婚約解消

「ハッ!」

目覚めのテンプレみたいな声を出し、私は覚醒した。直後に知らない天井が目に入り、すぐさまソファの上で寝ていたことに気付いて飛び上がる。ぼんやりする頭には夢の記憶がわずかに残っていて、やっと意識がはっきりした頃にはほとんど忘れかけていた。
私は辺りを見回し、状況が飲み込めないまま髪をかきあげた。

どこだ、ここ。全然知らない場所なんだけど。

「あ、気が付いた?」

混乱していると、誰かに声をかけられて勢いよく振り返る。まさか私は誘拐でもされたんじゃないかと焦ったけれど、視線の先にいた人物を見て一瞬不安は消え去った。

「…ジュンサーさん?」

私の元へ駆け寄ってきたのは、巡回でよく見かけるジュンサーさんだった。という事は…と部屋を見渡し、交通安全ポスターなどを見て、ここがどこだかようやく気付く。
交番だ!家から出ないニートには無縁の施設!
初めて入った場所に若干興奮を覚えつつ、一体どうしてこんなところにいるのかわからなかったので、私は依然として不安を抱えたままである。
なんでこんなところで寝てたんだ?私…何してたっけ…確かコンビニに行く途中だったような気がするんだが…?
それ以上の記憶がなく、まさか知らないうちに犯罪でも犯したのかと焦っていたら、外からカビゴンがやってきた。お前なんでボールに入ってないんだよ?とますます疑問を抱いていると、ジュンサーさんは一瞬にして私の記憶を呼び覚ます台詞を放つのだった。

「あなたのカビゴンのおかげでスリーパーを捕まえられたわ。本当にありがとう」

スリーパー、という単語で私は全てを思い出した。
そうだ、コンビニ行こうとしたら暴れスリーパーに出会ったんだ。そんでカビゴン出して盾にしようとしたら、確か催眠術をかけられてそのまま気絶した気がする…。つまり私は…被害者!
加害側じゃなくてよかったーとホッとしている私に、ジュンサーさんは事の経緯を話し始めた。何故スリーパーがジュンサーさんに追われていたのか、時は数時間前に遡る。


どうやら野生ではなく、あのスリーパーにはトレーナーがいたらしい。
若くて可愛いエリートトレーナーであるスリーパーの飼い主は、ポケモン勝負ばかりしていたせいか男に免疫がなく、ある日結婚詐欺に遭ってしまったのだという。
心労が祟って入院する事になったトレーナーは、詐欺師だったとはいえ相手のことを忘れられず、毎日泣いて過ごしていた。そんな様子をスリーパーはいつも心配そうに見守っていた…ずっと一緒に戦ってきたのに、何の力にもなれない、そう自分を責めながら。
そしてある時、夢でいいから結婚したい…というトレーナーの言葉を聞いて、スリーパーは覚醒した。愛するトレーナーのために、催眠術で結婚の夢を見せてあげようと決意したのである。
その練習に巻き込まれたのがそう、この私、ポケモンニートのレイコであった。
スリーパーの健気な思いは暴走し、道ゆく女性に無差別に催眠術の練習を行なっていたのだという。被害者は数名いたが、私のカビゴンの手刀により犯行は食い止められ、皆無事に夢から覚め、事件は解決した…というのが全ての真実であった。
茶を飲みながら話を聞く私は、だから変な夢見たのか、と目を閉じて記憶を辿る。

全く傍迷惑なスリーパーだな…まぁトレーナーを思う気持ちはわからんでもないが、おかげで目覚めは最悪ですよ。結婚の夢っていうか私が男共を振りまくるっていう胸糞悪いドリームを見せられ、気分良くいられるはずもなく、深い溜息をつく。ポケモンの純粋すぎる性質に、複雑な感情を抱きながら。

「なんか…責めづらいですね…」
「そうね…」

微妙にいい話っぽいから余計腹立つな。ジュンサーさんと苦笑を向け合い、事情を聞いた他の被害者達は特に訴える気もないというので、私もそれに同調しておいた。裁判とか面倒だしな。行き過ぎたとはいえスリーパーの優しさに免じて許してやるよ。
起きるまで待っててくれたカビゴンに礼を言い、ボールにしまうと、ジュンサーは不意に遠い目をして窓の外を見た。意味深な呟きが、結婚の奥深さ、そして難しさを私に知らしめる。

「結婚の夢を見せたって…幸せになれるわけじゃないのに…」

悲しい声色でそう言ったジュンサーさんの手に、指輪はなかった。彼女もまた悲しい恋でもしたのかと思うと、何だか胸が痛む。男を次々に振った身としてはな…。本当夢でよかった。マジ何なんだあの夢。確かにちょいちょいスリーパーの姿を見た気がするわ…バブリーダンスとか踊ってやがったし…。記憶は薄れつつも、どれもこれもろくな内容でなかった事は間違いないので、催眠術の才能のなさに何だかこっちが泣けた。よかったな、ぶっつけ本番でやらなくて。あんな夢見せたらお前のトレーナーショック死してたかもしれんぞ。

「スリーパーもトレーナーも反省してたから、もう悪さはしないと思うわ」
「それならまぁ…いいですよ、不問で。私も変な夢見ただけだし」

心の広い姿を見せると、ジュンサーさんは礼と共に微笑みを寄越した。こんなふざけた事件も取り締まらなきゃいけないなんて大変な仕事ですよ。やっぱニートだな。もう一生ニート。永遠に実家に引きこもり、独身を貫いて手持ちと触れ合いながら静かに死んでいく…それが最良の人生プランだな。
あの夢の通りなら結婚までにいろいろありそうだし、何人に結婚しましたハガキを送らなきゃならないのか考えたら、それだけで憂鬱だった。だりィわ。何より結婚したら肩書きが主婦になってしまうのが一番無理だよ…何の責任も負わずに親の脛をかじって生きる事が重要なの、夫の扶養に入るなんてニートのプライドが許さないのよ。
一層ニートへの思いを強める事になった私に、ジュンサーさんは冗談まじりに語りかける。

「あなたは夢の中で誰と結婚したの?」

世間話のつもりだったのだろうが、答えられずに私は曖昧な返事でごまかした。覚えてないですね…と言いつつも、本当は完全に記憶がある。しかし健気なスリーパーの話を聞いたあとで、金の亡者とは知られたくなかったから、相手が石油王だったとは死んでも言えないレイコであった。
やっぱ訴えようかなあいつ。