言い放った。ここまで堂々とした態度で来るくらいだから、家に住めること、そしてWi−Fiが完備してある事は信じてもいいかもしれない…と私は息を飲む。

マジなのか?マジにただ数ヶ月住むだけ?これまでの父の悪行を考えると手放しに信用する事はできないが、そしてまだまだ引っかかる点はあるが、飛行機まで手配されている以上、行かないという選択肢は、私の中から消え失せつつある。

とりあえず…一回行ってみるのも有りかもしれない。嘘なら帰ればいいんだからな。そしてこの男を殺し、東京湾に沈める。本当に家があった場合、何を言われようと引きこもってればいいんだ、移動の労力以外に私にデメリットはないように思えた。たぶん。きっと。この頭が正常ならばな。
残念ながら正常ではないので、のちにレイコはこの決断を激しく後悔する事となる。

「…わかったよ。マジに住むだけだからな?その何とか地方の記録調査とか絶対しないからな?」
「そういえばグリーンくんは留学するらしいよ。お前と違って勤勉だよなぁ」

めちゃくちゃはぐらかしたぞ。絶対怪しい!
不信感を拭えないまま部屋に戻り、飛行機のチケットまで用意されてしまっては明日発つ他ないので、渋々荷物の用意をした。かくして、本当に件の家が存在するのか確かめるべく、私はカロスの地へと飛んだのだった。
飛んだっつーか飛ばされたんだけどな。

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