「カロスはどう?」

意識の高い人間ばかりで居心地の悪い思いをしていた私に、コミュ力の神であるプラターヌ博士は気遣うような台詞を投げかけてくれたため、ニートは余計に胸が痛む事となった。
捨て置いてくれこのニートの事は…!メガシンカを体験したところで特に協力できる事など何もない私を放っておいて…!
とはいえ話しかけられたら無視するわけにもいかず、私は当たり障りない言葉を返しておいた。

「あ、はい…面白いです…ローラースケートとかカントーじゃ見かけないし…」

世間話が下手すぎる。
衝撃的なまでに社交性がない自分を、私は恥じた。他にもっと言う事あるだろ。なんでローラースケートの話だよ?景観がいいとか、見たことないポケモンがいっぱいいるとか、ガレットが美味しいだとか、そういう万人向けのコメントをしろよ。
知らず知らずのうちに光GENJIに脳内を侵されていた事に驚く私だったが、この会話が思わぬ展開を呼ぶ事になり、さらに驚いてしまった。
カロスに馴染めないカントー人を憐れに思ったのか、博士はまたしても気前の良さを発揮する。

「よかったら使ってみる?ローラースケート」
「え?」

まさかの申し出に、私は意味がわからず首を傾げた。使ってみるとは…?と戸惑っていると、彼は棚の上から箱を取り、中に入っていた靴を見せてくる。

ローラースケートや。カロスで大流行のパラダイス銀河。

何故こんなものが…?あらかじめ用意していたかのようなタイミングで出てくるなんて…不審すぎる…。
私は怪しみながら、差し出された靴をまじまじと見つめた。

これ…どう見ても女物だよな…そして使った形跡がある…つまり中古だ。中古の、女性用の靴を、何故か研究所に置いている博士…ここから導き出される答えは…?
ま、まさか、変態…!?

「ジーナのなんだけど、もう履かないみたいだから、サイズが合うなら持っていってよ」

あいつのかよ!紛らわしいな!変態呼ばわりしちゃったじゃねーか!

一瞬でも博士を疑った己を叱責し、そしてジーナへ怒りの念を飛ばした。
履けよお前!ていうか研究所に置くなよ!なに博士に管理させてんだ!?あらぬ誤解を生むからやめろ!確かに変態のハンデくらい背負ってなきゃこの顔との釣り合いが取れないからな…と微妙に納得してしまった罪は重いからな!

勝手に深読みした自分を棚に上げ、すでに曰くつきの品と化したスケート靴を、私は気乗りしないながらも受け取った。三回くらいしか履いてないから、とほぼ新品感をアピールされては、結構ですとも言えず、とりあえずサイズ確認だけはしようと履いてみる事にする。

ジーナくらいの子ならもう大人とそう変わらないだろうけど…でも足の大きさは個人差かなりあるからな…試着してみないと何とも言えないね。
各地で散々見たスケートをまさか自分が履く事になるとは思わず、靴を脱ぎながら不思議な気分になり、原付以外の移動手段を得る事に違和感も覚えた。
あれば便利だなって思ったとはいえ…そもそも滑れるかどうか怪しいからな。堕落に堕落を重ね、小鹿のように震えるこの足で一体何ができる?それとも失われた体幹を取り戻すのが今だというの?

それを後押しするかのように、私の足は靴にぴったりとはまった。シンデレラも驚くフィット感だ。複数の車輪が傾く感覚に少しびびり、でもサイズが合った事で案外物欲が上昇する。

結構…いいんじゃないか?新しい私デビューって感じで。ボロの原付一筋でやってきたけれど、たまには小回りの利く足があったっていいかもしれない、そういう思考にシフトさせるだけの定着感があったのだ。というか徒歩より楽だから普通にほしいんだけど。くれ。返せって言ってももう返さないからな。

強欲な壺と化した私は、そのまま調子付き、乗り心地は如何なものかと立ち上がってみる。
しかし、懸念した通り、私の体幹は壊滅状態であった。まともにバランスが取れるはずもなく、視界が振り乱れ、重力の存在をこれでもかというほど感じた。回転するローラーは言う事を聞かずに、漫画みたいに宙を泳ぎながら、私は夢中で安定を求めた。

マジかよ、やべぇ。転倒する!
いやしたくない!羞恥心や痛みよりも、骨折などの心配をしてしまう大人の悲しみがあなた方にわかりますか!?
筋肉痛が翌々日に来るだらしない肉体の私は、心の中で子供たちに訴えかけた。きっとわからない事でしょう、傷の治りが日に日に遅くなっていくあの感覚を。徹夜ができなくなってきたあの感覚も、階段の上り下りがつらいあの感覚も、膝に水が溜まるあの感覚も、まだうら若き君達には想像もつかないんでしょうね…。いやそこまでじゃねぇよ私だって。アニメ一挙放送の時は徹夜くらいするわ。

でもプラターヌ博士ならわかってくれますよね!?と私は博士の腕を掴み、何とか体勢を立て直そうとした。というか目の前にいたから自然とそうなった。
壮年の白衣を無我夢中で掴み、予定ではそのまま真っ直ぐ立てるはずであった。けれども、私の肉体は私が想像した以上に無職らしくなっており、足に力が入らず、博士を巻き込んで転倒する危険性すら出てきて、さすがにまずいと狼狽える。

私一人が間抜けにすっ転ぶのはまだいい、いやよくないけどいいとして、でも博士まで巻き添えにしたらやばいどころの話じゃねーぞ。命の恩人になんて事してくれてんだ?って親父に絶対怒られる!そして私より徹夜ができない体になっているであろう博士が転倒なんてしたら、怪我で済まない可能性だってあるんだ。失礼な事を大真面目に考えながら、拙僧は両足の筋肉を唸らせ、それでもどうにもならない現状に、諦めかけたその時であった。

もう一緒に頭打とうか?と勝手に博士と心中するつもりだった私を、なんとプラターヌ博士は文字通りの包容力で抱き寄せ、思わぬ形で転倒を回避してくれたのである。
支えるようしっかりと腕を回され、瞬間、私はラピュタの庭園で朽ちていく巨神兵が如く停止した。喪女には耐えられなかったのだ。イケメンの抱擁は、完全にキャパシティを越えていた。

やばい。やばい!めちゃくちゃいい匂いする!レノアハピネスか!?

「大丈夫?」

ナチュラルフレグランスなのか!?

恐る恐る顔を上げた先で、博士は微笑みながら、私の身を案じた言葉をかける。その優しさに、お前がイケメンすぎて大丈夫じゃねーよ…と本音を漏らしかけたが、ギリギリ理性が勝利した。ちゃんと謝罪が口から出た事にホッとし、しかし予断を許さない状況なので、間抜けなほど声が上擦る。

「す、すみません…」

レノアの香りに包まれながら、ハピネスな激情に耐えた。博士に支えられながら何とか椅子に戻り、神話級イケメンの腕の中で過ごした数分を、私はきっと忘れないだろう…と喪女の歴史に新たな1ページを刻む。変な人だとは思ったけど、カロス人の紳士気質には脱帽するしかなかった。

椅子の上で呆然としたまま、私は怒涛の数分を振り返る。

何だったんだ今のは?レノアハピネスナチュラルフレグランスが…エレガントな香りが噂のエアリーで…もう何が何だかわからない…とんでもない体験をした、これだけは確かだよ。
危うく正気を失うところだった…。こんなニートでも優しく介抱してくれたプラターヌ博士のジェントル性に感謝し、互いに五体満足で帰って来れた事を素直に喜ぶ。

「慣れるまでが大変だからねー。気を付けて」
「はい…すいません本当…」

マジでちゃんと練習しようスケート…すっ転びかけた挙句に博士に助けてもらうなんて間抜けにも程があるだろ。生き恥。こんなところ誰かに見られたら死んでたかもな…と冷や汗を流した時、私はハッとした。そして後ろを振り返り、整列した四人の子供たちのバリエーション豊かな反応を見て、背筋が凍る。

そ、そうだ…完全に忘れてたけど…こいつらいたんだった!

殺してくれ!と叫びそうになり、私は羞恥に頭を抱えた。全てを目撃されていたと知り、血涙が溢れそうである。
もしかして全部見てた!?私が転倒しかけたところから、博士に受け止められてデレデレしていたところ、レノアハピネスに包まれて癒されていたところまで、一瞬も逃さず見つめてたっていうのかよ!?マジで!?死。舌噛みます。

真顔で靴を履き替えながら、その心は悲しみに満ちていた。
地獄だ。サナはニヤついてやがるし、トロバは居心地悪そうだし、ティエルノは悟ったような顔、そして何より刺さったのがカルムの冷ややかな視線ね。つらいわ。汚らわしい喪女…的な表情が脳にこびりついて離れず、イケメンとの甘美なひと時は一瞬で記憶から消え去った。短い命であった。

頼むから何も言わないでくれ…と願っていれば、子供たちより先に博士に話しかけられ、私は緊張と警戒で挙動不審になる。落ち着け。

「それからこれを渡しておくよ。みんなは持ってるね?」

またしても何かを差し出してきた博士に、私はさすがに受け取りを躊躇った。何故なら、本日三度目の貢物だからだ。

いや多すぎだろ。どんだけ渡すもんあるんだ?おかげで気が紛れたけども、そんなにたくさん博士から受け取るものある?普通にねぇよ。お前が渡すべきは図鑑のみだからな。

とは言いつつもちゃっかり貰い受け、薄型の機械だった事から、通信機器の類だと推察する。持ってるね?と言われたみんなも頷いていたので、連絡手段で間違いないだろう。
こんな高価そうなものをスケートも乗りこなせない私などに…どこまで気前がいいんだ?何にせよ今のところこれが一番有り難い貢物である。遠慮せず頂戴する気持ちでいると、博士は機械の名称を教えてくれた。

「それはホロキャスター。知り合いが製作した通信機なんだ」
「何から何まですみません…ありがとうございます…助かります」
「寂しくなったらいつでも連絡してよ」

チャラ。影山ヒロノブも驚くCHA−LA HEAD−CHA−LA発言に、こういう感じなんだな…とカロスのジェントル気質を理解した。

さっきから何かと喪女を殺しに来てたけど…カロスの人って根本的にチャラいんだ。レイコはアプローチをお国柄で片付ける女であった。
恐ろしい国だぜカロス…シビアなカントーで生きてる身にイケメンが染み渡るよ。人の優しさに触れる機会がなさすぎるニートである、優しくされてうっかり好きにならないように気を付けなきゃな、と自我を持って、カロス中の成人男性へ警戒するよう呼びかけた。勘違い喪女になりたくない、その一心がレイコにはあった。

寂しくなる事はないと思うからまず電話しないだろうな…と苦笑し、孤高のニートは博士と別れ、ようやくレノアハピネスから解き放たれた。子供たちと共にエレベーターに乗り込み、一息つけるかと思ったのも束の間、サナからの爆弾投下で、私の胸中は穏やかさから遠ざかる。

「ねぇ!レイコと博士、お似合いだったよね!」
「え!?」

どこが!?地位名誉資産顔面すべてが神話級の博士と、何も失うものがないニート、どう考えても釣り合ってないだろ。すべてが真逆だよ。
心臓に悪い発言をしたサナに首を振り、私は自分の情けなさに頭を痛める。

なんて事を言うんだこの子は…どこをどうやったらお似合いに見える?視力検査してもらった方がいいじゃないのか?
まぁあんな刺激の強いものを見せられたら、サナぴょんのように純粋な子はいい雰囲気だと誤解してしまっても無理はないかもしれない…終始デレついてた自分も相まって、ロマンスを感じる部分が無きにしも非ずだった事は認めよう。
でも違うから。私は一足先に理解したから。カロス人は、人間を口説かずにはいられない民族である事をね。

「ああいうのは誰にでも言ってるんだよ…」
「でもレイコ…ちょっと嬉しそうだったし…」

やめろ。喪女の傷を抉るな。

あんなイケメンに優しくされたらみんなああなるだろ!と力説しようとしたところで、本人がいなくなった今こそ問うべきだと、私は声を荒げた。
そうだ、あのとき言えなかったけど、今なら叫べる…共有したいこの気持ちを!博士の顔が、万国共通の概念であるという事を!確かめさせてくれ!

「ていうか…プラターヌ博士めちゃくちゃイケメンじゃなかった!?」
「やっぱ好きなんだ!」
「違ぇよ!」

そういう意味じゃねぇ!顔面破壊力の話だよ!
これだから子供は!ともどかしく思いながら、誰かとあの奇跡の顔面についてわかり合いたいと、心から願うレイコなのであった。
絶対世界中の画家が肖像画を描きたくなるレベルだからな、覚えとけよ。

  / back / top